Tiny garden

確率は五分五分(1)

 思う。
 俺はもしかして、牧井のことが好きなんじゃないだろうか。
 いやもちろん、好きなのは好きだ。決して嫌いな訳じゃないし、いい子だと思ってるし、可愛いとも思っている。話していても面白いし、話題を探すのに苦労することはあるけど、女の子にしちゃ割かし話しやすい方だ。それに大和の――幼馴染みの付き合ってる彼女の親友ってことで、出来れば仲良くしとくべき相手だとも思う。その点については異論もない。一応クラスメイトでもあるんだから、彼女のことを好きでいられるのは悪いことじゃないだろう。
 ただ。
 何となくぼんやりと感じてる訳だけど、俺の牧井に対する『好き』って、そういうのとはまた別なんじゃないだろうか。

 公園で牧井の、打ち明け話を聞いた時、黒川が羨ましいと思った。
 牧井にああまで強く、大切に思われてる黒川が、すごく羨ましかった。
 でもどうしてなのかはすぐにわからなかったから、無性にもやもやした。
 こういう気分になったのは初めてじゃなくて、前にも覚えがある。四人で一緒にデパートへ行った日、牧井が浴衣を着ないと知って、がっかりした時の気分と似ていた。その時はてっきり、浴衣が見られないとわかったからもやもやしたのかなと思ったけど、今は違うような気がする。
 デートじゃないって言い切られたから、だと思う。
 俺はデートだと思ってたんだ。夏祭りは、つまりダブルデートって格好になるんだろうって。そりゃあ大和たちと違って俺と牧井は恋人でも何でもないし、義理でついていくんだってことも把握してる。それでも、俺はデートのつもりでいた。黒川が大和と一緒にいる前で、牧井がせめて寂しい思いをすることのないように、精一杯楽しませようと考えてた。
 だから普段からあれこれ話しかけてたし、仲良くなっておきたかったし、牧井のいろんなことが気になった。教室でもちらちら様子を窺っていた。だから放課後、逃げるようにいなくなってしまう彼女に気付いた。帰り際にはあの公園に立ち寄って、牧井が来てないかっていつも探していた。寂しい気持ちでいたなら、ちょっとでも助けになってあげたくて。
 そういうのを全部ひっくるめて考えたら。
 つまり俺は、彼女が好きなんじゃないかと思い当たった。
 自信はない。何せ初めてのことだし、それに牧井はすごく可愛い、いい子だ。俺の背の低さを馬鹿にしないし、俺がつまらないことを言ってもふふっと笑って、気にしない風でいてくれる。そういう子が相手なら、男なら誰だって放っておけないんじゃないだろうか。そうも思う。
 だからすごく、自信はない。これが恋なのか、単なる好意に過ぎないのか。
 心配してた通りだ。気になる子がいて、その子のことを始終考えるようになって、でも一番かどうかはよくわからない。初恋なのかどうかもわからない。
 一緒にいたいとは、思う。新しい気持ちで思う。
 初恋なのかどうかは、それでもよくわからない。確率は五分五分くらいで、かなりどっちつかずだ。


「颯太、まだか?」
「んー……」
 近寄ってきた大和に声を掛けられて、俺はのろのろ視線を落とす。
 見慣れた高校の駐輪場。すぐ傍には他の自転車と並んだ愛車ハーレーが停まっている。朝の光を受けて輝く黒いフレーム。でもまだ鍵は掛けてない。
 昨日、公園で牧井と別れてからというもの、頭がぼんやりしていてどうしようもなかった。気が付くと考え事をしている。何度も何度も何度も思う。
 俺は牧井のことが好きなんじゃないだろうか。
 その『好き』って気持ちは、どういう意味を持ってるんだろう。
「この間からずっと、元気ないよな」
 付き合いの長い大和は、俺の変化にも敏感のようだ。それがどういう変化なのかまでは、さすがにわからないだろうけど。わかるならこっちが教えて欲しいくらいだ。
「何となくな」
 曖昧に答えながらハーレーに鍵を掛ける。黒いフレームは熱を持っていた。今日も暑い。
「明日から夏休みだってのに、一体どうした?」
 尋ねられても困る。何ともないよと小声で言って、ようやく駐輪場を離れた。
 どうしたのか自分でもよくわからない。
 ただ、心配してくれる大和には悪いけど、別に気分は悪くない。元気がない訳でもない。どっちかって言うとテンション高めだ。
 生徒玄関で靴を履き替えている間、訳もなくどきどきしていた。目線は自然と女子の靴箱へと留まる、もちろん牧井のとこ。上履きは既になく、可愛いローファーがちょこんと収まっている。
 教室に行けば牧井がいる。おはようって挨拶をされる。そしたら俺はどんな顔をして会おう。どんな挨拶を返そう。でもって今日も例のあの質問をしようかな。牧井にはまた笑われるだろうけど、それはそれでいいもんだよな――考えてるうちになぜだかにやけてきて、そこを大和に見咎められた。
「な、ど、どうした? 今度は妙ににやにやしてるな」
「べっつにー」
 笑みを噛み殺しながら答えると、
「颯太、マジでどっかおかしいんじゃないか?」
 本気で哀れむような目を向けられた。ひでえ。

 教室に入るとすぐに、弾んだ声が掛かった。
「おはよう、進藤くんと飯塚くん」
 牧井の声だ。
 さっと反応して顔を向けた時、彼女はもうすぐ傍まで来ていた。いつも通りに短い前髪と、いつもより明るい表情をしていた。挨拶を返そうとした俺の前を通り過ぎて、大和の前に立った。
 それから両手を背に隠すような姿勢で、きょとんとする大和に向かって、言った。
「あのね、飯塚くん。急な話なんだけど――」
 短い前髪の下、はにかみがちな横顔を、俺はその時こっそり見ていた。
「今日、美月のこと、借りてもいい?」
 そして彼女は、やっぱりそういう言い方をした。
 返して、ではなかった。
 俺はちっとも驚かなかったけど、大和はかなり面食らったみたいだ。瞬時に頬っぺたを赤くして、慌てたように口を開く。
「か、借りるなんてそんな……何言ってんだ。俺に許可を取ることじゃないだろ、遠慮するなよ」
「ううん。遠慮はするよ、でも」
 牧井が首を横に振る。ぱっつん前髪と、一つに結んだ後ろ髪が揺れる。
「今日だけは貸して欲しいの。私、美月と話したいことがあるんだ。……いいかな?」
 当たり前だけど牧井の背丈は大和よりも小さくて、上目遣いの表情になっていた。そういう目を向けられる大和が、いいなあと、ちょっと思った。
 大和は一層慌てた様子で、だけどどうにか笑ってみせた。
「わかった。その、いいぞ。俺のことは気にしないでくれ」
 そこで牧井も笑った。心底うれしそうに。
「ありがとう、飯塚くん。美月の彼氏が飯塚くんで本当によかった」
「や、止めてくれよ。そういうのは……」
 相変わらずあたふたしている大和。何やらもごもご言いつつ、逃げるようにこの場を後にする。そのまま自分の席へと向かっていって、ぎくしゃくと椅子に腰を下ろしたのを見送ってやった。まるで中に針金でも入ってるみたいな動きだった。
 一方、残された牧井はようやく俺の方を見た。
「進藤くんも、ありがとう」
 上目遣いにはなってなかった。でもいい笑顔で言われた。
「私、ちゃんと言えたよ。お願い出来た」
「うんうん、よかったな牧井」
 俺もついついつられて笑う。
 すぐ目の前で見てたんだけど、なんて野暮なツッコミはこの際しない。彼女が喜んでるんだからそれでいい。わざわざ報告までしてくれるんだから可愛いじゃないか、全く。
「進藤くんのお蔭だよ」
 そんな可愛い子にこんなことを言われたら、そりゃあテンションだって上がる。浮かれたくなる。
「俺は何もしてないよ。でもまあ、お礼ならいくらでも大歓迎だけどな」
「それなら、夏祭りの時に何か奢るね」
 牧井が言うから、俺はふと浴衣の件を思い出す。
 お礼って言うならそっちの方がいいんだけどな。でもデートじゃないと着ないって言ってたしな。彼女にデートだって思ってもらえない限りはなす術もない。どうにかなんないもんかな。
 とりあえず、いつものように確かめておく。
「ところで牧井、好きな奴出来た?」
 彼女には例によって笑われた。
「ううん、全然。進藤くんは?」
「俺は……」
 答えかけて、途中で止めて、考える。
 どうなんだろう。牧井本人と話してみたって、やっぱりちっともわかんないや。
「まだ、わかんない」
 結局そういう答えになって、
「お互い相変わらずだね」
 と彼女が笑った。
「もう終業式なのにね。この分だと間に合わないかも」
「かもなあ」
 俺も思う。だからちゃんと、考えてみなくちゃいけない。
 あんまり得意じゃないんだけどな、黙って考えてるだけってのは。

 そうこうしている間にも、俺の目は牧井を追っている。
 話し終えてから、自分の席へと戻る後ろ姿。長めのスカートの裾を気にしながら椅子に腰を下ろす姿。先生が来て、体育館へと向かう隊列の中の彼女。身長は百五十五センチで俺と一緒、なのに男女各一列背の順で並ぶと、彼女の方が後ろになる。だから終業式の間は眺めていられなかった。でも本当は見ていたかった。
 思う。俺は、牧井のことが好きなんじゃないだろうか。
 それとは別のことも思う。
 牧井は、背の高くない男をどう思うだろう。
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