Tiny garden

平行する思惑(1)

 明日には終業式だっていうのに、アンニュイな気分だった。
 声に出してそう言ったら、
「意味、わかって使ってるんだよな?」
 すかさず大和に突っ込まれた。しかも馬鹿にするようではなく、むしろ心配そうに。幼馴染みとは言え失礼な奴だ。
「わかってるよ、何となく」
 俺は答えて、それから頬杖をつく。食事中にするのは行儀が悪いとわかってるけど、アンニュイなんだからしょうがない。

 時は昼休み。俺と大和は教室で、俺の机を囲んで昼飯中だ。例によって二人ともコンビニのパン。夏場は喉が渇くから飲み物も欠かせない。
 オレンジジュースのパックを手に、大和が尋ねてくる。
「で、何かあったのか」
「んー」
 聞かれた時、ちょうどパンを頬張ったところだったので、ひとまず唸り声だけで答えておく。
 あったと言えば結構いろいろ、ある。相変わらず俺には彼女が出来てないことも悩みだし、牧井が浴衣を着てこないって聞いてがっかりしてるのもそう。あれから何も言われてないし、彼女が心変わりしたってこともないだろう。もったいないな、似合いそうなのに。
 でも一番憂鬱なのは――パンを飲み込んでから言葉でも答えた。
「どうやったら俺にも彼女が出来るかって、考えたんだけどさ」
「ああ」
「牧井が言うには、恋をしたらいいんじゃないかってことらしいんだよな」
「……へえ」
 なぜか大和が、それだけで照れるそぶりを見せた。それから教室の中を見回す。俺も一緒に見回したけど、牧井の姿はここにはなかった。
 牧井は昼休みを、クラスの違う黒川と過ごしているらしい。いつも一緒に昼飯を食べるんだって聞いた。やっぱり仲がいいんだな。
「牧井って、案外とそういうことはっきり言うよな」
 視線をこっちへ戻して大和が呟く。
 俺は思わず聞き返す。
「そういうことって?」
「いや、だから……お堅い優等生だと思ってたんだよ。恋愛のこととか、他人のことでも関心なさそうなタイプかなと」
 確かに、真面目そうだと俺も思ってた。実際真面目なのには違いないんだろうけど、ちゃんと話をしてみた牧井は、敷居の高そうなイメージとは全く違った、割かし話しやすい女の子だった。
「人は見かけによらないからな」
 もっともらしく言ってやったら、呆れたような目を向けられた。
「よく言うよ。一番見かけにこだわってんのは颯太じゃないか」
「俺が?」
 そうだっけ、と首を傾げたくなる。そりゃあ女の子は可愛い方がいいと思うけど、大してこだわってるつもりもなかった。彼女になってくれるならどんな子でも――って、そういう意味じゃないか。
 大和がまたオレンジジュースを飲む。音を立ててパックがへこみ、その後で言われた。
「背丈。こだわってんだろ」
「あ!」
 見かけってそういう意味か。
「それは何て言うか、こだわっちゃうのもしょうがないだろ?」
「気にしてんのはお前だけだよ」
 俺の反論を遮るように、首を竦める大和。
 背の高い奴に低い人間の悩みがわかるか。ちょっとだけむっとしたけど、向こうは話を先に進めようとする。
「それで? アンニュイなのは、お前に彼女がいないからなのか?」
「あー、いや、そうじゃなくて――どこまで話したっけ」
「牧井に、恋をしたらいいんじゃないかって言われたとこ」
「あ、そうそう。牧井にはああ言われたんだけどな、じゃあ恋ってのはどうやってすんのよって話になるだろ」
 例によって、俺はまだ初恋もしてない。
 どうやら牧井もまだらしい。毎日聞いてみてるけど、返ってくるのはいつも同じ答えだ。毎日聞いてくるんだね、って笑いながら教えてくれる――今のところ彼氏が出来ることも、好きな奴が出来たこともないらしい。
 俺も牧井も恋愛したことがないのは一緒だ。そういう俺たちにもし好きな相手が出来たら、そんな想像をしてみた時、ふと不安が過ぎった。
「好きな子が出来ても、その気持ちに自分が気付けなかったらどうすんのかなーって思って」
 頬杖をついたままぼやく。
 ストローを煙草みたいに咥えた幼馴染みは、そこで不思議そうな顔をした。だから説明を添えてみる。
「つまりさ、俺って初恋もまだな訳だろ。ってことはこれから好きな子が出来たとして、そういう気持ちも初めてってことになるだろ」
「まあ、そうなるな」
「ってことは、そういう気持ちになっても初めてだからわかんなくて、気付けずにスルーしちゃう可能性もあるんじゃないかなってさ」
 疑問に思う。
 初めての恋なのに、それが恋だってわかるもんなんだろうか。
 何か別の、他の気持ちと誤解しちゃう場合もありそうなものだ。俺だってそういう失敗をしないとも限らない。考えると憂鬱にもなる。
「あるいは、初恋なんてもうとっくに過ぎてたりするとかな」
 俺は自棄気味にパックの牛乳を啜った。身長を気にする人間にとって、牛乳とは希望に溢れた神聖なる飲み物である。
「実は俺の初恋は既に終わっていたにもかかわらず、俺自身が気付けてなくて放ったらかしにしてたとか……そういう可能性もなくはないよな?」
「深刻になるなよ。別に初恋にこだわらなくてもいいだろうに」
 大和が軽く、呆れたように笑った。
 そりゃあ杞憂って奴ならいいけどな。こっちは身長も恋愛でも置いてけぼりを食らってる身。あれこれと不安にだってなるんだよ。このまま一生、可愛い女の子とはご縁がないんじゃないか、とか。
 何せ、大和の初恋は保育園の時だって言うじゃないか。水の開けられっぷりったらない。

 俺だって自分の初恋が昔のうちに、無自覚なうちに過ぎ去ったとは思いたくない。振り返ってみてもまるで心当たりなんかない。可愛いなとか、いい子だなと思う女の子は何人かいても、告白しようとか付き合いたいという風には一度も考えなかった。そのくらいなら大和あたりと一緒にいる方が気楽だった。
 でも、今の俺は彼女が欲しい。初めてそう思っている。
 最初の恋はすごくいい奴をしておきたい。これぞ青春って感じの奴。何となく過ぎちゃうのとか、後になって気づくのとかは絶対嫌だ。
 アンニュイな不安を晴らすには、これからちゃんとした、はっきり実感できる初恋をするより他ない。そう考えた訳だ。
 初めての気持ちをすぐに恋だと気付くにはどうすればいいのか。
 これはもう、体験者に聞いちゃうより他ないよな。

 と言う訳で、俺は率直な疑問をぶつけてみた。
「じゃあ聞くけどな、大和は初恋の時、恋してるって自分でわかったのか?」
 途端、大和がオレンジジュースにむせた。
「な、馬鹿、何聞くんだよ」
「いいじゃん教えろよ。参考にするから」
「参考って」
 けほけほ言いながらも、大和は俺を睨んでくる。
「教室で聞くなよ、誰かに聞かれたらどうすんだ」
「誰も俺たちの話なんて聞いてないよ」
 一応、教室内を見回してみる。他の連中だって昼飯かグループごとのお喋りか、残り僅かな休み時間で何をして過ごすか、そんなことに夢中だ。俺たちがどんな話をしようと気にも留められないだろう。まあ、小声で話そうとは思うけど。
 牧井もまだ戻ってきてない。今頃、黒川とこんな話してるのかな、なんてな。
 大和はしばらく渋い顔をしていた。だけど俺が期待を寄せているのを察してか、やがて観念したらしい。同じように教室を眺めやってから、小さな声で打ち明けてきた。
「言われてみれば後になって気付いた感じだな。あれが、初恋だったのかって」
「へえ!」
 すかさず食いつく俺。
「で、で? 気付いたのはいつなんだよ?」
「食いつき過ぎだよ颯太」
「いいから教えろって」
「……多分、小学校上がってから」
 見慣れた大和の顔に、これは最近見慣れてきたばかりの、照れた表情が浮かぶ。
「保育園に行かなくなってから、先生にもう会えないんだなと実感して、それで気付いた」
「初恋の相手、保育士かよ。マセガキだなあ」
 ついうっかり本音が出た。そしたらぎろっと睨まれた。
「その言い種はないだろ、人がせっかく教えてやったのに」
「あ、悪い悪い。大和の初恋がそんなに昔ってのが、やっぱ意外で」
 うっかり発言は撤回する。もっとも、大和も気分を害した様子ではなく、ひたすら恥ずかしそうにしている。
「美月には言うなよ」
 念を押された。
 にやっとして、俺は頷く。
「了解。彼女にやきもち焼かれちゃ困るもんな」
「うるさい、そうじゃなくて恥ずかしいからだよ」
「わかってるって! で、さ」
 もう一個、ついでだから聞いときたいことがあった。にやにやしながら切り出してみる。
「黒川のことは、いつ、どんなきっかけで好きになったの?」
「――颯太」
 どすの聞いた声で名前を呼ばれて、さっき以上に睨まれた。もちろん長い付き合いの幼馴染み、その程度で恐怖なんて感じない。むしろ押し隠そうとしている本心が見え隠れしていて、羨ましいと思った。
 本当に幸せ者だよ、大和は。彼女がいるっていいよな。
「黒川には言わない」
 俺が手を掲げて誓うと、大和は一瞬ためらい、それからもう一回教室内を見回した。牧井はまだ戻ってきていない。
 確かめたらしいその後で、今までで最も小さな声で言った。
「牧井にも言うなよ」
「もちろん」
 当然、それも誓っておく。
 安心したか、大和はたどたどしく呟く。
「公園で、よく見かけてたから」
「え」
 その言葉に、こっちははっとさせられた。
 公園って言うのはもちろん、あの児童公園に違いない。そして黒川を良く見かけていたと言うのは、つまり、牧井の言っていた通りのことで。
「颯太も気付いてたのか?」
 目を瞬かせる大和。
 正直に言っていいものかどうかわからず、曖昧に答えておく。
「うん、まあ」
「そっか。俺も、よく見る顔だなと思って、覚えてたからな。それで目に留まるようになって、気にしてた」
 大和は気付いてたのか。あの公園に黒川と牧井が来てたこと。黒川がどういう目的で大和を見ていたかということも、だろうか。
 初恋じゃないから気付けたのか。
 気付けるような大和だから、彼女が出来たのか。
「……ふうん」
 黒川たちの存在どころか、幼馴染みの意識にさえ気付けなかった俺は、やっぱりアンニュイな気分で牛乳を啜った。
 何かすごく、置いてけぼり食らった感じ。
「大和ってすごいな」
 ぼそりと零してみる。
「な、何がだよ」
「俺、一生追い着けないんじゃないかって気がしてきた」
 同じ幼馴染みなのに、今やものすごく差がついて、突き放されてる。俺だけがガキっぽいままでいる。身長でも、恋愛でも、多分、他の事柄でも。
「いいよなあ」
 ついた溜息がいつもより一層羨ましげになって、大和にはなぜかその時、不思議そうな顔をされた。
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