Tiny garden

ふたりは世界を作り出す(4)

 結局、年末年始のお休みはほとんど翔和くんと過ごした。
 一日にはそのまま近所の神社へ初詣に出かけて、一緒に甘酒を飲んだ。
 二日はショッピングモールの初売りに出かけて、混雑する中でお目当ての福袋をどうにかこうにかゲットした。

 そして三日の朝、翔和くんから電話がかかってきた。
『都さん、今日は空いてる?』
「私は空いてるよ」
 特に用事もなかったので、そう答える。
 ただ、今日は彼が暇ではないはずだった。というのも彼のお店は明日、一月四日が仕事始めだからだ。
 三日には一度お店に入って、スタッフと共に翌日に向けた開店準備をすると、私には話してくれていた。
 だから、どういうことかと思っていれば、
『店に来ない? 都さんの髪、そろそろ切りたいから』
 ということらしい。
 そういえば、襟足が伸びていると以前にも言われていた。あの時のやり取りを思い出して、少しどきどきしながら聞き返す。
「私は大丈夫だけど、仕事始めは明日じゃなかった?」
『都さんの髪を切るのは仕事じゃないからね』
 更にどきっとすることを言われた。
「仕事じゃないなら、何?」
『愛情たっぷりのサービス。あと、俺の趣味?』
 前者はわかるし照れつつも嬉しいけど、後者は一体どういうことだろう。
『開店準備で店に入るからさ、その時どうかなって。都さんはどう?』
「じゃあ、お願いしようかな」
 どうせ予定もなかったし、髪も切りたかった。二つ返事で了承すると、翔和くんも電話の向こうで声を弾ませる。
『夕方……そうだな、四時くらいに店に来てよ。開けとくから』
「わかった。夕方四時だね」
『それと去年あげたヘッドスパのチケット、持ってきてくれないかな』
「ああ、あれね」
 私の手作りロールキャベツをごちそうした時、返ってきたお鍋に添えられていたものだ。随分高いお礼をいただいて、驚いたけど嬉しかった。
 せっかく素敵なものを貰ったのだから、次に訪ねる時にでもと思っていた。だけど店長さん直々に持ってきてと言われると、何だかおかしい。
「使ってもいいの?」
『もちろん。サービスするよ』
 翔和くんが、囁くようにそう言った。
 電話越しにもかかわらず、耳に彼の吐息が触れたような気がして、私は密かに息を呑む。
 色っぽい、と男の人に対して言っていいものかわからないけど――翔和くんに対しては、最近よくそう思う。より一層どきどきする。

 約束の午後四時に間に合うように、私は自分の部屋を出た。
 道沿いに建つ家々の扉に注連飾りが目立つ、三が日の最終日。よく晴れていて、空気は冷たく澄んでいた。人通りの少なさと静けさが、お正月の厳かさを引き立ててくれているように感じた。

 やがて住宅街の一角に、白レンガ造りの可愛らしいお店が見えてくる。
 カフェのような佇まいにもかかわらず、扉にはちゃんと注連飾りがかけられているのが面白い。張り紙もしてあって、それによると本年の営業はやはり明日からということらしい。
 だけど私が近づけば、待っていてくれたみたいに内側からドアが開く。
「いらっしゃいませ、都さん」
 そして、アッシュブロンドの翔和くんが顔を出す。
 私を見るなり目を細めた後、ちょっとだけ心配そうに言い添えた。
「ごめん。ちょっと、うるさいのいるけど」
 その言葉が示した通り、店内には翔和くんの他にも人がいた。
 一人は、確実に見覚えがあった。ボルドー系に髪を染めたスマートマッシュの男の人――榊くんだ。酔っ払っていない顔を見るのは初めてで、こうして見ると意外にも真面目そうな顔つきをしている。というより、神妙そうという方が正しいだろうか。
 榊くんの隣に立っている若い女性は初対面だけど、彼女もお店の人だろうと一目でわかる。やや暗めのブラウンの、動きのあるミディアムマッシュ。顔が小さくてすごく華奢な、子猫みたいに可愛い人だった。
「二人ともうちのスタッフ。榊と、近江」
 翔和くんが紹介すると、先に近江さんの方が一歩進み出て、お辞儀をした。
「アシスタントの近江です。店長の彼女さん、はじめまして!」
 どうやら、そういうふうに話が通っているらしい。
 私は照れつつ、お辞儀を返した。
「はじめまして、三島です」
 すると近江さんはにっこりして、
「店長、三島さんが来るからってずっとそわそわしてたんですよ!」
「余計なこと言わない、近江」
 翔和くんが照れ隠しみたいにそれを制する。
 その後で榊くんの方に目を向け、続けた。
「それに、そわそわしてるのは榊の方だろ」
「本当だ! 榊さん、何か様子変ですね」
 朗らかな近江さんとは対照的に、榊くんはずっと目を泳がせている。二人から水を向けられ、居心地悪そうにしながら重い口を開いた。
「あの、都さん。俺のこと、覚えてます……よね?」
 恐る恐るといった調子の問いに、私もどう答えようか迷う。
 迷ったところで、正直に言う以外の選択肢はないわけだけど。
「はい。あの後、大丈夫でした?」
 ぼかして聞き返すと、榊くんはたちまち動揺に顔を引きつらせた。
「も、もちろん大丈夫でした! というかその節はご迷惑おかけしてすみません! マジすみません!」
 ぺこぺこ頭を下げてきたので、こっちが恐縮してしまう。
「いえ、迷惑ってほどじゃなかったですよ」
 びっくりはしたけど。
 本当にすごく酔っ払ってたからなあ、あの晩の榊くんは。私が帰った後、翔和くんはちゃんと寝られたんだろうか。心配にもなった。
「都さん、正直に言っていいんだよ」
 その翔和くんは、いかにも訳知り顔で私に言う。
 そして彼の表情を見て、近江さんは疑惑の目を榊くんに向ける。
「えっ、榊さん、店長の彼女さんに何やらかしたんです?」
「べ、別に何も……」
 榊くんは気まずげだ。そう答えた後で、私に尚もせがんできた。
「いつもの俺はあんなんじゃないんで! 是非忘れてください、お願いします! もう黒野に迷惑かけたりもしませんから!」
 彼は随分とあの夜のことを気にしているみたいだ。当然か。結構、すごかったもんね。
 こちらも必死に頼み込まれれば、さすがに無下にもできない。
「なるべく、頑張りますね」
 忘れるのはかなり難しいけど、気にしないようにはできると思う。実際、いつもの榊くんは『あんなんじゃない』みたいだし、誰でもたまには羽目を外すこともあるだろう、なんて思っておくのが彼の為かもしれない。
「よかった……。もう、今日はそれだけお詫びしたいと思ってて!」
 私が請け負ったからか、榊くんはほっとした様子で冷や汗を拭う。
 すると翔和くんが待ち構えていたように、
「じゃ、二人は帰っていいよ。明日からまたよろしくね」
 スタッフの二人に告げた。
「はい。じゃあ店長、三島さん、お先に失礼します!」
 にっこり笑顔になった近江さんとは対照的に、榊くんは残念そうに翔和くんを見る。
「もう帰んなきゃ駄目かよ。もうちょっと話させろよ」
「駄目。仕事はもう上がりだろ、早く帰って明日に備えること」
 翔和くんはにべもない。店長さんらしくそう言って、榊くんの肩を叩く。
「お詫びしたかったんだろ? 済んだんだからもういいよな」
 それでも榊くんは何か言いたげに口を開きかけたけど、
「いいから帰りますよ榊さん。また彼女さんに迷惑かける気ですか!」
「わっ、何だよ近江! 引っ張んなよ!」
 近江さんに腕を掴まれたかと思うと、有無を言わさず、ずるずる引きずられていく。
 スタッフルームに通じると思しきドアをくぐり、二人とも見えなくなった。
 ――と思いきや、榊くんだけがひょっこり顔だけ出して、言った。
「都さん! 黒野のこと、よろしくお願いします!」
 それはどことなく、真剣なトーンのお願いに聞こえた。
「えっ、は、はい。もちろんです!」
 急な言葉に、私も慌てふためきつつ答える。
 それで満足したのかどうか、榊くんはほっと微笑を浮かべ――次の瞬間、また引っ張られたのだろう。掻き消えるように見えなくなった。
「ほら、榊さん! お邪魔しちゃ駄目ですってば!」
「いててて! 近江、腕抜ける! 手加減しろって!」
 近江さんと榊くんのじゃれあうような声は、ドアが閉じた途端にふっつり聞こえなくなった。

 そして、ドアが閉じるのを見届けた後、
「騒がしくてごめんね」
 翔和くんは苦笑して、私にスタイリングチェアを勧める。
「ううん。楽しそうでいいね、お店」
 私は腰を下ろし、大きな鏡越しに翔和くんを見る。
 このお店に来るのも二ヶ月ぶりだけど、こうして鏡を通して彼を眺めるのもやはり、二ヶ月ぶりだ。
 でもあの時とは何もかもが違っていた。あの時の私は失恋したてで、前の晩に散々泣いていたから腫れぼったい目をしていて、まだ髪が長かった。翔和くんとも出会ったばかりで、彼のことを不思議な人だと思っていた。
 今の私はもう、泣き腫らした目はしていない。人生初めてのショートヘアにもすっかり慣れて、昔からずっとこの髪型にしてきたようにさえ思える。
 そして、翔和くんのことをとても好きになっている。
「榊がさ、酔っ払った時のこと、めちゃくちゃ気にしてて」
 私の髪にブラシを入れながら、翔和くんはどこか楽しげに語った。
「どうしてもお詫びしたいって言うから会わせたんだけど。うるさかっただろ」
「そんなことない。翔和くんの店長さんらしいところも見られて、よかった」
 そう告げたら、鏡の中で彼がはにかむ。
「俺、店でもそんなに変わんないつもりなんだけどな」
「ちょっと違うよ。きりっとしてる」
「あれ。普段の俺はきりっとしてない?」
 途端に心外そうにされてしまった。
 それで私もちょっと慌てて、言い添える。
「もちろん普段も格好いいよ」
「本当に? 都さんはどっちの俺が好き?」
「ど、どっちも好きだよ」
「ありがとう。約束通り、たっぷりサービスするよ」
 彼の手が優しくブラシを動かし、私の髪を梳いていく。自分でするのとはまるで違う手つきが、とても心地いい。
「そうだ。ヘッドスパのチケット、貰っていいかな」
 翔和くんがそう言ったので、私はお財布にしまってあったチケットを彼に渡した。
 それからふと気になって、尋ねてみる。
「ヘッドスパって、このお店ではお値段どのくらいなの?」
「どうして?」
「また頼みたいって思った時の為に、聞いとこうと思って」
 すると、翔和くんは鏡を通して笑いかけてきた。
「言ってくれれば、都さんにはタダでやってあげるよ」
「それはさすがに悪いよ。ちゃんとお金払うから」
「いいって。その代わり、次は店じゃなくて俺の部屋でね」
 そう続けた時の翔和くんの笑みが、どことなく意味ありげに、そして色っぽく見えたのは気のせいだろうか。
 どきっとした私が俯きかけると、彼の手がそっと頭を押さえ、顔を上げさせる。
「駄目だよ。ちゃんと俺を見て」
 翔和くんが私の耳元で、吐息と共に囁いた。
 鏡にも、私の耳に唇を近づける彼が見えて、一層どきどきした。
「先にカットからやるね。髪、軽く流すからシャンプー台へどうぞ」
 にわかに緊張してきた私をよそに、翔和くんがスタイリングチェアを一旦下げて、降りやすいようにくるりと回す。
 たったそれだけのことに、全てを彼に委ねているような気分にさえなった。
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