鍍金細工の女の子(4)

「ってか、渡邉もありえねえよな」
 蒲原くんは頬杖をつきながら愚痴を零す。
 彼が食べているポテトは随分と柔らかいみたいで、指でつまむとふにゃっと折れた。フライドポテトなのに。
 食べるかと勧めてもくれたけど、私が答えるより先に庸介が断ってしまった。残念だ。
「普通、そういう人のプライベート的なことバラすか? あいつマジでいつか殴る!」
 女の子に対してそんな物言いをする蒲原くんに、私はちょっと驚いた。
 でも、それだけ仲がいいということなのかもしれない。思えば学校でも、渡邉さんと蒲原くんはいつもフランクに話をしている。それに渡邉さんが蒲原くんの過去の恋愛を知っているというのは、やはり親しいからではないだろうか。
 それで私は彼に尋ねた。
「蒲原くんって、渡邉さんと仲いいの?」
 すると蒲原くんは苦笑して、ポテトを持った手をひらひら振った。
「いや全然。俺ら中学一緒なんだよ、そんだけの付き合い」
「そうなの? 親しく話しているように見えたよ」
「つか、渡邉は男相手なら誰でもああだろ」
 そう言うと蒲原くんは私に向かって、
「主代さんこそ、あいつと話合う? あいつ、女子ん中じゃ浮いてるけど」
 と聞き返してきた。
「私、渡邉さんのこと好きだよ。いろいろ教えてくれるし、優しいし」
 正直に答えた私の隣で、庸介が何か言いたげに咳払いをする。何だろう。
 さておき蒲原くんは私の答えが意外だったようで、細い目を瞠ってから、ちょっと笑った。
「そっか。……まあ、口は軽いけど悪い奴じゃねえよ、あいつ」
「含むような物言いだな、蒲原」
 庸介が堪りかねた様子で口を挟む。
 たちまち蒲原くんも不機嫌そうに顔を顰めた。
「別に何でもねえよ」
「そういうふうには聞こえなかった。渡邉さんについて、何か六花に忠告したい事柄でもあるのか」
 前から感じていたことだけど、庸介はどうも渡邉さんに対して警戒心のようなものを抱いているようだ。
 今も探るような言い方をしたから、私は思わず彼を睨む。
「ちょっと、庸介。そういう詮索はよくないよ」
 渡邉さんはいい人だ。浮いているというならきっと誰より浮いているはずの私に真っ先に話しかけてくれて、友達になってくれた。私の知らないことをたくさん知っているし、可愛いし、今時の女子高生のお手本として尊敬すらしていた。
 でも、そういえば。
 彼女が私以外の女子と話しているところは、これまで見たことがなかった。
 だから、どうということでもないけど。彼女はいい人で、私の友達。それ以外のことはどうだっていい。
「主代さんの言う通り。彼女の前で他の女のこと聞きたがるとか、どうよ」
 蒲原くんもそう言ってくれて、それで庸介は不服そうにしながらも頷いた。
「わかった。君の言うことも一理ある」
「わかればいいんだよ、わかれば」
 そこで蒲原くんは少し偉そうに笑った。
「よそ見なんてしてみろ、俺が主代さん掻っ攫っちゃうからな」
 彼の挑発に、だけど庸介はきっぱりと答える。
「それはないな。俺は六花一筋だ」
「え……」
 意外な一言に、私の口からは思わず声が漏れた。
 二人が同時にこちらを向いたので、私は目を逸らすようにバニラシェイクを啜る。だけど熱を持った頬はどうにも誤魔化しきれなかった。溶けかかってやわらかくなったバニラシェイクでは、その熱を冷ますこともできないみたいだった。

 庸介は、人前だと簡単にそういうことを口にする。
 私と二人の時は『可愛い』の一言すら言ってくれないのに。変なの。

 ふにゃふにゃのポテトも食べ終えると、蒲原くんは一足先に席を立った。
「んじゃ、俺は先帰るわ。またな、お二人さん」
「また明日ね、蒲原くん。席に招いてくれてありがとう」
 私がすかさずお礼を言えば、彼は一層人懐っこそうに笑う。
「いえいえ。主代さんはいい子だな、それに引き換え――」
 その目が庸介の方に向く。
 庸介は心外そうに蒲原くんを睨む。
「俺も感謝はしてるよ。ありがとう、蒲原」
「感謝してんならそれらしい顔しろよな、徒野」
「この顔は生まれつきだ」
「はいはいそうですか」
 蒲原くんは投げやりに庸介をあしらった後、空になったトレイを持ち上げた。
 それからふと思い出したように、
「そうだ、徒野。リレーの練習明日からだからな、サボんなよ」
 と言った途端、庸介の表情が目に見えて強張った。
「待ってくれ。俺はまだ出るなんて言ってない」
 いつになく慌てて反論する庸介に、蒲原くんも目を剥く。
「はあ? あんなタイム叩き出しといて出ねえとか嘘だろ」
「あれはまぐれだ。練習には出られない」
「おいおい、冗談やめろよ。彼女とデートで忙しいってか?」
 蒲原くんが声を尖らせた。
 そこで庸介は気まずげに唇を結び、押し黙る。
 二人のやり取りがぴんと来ない私は、蒲原くんに尋ねた。
「リレーって、何のこと?」
 すると庸介はこちらを向いて、何か言いかけたけど、蒲原くんが答える方が早かった。
「体育祭のリレーだよ。俺と徒野、学年代表に選ばれたんだ」
「へえ、すごい!」
 そういえばこの間の体育で、リレー選手の選考をしていた。私は選ばれもしなかったけど――男子も同じことしてたんだ。知らなかった。
 それに、庸介が代表に選ばれたってことも。
「でも初耳だよ。庸介、足速いんだね」
 私は思わず感心したけど、考えてみれば庸介は呼べばいつでも飛んできてくれるし、家の中でもきびきび歩いている。足が速いのも納得だった。
 もっとも、当の庸介は困り果てた顔で私を見ている。どうやら知られたくなかったみたいだけど、なぜだろう。
「どうして黙ってたの?」
 私の問いに、庸介は言いにくそうに口を動かす。
「断ろうと思っていたから。俺は、出るわけにはいかない」
「そんなことないでしょう。庸介が代表になったら、私も誇らしいよ」
「だよな。ほら見ろ徒野、主代さんもそう言ってんぞ」
 蒲原くんはテーブルに手をつき、迷う庸介を説得にかかった。
「お前と俺が出たら、優勝だって狙える。そのくらいのタイムは出せてんだよ」
「それは言いすぎだ」
 庸介はかぶりを振ったけど、
「マジだって。断るとかつまんねえこと言うなよ」
 今までで一番真剣な顔で、蒲原くんは言い切った。
 私も、庸介がリレーで走るところを見てみたい。断ってしまったらつまらないと思う。どうしてそんなことを言うんだろうか。
「……少し、考えさせてくれ」
 やがて、庸介が蒲原くんにそう言った。
 苦し紛れに結論を先延ばしにした、そういうふうにしか聞こえない返答だった。
 蒲原くんは顔を顰めた後、
「主代さんからもよく言っといてくれよ。もったいねえって」
 私にそう言い残して、先にお店を出ていく。

 その後ろ姿が閉まる自動ドアの向こうに消えてから、庸介がぽつりと言った。
「隠そうと思って黙ってたわけじゃない」
 私を見る顔がとても神妙で、まるで叱られた後の小さな子供みたいだった。
「断ってから、話そうと思ってたんだ」
 初めてのおつかいで、私に泣かれてしょんぼりしてた時と同じ顔。
 あれから七年も経って、すっかり大人みたいな顔してるくせに、こういうところは変わらないんだ。そう思うとおかしくて、私はつい笑ってしまった。
「……なぜ笑うかな」
 途端に庸介が拗ねる。
 私は笑いながら弁解する。
「ごめん、あんまりしょんぼりしてるから。ね、どうして走らないの?」
「どうしてって……バイトがあるからだよ」
 庸介はほんの少し、濁すようにその単語を口にした。
 腕時計で今の時刻を確かめてから、溜息まじりに付け加える。
「放課後に居残り練習なんてできない。六花の傍にいられないじゃないか」
 それは彼にとってのバイト――仕事だ。
 彼は仕事をしている。私の傍にいて、私のお世話をして、学校にも一緒に通ってくれる。そして幼なじみのふりをする。
 でも、それだけの為に学校に通うなんて、つまらなくはないのだろうか。
「庸介は、リレーに出たくないの?」
 そう尋ねてみたら、庸介は迷うように目を伏せた。
「六花と一緒にいる方が大事だ」
「私なら大丈夫。庸介が練習してる間、ちゃんと待ってるから」
「そんなことはさせられない」
「私だって、庸介に我慢ばかりさせられないよ」
 散々わがまま放題の私が、こんなことを言うのも何だけど。
 私は庸介の顔をそっと覗き込んでみた。もうしょんぼりはしていない彼は、それでも気まずげに私を見ている。もう子供じゃない生真面目そうな顔つきと、いつも静かで滅多に動じない瞳が、今は酷く迷い、ためらっているのがわかる。
 私と付き合うふりをすると決めた時だって、こんなに迷ってはいなかった。
「正直に答えて。庸介は、走りたい?」
「……よく、わからない」
 庸介は、吐息と共にそう答える。
「クラスの皆に期待されているのは知っている。でも一番大事なことを疎かにしてまで、すべきこととは思えない」
「じゃあ、私が見たいって言ったら?」
 そう告げると、庸介は驚いたように私を見返した。
「見たい?」
「うん。庸介が走ってるところを見てみたい」
 私はその瞳に、深く頷く。
「庸介がそんなに足速いだなんて知らなかったもの。体育の授業は男女別だし、一緒の学校に通ったのも今年が初めてで――」
 幼なじみのはずなのに、私は庸介のこと、まだ何も知らない。
 だから、どうしても見たかった。
「私、見たいな。庸介が一生懸命走っている姿。きっと格好いいと思うんだ」
 言葉を重ねる私に、彼はようやく少しだけ笑った。
「そう言われて走るのって、いかにも現金で格好悪いな」
 私を見つめる瞳にその時、不思議な熱が生じた気がした。
 向けられただけで肌がちりっとするような、射すくめる眼差しだった。
 見つめられた方の私は今更のように恥ずかしくなって、もじもじと告げる。
「格好悪くなんかないよ。ね、走る気になった?」
「考えておく」
 庸介は、結論を先延ばしにした。
 だけどさっきとは違って、随分明るい口調をしていた。口元だってほころんでいる。答えはきっと、出たようなものだ。
「さて、そろそろ出ようか、六花」
 バニラシェイクを飲み干して、庸介が席を立つ。
「行田さんが待ってる。明日以降のことを話すなら、心証をよくしないとな」
「そうだね。急ごう、庸介!」
 私も香水をしまった鞄を下げて、うきうきと彼の後を追った。

 ファストフードのお店を出た後、庸介と私は行田さんとの待ち合わせ地点へ向かった。
 こうして並んで歩いてみると、確かに庸介の足は速かった。もちろん脚の長さ――身長の差もあるだろうけど、きびきびと無駄なく歩いている。
「すごいね、庸介。リレーの選手だって」
 私は我が事のように誇らしい気持ちだった。
「蒲原くんと一緒なら優勝も狙えるって話だったよね。本当にすごいよ」
「あいつはちょっと買い被りすぎだけどな」
 庸介は苦笑いで首を竦める。
 それから私を見て、ほんの少しはにかんだようだ。
「でも、出るからには勝ちたい」
 呟く声には、彼らしい生真面目さが滲み出ていた。
「私、応援するよ」
「ありがとう。報いられるように頑張るよ」
「うん。楽しみにしてるから」
 体育祭が本当に、俄然楽しみになってきた。
 私はリレーのバトンを握ってグラウンドを駆け抜ける庸介の姿を想像してみる。短く刈り込んだ髪を風に揺らして、頬に汗を伝わせて、いつよりも真剣な眼差しで走るその姿は、絶対に格好いいに違いなかった。
「俺もどうせなら、六花にいいところを見せたい」
 庸介はそう言ってから、ふときまり悪そうに短い前髪をかき上げた。
「……やっぱり現金だな、俺」
 歳相応のその横顔を、私は名残惜しい気持ちで眺めながら歩いた。

 素敵なデートだったな、今日。
 香水を買ってもらえたし、ファストフードのお店で飲んだバニラシェイクは美味しかった。
 そして、知らなかった庸介のことを教えてもらえた。
 初めてづくしの初デート。今日のことは、ずっと忘れない。