Tiny garden

鍍金細工の女の子(3)

 ファストフードのお店には入ったことがない。
 なぜかというと、うちの母がこういうものにいい顔をしないからだ。

「買い食いなんてすれば、奥様に何を言われるか……」
 庸介が声を落として、お店に入りたがる私を制止する。
 素敵な幼なじみの鍍金が剥がれつつあるので、私は真っ向から反論した。
「お母さんには黙っていればいいじゃない」
「六花が外で何を食べたかも逐一報告するように言われている」
「だから、何で正直に言っちゃうの? 黙っててよ」
 うちの母は食事についてものすごく厳しい人だった。三食のご飯はもちろん、おやつだって手作りでなければ駄目だという。だから私は市販のお菓子をほとんど食べたことがない――学校でお友達に貰って、こっそり食べたことはある。だけどこういうファストフードのお店にも入ったことがなかった。
 でもこういうお店のCMはいつだってとても美味しそうだし、一度食べてみたかった。
「秘密は守るから、庸介も秘密にして」
 私は彼に詰め寄ると、ここぞとばかりに懇願した。
「ね、お願い! 一度でいいから入ってみたかったの!」
「……だけど」
 庸介が思いっきり目を逸らす。
 私が背伸びをして更に詰め寄ると、顔ごと背けた彼も、やがて困り果てたように溜息をついた。
「わかった、譲歩しよう。飲み物だけならいい」
「えー……ハンバーガー、食べたかったのに」
「食べたいだけなら今度作るよ。時間もないし、飲み物だけで頼む」
 時間がないと言われれば、それ以上食い下がることもできなくなる。それが庸介の最大限の譲歩だということもわかっていたから、私はそこでようやく頷いた。
「ありがとう、庸介」
「どういたしまして」
 彼は苦笑した後、溜息まじりに言い添えた。
「また連れてくることができたらいいんだけどな」
「えっ、本当? また一緒に来てくれる?」
「そういう機会を作れるよう、努力はするよ。さ、入ろう」
 私は彼に促され、うきうきと初めてのお店に立ち入った。

「買ってくるから、六花は席で待っていてくれ」
 庸介はそう言い残すと、一人でレジへ並んだ。
 夕方時の店内は少し混んでいて、カウンター席や二人掛けの席は全て埋まっていた。客層はほとんどが私と同じ学生ばかりみたいで、学校帰りに寄り道をしているのか、揃って制服姿だった。
 空いている席はないかと店の奥へ足を向ける。奥の方には四人掛けの席がいくつかあったものの、それらも粗方埋まっているようだ。
 困ったな、どうしようかと思った時、
「主代さん」
 聞き覚えのある男の子の声が、私を呼んだ。
 声のした方を向けば、四人掛けの席に座る男子生徒が、私に手を振っていた。
 人懐っこい笑顔、男子にしては少し長めの髪――蒲原くんだ。
「主代さんも一人?」
 そう尋ねてきた蒲原くんも、大きなテーブルに一人で着いていた。彼の前には食べかけのハンバーガーと、ストローを差した紙コップが置かれている。
「ううん。庸介が一緒」
 私の答えに彼はたちまち顔を曇らせる。
「やっぱそうか……席探してんなら一緒に座る?」
「いいの? 迷惑じゃない?」
「主代さんはいいよ。徒野は、あいつの態度次第ってことで」
 蒲原くんはおどけたように言った。
 確かに庸介は、蒲原くんにはいい顔をしなさそうだ。でも他に空いている席もないようだし、このご親切には甘える方がいい。
「ありがとう、お邪魔します。庸介には私から話をするね」
 私はお礼を言うと、蒲原くんと向かい合わせの席に座る。
「どうぞどうぞ。主代さん、丁寧だね」
 蒲原くんはなぜかおかしそうに言い、テーブルに頬杖をついた。庸介なら絶対にしない仕種だった。
 それから私に、どこか興味深げな視線を向けてくる。
「やっぱ他の女子と雰囲気違うよな、主代さんって」
「そ、そう?」
 言われて私はぎくりとした。
 今の学校にも少しは馴染んだつもりでいたけど、まだ違和感があるのかもしれない。もう少し制服を着崩したり、校則に違反したりする必要があるかな。
「何か、上品な可愛さがあるよな」
 蒲原くんはそう言うと、食べかけのハンバーガーにかじりつく。そのハンバーガーはCMで見たよりも薄く見えたけど、ソースたっぷりで美味しそうだった。
 そしてあっという間に食べ終えた蒲原くんは、包み紙をくしゃくしゃに丸めながら言った。
「な、今からでも俺に乗り換えない?」
「乗り換え……って?」
「徒野と別れて、俺と付き合わないってこと」
 漫画だともっと劇的に、大ゴマを使ってまで伝えられそうな台詞を、蒲原くんはさらりと口にした。
 だからだろうか。答えに迷うことはなかった。
「ううん」
 私はすぐさまかぶりを振る。
 別に、蒲原くんのことが嫌いなわけではない。むしろ嫌いになるほど話もしていない。
 ただ庸介と――付き合う、ふりをしてるから。他の人とは付き合えない。それだけだ。
「そっか、やっぱりか」
 蒲原くんは残念そうに肩を落とした後、すぐに苦笑した。
「ま、しょうがねえよな、幼なじみだもんな。昔から好きだったんだろ?」
「う、うん。そうかも」
 幼なじみなら、そういうものなのかもしれない。いつからかわからないけど、ずっと前から好きで、一緒にいるのが当たり前で、片時だって離れていたくなくて――漫画の中では幼なじみってそういうものだ。それを知っていたからこそ、私は即座に頷いた。
 でも他の人から聞かれると、何だか妙にそわそわする。
「赤くなっちゃって」
 冷やかすように蒲原くんが言ってきたから、どうやら私は赤面しているみたいだ。
 慌てて頬に両手を当てると、確かにほんのり熱かった。
「徒野もすげえ調子乗ってるよな。俺と目が合うと常にドヤ顔だぜ」
「そうなの? そういう感じ、全くしないけど」
 庸介がそんなことを蒲原くんに誇ってみせるなんて意外だ。蒲原くんの見間違いではないのだろうか。
「いいや、あれは可愛い彼女ができて調子乗ってる顔だ」
 蒲原くんは鼻の頭に皺を寄せ、疎ましそうに続ける。
「俺なんて主代さんに振られるわ、クラス全員の前で恥かかされるわなのに、あいつ一人で幸せそうでずるいよなあ」
 幸せそう、かなあ。
 その言葉も意外に思えて、私は首を傾げた。思えば、最近はよく笑うようになっていたけど――。
「お、噂をすりゃ徒野」
 不意に、蒲原くんが声を上げる。

 振り向くと、トレイに紙コップ二つを載せた庸介が、きょろきょろ視線を巡らせているのが見えた。
「庸介」
 声をかけると彼はこちらに気づき、そしてたちまち顔を顰める。
 私達のいるテーブルに、足早に近づいてきてからこう言い放った。
「六花、出よう」
「そりゃないだろ!」
 とっさに蒲原くんが声を上げ、庸介をぎろりと睨む。
「お前は本っ当あからさまだな……。いいから座れよ、席ねえんだろ」
「君から親切にされると、裏がありそうで嫌だ」
 庸介も平然と蒲原くんを睨み返した。
 その目がやけに冷ややかで、私まで落ち着かない気分になる。
「蒲原くんは親切で席を譲ってくれたんだよ。飲み物飲むだけだし、ご厚意に甘えようよ」
 思わず口を挟むと、庸介は大げさなくらいの溜息をついた。
「……不快になったらすぐ席を立ってもいいなら、そうする」
「お前、そこまで言うか」
 蒲原くんの呻き声を聞き流すように、庸介は私の隣の席に座った。
 私の前に紙ナプキンを敷くと、その上に紙コップを置き、ストローを差してくれた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。これは何?」
「バニラシェイク。アメリカンスタイルのミルクセーキだ」
「へえ……あ、ちょっと冷たい」
「アイスクリームが入っているから冷たいよ。気をつけて」
「うん」
 庸介の説明を聞き、私はストローに口をつける。
 中身は冷たさのせいか少し硬めで、軽く吸っただけでは飲めなかった。飲み物というよりはほんのちょっと柔らかくなったアイスクリームのような質感だ。味はかなり甘いバニラだけど、冷たさのお蔭でそこまで甘みを感じない。
 ミルクセーキと言えば卵黄が入ったフレンチスタイル派の私だけど、こういうのもいいかもしれない。
「美味しい。冷たくて、気分がすっきりするね」
 一口味わった後、私は庸介にそう告げた。
 すると彼はわずかに目元を和ませて、顎を引く。
「口に合ってよかった」
 初めてのファストフードだから、私の口に合うかどうか、気にしていたのかもしれない。
 心配性だなあ、庸介は。
「……お前らってさ」
 顔を見合わせる私達の間に、蒲原くんの怪訝そうな声が割り込んできた。
 二人でそちらを向けば、表情も不思議そうな蒲原くんは言う。
「やっぱ、二人揃って何か違うよな」
 その言葉にも私はぎくりとしたけど、
「何も違わないよ」
 庸介は鼻を鳴らして、何でもないように応じた。
「そうかあ? じゃあ徒野が甘いだけか」
 蒲原くんは眉を顰めつつ、呆れた口調で続ける。
「彼女の為にストロー差してやるとか、毎日弁当作ってくるとか。徒野って彼氏ってより保護者だよな」
 それは言えてるかもしれない。
 私は漫画でしか彼氏彼女のお付き合いというものを知らないけど、ここまでやってくれる彼氏は漫画の世界にもなかなかいないだろう。
 私が思ったことを、きっと庸介も同じように思ったんだろう。
「よく見てるな、蒲原」
 ふっと笑ってみせた後、挑発的な目を蒲原くんに向けた。
「でも羨ましがるのはやめてくれ。何を言われても、六花は譲れない」
 きっぱり言われて、どうしてか私の方がどきっとした。
 もちろん、それが庸介のお仕事だというのは知っているんだけど。
「十分すぎるくらいわかってるっての! 見せつけやがって」
 蒲原くんが歯を剥き出しにして怒ると、庸介は至って冷静に言い返す。
「わかっているならいい。君は恋多き男だと聞いているしな」
「な……渡邉の奴、また何か言いやがったか?」
 それを指摘された途端、蒲原くんはあからさまにうろたえた。
 そういえば渡邉さんが言ってたな。蒲原くんには少し前に、好きな人がいたんだって。卒業した先輩だって聞いた。
「あの女、口軽すぎでむかつく……!」
 蒲原くんが忌々しげに頭を抱える。
 それを見て、庸介はほっとしたようにシェイクのストローを咥える。
「君が次の恋をする分には、俺も関知はしない。幸せになってくれ」
「うるせえよ。いちいち人の傷口に塩塗り込むな!」
「せっかく励ましたのに、そんな言い方はないだろ」
「どの顔で言うか! お前の言い方のがねえわ!」
 庸介の言葉に、蒲原くんはいちいち言い返している。
 それがまるでサーブの後にラリーを続けているみたいに軽快に思えて、何だか妙に楽しげだった。

 もしかするとこの二人、相性はいいのかな。
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