Tiny garden

なだらかな道(2)

 早速、俺は牧井と夏祭りの現場へ足を運んだ。
 大和たちとはバスターミナルで別れた。黒川がバスのカードを買いたがったから、表向きの理由はそうだった。でも間違いなく、気を遣って先に行かせてくれたんだと思う。
 何せ俺と来たらもう、自分で言うのもなんだけど浮かれて浮かれてしょうがなかった。牧井が浴衣を着てきてくれた。それも筆舌に尽くしがたいくらいきれいだった。そして俺と一緒に歩いてくれると言うんだからテンション上がるのも無理ない。
 もっとも、初デートではしゃぎ過ぎる男ってのも格好悪いと思う。引き締めるところは引き締めておかねば。

 駅前から商店街へ、人の多い道を行く。緑色の古いアーケードとぼんやり光る提灯とが次第に近づいてくる。
 ちらっと隣に目をやった。いつもと違う牧井は、浴衣を着ているからか少しゆっくりめに歩いている。横顔が心なしか緊張した様子だった。だけど目が合えば、すぐに柔らかく笑ってくれた。
「浴衣、似合うな」
 バスターミナルでは言えなかったので、歩きながら言ってみた。
 彼女は恥ずかしそうに睫毛を伏せる。まとめた髪の辺りにそっと、手を添えている。
 髪型と浴衣のせいか、そういう仕種さえ大人っぽく見えて、どきどきしてくる。
「そう? 久し振りに着たから、おかしくないといいんだけど」
「すごく似合う。何か、どこかのお姉さんみたいだ」
「お姉さんかあ、ありがとう」
 はにかむ牧井は、今日も真っ直ぐに俺を見る。
 くすぐったくなる視線。だけど、うれしかった。
「桜の模様っていうのもいいよな」
 白地に筆で描いたみたいな、薄紅色の桜模様。桜って牧井のイメージにぴったりだ。落ち着いているのにどことなく可愛くて、儚そうに見えて意外としっかりしている感じ。
 そこで牧井がぎこちなく聞いてきた。
「進藤くんは桜、好き?」
「うん。俺、花見好きだし」
 花見の時期も露店が出て、美味いものがいっぱい食べられる。だから好きだ。
「そっか。私も好き」
 いくらかほっとした様子で、彼女は会話を繋ぐ。
「私、八重って名前を付けてもらったから、余計に好き」
「名前?」
「『八重一重』、桜の名前なの。キリガヤツっていう種類の別名」
「――へえ」
 教えてもらって思わず声が出た。
 八重一重。大和が口にしていた単語。かつて、黒川が牧井に告げた言葉。牧井がうれしかったと言っていた、その時の記憶。
 意味を知る前から思っていた。古風で、古典の教科書にでも載ってそうで、いかにもおりこうさんって雰囲気の牧井にはぴったりの名前だって。でも意味を知ったらより一層似合うと感じた。
 桜の名前をつけられた女の子。いかにも彼女らしい。
「すごく、いい名前だ」
 心の底からそう思って、俺はしみじみ言ってみた。
 途端、彼女は頬っぺたまで桜の色みたいになって、ありがとうと小声で応じた。
 照れている彼女を横目に見つつ、自分でも少し考える。うちの親はどうして俺に『颯太』なんて名前をつけたんだろう。何か意味があるのかな。小学校低学年の頃は、この名前がなかなか漢字で書けなかったんだよな。意味があってつけてくれたんなら面白いんだけど。
 そんなことを考えていたら、何となく恥ずかしくなった。デートの最中に親について考えるのって気まずい。うん、考えるんだったら今は牧井のことだけにしとこう。
「だけどさ、ちょっと安心した」
 照れ隠しのつもりで切り出してみる。
「牧井が下駄だから、俺より背が高くなっちゃうんじゃないかって心配してたけど。こうして並んでみるとそうでもないよな」
 むしろ普段とそう違わない。肩の高さも差があるかないかという感じに見えるし、目線の高さもいつもと同じだ。なるべく底の厚いスニーカーを選んで履いてきたのが効いたか。
 俺の言葉に、牧井も足元を見た。それからまた視線を戻して、
「気になる?」
 と短く聞いた。
「それほどでもなかった。俺の方がちっちゃく見えなければいいや」
「私よりも小さく見えたら、気になる?」
 答えれば、重ねて尋ねてくる彼女。その尋ね方が気のせいか妙に真剣だった。一瞬、反応に困った。
 考えつつも結局は、正直に告げる。
「そりゃあ気になる。って言うか、牧井だって気になるだろ? 男の方が女の子よりちっちゃかったら」
 並んで歩いても見栄えが悪そうだし、変な組み合わせだって思われるかもしれない。それでなくても女の子たちから身長でからかわれたことがある。よくある。しょっちゅうある。だから女の子たちの方がよりシビアなのかと思っていた。大和は背が高くてもからかわれたことないみたいだし、ちびの俺より先に彼女が出来た。
 きっと女の子たちにとって男の身長ってのは重要なステータスなんだろうと、十六年ちょいの人生で散々思わされてきた訳だけど。
「そうかなあ。私はあんまり気にならないよ」
 牧井は小首を傾げる。
「背が高くても低くても、格好いい人っているもの。そういう人と並んで歩けたらいいよね。背の高さ自体はあまり関係ないよ」
 うわ、意味深な言い方するなあ。どっちがいいとかじゃないのか。
 そういう言い方されると、こっちだって突っ込みたくなる。そわそわしてくる。彼女が俺の欲しい答えをくれそうな、そんな気さえしてくる。
「お、俺は? 牧井から見て格好いい部類?」
 だからそわそわ突っ込むと、彼女はこそばゆそうに肩を竦めた。
 少しの間があって、ふふっと笑う。それから頷く。
「うん」
 ――よし。心の中で密かにガッツポーズをする。
 牧井にそう言ってもらえて、本当にむちゃくちゃうれしかった。

 さして時間も経たないうち、商店街の入り口へと辿り着く。
「人でいっぱいだね」
 お祭りの会場となった通りを覗いて、牧井は溜息交じりに言った。
 車の入れなくなった車道の両端に、ずらっと露店が並んでいる。その間で黒山の人だかりが揺れている。威勢のいい客引きの声も、楽しそうな子どもの笑い声もする。夏の気温以上に熱気がすごい。
 アーケードの下でも各商店のお祭り特別セールが開かれていて、そっちにも人波が流れている。うっかりすると飲み込まれそうなほどいっぱいの人がいた。そして暑かった。
「何を目当てにするか、決めてから回る方がよさそうだ」
 一度人混みへ乗り込んだら、簡単に抜け出すのも難しいだろう。そう踏んで俺は提案し、続けて聞いてみた。
「牧井は食べたいものとか、買いたいものとかある?」
「うーん」
 同じように熱気を感じているからか、牧井は鼻の頭をハンカチで押さえていた。汗の滲む顔で遠慮がちに切り出してくる。
「よかったらまず、かき氷でも食べない? ちょっと暑くて……」
「もちろんいいよ」
 一も二もなく賛成した。ちょうど冷たいものが欲しいと思ってた。夏だからな。
 だけどそこで、あれっと思うことがあって、
「俺はいいけど、牧井はかき氷なんて食べて、頭痛くなったりしないか?」
 以前の公園でのやり取りを思い出す。アイスモナカを半分こした時、牧井は確かそんなことを言っていたはずだった。それで分けてもらったアイスは特別美味しかった。一人きりの時間から、誰かと一緒に過ごす時間へと変わって、割とほっとしていたせいかもしれない。
 ともあれ俺の確認に、彼女は苦笑いで答えた。
「ゆっくり食べたら少しは平気だと思う」
「ならいいけど」
「だから去年までは、美月と半分こして食べてた。頭は痛くなるけど、こういうところに来るとどうしても食べたくなっちゃうんだ。美月は美月で少食だから、それでちょうどよかったの」
 女の子だなあ。俺と大和ならかき氷一つで半分こなんて成立しない。絶対に足りなくなって最後には喧嘩になりそうだ。だから毎年の夏祭りでは、買ったものを分け合うなんてことはまるでなかった。俺も大和も大和の妹も、めいめいが好きなものを買って好きなように食べた。結構緩い過ごし方をしていたと思う。
 でも、今年は違う。一緒に楽しむ相手は女の子で、しかもデートだ。
 当然のように過ごし方だって変わってくる。
「じゃあ今年は、俺が半分食べてやるよ。俺ならかき氷、二つでも三つでもいける」
 前に言った通りだ。そういう協力だったらいつでも大歓迎。まして牧井の為なら頑張れる。頼りにされたい、どんな些細なことでもいいから。
 ちょうど彼女も思い出していたのか、ツボにはまったようにころころ笑われた。
「そっか。そういう話もしてたね」
「頼りにしてくれよ、牧井」
「うん。すごく頼りにしてるよ」

 と言う訳で、俺たちはかき氷の屋台を目指してお祭りの中に飛び込んだ。
 目立つ天幕と看板のお蔭でそれはすぐに見つかって、まずは一つずつ注文をする。彼女は俺にどの味が好きか聞いてきて、俺が全部好きだと言うと、笑いながらレモン味を選んだ。俺は定番のブルーハワイにした。
 それから二人で、商店街の奥にある休憩スペースへと向かった。下駄履きの牧井が少し遅れたり、人とぶつかりそうになったりもしたけど、歩く速さを合わせつつ無事に辿り着いた。がたつく椅子とテーブルが無造作に並べられたスペースは、それでも既に混んでいた。俺はどうにか椅子だけを二人分確保し、端っこの方に並べて彼女と座った。
 結果として牧井はレモン味の半分の量を食べ、俺はブルーハワイ一個分の他、レモン味の残りの半分にまでありつけた。
 七月の天気のいい夕方。
 熱気に溢れたお祭り会場で、浴衣姿の牧井と食べるかき氷の味は、格別だった。
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