Tiny garden

確率は五分五分(2)

 終業式が済んで、いつもよりずっと早い放課後を迎えた。
 牧井が黒川を『借りていった』から、俺は大和と一緒に帰ることにした。誘ったのは俺の方だ。
「帰り、公園でアイス食ってこ」
「昼飯前だろ。おばさんに怒られないか?」
 大和は初め、渋い顔をしていたけど、しつこく誘ったらやがては折れた。夏休みイブの今日もかんかん照りだったから、アイスを食べたら絶対に美味いはずだった。母さんなんて怖くない。
 それに、話がしたかった。
 聞いてもらいたかった。俺の中にある、まだてんで形を成してない曖昧な気持ち。どう言えばいいのかもわからないし、正確に言い表せるかどうかすら怪しいものだったけど、黙って一人で抱え込んでるのも難しかった。
 一人でいたくなかっただけかもしれない。単純に。
 今更、一人でいるのが寂しいなんて、ガキっぽいことは言わないけど。

 学校前の坂道を大和と一緒に駆け下りて、途中のコンビニでアイスを調達した。大和はミルクバーを選び、俺はリンゴのシャーベットを選んだ。
 こんな時まで誰かさんのことを考えてる。やっぱり、そういうことなのかもしれない。
 それから二人で児童公園まで向かった。公園の入り口に、俺のハーレーとシルバーの自転車とが並んで停まった。当たり前だけどメタリックグリーンの自転車はない。それだってこの公園では、たった三回しか見たことなかったのに。
 児童公園で牧井と会ったのは三回きりだ。そのうち二回は放課後に、俺が立ち寄ったことで出会えた。それからも放課後、何度となくここを覗いてみたりしたけど、結局牧井はあれきり来ていなかったようだ。
 昨日は牧井の方から誘ってくれて、それでここへとやってきた。まだたったの三回目だった。なのにいつの間にか、俺の中では当たり前のことのようになっている。牧井とこの公園で会うこと。木陰のベンチに並んで座って、話をすること。

 青いペンキ塗りのベンチに、大和と二人、並んで座る。
 少し前ならこっちの方が当たり前だったはずなのに、今は何だか落ち着かなくて、妙な感じがしていた。
「ここに来るのも久々だ」
 感慨深げに大和が言って、ミルクバーの袋を破る。
 俺もリンゴのシャーベットの蓋を取った。紙包装の中から木のへらを取り出し、表面をざくざく削る。七月の気温はあっさりアイスを溶かしてしまって、割と苦労せずに食べられた。きんと冷たい氷は、甘酸っぱいリンゴの味がした。
「最近、元気ないよな」
 ミルクバーをかじりながら大和が呟く。
 その言葉に反応するのが、リンゴ味のせいでちょっと遅れた。
「あ、俺のこと?」
「他にいないだろ」
 聞き返すと思いっきり呆れられた。その後で苦笑いしている。
「憂鬱そうにしてたかと思えばにやにやし出すし、そうかと思えば一人でぼうっとしてたり……何か変だよな、颯太」
 黒川のことばっかり考えてるのかと思ったら、なかなか俺のことも見てるじゃないか。びびった。そんなににやにやしてたつもりはないけどなあ。
 ともかく、笑って聞き返す。
「何、心配してくれてんの?」
「心配ってほどでもないけど」
 大和は肩を竦めた。
「俺も最近は付き合い悪かったからな。何となく、目に付いて」
「へえ」
 こっちが思わず笑うと、奴は照れたみたいだ。黒川のことのみならず、幼馴染みに対しても照れなきゃならんとは、忙しい奴。
「それで、どうなんだよ。何かあったのか」
 急かすようにもう一度尋ねられ、俺は黙る。
 困った。さて、どんな風に答えようか。
 自分でもはっきりさせられない、曖昧な気持ちを抱えている。そいつが俺をアンニュイな気分にさせたり、ぼうっとさせたり、たまににやにやさせたりもするんだろう。にやにやは、そんなにしてないと思うけど。
 その気持ちが何なのか、やっぱりよくわからない。
 今までは存在しなかった。新しい気持ちで思っている。牧井のことが気になる。だから俺は、牧井が好きなのかもしれない。
 シャーベットを一口食べる。甘酸っぱくてやけに冷たい。頭が冴えてきたみたいで、言葉がぽつぽつと浮かんできた。
「大和さあ」
 へらを動かしつつ切り出してみる。
「最近、黒川とどう?」
「ど、どうって」
 途端、あからさまに動揺する幼馴染み。
「別に何にも……どうってこともない。普通だよ。変なこと聞くなよ」
 さすがに慌て過ぎだと思う。かえって引っ掛かる。
 けどまあ、そこを追及してるとしたい話も出来なくなりそうだから、さっさと先に進めてみた。
「俺、確かに最近、いろいろ考えてんだ」
「いろいろって、例えば?」
 すかさず尋ねられ、少し考えてから首を竦めた。
「いろいろだよ。何て言うか、初恋ってどういうもんなのかなって」
「前にも言ってたな、それ」
「ああ。考えてみたけど、まだわかんないんだよな」
 いくら頭を捻ったところで、自力では答えを出せなかった。
 牧井に聞いたら、彼女なりの答えを教えてくれた。だけどそのせいで余計にわからなくなった。牧井の答えがおかしかった訳じゃない。教えてもらった答えが、俺の牧井に対する気持ちそのものだったからだ。
 寂しそうにされて、心配だった。
 だから一緒にいたいと思った。
 誰よりも好きだとは言い切れない。でも、他のどんな気持ちよりも強く、彼女のことを考えていた。他の考え事を全部押し退けて、存在していたのは牧井一人だけ、だった。
「気になる子でもいるのか」
 冗談のつもりだったのか、大和が笑いを含んだ声で言ってきた。もしかすると空気を混ぜ返そうとしたのかもしれない。
 俺は、言い当てられた、と思った。
 それで観念して、リンゴのシャーベットの溶けかかってる奴を口の中にかき込んだ。冷たくて甘酸っぱいのをジュースみたいに飲み干してから、一息つく。息までひんやりしている。
 言った。
「いる」
 ミルクバーをまたかじろうとした、大和の動きが止まった。アイスを手に持ったまま、口を大きく開けたまま、ぎょっとしたように俺を見る。
 雫がぽたりと足元に落ちた。
「誰?」
 溶け出してるミルクバーすらほったらかしで、そう聞かれた。
 答える為に深呼吸をする。吸った空気は木陰のものでも生温く、お蔭で吐く息ももう熱かった。
 影の落ちたベンチに座る、すぐ隣の幼馴染みを見据える。目線の高さが違うから、悔しいことに俺の方が見上げる格好になってしまう。これが牧井なら真っ直ぐ目が合ったところだろうに。
 こんな時でも俺は、彼女のことを考えている。
「多分、だけど」
 思ってたよりも、言うのが照れた。
「俺、牧井のこと、好きなのかもしれない」

 大和はしばらくの間、ぽかんとしていた。
 格好悪く口を開けっ放しにして、瞬きもしないで、ただただじっと俺の顔を見ていた。
 アイスが溶け出したのにはさすがに気付いた。ミルクバーの雫が手の甲に垂れた瞬間、我に返ったようにびくっとして、自前のタオルで拭いていた。
 自壊しそうなミルクバーをひとまず片付けてしまってから、やっとのことで大和が言った。
「冗談じゃないよな?」
 散々待たせといて第一声がそれか。幼馴染みの反応を僅かなりとも気にしていた俺は、思わず呆れ返った。
「本気。ってかまずその質問ってのはどうよ」
「悪い、でも、牧井は……」
「何だよ」
「あの子は、美月の親友だろ?」
 彼女の名前を口にした時、大和が頬を赤らめた。もごもごと続ける。
「何て言うか、すごい偶然だなと……」
「まあな」
 それはそうかもしれない。幼馴染みの彼女の親友を好きになったって言うのは、何だか出来過ぎの偶然みたいだ。
「俺は黒川の親友だから、牧井を好きになったんじゃないし」
 むっとしながら言い返し、その後で付け足した。
「って言うかな、そもそも好きってどういう意味なのかわかってないんだって。俺こういうの初めてだから、恋愛感情なのかそうじゃないのか判断だってつかない」
 もしかしたら別の気持ちで、牧井を放っておけないだけかもしれない。
 だとしても、好きなのには違いないんだろうけど。
「だって考えてもみろよ」
 俺は大和に訴えた。
「牧井ってすごくいい子だろ。愛想もいいし性格も優しいしさ」
「まあな」
 大和も否定せず、相槌を打ってくれた。
 そのことがなぜだかうれしくなる。調子も上がる。
「でもって友達思いだろ? 黒川のことあんなに考えてて」
「そうだな。いい子だ」
「うんうん、超いい子だ。俺の身長だって馬鹿にしないし」
「それは普通じゃないか。颯太が気にし過ぎなだけだ」
「んーでも、牧井は特別優しいよ。酷いこととか絶対言わないし」
「ああそうか、わかったわかった」
「加えて見た目も結構可愛いんだよな。ちょっと前髪短過ぎるかなって気もするけど、そこも含めて全部いい。ふふって感じの笑い方とか、頭良さそうな感じがしてさ。絶対に浴衣似合うと思うんだよなー」
 性格だけじゃなくて見た目まで可愛くて、いい子。
 だから気になるのは当たり前なのかもしれない。好きとかそういうのじゃなくても。恋愛感情抜きでも、男なら放っておけないタイプで、それで俺も気になっちゃうのかもしれない。そんな懸念もなきにしもあらず。
「颯太」
 大和にはそこで、思いっきり眉を顰められた。
「悪いけどお前の話、惚気にしか聞こえない」
「惚気?」
 指摘されて、俺も察する。
 言われてみればそんな感じだ。
「あーそうかも。さすがに気が早いか、俺」
 思わず頭を掻くと、何やら大和の方がもぞもぞし始めた。
「くそ、聞いてる方が照れる」
 そうも言われた。
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