なだらかな道(1)
駅前の商店街に明かりが点った。夏祭りの始まりだ。
アーケードの軒下、紅白の提灯がうすぼんやりと光っている。日も暮れる大分前から点いている、気が早いなと毎年のように思う。思いつつも、昼間の月みたいなその明かりを眺めていたら、こっちの気分もつられてそわそわしてくる。楽しいことが早めに始まるのは別に悪くない。
毎年恒例の夏祭りは、車の通行を禁止した駅前通りで催される。近くの神社で獅子舞が踊ったり、通りを練り歩くお神輿が出たりする、ごく普通のお祭りだ。提灯に負けじと早い時分から、笛や太鼓の音を遠慮会釈もなく鳴らして、駅前一帯がそれこそお祭り騒ぎになる。
気が早いのは通りに居並ぶ露店もそうで、正午を過ぎた頃からほうぼうで営業を開始している。歩行者天国となったアーケード街を飾るカラフルな天幕。夏休み中だからか人出も多く、近所に住んでいると家の中にまで賑やかな声が聞こえてくる。俺もとっとと出て行きたくなったけど、夕方までは我慢しなければならない。そう思い直して昼飯は買い置きのそうめんを啜った。
今年は無駄遣いしないって決めたんだ。
本日午後四時より、人生初の、女の子とのデートが始まる。
この日の為に節約してきたようなものだった。それでも手持ちは少ないし、男らしく奢りなんて出来るはずもないけど、二人でシェアして何か食べるくらいのことは叶いそうな額を取ってある。しっかり両替も済ませている。準備は万端。
夏らしく蒸し暑い日で、真昼間からよく晴れていた。待ち合わせ時刻に間に合うよう、夕方の一歩手前で家を出た。下見も兼ねて、ゆっくり歩きながら待ち合わせ場所へと向かう。
牧井とは駅前のバスターミナルで落ち合う約束をしていた。もうじき浴衣姿が見られると思うと、むちゃくちゃ楽しみだった。
ところで、俺の家は駅前商店街のすぐ近所にある。どのくらい近所かって、祭囃子が聞こえてくるくらいに近くだ。そして駅前商店街と言うからには駅にも近い。バスターミナルも目と鼻の先だ。
そして大和の家も、俺の家と商店街の傍にある。どのくらい傍かって、玄関でサンダル突っ掛けてからものの三分で駆け込めるくらいだ。
一方の牧井は、駅前一帯からは離れた辺りに住んでいるらしい。前に聞いた時はあの児童公園と逆方向にあると言っていた。でもって、黒川の家も割と近いらしいのだとも。
これらの事実が俺にどういう影響を及ぼすのかと言えば。
「……よう」
「……お、おう」
バスターミナルで、ちょっとおめかしした風な大和と鉢合わせした。
田舎の駅なんて本当に質素かつこじんまりとしたもので、当然併設されたバスターミナルも屋根の下に椅子が並んでいるだけのもの。辛うじて日陰になっている待合所の隅の方、お気に入りのはずのTシャツを着込んだ大和が突っ立っている。俺の姿を見ると気まずそうな顔で声を掛けてきたが、気まずいのはこっちの方だ。
でも、どうして考えなかったんだろう。
俺と大和、牧井と黒川はそれぞれ家が近所同士だ。それで同じ目的地へと出かけていく予定なんだから、待ち合わせ場所だって被るに決まっている。
鉢合わせしてみてようやく気付くなんて、何と言うか間抜けだ。
「そんな顔するなよ」
大和が宥めるように言ってきた。
「可能性はあっただろ、どう考えたって」
まあ、それはそうなんだろうけど。考えなかった俺が馬鹿だと言うならきっとそうなんだろう。でも、
「悪いけど全然考えてなかった。あーもう、すげー気まずい」
「俺だって気まずいよ。向こうから颯太が、めちゃくちゃ浮かれた顔して来るのを見てたら」
浮かれてない。と思う。多分。
それを言うなら大和だってちゃっかりしっかりめかし込んでるくせに。夏場はお互い緩い格好で過ごすことが多かったのに、女の子と会う時はよれよれじゃないTシャツとワックスをつけた頭とで、こざっぱり決めてくる辺りが単純だ。
「美月も言ってたぞ。牧井と二人で行くから、二人で待っててね、って」
言い添えてくる大和。
つまり牧井と黒川は、待ち合わせ場所が被ってたことはとっくに気付いてたってことか。だったら教えてくれればいいのに――と思ったけど、そもそもそういう話をしていること自体、あの二人にとっては別に気まずくも何ともないってことなんだろうな。
俺は顔を顰めたくなる。
「何だよ。せっかく別々の約束したのに、結局は四人で落ち合うことになるのかよ」
「落ち合ってから別行動取ればいいだろ。難しい話じゃない」
「わかってるけど」
それでも、人生初デートは華麗に決めたかったってのもあるし。そこに見知った顔が入ってくると、決めようとしてる自分が急に気恥ずかしくなるから困る。
「あーあ」
照れ隠しに、大きな溜息をついた時だった。
「誘うの、上手くいってよかったな」
ふと大和が言った。やはり照れているのか、足元に視線を落としている。
俺も自分の靴を見てみる。年季の入ったスニーカーも泥だけはちゃんと落としてきた。きっちりめかし込んでいる。他人のことは言えないくらいに。
「まあ、な」
短く答える。それから、忘れちゃならんと思って付け足す。
「その節は大変お世話になりました」
「畏まり過ぎだよ馬鹿」
俯く頭上から声が降る。付き合いの長い幼馴染みは、いつだって俺より背が高かった。俺に彼女が出来ないのはそのせいだと思ってたこともあったけど――。
「でも、せっかくだから上手くいくといいよな」
言葉を選ぶような間を置きつつ、背の高い大和が続ける。
「颯太と牧井、結構気が合いそうに思うから」
「へえ、根拠のある保証?」
「多分。教室で話してたのを見る限りは」
肩を竦めたのが、微かな音だけでわかった。
「応援とか、俺たちの間でするのも柄じゃないけどな。俺はそう思ってるよ」
そう言われたから、黙って視線を上げてみた。ちらっと見てやったら、向こうもこっちをちらっと見ていた。一瞬だけ目が合って気まずかったけど、お互いになぜか笑った。多分、似たような照れ笑いだった。
幼馴染みのことは、全てではないにせよ知っているものだと思っていた。少なくとも今まではそうだった。俺の知らないうちに大和が告白されて、彼女を作っていたと聞いた時は、先を越されたようで悔しかった。大和に黒川がいるのが羨ましくてしょうがなかった。
これからもし、俺に彼女が出来たら。俺と一緒に誰かがいるようになったら、大和はどんな風に思うんだろう。悔しがったり羨ましがったりはしないと思う。奴には黒川がいるから。
だからそうなったら、俺たちの関係はもう少し変わるのかなという気がしている。事実、一部分はもう変化している。毎年の夏祭りをお互い別の相手と行くようになった。妹がついてくるなんてこともない。
そこまで考えて、ふと思いついたから言ってみた。
「桜子ちゃん、今年は一緒じゃないしな」
大和の妹の名前を口にすると、大和にはくすぐったそうな顔をされた。
「ああ。今年はクラスの友達と行くから、俺がいたら邪魔なんだそうだ」
「言うなあ桜子ちゃん。こないだまで兄貴べったりだったくせに」
「あいつだっていつまでも小さい訳じゃない。お守りはもう卒業だよ」
「そっか。そうだよな」
卒業って言葉は何だかすごく、今の気持ちにしっくり来た。いろんなことが時間とともに変わっていくのがわかる。うれしいばかりではないけど、速過ぎて戸惑ったりもしたけど、今はどことなく晴れやかだった。
そうこうしている間にバスがやってきた。
お祭りの時期とあって、ターミナルで停まったバスはぱんぱんの超満員。俺と大和はお目当ての彼女が現れるまで、やや待たなければならなかった。続々と降りてくる人たちの中にも浴衣姿やめかし込んだ格好の人がいた。そして皆、うきうきしているように見える。
あとの方にやっと降りてきた、黒川と牧井もそうだ。
「お待たせ、二人とも」
黒川はこの間買った浴衣を着ていた。藍色の生地に色とりどりの鞠が跳んでいる模様。いつもよりほっそりして見える。短い髪にはかんざしを留めて、すっかり和風美人って感じだ。
その隣に視線を移すと、真っ直ぐに目が合った。
「あ」
思わず声が出た。
牧井は、今日も前髪が短かった。浴衣を着てきたからと言って別人に見えるということもなく、だけどいつもよりおりこうさんの顔に見えた。髪の結び方がいつもと違う。後ろで全部まとめている。可愛い。
浴衣の色は白だった。白地に、薄紅色の桜の模様。帯の色もほんのりとした桜みたいな色。
俺の顔を真っ直ぐ見て、しっとり笑う。
「進藤くん。今日は、よろしくね」
本当に『しっとり』という表現をすべきだと思った。度肝を抜かれた。牧井はクラスメイトのはずだったのに、二つ三つ年上のお姉さんみたいに見えてしまった。むちゃくちゃ可愛かった。――いや、きれいだった。
口をあんぐり開けたまま、俺は返事もしばらく出来なかった。
それで牧井は照れたらしい顔をして、黒川はおかしそうに吹き出す。大和はと言えば、初めてのものを見るような目を向けてきた。
だけど本当に、初めてなんだからしょうがない。