レプリカナジミ(3)

 隣町まで通学するには早起きをしなくてはならないから、毎朝六時には家を出る。
 だから起床は朝四時半だ。
 その時刻になると、私の部屋のドアを庸介が叩く。

「お嬢様、おはようございます。起きていらっしゃいますか」
「おはよう。起きてるから入って」
 返事をしながらドアを開けると、朝食を運んできた庸介は私を見て目を丸くした。
「今朝はまた、随分と支度がお早いですね」
「何だかすっきり目が覚めて。学校が楽しみだからかも」
 もう顔を洗い、髪を梳き、制服のブラウスにスカートを身に着けタイリボンまで結んで、あとはブレザーを羽織るだけだった。以前は朝が弱くて、一人ではなかなか起きられなかったのが嘘のようだ。
 庸介はいつも私より早く起きて、当然ながら身支度だってすっかり整えていた。我が家の敷地内に住み込みで働いている彼は、一度として寝坊することなく毎朝私を起こしにやってくる。
「今日の朝ご飯、何?」
「昨夜のご要望通り、ホットサンドをご用意いたしました」
「中身は?」
「コンビーフとキャベツ、半熟卵とハムの二種類でございます」
 メニューを聞くといてもたってもいられなくなり、私は自室にある食卓の前に一人で座る。両親は仕事が忙しく、真夜中に帰宅できればまだいい方で、酷い時には一週間ほど帰ってこないこともある。だから三度の食事はほとんど一人きりで取っていた。給仕をしてくれるのはいつも庸介で、だから一人でも全然寂しくはない。
「お飲み物は何にいたしますか」
「カフェオレがいいな。お砂糖は要らない」
「かしこまりました」
 庸介はバリスタみたいに慣れた手つきでカフェオレを注ぐ。そして私の前にカップを置いてくれた。
「どうぞ、お嬢様」
「ありがとう。いただきます」
 私はいそいそとホットサンドにかじりつく。バターがほんのりと香るホットサンドはいい焼き加減で、どちらの具もとても美味しかった。庸介は料理も上手だ。朝は給仕をするだけで、一緒に食べてはくれないけど。
「朝ご飯も一緒に食べたら、もっと幼なじみって感じがしない?」
 そう水を向けてみたら、庸介は眉一つ動かさずに答える。
「お言葉ですが、お嬢様のお読みになる漫画にも朝食まで共にする幼なじみはいたでしょうか」
 私の部屋にはたくさんの漫画がある。それらを読んで普通の高校生活に憧れた私は、今の高校へ通うにあたり、参考書として庸介にも漫画を読むことを勧めていた。庸介は言われるがままに私の愛読書達を読破し、漫画に出てくるような理想の幼なじみを演じてくれている。
 そして彼の言う通り、漫画の幼なじみとは主に部屋まで起こしに来てくれるものではあるけど、一緒に朝ご飯まで食べてくれるものではなかったと思う。
「いなかった……かもしれない。やっぱり、変かな」
「漫画にないなら、変でしょう」
「そう、ならいい。どうせお昼ご飯は一緒に食べられるもの」
 だから私は学校が好きで、お昼休みが好きだ。庸介が作ってくれたお弁当を二人一緒に食べられる。最近はそこに渡邉さんも加わって、食卓がますます賑やかになった。
「今日も学校楽しみだな、早く行きたい」
 私はうきうきしながらホットサンドを頬張る。
 それを、庸介はにこりともせずに傍らから見下ろしてきた。
「お嬢様は今の学校が本当に楽しくて仕方がないのですね」
 昨日も似たようなことを言われたけど、それを口にする時の庸介は少し疲れたような顔つきをする。
「庸介は、楽しめそうにない?」
 確かめるつもりで、私は彼に尋ねた。
 すると彼は一瞬間を置いてから、目を伏せた。
「仕事として通っているのですから、楽しめなくても問題はございません」
「そんなの空しいじゃない。せっかくだから庸介も何か楽しみ見つけようよ」
 私は彼に付き合わせて悪いと思っているけど、それを言ったところで庸介なら『それが務めですので』の一点張りに決まっている。だったら庸介も学校に何か楽しみを見つけて、お互いに今の学校に通えてよかった、と思えるようになりたい。
「何かないの? 学校が楽しくなりそうなこと」
「いえ、思い当たることは特に……」
 庸介は答えかけてふと眉を顰めた。何かを思い出した時の顔だ。
「どうかした?」
 すかさず私が問うと、彼は首を竦めてみせる。
「何でもございません。お嬢様の学校生活がよりよいものでありますよう、本日も尽くして参ります」
「堅いなあ……。庸介もお仕事ばかりの毎日じゃつまらないでしょう?」
「お言葉ですがお嬢様、我が国には職業選択の自由がございます」
 そう言うと庸介は屈み込み、私の口元を布でそっと払うように拭った。
 パンくずがついていたのだろうか。小さな頃ならいざ知らず、今は少々気まずく思う。
 だけど庸介はやはり表情を変えることなく、淡々と言った。
「好きで続けている仕事です。つまらないなどということはございません」
 私も、この仕事は庸介にとって天職なんだろうと思っている。几帳面な彼の働きぶりは文句のつけようがなく、いつだって細部にわたり完璧だ。他の使用人に変えて欲しいなんて思ったことは一度もない。
 でも最近、学校で私の幼なじみを演じる庸介を見ているうちに、違う考えが胸を過ぎるようになっていた。
 庸介がうちの使用人じゃなくて、本当の幼なじみだったなら、きっと一日中楽しかったのに。

 午前六時に家を出て、学校近くまで行田さんに送り届けてもらう。
 教室へ辿り着くのは大体七時二十分頃になる。ほぼ毎日一番乗りだった。二人並んで教室の前まで辿り着き、ドアを開けたところで、
「――おはよ、主代さん」
 一番乗りかと思っていた教室内から声がした。
 見覚えがあるような、ないような、名前のわからない男子生徒がそこにいた。朝日が差し込む窓際に立ち、人懐っこそうな顔つきで笑っている。
 私はクラスの男子の顔を覚えきれていなかったけど、ここにいるからにはクラスメイトなんだろうと思った。すぐに挨拶を返した。
「おはよう。朝、早いんだね」
「主代さん達が早く来るから、先回りしようと思って早く来た」
 彼は愛想よく笑うと、私の肩越しに視線を投げた。
 そこで私は振り向き、一緒に教室へ入ろうとしていた庸介の、いやに硬い表情に気づく。
「……庸介?」
 私が呼びかけても庸介は男子生徒から視線を外すことはなく、やがて息をつきながら切り出した。
「昨日で話はついたものだと思っていたけど、まだ何かあるのかな、蒲原」
 その名前には聞き覚えがあった。昨日庸介が言っていたクラスメイトの名前だ。出席番号十一番。
「話ついてないから待ち伏せてたんだろ」
 蒲原くんは声を立てて笑うと、今度は私に向かって言った。
「主代さん、徒野から昨日のこと何か聞いてる?」
「え……蒲原くんと話をしたってことなら、庸介、言ってたよね?」
 私は確かめるつもりで庸介を見る。
 庸介は苦々しい表情で頷き、そのせいか蒲原くんは一層笑った。
「全然言ってねえじゃん。俺、主代さんと友達になりたいって言ったんだよ」
「それについては昨日答えた通りだ。その気がないなら許可もできない」
 ばっさりと切り捨てる口調の庸介に、私の方がぎょっとした。
 慌ててその腕を掴んで引いて、 
「ちょ、ちょっと庸介。許可って何? お友達になるのにそんなの要らないでしょう?」
「六花は黙ってて」
 庸介は私の手を最大限優しく振り払うと、蒲原くんに向かって数歩近づいた。
 蒲原くんは笑って首を竦める。
「あ、やっぱ主代さんは知らねえんだ? じゃあ徒野が適当なこと吹かしてんのか」
 ブレザーのボタンが全部開いているから、緩く結ばれたネクタイがだらんと揺れるのが見える。
「聞いてくれよ主代さん。徒野、主代さんと友達になりたいなら……何だっけ。届け出が必要とかぬかすんだよ」
「身上書だ」
 と、庸介が補足する。
「氏名、住所、本籍地、学歴と資格、それに三親等までの親族について明記した身上書を持参の上で申し込むことだ。正式な手続きを踏まない人間に話はできない」
「お友達になるのにそんなの要る!?」
 今度はさすがに声が裏返った。お見合いじゃないんだから、何もそこまでしなくても。
 でも庸介は落ち着き払って答えた。
「蒲原は最初から君の友達になりたいと言ったわけじゃない。だから俺も相応の答えをしたまでだ」
「そうそう。俺まず聞いたんだよ、『徒野は主代さんと付き合ってんの?』って」
 蒲原くんが明るく話を継ぐ。
「そしたら違うって言うからさ、じゃあ俺が友達になっても問題ないって思うじゃん?」
「それとこれとは別問題だ。男子生徒に関しては易々と許可できない」
「許すも何もないだろ、徒野は主代さんの何なんだよ」
「幼なじみだ」
 庸介は即答した。
 その答えを聞いた蒲原くんが苦笑いを浮かべた。
「じゃあ口挟む権利ねえじゃん。お前の許可だって要らないだろ」
 私もその通りだと思う。『幼なじみ』なら相手がどんな友人を作ろうと、誰かが友達になりたいと言い出そうと、口を挟む権利はない。
 庸介は蒲原くんの申し出に幼なじみとしてではなく、仕事として答えた。だからこんな軋轢が発生しているのだろう。
「ねえ庸介、許可とか身上書とかいう話は一旦置いておかない?」
 私は彼を追い駆けていって、再びその腕を掴んだ。
 今度は庸介も振り解かなかったけど、困ったような目を向けられてしまった。
「黙ってて。俺が話をする」
「だからさ、何で徒野が主代さんの窓口みたいな真似してんの?」
 蒲原くんは少し苛立ったように、大きく息をついてみせる。そして庸介を睨むように見た。
 庸介もその視線を真っ向から受け止め、答える。
「幼なじみだからだ」
「そんなのおかしいじゃん。主代さんと仲良くすんのに、ただの幼なじみの許可が要るか?」
「要る。少なくとも俺は許可しない」
「それって単なる嫉妬じゃねえの。素直に言えよ、ライバルが増えたら困るって」
 そこで、蒲原くんが笑みを消した。
 思いがけない言葉をぶつけられて私は慌てたけど、庸介はまだ冷静だった。
「違う。君の方こそ、身上書を提出できない理由でもあるのか」
「んなもんねえよ。けど出す義理もないだろ」
「では話にならないな。この件はこれで終わりだ」
「だから、それをお前が決める権利はねえだろっつってんだ」
 教室の中の空気が次第に張り詰めていく。蒲原くんは明らかに苛立たしげだったし、庸介もこのやり取りを早々に打ち切りたいと思っているようだ。学校ではあまり見ることのない顰められた横顔を、私は黙って見上げていた。どうしてこんなややこしいことになっているのか――それは、私と庸介が本当の幼なじみではないからだ。
「権利はある」
 庸介が、硬く丈夫そうな髪を揺らして言い放つ。
「俺は六花のお父さんから、彼女に近づく男子生徒を警戒するよう仰せつかっている」
「わっ、ちょっと庸介!?」
 言ってはならないことを言ってしまった気がして、私は彼を制止しようとした。
 でも遅かったようで、蒲原くんは釈然としない顔になる。
「何だそりゃ? 何でそんなこと言われてんだよ」
「幼なじみだからだ」
「それしか答えられねえのかよ……もういいや、主代さんと直接話すから、お前は退けよ」
「断る」
「だから、何の権限があってお前が断んだよ!」
「何度も言わせるな。幼なじみだからだ!」
 庸介が初めて声を荒げた。
 私は思わずびくりとして、ずっと掴んでいた彼の腕を離す。それでも庸介はこちらを見ない。真っ直ぐに蒲原くんを見据えている。
 蒲原くんも一瞬目を剥いた後、煩わしそうに舌打ちをした。
「何なんだよお前……話になんねえ」
 気まずい沈黙が教室に落ちかけた――その時だった。