Tiny garden

続きを教えて

「希」
 静司くんが声を潜めて、私の名前を呼ぶ。
「こないだの続き、しようか」
 おでことおでこがくっつきそうな距離。おもちゃ箱みたいな私の部屋は小さいけど、こんなにくっつかなきゃいけないほどじゃない。
 夏の終わり頃のお昼過ぎ。気温はまだまだ下がる気配もなく、こうして顔を寄せ合っていても暑かった。
 なのに静司くんは離れてくれない。
「続き?」
 私は聞き返した。静司くんと同じように声を潜めようとしたけど上手く行かず、かすれたような質問になった。
 目の前、すぐ近くで静司くんが笑う。
「キスの続き」
 そう、言ってきた。

 キスという単語が、私と静司くんの間で当たり前みたいになってた。この夏の間に何度も何度もキスしていた。夏休み前まではそんな気配もなかった私たちなのに、むしろ仲もよくない幼馴染みだったはずなのに、あっという間にこんな関係になってた。そして、そのことがすごく幸せに思える私がいた。
 こないだも海まで行って、ぎゅっとしてもらって、それから――キスもした。当たり前みたいに。
 静司くんのこと、好き。キスだってしたい。たくさんしたい。こうして二人きりで私の部屋にいたら、いつかしてくれるんじゃないかなって思えてしまう。期待している。ひんやり冷たそうな、形のいい唇を見る度に、ちょっとうずうずする。
 でも、キスの続きって言われると。

 どんな風に答えていいのかわからなくて、私は唇を噛む。部屋が暑い。静司くんが私を見る目も、何だか熱い。
 しばらく黙っていたら、静司くんが聞いてきた。
「言ってる意味、わかるか?」
「う……ん、何となく」
「何となくかよ」
 軽く小突かれて、ますます反応に困る。だって、わかってる、なんて言いにくいのに。
「キスの続きって、何をするか。お前、わかってんのか」
 静司くんは笑っている。どことなく、余裕のありそうなそぶりに見える。二つの年の差のせいなんだろうか。
 きっと静司くんはわかってるんだろう。詳しく知ってるのかも知れない。いろいろと。
 私は、何となくしかわからない。――逆に言えば、何となくは知っている。概ね、大体のところは。
 でもそういうのって、友達とだって話したことなかったし、静司くんとだってまだ話せないし、それに……。
 すごく、どきどきする。
 瞬きも出来ないくらい、今、どきどきしてる。
 喉が渇いてきた。ごくりと音がした。
「……ちょっとなら、わかるよ」
 正直に答えたら、静司くんは呆れたみたいだ。
「ちょっと? そんなもんじゃ足りないだろ」
「そう、なの?」
「そうだよ。これからの為に、お前もしっかり知っておかないとな」
 これから。静司くんとはきっと、これからもずっと一緒にいる。小さな頃から一緒だったけど、この先もずうっと一緒なんだ。
 二人でいるうちに、私たちの関係はまだまだ変わっていくのかもしれない。今は幼馴染みって呼ぶのがぴったりな関係だけど、ただの幼馴染みでもないような気がした。そして、これからはもっと違う風になっていくのかも。
 私たち、変わるのかな。変わっちゃうのかな。
 変わりたいような、今のままでいたいような、複雑な気持ちだった。
「教えてやろうか」
 尋ねられた。私はまた、答えに詰まる。
 ゆっくり、言い含めるみたいに続ける静司くん。
「俺が全部、隅から隅までわかるように教えてやろうか?」
「う……」
 教えて欲しい、かなあ。まだそうとは言えない。だって怖いもん。
 今よりもっと心臓がどきどきして、息も出来なくなったりしたら困るもん。
 でも、静司くんは言う。
「希も俺になら教わりたいって思うだろ?」
 それは、うん、そうだった。静司くんじゃないと嫌。静司くんがいい。他の人なんて考えられない。
「うん」
 私は頷いた。その後に、今じゃなくていいんだけど、って付け足そうと思った。
 なのに、
「だよな。じゃあ――」
 静司くんが私の肩を、素早く掴んだ。
 キスされるかと思った唇は、頬を掠めて、私の耳たぶに触れてきた。
 あ、と思って、ぎゅっと目を閉じる。自然と身を竦めたくなる。
「教えてやるよ、続き」
 囁かれた途端にぐらり、頭が揺れた。まもなく背中が床についた。頭はそっと、静司くんの手に支えられながら置かれた。

 心臓が喉を通って、口から飛び出してきそうだった。
 どうしよう。本当に息が出来ない。苦しい。目を開ける勇気がなかった。一面真っ暗な中に影がちらついたような気がした。静司くんの影だ。
 苦しくて怖くてどきどきして堪らなくって、何かにしがみつきたかったけど、近くにいるのは静司くんだけだ。だから手を伸ばした。すぐ傍にあった静司くんの肩に、思わず縋った。

 しばらく、何もなかった。
 反応にものすごく困って、縮こまっている私の耳に、ふと声が聞こえた。
「馬鹿。本気にすんなよ」
「へっ?」
 ぎょっとして目を開けると、至近距離に静司くんの顔が見えた。窓から差し込んでくる陽射しを背にして、意地悪そうに笑っていた。
 目が合うと、いきなり鼻をつままれた。
「痛っ」
 結構容赦ない力だった。何なの。思わず睨みつける。
 静司くんはにやにやしている。
「ほら、キスの続き」
「……何それ」
「キスの次は鼻をつまむんだよ。人工呼吸だってそうだろ?」
「し、知らないっ」
 騙された! どきどきしてた私が馬鹿みたい。すっごく馬鹿みたいじゃない!
 っていうか人工呼吸は鼻をつまむのが先じゃなかったっけ? 学校でそう習ったけど……いやもうこの際どうでもいい。それより。
「静司くんの馬鹿!」
「うわっ」
 私は弾みをつけて、力いっぱい静司くんの肩を突き飛ばした。それで静司くんは勢いよく引っ繰り返ったけど、素早く起き上がってみせる。
「誰が馬鹿だよ。お前が勝手に誤解したんだろ?」
「してないもん!」
「嘘つけ。……キスの続きって、お前、何だと思った?」
 意地悪な質問。絶対答えてやるもんか。
「知らない知らない知らない! 静司くんなんか嫌い!」
 叫ぶと、すかさず静司君は言った。
「それも嘘だよな」
 ……性格悪いんだ、私の幼馴染みって。
 あひるちゃんの方がよっぽど紳士で、素敵で、クールガイなんだけど。でも比べてやるとやきもちを焼くので――静司くんの方が。だから黙っておいてあげてる。

 でも、そんな気配りも静司くんには伝わらないらしい。さっきのはちょっと酷い。本気にしかけた。
 ものすごく腹が立ったので、私はしばらくそっぽを向いていた。
「そう拗ねんなって、希」
 静司くんが私の頭をぽんぽん叩く。そして、
「あんながちがちになられたら、手出すもんも出せないだろ?」
 と言うから、……私ははっとして、静司くんの方を見た。
 とっさに、静司くんも横を向いていた。どんな顔をしているのか、見せてもくれない。でもそういう時の静司くんは、一生懸命本音を隠そうとしているんだって、知ってる。
 室温の高い私の部屋で、私はそっと呼びかけた。
「ね、静司くん」
 すぐに、答えがあった。
「何だよ」
「本当に、キスの続きって、鼻をつまむだけ?」
 恐る恐る尋ねてみる。
 少し黙ってから、ぼそりと静司くんが答えた。
「本当かどうか、そのうち、必ず教えてやるよ」

 そのうちっていつだろう。
 その時が来たら、私は、今みたいにがちがちにならずにいられるかな。
 ――私と静司くんがまだ幼馴染みのうちは、難しいかな。
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