Tiny garden

いつだって、私を照らしてくれたひと

 久しぶりの教室には、懐かしい顔と見慣れない姿とが入り混じっていた。
 いろんな子がいた。夏休み前とちっとも変わらない子もいれば、すごく日に焼けてひりひり痛そうな子もいた。夏ばてで痩せちゃった子もいたし、太っちゃったと落ち込んでる子もいた。髪を染めた子、眼鏡を掛けた子、ぐっと大人っぽくなった子――いろいろな顔がごちゃ混ぜになった教室は、何だかおもちゃ箱みたいで楽しい。
 クラスの友達が言うには、夏休みっていうのは境目みたいなものなんだって。夏休みに入る前と明けてからでは様変わりしちゃう子がいる。あんまり変わらない子ももちろんいる。夏休み明けの教室は、そういう境目を過ぎてきた子と過ぎてない子、両方がいるんだって聞いた。
 
 ちなみに私は、皆に言わせると『ほんのちょっぴり』変わったらしい。
 すごく変わったというほどではないし、廊下を歩いてきただけで『あ、希』とわかるくらいだったけど、傍で見るとちょっと違う、らしい。
 少し大人っぽくなったんじゃない、と言われてどきっとした。自分では何も変わらないつもりでいたから余計に。だって髪型もあんまり変えてないし、染めたりもしてないし、お化粧だってしてないし、何か変えた覚えもない。強いて言うなら携帯電話を買ってもらったけど、そのくらいじゃ見た目まで変わったりはしないよね。
 だから、皆が私のことを変わったって言うんだったらそれはつまり、――静司くんの影響なんじゃないかって、思った。

 私を大人にしてくれるのは静司くんなんだと思ってる。今までも、これからも。
 夏休みのあの日に、私がもう子どもじゃないことを教えてくれた。いろんなことを教えてくれる。私一人じゃ気付けないこと、出来ないこと、ずっと知らなかったこと。そうして私は大人になっていく。静司くんの手を借りて、静司くんの後を追い駆けて。
 正直、私が本当に変わったのか、変わってしまえたのかどうかはよくわからない。だって、今朝鏡を見た時は、代わり映えしないいつもの私だったもん。でも考えるようになったこととか、思ってることとか、持つようになったものは確実に変わった。だから少しずつでも大人になってるのかもなって思う。
 そして今、一番たくさん考えるようになったのは、やっぱり静司くんのことだ。私は静司くんと大人になるんだ、きっと。

 その静司くんからは、始業式の後にメールがあった。
『今日の帰り、用事ある?』
 私がメールに気付いたのはもう帰り際のことで、メールの受信時刻を見た時、また怒られるかなと思った。でも、用事はなかった。今日はこれから帰るだけ。暇を見つけて返信した。
『ないよ。返事、遅くなってごめんね』
 メールを打つのはもう大分慣れた。静司くんが鍛えてくれたお蔭だ。それでも、静司くんのスピードには全然敵わないんだけど。
 しょうがないか。静司くんの方が大人だもん。
 送ったメールに更に返事が来たのは、帰りのホームルームが終わって、教室から出ようとした時のこと。手の中でぶるっと震えた携帯に、私は思わず立ち止まる。そして画面を覗き込む。
『じゃあ一緒に帰ろう。校門前で待ってるように』
 これには、ちょっとびっくりした。
 一緒に登校したのも初めてだけど、下校するのだってもちろん初めてだ。それも、待ち合わせ場所が校門前だなんて、いいのかな。人目につきそうじゃない? 静司くんはそれでもいいのかな。
 気になって、質問してみた。
『一緒に帰ってくれるの?』
 廊下の端まで行って、メールしてみた。
 今度の返事は早かった。
『何が?』
 何がって、何が?
 ……あ、私の質問の意味がわかんなかったってこと?
『ううん、一緒に帰ってくれるんだなーって思って』
 送信。
 すぐに受信。
『何言ってんのお前』
 静司くんらしい文面だと思った。うん、ものすごく。
 私は一人、苦笑いしながら返事を打つ。
『だって、一緒に帰るの初めてだよね?』
 うれしくない訳じゃないよ。うれしい。
 でも、初めてのことだから。それにずっと、無理だろうなって思ってたことだったから。本当にいいのかなって確かめたくなったんだ。それだけ。
 静司くんのお返事が来た。
『だから?』
 ……乙女心のわからない静司くんめ。
『何でもない。校門前で待ってるね』
 私はそう返した。
 それから、携帯電話を鞄の中へしまおうとして、――またぶるっとした。携帯電話が震えた。
 慌てて画面を見る。静司くんからのメール、受信。
『俺、職員室寄ってくから少し遅れる。外暑いから気を付けろよ』
「わあ」
 知らず知らずのうちに、声が出た。
 静司くんらしからぬメールの文面。って言ったら悪いかな。でも珍しい。静司くんが優しいこと言ってる。何だか口元が緩んできた。へへ。
 やっぱりこれって、彼女だから? 私のこと、彼女にしてくれたからなのかな。彼女には優しくしようって思ってくれたのかな。照れるし慣れないし、どうしよう。困った。
 私も優しくしようっと。
 だって静司くんは私の、彼氏だもん。
 という訳で、私も優しいメールを送り返してみることにした。
『うん、ありがとう。静司くんも気を付けて来てね!』
 送信後、携帯電話はすぐにはしまわなかった。もしかしたら返事が来るかなと思って、待っていた。
 そしたら、本当に来た。
『校内で何を気を付ければいいんだよ』
 ――うん、やっぱり静司くんは静司くんだ。
 優しいけど、好きだけど、乙女心はわかってない。そういうところも含めて、らしいと言えばものすごく、らしい。


 メールの送り合いっこを終えると、私はすぐに校門前へと向かった。
 途中、生徒玄関でクラスの友達に会った。一人でにやにやしてるところを見つけられて、何かいいことあったの? って聞かれてしまった。
 だから、うん、ちょっとね、って答えておいた。
 全然ちょっとじゃないけど、ちょっとね。
 私が静司くんから貰ったうれしい気持ち、幸せな気持ちの中では、ほんの一部。ちょっとしたこと。もっともっとたくさんうれしさ、幸せを貰ってるから、ちょっとってことにしておこう。
 友達は何があったのか聞きたがったけど、今日は秘密って言っておいた。だってまだ、打ち明ける勇気はない。いつかは言うと思うけど――。
 あ、そうだ。静司くんにも聞いておこう。もし、そういう機会があったら友達に話してもいい? って。
 まだ恥ずかしいけど、いつかは言わなきゃ。だって本当のことだもん。私に二つ年上の幼馴染みがいたことも、大好きな彼氏がいることも。
 三年生の先輩が、皆川先輩という人が、実は幼馴染みだったってことも。その人のことがずっと好きで、また一緒にいられるようになったんだってことも言わなきゃいけない。
 話すことが多くて大変。きっと質問攻めにされるだろうから、今から覚悟しておこう。覚悟が出来たら、言おうかなあ。

 お昼過ぎ、お日様の光は強烈だった。まるで突き刺すように照ってきて、校門前から伸びる道路の向こうは、ゆらゆら湯気みたいに揺れていた。
 静司くんの言ったとおり、外は暑かった。八月と何にも変わりない。黙って立ってるだけで汗が出てきて、喉が渇いてしょうがない。だけど何だか気分がよくて、うれしくて、幸せだった。
 空は抜けるように青い。すごくいいお天気。真上で輝いてるお日様は、まるで静司くんみたいだと思った。
 私、静司くんに照らしてもらってるんだ。ずっと前からそうで、これからもそう。そうして大人になっていくんだって、わかった。
PREV← →NEXT 目次
▲top