Tiny garden

確率は五分五分(4)

 俺が行動を開始したのは、夏休み初日のことだった。
 ここまで辿り着くのがまず一苦労だった。俺は大和に、黒川と連絡を取ってくれと頼み込んだ。牧井の連絡先を知りたいから、大和から黒川を通して、彼女に聞いてみてくれないか、と。それで大和は黒川にメールを送ってくれて、黒川もすぐに確認を取ってくれたらしい。その答えが大和へと届いて、俺はめでたく牧井の電話番号を入手するに至った、と言う訳だ。
 大和も黒川もよく協力してくれたものだと思う。そのうちに礼をしよう。
 俺は皆への感謝と若干の緊張とを背負い込みながら、彼女に電話を掛けた。午前中、気温が上がり始めた九時過ぎのことだった。

『――はい、牧井です』
 電話はすぐに繋がって、きれいな声が聞こえてきた。
 携帯に掛けたはずなのに、まるでよそ行きの声だった。牧井はこっちの番号を知らないんだから当然かもしれない。でも、本物の大人の女の人っぽい声のようでもあった。まさかおうちの人じゃないよな。
 思わず俺は固まって、念の為、こわごわ切り出してみる。
「あ、ええと俺、進藤と申します。牧井――八重さんはいますか?」
 姿勢を正して、めちゃくちゃ畏まってみたつもりだった。
 なのに一秒後、電話の向こうではくすくす笑いが響いた。
『進藤くん、私だよ』
 よそ行きの気配は影を潜めて、聞き覚えのある声がした。
「何だ、牧井か。びっくりしたよ」
 今度はめちゃくちゃほっとした。おうちの人じゃなくて良かった、いや本当に。
『進藤くんの畏まってるとこ、初めて聞いちゃった』
 彼女は楽しそうに笑っている。ふふっと、軽く。そういう笑い方はやっぱいいよな、と思う。
 でも笑ってる内容については、恥ずかしいのでもう勘弁してください。
「笑うなよ、こっちはすごく緊張したんだから。携帯に掛けたのに違う人が出たのかと思って」
『ごめんね。でも、すごくしっかりして聞こえたよ』
「いや、まあ……そのくらいは出来るよ、俺だって」
 誉められると途端ににやけたくなるから困る。牧井は誉め上手だと思う。
 それはともかく。
「ところで、電話したいなんて言って、悪かったな」
 俺はいそいそと本題に入った。
 何せここに辿り着くまで、牧井はもちろん黒川にも大和にも面倒を掛けている。いきなり電話で話したいから番号教えてくれなんて、しかも人伝いに言われて、牧井も相当面食らったことだろう。そう思ってまずは詫びた。
『ううん。進藤くんなら知らない人じゃないし、平気だよ』
「そう言ってくれると助かる」
 やっぱり牧井はいい子だ。話もわかる。
「夏祭りの前に、どうしても言っておきたいことがあってさ」
 暑さのせいか、緊張のせいか、おでこに汗を掻いていた。電話を持ってない方の手で拭う。
 その後で続ける。
「だからこうして電話したんだ。聞いてくれるよな?」
『うん、いいよ』
 快諾する返事を聞いて、この後に言うことにも、こんな快い答えがあったらいいなと願ってしまう。どうか上手くいきますように。むしろ噛まずに上手く言えますように。
「実はさ」
 喉が渇いていて、喋るだけでごくりと鳴った。
「俺、夏祭りは、牧井と二人で行きたいんだ」
 その瞬間はノイズだけが聞こえた。
「大和と黒川たちとは別に、二人だけがいい」
 デートだから。
 そう、付け足す前に、ほとんど思案もしてなさそうなタイミングで返事があった。
『うん、わかった。それでいいよ』
 案の定、ものすごくあっさり言われた。
『飯塚くんと美月は、二人きりにしてあげる方がいいよね。私もそう思ってたの』
 俺も思っていた。牧井なら絶対そう言うだろうって。そっちの方向から攻めていったら、絶対断られずに済むだろうって。牧井は友達思いの子だから、きっと。口実が欲しいだけなら俺も、そういう誘い方をしていたかもしれない。
 けど、違う。欲しいのは口実じゃなくて、れっきとした事実だ。
 俺は牧井と一緒がいい。
「本当にいい?」
 だから重ねて確認しておく。
「俺、デートのつもりで誘ってるけど、本当にいい?」
 電話越しに、またノイズが聞こえた。
 それから息を呑んだらしい微かな声も、した。
『えっ?』
 彼女は少なからず戸惑ったみたいだった。微かな声を上げた後、黙ってしまった。びっくりしたんだろうか。聞き違えかなと思っているんじゃないだろうか。もう既にどう断ろうか考え始めてるんじゃないだろうか――まさか。
 向こうがどう思ってても、俺は言葉を続けるしかない。
「俺は牧井と二人がいいんだ。大和たちに気を遣ってるとかじゃなくて、あいつらはこの際どうでもよくて、とにかく牧井と二人で行きたいんだ。寂しい者同士、似た者同士でつるもうって訳じゃない。俺は牧井がいい、牧井と夏祭りでデートしたい」
 勢い任せにまくしたててみる。初めてすることなんだから、スマートで格好いい誘い方が出来るなんて思っちゃいない。とにかく相手に伝わればそれでいい。俺の気持ちが。曖昧ではっきりしない中に存在している、わかりやすい部分の気持ちが伝われば。
『わ、私と?』
 少ししてから、牧井はそんな風に聞き返してきた。
『進藤くん、夏祭りまでに素敵な彼女を作るんじゃなかったの? 私なんかをデートに誘っていいの?』
 珍しく、ものすごくうろたえているらしい。牧井でも自分のことではあたふたしたりするんだな、と新鮮な気持ちで聞いていた。もちろんそんな彼女も可愛い。
 笑い出しそうになるのを堪えて、答える。
「うん、あの、彼女になってくれそうな子はまだ、見つかってないんだけどな」
 結局、そこまでの子は見つからなかった。
 もっとも、見つからなかったと断言するのも早いだろう。夏祭りまではまだ日がある。これから数日の間に見つかる可能性だってある。
 曖昧な中に、もっとはっきりした気持ちを見つけられるかもしれない。
「だけど、デートしたいなって思う子はいる」
 いる。電話で繋がっている向こう側に一人だけ。
「だから牧井を誘ってるんだ」
 俺がそこで言葉を止めると、またしばらくノイズが聞こえてきた。
 どのくらい待つことになるだろうと思っていた。どのくらいでも待てると思っていた。
 そうしたら、予想していたよりも早くに彼女の声がした。
『……うん』
 小さかったけど確かに肯定の返事だった。
 次いで、もっと鮮明な言葉が続いた。
『いいよ。私も、進藤くんとなら』
 息を吸い込むのも聞こえて、
『デートしても、いいよ』
 囁きのトーンで告げられたその答え方がもうすごく可愛くて、死ぬかと思った。だって耳元! 耳元で聞こえてくるんだからこれはすごいやばい。マジでどきどきした。
 牧井はやっぱり、すごく可愛いと思う。
「じゃあ、浴衣を着てきてくれるよな?」
 動悸と息切れを押し隠しながら、もう一つの重要項目を確認しておく。彼女の可愛さと比べると、俺は変質者一歩手前かもしれない。
『浴衣?』
 彼女が怪訝そうにする。例の話、忘れちゃったんだろうか。
「ほら、買い物に行った時、言ってただろ。デートじゃなきゃ浴衣着てこないって」
『あ、うん。言ってたね』
「だから着てきて欲しいんだ。俺、牧井の浴衣着てるとこ見たい」
『うーん……』
 少し考え込むそぶりで、牧井は唸った。どうしようか迷っているのかと思ったらそうではなかったらしく、直に尋ねてきた。
『あのね、私の浴衣、ちょっと古いのなんだけどいいかな?』
「ふうん。どんなの?」
『中学の頃に着てたものなの。サイズは問題ないと思うんだけど……ちょっと地味かもしれない。それでもよかったら着ていくよ』
 当然、それでいいに決まっている。浴衣なんて地味でもいいんだ。俺はどうせ牧井しか見ないから。
「いいよ。楽しみにしてる!」
 舞い上がっていると大和に突っ込まれそうな声を上げてから、ふと思いついて、俺は言い添えておく。
「たださ、牧井が下駄履いてくるとなると、俺の方がちっちゃく見えるかも」
『気になる? 進藤くんが嫌なら、靴を履いてくるよ』
「あー……いや、気になんない。牧井こそちっちゃい男とでもいい?」
『うん。進藤くんがいいな』
 その言葉にはあまり深い意味はなかったのかもしれないけど、殺し文句だと思った。
 やられた。

 それから俺たちは、夏祭り当日の待ち合わせ場所や、時刻を約束しておいた。牧井はバスに乗ってくることになるから、駅前のバスターミナルで、午後四時に落ち合う予定だ。
「今日は本当にありがとな」
 約束の後、俺がお礼を口にしたら、牧井はやっぱり軽く笑った。
『ううん、私の方こそ。……それにね、進藤くん』
「ん?」
『昨日ね、私、美月に言ったの。昔のこと、ありがとうって』
 そうか。言ったのか。
 黒川にもずっと言えなかったこと、ようやく言えたんだな。よかった。
「よかったな」
 俺は思わず笑んだ。
 多分彼女も、電話の向こうで笑っていると思う。短い前髪と真っ直ぐな目。俺と同じ背丈の牧井。
『うん。だから私、進藤くんとデートしたいな』
 だから、の意味がよくわからなかった。それで聞き返してみた。
「お礼の代わりにってこと?」
『違うよ』
 そしたら、彼女にはまた笑われた。
『新しく、一番好きな人を見つける為にデートするの。そういうものじゃないかって思うんだけど、どうかな?』

 初めてなんで一般論で答えは言えないけど、俺たちの場合はそういうことなのかもしれないなって思う。
 次のデートでお互い、一番好きな人が見つかる確率はどんなものだろう。
 気になるからとにかく早く、その日が来て欲しい。
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