Tiny garden

レプリカナジミ(2)

 学校からの帰り道も、楽しくないわけではない。
 早足で歩いていても庸介はお喋りに付き合ってくれる。お願い事は大体聞いてくれるし、無理でも一応耳は傾けておいてくれる。
「庸介、お腹が空いたの」
「帰ったら何か用意するよ。何がいい?」
「甘いものがいいな」
「昨日焼いたアップルパイでいいならすぐに出せるけど」
「お願い。食べながら、数学の宿題一緒にしようよ」
「いいよ」
 家に帰りたくない私は、家に帰ってからの約束をたくさん作りたくてしょうがない。
 それを庸介はちゃんと受け止めてくれる。彼にできる範囲内で、だけど。
「あと、今度の日曜日にでもお買い物がしたいの。香水が欲しくて」
「香水? 学校につけていかないならいいかもしれないけど……」
 庸介が顔を曇らせたから、私はすかさず食い下がる。
「つけてる子はいるよ。匂いが違うって言われたから、買っておいた方がいいと思うの」
 渡邉さんはすごくいい匂いがした。普通の女子高生ってああいう匂いがしてしかるべきなんだろう。私もお香はやめて、今度からは香水にしよう。
「なら、お父様に伺ってお許しが出たらね」
 庸介はさらりとかわすように答えた。
 その答えよりも答え方が気にくわなくて、私は彼を軽く睨む。
「もっと幼なじみらしい言い方をして」
 それで庸介は真っ直ぐな眉を顰め、少し考え込んでみせた。
「六花のお父さんがいいと仰ったら、いいよ」
「『仰る』って幼なじみのお父さん相手には言わないんじゃない?」
「それも駄目? 難しいな……お父さんがいいと言ったら、かな?」
「うん、そうそう。じゃあお父さんが許してくれたら、一緒に買いに行こうね」
 私が張り切って笑いかけると、庸介はまた困った顔になる。
「程々にしておいてくれると助かるんだけどな。うちの父も最近うるさいんだよ」
「徒野さん、私と一緒に過ごしちゃ駄目って言うの?」
「公私の線引きをつけろと言われているよ。俺もそう思うけど」
「思わないでよ、幼なじみでしょう?」
 私は抗議の声を上げる。
 だけど庸介はそれを肯定も否定もせず、先程までの困った表情もあっさりと掻き消して、道の向こうを指し示した。
「ほら、迎えの車がもう来てる。早く乗って、六花」
 予備校の名前が車体に書かれたマイクロバスが、いつものように路肩に停まっている。
「乗りたくない」
「駄目。今日の幼なじみごっこはおしまい」
 マイクロバスのドアを庸介が開けたから、私は寂しい気持ちでその中に乗り込んだ。
 続いて庸介も乗り、私が座席に座ったのを確かめてからドアを閉め、隣の席に腰を下ろす。その時にはもう、学校にいる時とはまるで違う顔つきの庸介がそこにいた。
 学校で見せる表情、あるいは感情そのものさえ奥深くに押し隠した、静かな面持ちで彼が言う。
「お嬢様、車を出させてもよろしいですか?」
「……駄目って言っても出すんでしょう?」
 私が頬を膨らませて精一杯の抵抗を示しても、庸介は顔色も変えず頷くだけだ。
「はい。本日もお疲れでしょうし、早めにお休みになられた方が」
「アップルパイと数学の宿題は? 約束したじゃない」
「そちらについては帰宅し次第速やかに対応いたします」
「あと香水のお買い物の話! 忘れないでね」
「その件はなるべく善処いたしますが、必ずしもご希望に副えるとは――」
「頼む前から駄目かもしれないなんて思わないでよ」
 学校で過ごす時間が終わり、放課後になって迎えの車に乗り込むと、庸介は途端に話が通じなくなる。私がいくらねだろうとわがままを言おうと、表情をほとんど動かさずに対応してくる。彼がさっき言ったように『幼なじみごっこ』の時間が終わり、私達は本来の間柄に戻ってしまった。
 今の庸介は主代家の使用人であり、私はその雇い主の娘、ということになっている。
 もっと言えば徒野家は主代家に代々使える使用人の家系だそうで、庸介のお父さんはうちの執事だし、お母さんはメイド長だ。庸介はたまたま私と同い年で、幼い頃から私の面倒を見てくれたり、勉強を見てくれたりした相手だった。
 だから実際のところ『幼なじみ』であるという点は間違っていないのかもしれない。
 でも、
「お嬢様は、渡邉さんとは仲がよろしいのですね」
 動き出したマイクロバスの中で尋ねてくる庸介は、普通の幼なじみならしないであろう丁寧な口調を崩さない。
「仲いいよ。初めてのお友達だからね」
「それは素晴らしいことですが、あの方には少々気になることがございます」
「何? 今更『仲良くしてはいけません』なんて言わないでね」
「そうは申しません。ただ渡邉さんは幾分制服の着こなしに乱れが見受けられます」
「だから何?」
「着衣の乱れは心の乱れと申します。お嬢様は影響を受けられぬよう、何卒節度あるお付き合いをなさってください」
 使用人に戻った庸介は、主である私に対して随分と口うるさい。それもそのはず、学校での彼は私のお目付け役を担っているので、生活態度や交友関係には何かと口を挟んでくるし、学校での諸々を私の父に報告もしているはずだった。
「それは渡邉さんだけじゃないよ。むしろああいうふうにするのが普通の着こなしなんだと思う」
 私がそう切り出せば、庸介はぴしゃりと言い放つ。
「校則違反は普通ではございません」
「頭固いなあ……」
 暖簾に腕押しと評するしかない応酬に疲れ、私はシートに寄りかかる。
 架空の予備校の名前が記されたマイクロバスは、隣町にある私の家まで黙って走り続けている。運転手の行田さんは野暮ったいマイクロバスがあまり好きではないそうで、登下校の送り迎えではいつも複雑そうな顔がバックミラーに映っていた。

 普通の高校に行きたい。
 私がそう言い出した時、父も母もはじめは猛反対した。
 初等科から通っていた名門校も決して悪いところではなかったけど、そこでの私はいわゆるお嬢様でしかなく、一挙一動が注目される気の抜けない学校生活を送っていた。私が『普通』だと思っていた持ち物や衣服、装飾品などが実は普通でないことがよくあって、その度に皆が誉めそやしてくるのが逆に居心地悪くて仕方がなかった。
 もっと普通で自由な学校生活を送ってみたい。
 放課後にお友達と居残りをして他愛ないお喋りができて、時々は寄り道して買い食いしたりして、誰も私のことを『六花様』なんて呼ばない普通の高校生活――私の好きな漫画にはそういう高校生達がたくさんいて、皆が高校生活を、そして青春を謳歌している。周りから特別扱いをされているうちは高校生活を本当に楽しんでいるとは言えない。
 勉学を疎かにしないことを誓った上で必死にねだった甲斐があり、両親も条件つきで隣町の高校への編入を許してくれた。
 その条件というのが、使用人である庸介と共に通うということだった。
 だけど庸介はこの通りの堅物で、私を率先してお嬢様扱いする人だ。彼の言動を目の当たりにすれば、新しいクラスメイト達も違和感を覚えるだろうし、そうしたらわざわざ違う高校へ通う意味もなくなってしまう。私がしたいのはあくまでも、漫画に出てくるような普通の女子高生の生活だった。
 それで私は庸介に頼み込んだ。
「学校では使用人じゃなく、幼なじみのふりをして欲しいの」
 その時、庸介はあからさまに眉を顰めて、訳がわからないという顔をした。
「失礼ながら、ふりをする意味がわかりません」
 なぜ幼なじみかと言えばそれは、漫画ではよく主人公に一番近しい存在として、そして時に甲斐甲斐しく身の回りを世話する人として描かれているからだった。庸介が私と共に登下校をして、お昼はお弁当を用意してきてくれて、常に気にかけてくれていても不自然ではないはずだった。
「使用人つきの女子高生なんて絶対目立つもの、擬態しないと」
「お言葉ですがお嬢様、そのような鍍金はすぐに剥がれるものでございます」
 庸介には、当初真っ向から反対された。
「剥がさなきゃいいじゃない。そこはお互い、上手く演じようよ」
「生まれてこのかたお嬢様を主と思って参りました。馴れ馴れしく話しかけることなど、今更……」
 彼にとっては私に敬語を使わず、呼び捨てにするということにも強い抵抗があるようだった。私の方から使いなさいとお願いしたことは一度としてないのだけど、庸介は真面目な人だから私にも常にこんな調子だった。
「一生のお願い! これが叶ったらもうわがまま言わないから!」
「既にお父様お母様にわがままを仰ったばかりではないですか」
「庸介には言わない! それに、おうちではちゃんといい子にする!」
 私が縋りついてしつこくしつこく食い下がると、庸介もやがて折れ、不承不承ながらも引き受けてくれることになった。私は彼に愛読している漫画を何冊も読んでもらって、そこに描かれた理想の幼なじみ像を演じさせている。これで新しいクラスメイト達は、私と庸介が常に一緒にいることも、彼にお弁当を作ってもらっていることにも疑問は抱かないだろう。そう思っていた。
 もっとも、今となっては認識が甘かったと言わざるを得ない。

「渡邉さんにね、庸介と付き合ってるんじゃないかって聞かれたの」
 バスに揺られながら私が切り出すと、庸介はそれでも表情一つ変えなかった。
 ただ運転席の行田さんが咳払いをしたのが聞こえて、そのせいか気を引き締めるように姿勢を正してみせた。
「やはりそういう噂が蔓延しているようですね。幼なじみと名乗るのはまずかったのかもしれません」
 庸介は私が持ちかけた頼み事――つまり『幼なじみごっこ』について、今でもよく思っていないようだった。
 ただ、校内で幼なじみを演じる彼は文句のつけようもない完璧さだ。六花、と名前を呼ぶ声はいつも優しく温かい。普段の半ば警句めいた『お嬢様』という呼びかけ方とは天地の開きがある。
「だからって今更撤回したら窮屈な高校生活に逆戻りだよ。ここまで来たら嘘はつき通さないと」
 私が反論すると、庸介は諦めたように目を伏せた。
「お嬢様は今の生活を楽しんでおいでなのですね」
「とてもね。庸介は楽しくないの?」
「どちらかと申しますと、気苦労の方が多いです」
 そうだろうと思う。巻き添えにして申し訳ない、という気持ちだってなくはなかった。
「庸介はやめてもいいんだよ。もう私一人でも通えるから」
 だから私が持ちかけると、彼は断固として首を振る。
「いいえ。お嬢様のお目付け役としての務め、全ういたします」
 庸介ならそう答えるだろうとわかっていたし、それが彼らしい責任感から来る返答であることも知っていたけど、それでも私はほっとしてしまう。庸介がいてくれた方が、私は嬉しい。
「ありがとう、庸介」
 私が感謝を告げると、庸介は私をじっと見てから唇だけで微笑んだ。
「お嬢様のお役に立てて、光栄です」
「……そこは幼なじみらしく言って欲しいな」
 でも私の要望には、やはり頑なに応えてはくれなかった。
「お約束した通りです。また明日にいたしましょう」
 冷静にたしなめられると寂しくてたまらず、私は黙って溜息をつくしかなかった。
 家に戻ったらアップルパイを食べて、庸介と宿題をする約束はしている。だけど気分はいまいち浮かない。
 早く明日が来るといいのに。
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