Tiny garden

認めたくない

 認めたくない。
 認めたくなかったけど、季節は一日で呆気なく移り変わった。カレンダーが夏休みの終わりを告げた。
 久しぶりに袖を通した制服は、まだ白い半袖、夏服なのに、今日からはもう夏じゃない。九月なんだって。嘘ばっかり、外はもうお日様ががんがん照ってて、蝉がじわじわ鳴いてる。朝だって言うのに暑い。これでも夏じゃないなんて、認めたくないな。
 でも、認めない訳にはいかない。私は鞄を手に部屋を出る。

 昨日のお酒がてきめんだったらしくて、お父さんは二日酔いらしかった。あまり朝ご飯を食べなかったみたいだ。顔色もよくなかった。静司くんの言ってた通り、お酒が強くないんだ。
 私はお酒なんか飲まなかったけど、同じように食欲がなくてしょうがなかった。トーストがやけにぱさぱさしていた。ジャムを乗せたって、ちっとも浮かない気分。

 夏休みが終わってしまった。
 私は何とかその時を、なるべく前向きな気持ちで迎えようとしていたし、静司くんも私の為にあれこれと気を配ってくれたようだ。昨日の夜はたくさん話をした。キスもした。でも――。
 夏休みの間はずっと一緒にいられた。二人だけでいられた。二人きりでいる為の方法がたくさんあった。でも、学校が始まるとそうはいかない。なかなか二人にはなれないだろうし、話も夏休みの間よりは出来ないだろうし、キスだって、そんなに出来ない。
 それに何より気懸かりなのは、私と静司くんの関係を、私たち以外の誰も知らないってことだ。誰にも言ってない。少なくとも、お父さんやお母さんに言う気にはなれない。恥ずかしくて。もちろん静司くんのおばさんだってそう。言えっこない。
 じゃあクラスの友達ならどうだろう。言えるかな。まだ言えない気がする。だって静司くんのことをどう紹介していいのかわからないし、そもそもこれまで一度も、静司くんのことを友達に打ち明けたことがなかった。
 子どもの頃から知っている私の幼馴染みは、学校では、いないことになっていた。いるのは三年生で、登下校のルートが全く同じらしい『皆川先輩』だった。当然、その先輩と私を結びつけて話題にする人もほとんどいなかった。
 友達には言えなかった。昔は仲良しだったのに、高校に入ってからは疎遠になっちゃったんだ、なんて。高校では口も利かない先輩が実は幼馴染みなんだって、言えるはずもなかった。それが夏休みが明けた途端、実は幼馴染みで、また仲良くなっちゃいましたなんて、余計に言えない。恥ずかしい。
 誰にも秘密の関係は、二人で会う時間が減ったとしても、ずっと続けていけるんだろうか。
 ただでさえ、昔はすごくすごく仲がよかった私たちでも、一時疎遠になってしまったことがあったのに。あったっていうのに。

 静司くんは、私のことを誰かに話してるのかな。話すのかな。
 おばさんはないだろうと思う、けど、例えばクラスのお友達とか。仲のいい子に、私のことを話したりするのかな。男の子ってあんまりそういう話するイメージないけど、どうなんだろう。
 割と静司くんは照れ屋だし、学校で話しかけられたこともなかったし、言わなさそうだなと思う。男の子の中でも、静司くんは一番そういうイメージない。好きな女の子の話とかしなさそう。
 やっぱり、誰にも秘密になっちゃうのかな。
 だけどそうすると、何だかこの関係がとてもふらふらした、覚束ないもののように思えて仕方がなかった。昨日の晩もずっと一緒にいたくらい、仲良しなのに。仲良しにまたなれたのに。
 不安はいっぱいある。でも、頑張るって決めたんだから、ともかく頑張ろう。静司くんのこと、頑張って追い駆けるようにする。一緒にいられないことには負けない。大丈夫。
 認めない訳にはいかないんだもん。夏休みが終わっちゃったってこと。

 気を引き締めて家を出た、その直後。
 私の不安は、予想外の形で消し飛んでしまった。
 軒先で静司くんが待っていた。朝日の中、斜めの影を作っていた。制服姿であること以外は、ごく普段通りの静司くんがそこにいた。
「あ……」
 私が声を上げると、静司くんは眉を顰める。
「何、びっくりしてんだ」
「え、だって、何してるの?」
 そう尋ねたのは、すごく失礼なことだったみたいだ。機嫌を損ねた顔で静司くんが答える。
「何って、お前を待ってたんだろ」
「ほ、本当っ?」
 びっくりし過ぎて声が跳ねた。
 だって、一緒に学校へ行ったこともない。制服姿の記憶は、いつだって静司くんじゃなくて『皆川先輩』だったから。
「お前、何言ってんの」
 呆れたように静司くんが言う。
「俺、メールしただろ。外で待ってるから、早く来いって」
「そうだっけ……」
「したよ。ちゃんと見ろよ、まだ慣れてないのかよ」
 制服を着ていても、やっぱり静司くんは静司くんだった。この口の悪さ、普段通りだ。私はちょっと拗ねたくなる。
「だって、朝にメールが来るなんて思わなかったもん」
 まして静司くんが、こんなに早くメールをくれるなんて、思わなかった。夏休みが終わってすぐに。私が不安でもやもやし始めてたのを見計らったみたいに。何だかんだでうれしい。
 結局、素直に笑おうとした私に、だけど静司くんは溜息をつく。
「希、お前さ」
「ん?」
「携帯、忘れずに持ってきたよな?」
「……あ、うん、どうだっけ」
 慌てて鞄を探せば、携帯電話は――入ってなかった。そういえば入れた覚えもあるようなないような、やっぱりないような。
「忘れた」
 素直に言った私に、静司くんは溜息と一緒に命じてきた。
「取って来い」
「はあい」
 それで私は一旦、家の中へと引き返した。お父さんとお母さんには不思議そうにされたけど、説明している暇はなくて、早口で行ってきますを言った。

「これからの為に買ったって言うのに、忘れてきてどうすんだよ。馬鹿だろ、お前」
 静司くんは大層ご立腹だった。学校までの道を並んで歩き出しながら、かりかりきりきりと文句を言った。
「お前と連絡を取り合う為に買わせたんだからな。俺が口出ししなかったらそもそも買って貰えなかったんだってことも忘れるなよ」
「わかってるよ」
 私は頷く。でも静司くんのお説教めいた言葉も、今の状況下ではどうでもよかった。
 だって私たち、一緒に学校へ向かってる。
 初めてだった。高校入ってから五ヶ月目にして、初めて静司くんと一緒に登校してる!
「迎えに来てやって本当によかったよな。感謝しろよ、俺に」
 静司くんがそう言うから、私は思わず尋ねていた。
「でも、どうして迎えに来てくれたの?」
 その質問も、静司くんにとってはものすごく失礼だったみたいだ。一瞬足を止めた静司くんは、しかめっつらになって、再び歩き出しながら呻いた。
「どうしてって聞かれるとは思わなかった」
「え、だって。今まで一緒に登校したことなかったでしょ」
「今まではな。今日からは違う」
 きつい口調で言われて、私は首を竦めたくなる。夏休みが終わって、季節が変わっても、私たちの関係は変わらずにいられるのかな。夏休みの間みたいに仲良しでいられる?
「じゃあ、明日も迎えに来るの?」
 私は失礼にならないような質問を探して、口にしてみた。だけど静司くんはむっとした様子で、こっちを睨んできた。
「駄目かよ」
「駄目じゃないけど、毎日一緒に登校するってこと?」
「悪いか」
「悪くないけど、静司くんはいいの?」
 また溜息が聞こえる。がっくり肩を落とした静司くんが言った。
「よくなきゃ迎えに来ないだろ、普通」
「それは、そうかもしれないけど」
「……認めたくないな」
 ぼそっと、その後に続いた。
「俺の彼女が、ここまで馬鹿だなんて認めたくないよな、全く」

 確かに私は、ほんのちょっと馬鹿なのかもしれない。――ちょっとだよ。そんなに馬鹿じゃないもん。
 でも、言われて初めて気付いた。
 そっか。私、静司くんの彼女なんだ。
 ……あれ? でも、一体いつから? いつの間に彼女って呼んで貰えるようになったんだろう。っていうか言われたのも初めてじゃない? もしかして。

「静司くん、私のこと、彼女にしてくれるの?」
 私は本当に疑問に思って聞いたのに、静司くんはこの上なく不機嫌そうな顔になった。今朝はことごとく怒らせてばかりだ。
「お前、何のつもりだったんだよ」
「……うーん」
 そう言われると、ただの幼馴染みじゃないしなあ、と思ってしまう。でも彼女っていうのもいきなりで、くすぐったい。彼女じゃないとしたら何だろう。ぱっとそれらしいものが出てこない。
 やっぱり私、馬鹿なのかな。認めたくないけど。
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