Tiny garden

平行する思惑(2)

 だって、羨ましくもなる。
 大和には黒川がいるのに、俺には誰もいないんだから。

 今日の放課後も、大和は黒川と一緒に帰るらしい。昼休みのうちにそう予告されていた。デパートに四人で行った日以降から毎日だった。すっかりそっちの方が当たり前になってしまったようだけど、そのことについて異論はない、ただ羨ましいだけ。
 俺の日常は相変わらずだ。彼女どころか好きな子すら出来る気配がなくて、背も伸びてなくて、だけど日毎に気分が沈んでくるのは夏休みが近いせいか。夏休み、大好きなのにな。
 牧井はどうなんだろう。毎日教室で話をして、彼氏が出来てないことは確認済みだ。でもそれ以外のところはどうなんだろう。何か変わったんだろうか。黒川はずっと大和と一緒に帰ってるけど――寂しくは、ないんだろうか。そのことはやっぱり、ストレートには聞けない。
 あれ以来、牧井と例の公園で出くわすことはなかった。一度もなかった。
 性懲りもなく俺は、放課後になると公園へ寄り道して、木陰の青いベンチに牧井がいやしないかとこっそり覗いてみた。もしいたら、それは牧井が一人きりの帰り道を寂しがってるってことだから、声でも掛けてやりたいなって。似た者同士、寂しさも半分こするくらいは出来るんじゃないかなって、お節介な気持ちで立ち寄っていた。だけど牧井も、メタリックグリーンの自転車も、あれきり公園で見かけることはなかった。一度も。

 それとは別に、気付いたことがあった。
 牧井は帰りのSHRの後、すぐに教室からいなくなる。
 いつも不思議に思ってたんだ。いつも、黒川が大和を迎えに来る時、牧井の姿は教室になかった。黒川だって真っ先にうちのクラスまで来てるに違いないのに、牧井はあっという間にいなくなってしまう。別にどうってことない話なのかもしれないけど、俺は、ほんのちょっと気に掛かった。
 だから何となく、毎日のように見ていた。それで気付いた。日直の号令で一斉に挨拶をして、それから数秒もしないうちに飛び出していく牧井に。席の近い子にだけ手を振った後は、もう脇目も振らずに教室から消えてしまう。俺に挨拶をしてくれることもない。毎日話をしてるのに。
 別にどうってことないのかもしれないけど、気になっていた。
 そして今日。どうせ大和は黒川と一緒に帰るんだから、俺は牧井に声を掛けてみようと決めた。口実なら既にある。昼休みに大和に話した、初恋のこと――牧井なら、初めて誰かを好きになった時、それが恋だってわかると思う? 俺、不安でしょうがなくてさ。似た者同士の牧井の意見、聞いてみたくて。
 聞いてみたかった。大和にはわからないことも、牧井にならわかってもらえると思った。だって似た者同士だからな。
 そんな口実を用意していた。

 明日が終業式だからか、帰りのSHRは駆け足気味に済んだ。
 挨拶を終えた担任が、のしのしと教壇を降り、教室を出て行く。その後を追うようなタイミングで、牧井の後ろ姿が視界に飛び込んできた。
 一つに結んだ髪を揺らして、白いセーラーの背中がすぐに見えなくなる。俺も慌てて立ち上がり、鞄を掴んで戸口を目指した。
「颯太、帰るのか?」
 背後で大和の声がする。振り向かずに返事をしておく。
「ああ、また明日な!」
 黒川によろしく、と付け足す余裕まではなかった。言い終わる頃にはもう教室を飛び出していたし、一気に混み合い始めた廊下、牧井の背中を既に見失って、慌ててもいたから。大和はきっと、昼休みの時みたいに不思議そうな顔をしていただろうな、と思う。
 人にぶつからないよう、早足以上のスピードで廊下を抜けた。
 急いで、まっすぐ生徒玄関を目指した。
 階段は一つ飛ばしで駆け下りる。それでも彼女の姿は見当たらない。
 生徒玄関に辿り着いた時、ようやく追い着いた。
「牧井!」
 人気のまだない、がらんとした玄関。うちのクラスの靴箱の前に彼女はいた。俺と同じ背丈だからか、高い靴箱の前ではやけにちっちゃく見えていた。
 彼女が振り向く。
 ぱっつん前髪の下、両方の目がぎょっとしている。
「進藤くん。私に用でもあった?」
 さすがは優等生、察しがいい。俺はすのこの上を音を立てて歩き、牧井の傍まで寄っていった。あんなに急いできたことを、今更のように恥ずかしく思いながら、言った。
「ん、用ってか話が、あるってほどでもないけど」
 言われてみると、本当に『あるってほどでもない』んだよな。口実はある。お節介な気持ちも一応ある。でもそういうのって、スルーしようと思えば出来ることなのに、どうして俺はしなかったんだろう。何か、自分の必死さに照れたくなる。
「え?」
 牧井にも不思議そうな顔をされた。余計に恥ずかしくなったので、照れ隠しみたいに聞き返してみた。
「だけど、よくわかったな。俺が牧井に用があるんだってこと」
 そしたら、軽く笑われた。
「わかるよ。だって私、玄関一番乗りだったもん。きっと私の後を追い駆けてきたんだなって思った」
 一番乗りか、確かに。
 生徒玄関は今頃になってようやく、人がぽつぽつ来るようになっていた。
「しかも毎日だろ? あんなに急いで教室出て行くんだからな」
 俺は言いながら思う。帰り際の牧井は、まるで逃げるみたいに迅速だった。
 ――もっとも、思ってもそれは言いたくない、本当だったら困るから。
 でも牧井は感づいたみたいだ。いきなり眉根を寄せてきた。
「毎日急いでるって、どうして知ってるの、進藤くん」
 口調は柔らかい。
 だけど聞かれた時、妙にどきっとした。
「どうしてって、そりゃあ……」
 見てたからだ。
 別に変な意味じゃなく、ただちょっと、思い当たる節があったりして。
「もしかして」
 牧井はいつものように、じっと俺の目を見てくる。背丈の同じ俺たちは、視線も真っ直ぐ、同じ高さでぶつかってしまう。彼女の一歩も引かない目つきに、たまにどぎまぎする。
「心配、してくれた?」
 ふと微笑んだ牧井の問い。
 俺も結局、ぎくしゃく笑んだ。
「それほどでもないけど、まあ、気になったって言うか」
「ありがとう」
 うれしそうにお礼を言われたちょうどその時、生徒玄関が賑やかになってきた。牧井みたいに急がない連中も、ちらほら帰ろうとしているらしい。
 一転、笑みを引っ込めた牧井が、早口気味に告げてきた。
「進藤くん、暑いけど、外で話してもいい?」
「いいよ」
 即答した俺は、やはり急いで靴を履き替えた。

 外、と言うのは駐輪場のことじゃなかったらしい。もしかすると学校の敷地外って意味だったのかもしれない。
 とにかく、牧井は駐輪場へ来るなりメタリックグリーンの自転車を発見し、ぱちんと鍵を外してしまった。まごつく俺へと促してくる。
「とりあえず、学校から離れない?」
「わかった」
 それで俺も炎天下、黒のハーレーを探す。売っても売れ残りそうなほど夥しい量の自転車が居並ぶ中、自分の愛車だけはすぐに見つけ出せる。それと並んで置いてある、幼馴染みの自転車もそうだ。いつもこの後ろの荷台に、可愛い彼女を乗っけちゃってる訳だ。
 そういえば、牧井はチャリ通なのに、黒川は違うんだな。この間デパートに寄った時は、牧井も歩いてきてたようだけど。
「牧井の家って、こっから近い?」
 ふと疑問に思って、鍵を外しながら聞いてみる。自転車を支えて立つ彼女が、濃い色の影ごと首を横に振る。
「近いってほどでもないかな。自転車だと三十分」
「近くないってか、遠いだろそれ。黒川もそのくらい?」
「うん、大体」
「へええ……」
 チャリで三十分って。大和はそんなところまで黒川を送り届けてるのか。家まで送ってんのかどうかは知らないけど、すごいな。愛のなせる業って奴か。
「でも、二人でいる時は距離のある方がいいみたい」
 牧井も同じことを考えてるんだろうか。意味ありげに言ってくるからこっちもにやりとしたくなる。
「だよなー。愛があれば三十分なんてどうってことないんだ、きっと」
「ねー」
 お互い顔を見合わせて、ちょっとの間笑う。
 彼女について、気さくな印象は初めてまともに口を聞いた時からずっとある。こんないい子にどうして彼氏がいないのか、不思議でもある。
「そうだ。あの公園に寄ってってもいい?」
 その牧井に尋ねられ、俺は頷きつつ、質問を返してみる。
「いいよ。でも牧井ん家って、こっちの方なのか?」
 俺は家のすぐ近所だからいいけど、牧井はどうなんだろう。そう思っていたら、案の定苦笑いされてしまった。
「ううん、逆方向」
「だったら別んとこにしよ、帰り大変だろ?」
「大丈夫だよ。夏だからほら、日も長いし」
 短い前髪を振って、彼女は続ける。
「それにこの辺りをうろついてたら、美月と飯塚くんに出くわしちゃいそうで。水を差したらいけないでしょう?」
 至って明るく、だけど本気の口調で言われた。
 だから俺は腑に落ちた気分で、表向きは肯定しておいた。
「そうだよな」

 内心では違うことを思った。
 案の定、牧井が急いで帰ってしまう理由は、黒川たちにあったらしい。
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