Tiny garden

それだけは言わない(2)

 吹きつける木枯らしの分だけ、帰り道は校舎の中よりも寒かった。
 吐く息もやっぱり白い。校門をくぐったところで思わず身震いすると、コートを羽織った彰吾くんが小首を傾げた。
「寒い?」
「うん。歩けば暖かくなると思うけど」
 肩をすぼめつつ応じる。二人で歩くと一人でいるより少しだけ速くなるから、暖かくなるのも早い。せっかくの一緒にいられる時間を急ぐのも惜しい気がしたけど、十二月の風には敵わない。
 白い息越しに隣を見上げれば、彰吾くんはぴんと背筋を伸ばして歩いていた。縮こまってはいないし、顔つきからしてそれほど寒そうじゃない。
「彰吾くんは平気そう」
 私の言葉に照れ笑いが浮かぶ。
「このコート、暖かいから」
「そうだね。さっき借りてた時もすごく暖かかった」
 持ち主の背の高さに合ったダッフルコートは、私にはぶかぶかだったけど、着ている間はちっとも寒くなかった。
「いや、理緒が着てたからだと思う」
 答えた彰吾くんが、次いで微かな笑い声を立てた。
「温めてもらったみたいだ。ちょっと、得した気分」
 すごくうれしそうな、楽しそうな表情をされたから、つい私もつられたくなる。一緒になって笑いたくなる。
「昔のお殿様みたいだね、彰吾くん」
「何、それ」
「お殿様の草履を懐に入れて、温めておく話ってなかった?」
 誰だったかなあ、忘れちゃったけど、結構有名な話だったはず。
「ああ、聞いたことある」
 彰吾くんにも通じたみたいだ。ちょっとだけおどけた口調になって、
「じゃあ俺がお殿様になったら、理緒を俺のコート温め係にする」
「私の仕事、それだけなの?」
「そう。俺の服を着て温めておくだけの簡単なお仕事です」
「楽でいいね」
 私は吹き出した後で、でもそのお仕事、冬場はいいけど夏はどうするんだろうなって考えてしまう。彰吾くんは暑いのが苦手だ。去年の夏もずっと辛そうにしていたのを覚えている。
 そしてそこまで考えた時、さっきまでのおかしさが煙のように消え失せて、代わりに寂しくなってしまう。
 来年の夏を迎える頃、彰吾くんはこの街にはもういないから。
「あとは、どうやってお殿様になるかだ」
 当の彰吾くんはそんなことを真剣に考え始めている。その真面目さも、おかしいと感じるより強く、寂しく思えてしまうから困る。
 師走に入り、次第に張り詰めていくクラスの空気の中、彰吾くんは不思議なくらい普段通りだ。内心が顔に出ない人だからそう映るだけかもしれないけど、焦った様子もなければ気負っているようでもなく、そしてちっとも寂しそうじゃない。この街を離れることに、迷いもないみたいだった。
 もちろん、私の知らないところでは迷ったり、悩んだりしていたのかもしれない。のんびり屋の私が進路の話題を持ち出さなかったから、本当は大分前から決めていたのに、打ち明けるタイミングがなかっただけなのかもしれない。私が何にも気付けないうちから、彰吾くんは進路を決め、気持ちを落ち着け、未来を見据えて歩き始めていた。歩幅の大きな彼についていくならもっと急がなくちゃいけないのに、私の気持ちはそこまで辿り着けていない。この期に及んで、時間が経たなければいいのにと思う。
 夏は来なくていい。春も要らない。冬のままでいい、けど――この冬はクリスマスも冬休みもないから、ずっと続くのは辛い。いっそ秋まで、文化祭の始まる前くらいまで巻き戻っちゃえばいいのに。
 そう思ったらつい溜息が出て、彰吾くんには訝しがられた。
「理緒、疲れてる?」
「あ、ごめん。何でもないの」
 私は急いで謝ってから、言い訳みたいに付け加える。
「ただ、家に帰ったらまた勉強だなって思ったら、ちょっと憂鬱で」
「わかるよ」
 そしたら、気遣わしげに笑いかけられた。嘘をついた心がずきっとする。
「俺も家に一人でいると、気が緩んじゃうことあるから」
「そうなんだ……」
「今が大事な時なのにな。目標を立ててやらないと、飽き飽きしてくる」
 彰吾くんはそう言ったけど、それでもちゃんと頑張っているんだから十分すごいと思う。彼のお父さんとお母さんは揃ってとても忙しい人で、彰吾くんは夜を一人で過ごすことが多いと聞いている。私も何度かお邪魔しているのに、彰吾くんのご家族とはまだ一度も顔を合わせたことがなかった。それでも受験勉強をしているんだから、やっぱりすごい。お母さんに叱られてしぶしぶ机に向かう私とは全然違う。
「一人でもちゃんと勉強してる分、しっかりしてるよ、彰吾くんは」
 いろんな意味で罪悪感を背負った私が言うと、苦笑気味に肩を竦めてみせたけど。
「そうでもない。結構いっぱいいっぱいだ」
 どこが、なんだろう。ちっともそんな風には見えない。
「でも、私と比べたらすごく気持ちが強いと思う。いつも、すごいなって思ってるよ」
 私からすれば、彰吾くんはすごく強い人。だから、本当に心配することもないんだと思う。
 離れたって、浮気の心配なんて要らない。――改めて脳裏に浮かべてみても、何となく場違いというか、現実味のない単語だった。そういうことをする彰吾くんは想像出来ないし、想像する必要もないはず。離れてもきっと大丈夫なんだろう。
「買い被り過ぎだよ」
 焦りも気負いもない笑い方の彼を見て、私は気を引き締める。
 寂しいとは言わない。
 彰吾くんの受験の邪魔になるようなことは言わない。
 私も同じように、大丈夫って思えるようにならないと。過ぎてしまった秋を恋しがっていたら前には進めないから。この冬はちょっと辛いし、春が来たら彰吾くんは違う街に行ってしまうのだろうけど、でも。
 私も、強くなりたかった。

 スニーカーとローファーの足音は、見慣れた三叉路で一時停止する。
 比較的新しめの建物が多い、静かな住宅街の一角。背の高いマンション前の通りを真っ直ぐ行けば私の家で、彰吾くんの家は右に曲がった道の向こうにある。ここからは一緒に帰れない、いつもの分かれ道。
 彰吾くんはよく『送っていく』と言ってくれるんだけど、学校帰りにそれをお願いするのは申し訳なくて、大抵遠慮していた。この分かれ道で別れた後も、彰吾くんの家までは結構歩くから。まして冬の夕暮れ時は冷え込むし、風邪なんて引いて欲しくないし。
 でも分かれ道で足を止めれば、もう少しって気持ちも働いてしまう。なかなか『また明日』が言えない。
「……クリスマスのことだけど」
 彰吾くんも同じなんだろうか。立ち止まってからも別の話題を振ってくる。
「やっぱり、出かけたりとかは無理?」
 声を落としての問いは、真剣な眼差しと一緒に向けられた。冬道らしく赤い頬をした彼の顔を見上げ、私は複雑な気持ちで答える。
「うん……あの、ごめんね」
「理緒が謝ることじゃない。しょうがないんだろ?」
 すぐに彰吾くんがかぶりを振ってくれるから、その優しさに一層胸が痛んだ。クリスマスを二人で過ごしたいと思ったのも同じだったけど、私の外出禁止令がそんな理由だけで解けるはずもなかった。私としては家族、特にうちのお母さんの彰吾くんに対する心証が悪くなるのも避けたくて、どうしても強く出られない。お母さんは、そういうことには特に厳しいから。
 デートしたいなって思う気持ちも確かにあるんだけど。残り時間を意識している今は尚更だった。
「気にしなくていい」
 私の沈黙を見て、彰吾くんは念を押すみたいに言った。
 それから少し笑って、
「せめて、プレゼントはするから」
 とも言い添えられたから、うろたえたくなった。
「え……あ、で、でも……」
 下された外出禁止令はとても厳しくて、買い物の為の遠出も難しい状況だった。近所のスーパーやコンビニくらいなら許してもらえるだろうけど、そんなところでプレゼントなんて買えない。
 つまり、彰吾くんがプレゼントを用意してくれたとしても、私は何か買ってくることが出来なかったら、お返しも出来なくなってしまう。
「私、もしかしたら何にも用意出来ないかもしれない。だから――」
 たどたどしくなる返事にも、彰吾くんは穏やかに頷いてくれる。
「わかってる。気にしなくていいから」
「受験終わったら、でもいい? 遅くなっちゃうけど」
「というより、理緒の気持ちだけでいい」
 それから彼は笑みを消して、ふと表情を引き締めた。続く言葉は心なしか言いにくそうだった。
「俺は、もう用意してるんだ。でも……プレゼントの代わりっていうと変だけど、理緒に、頼みがあって」
「頼み、って、どんなこと?」
「大したことじゃない、その時に話す。ただ」
 彰吾くんはもごもごと、終わりの方は呟くように、
「……ちょっと変わったお願いかな、とは思う」
 低い声で告げられた。
 私はそれを確かに拾って、どんなことなんだろうと思う。もし私に出来ることなら、頑張りたい。彰吾くんの為に。
「うん、わかった」
 なるべくしっかり頷けば、いくらかは安心してもらえたみたいだ。彰吾くんの笑みがそっと零れた。
「ありがとう。イブの日に届けに行くから」

 それからお互いに、また明日、と言って別れた。
 一人きりの分かれ道に入ってから、私はぼんやり考える。願う。プレゼント、やっぱり用意したいな。そういうの、受験生が考えたら駄目かな。
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