Tiny garden

とろけるくらいあまく(3)

 藍子と藍子のお父さんは、早々にビールを飲み終えた。
 次は何を飲むのかと見守っていれば、お母さんが水差しやらアイスペールやらを手際よく運んできた。お父さんは俺が持参したウイスキーの包装を解きながら、俺に尋ねてくる。
「いただいたばかりですがこれ、早速やってもいいですかね」
「どうぞどうぞ。その為に買ってきました」
 俺が頷くと、お父さんはいそいそとビンの蓋を開ける。嬉しそうな顔をしているから、こっちまで嬉しくなった。買ってきてよかった。
「石田さんはどうします?」
 と、お父さんの視線が俺のグラスに向けられる。ビールの残りは三分の一を切ったところで、二杯目を検討するタイミングではあった。
「水割りでよければお作りしますよ」
 そう言っていただいたなら遠慮する方が悪い。
「じゃあ、俺も水割りで――」
 答えかけたところに、藍子がぱっと腰を浮かせて、
「あ、待って待ってお父さん。主任の分は私が作るから」
「何で」
 食器棚からタンブラーを三つ、取り出してきたお父さん。娘の発言に不満げな顔をする。
「だってお父さんが作るとお酒一杯入るもん。主任が酔っ払っちゃったら困る」
「それは違うぞ藍子。こういう場ではまず酔っ払わせなきゃ話にならん」
「でも、主任は電車で帰るんだから……」
「帰れなくなるほど酔っ払ったら泊まってってもらえばいいじゃないか」
 あっさりとそんなことを言ってから、お父さんは俺の方を見た。まだ少しだけ、ぎこちなさの残った笑みを浮かべている。
「それに石田さんはお前と一緒で、日頃から飲み慣れてるお仕事なんだろう。水割りの一杯や二杯で酔っ払ったりしない。……ですよね?」
 最後の疑問はもちろん俺に対してのものだ。実際その通りではあるんだが、酒が入ると発言がフリーダムになると評判の俺が、よもや藍子の親御さんの前で醜態を晒すわけにはいかない。藍子が止めてくれてる今のうちから、重々気をつけるに越したことはない。
 が。――酔っ払わなきゃ話にならないって言葉も、また事実ではある。
 藍子のお父さんはとても気さくな人だが、初対面の、それも娘の彼氏に対して素面で気さくに振る舞うのは難しいことに違いない。そしてそれは、俺だって同じだ。もう少しくらい酔っ払ってしまった方が、もっと遠慮もぎこちなさもなく話ができるかもしれない。
 よし。気をつけて酔っ払おう。
「大丈夫です」
 腹を決めた俺が答えると、お父さんはほっとしたように笑み、藍子は若干気遣わしげな表情になる。もちろん彼女の心配もわかるから、繰り返して念を押しておく。
「大丈夫だよ」
「……無理に付き合わなくてもいいですからね」
 まだ気にしている風でありながらも、藍子は不安を一旦引っ込めてみせた。ただ、お父さんに対してはこう言った。
「一杯目は私が作るから」
 過去に『水割りの似合う女』を目指したことがあるという彼女は、作る手際自体はそう悪くなかった。トングで氷を器用に掴み、タンブラーに入れ、そこに開けたてほやほやのウイスキーを注いでいく。ぱきぱきと氷が鳴る。
 ただいかんせん量が少ない。
「藍子、それじゃ足りない。もうちょっと入れなさいもうちょっと」
「えー。だって、入れすぎたら主任が酔っ払っちゃうってば」
「しかしこれはいくらなんでも薄すぎる。お前が作るといつもそうだ」
「じゃあ、どのくらい? このくらい?」
 恐ろしく慎重な手つきでウイスキーのビンを傾ける彼女。それを、首をぐいっと三時の方向に曲げて、確かめようとするお父さん。
「オーライオーライ、心もち、あとちょっと入れてみよー」
「お父さん、車じゃないんだから……もういいよね?」
「はいストーップ。これが黄金比だからね、覚えとくように」
「多くないかなあ。ねえお父さん、主任に無理強いとか絶対しないでね?」
「何だお前は、さっきから主任、主任と石田さんのことばっかりで」
「お父さんこそ何か変なテンションじゃない? はしゃぎすぎだよ、もう」
 仲良く言い合いをする父娘の様子を、お母さんがくすくすとおかしそうに笑いながら見守っている。絵に描いたような一家団欒の空気は、梅雨の夕暮れの薄暗さなんてものともせず、蛍光灯の明かりの下で和やかに流れている。一人暮らしがすっかり染み着いてしまった俺には、どうも眩しいくらいの光景。
 最近の藍子は俺がボケたらいいツッコミをくれるし、からかった時にちょっとむくれたりもしてくれて、俺にも気を許してくれるようになったのかなと思っていたけど、こうして見るとまだまだだ。くだけ方が足りない。お父さん、お母さんにするみたいに甘えてくれたり、怒ってくれたり、呆れてくれたりしてもいいんだけどな。俺も『隆宏さんったら、もう』みたいなこと言われたい。超言われたい。
 でも、
「お待たせしました、主任」
 藍子が尻尾振ってる犬みたいな笑顔で水割り入りタンブラーを持ってきて、手渡してくれて、俺が『ありがとう』って受け取ったら期待に目をきらきらさせながら、
「あの、味を見てもらえますか。ちゃんと黄金比になってるかどうか」
 なんて言い出して。
 それで俺が一口味見して、美味いって言ったら思いっきり唇から頬っぺたから全部綻ばせて、よかったあ、なんて可愛い声で言われたりするのも、これはこれでいいなと思う。
「お父さんと石田さんとじゃ、随分態度が違うんだなあ……」
 拗ねた口調でお父さんがマドラーをぐるぐる回していたが、俺としてはその態度の違いも全く悪い気がしない。可愛い子に特別扱いされるの最高です。お父さんには実に申し訳ないですが。

 結構飲む人なんだろうなと踏んではいたが、藍子のお父さんはなかなかにハイピッチだった。俺の二倍以上のスピードで水割りを空けていくものだから、お母さんが苦笑しながら時々声をかけていた。
「お父さん、羽目を外しすぎないでくださいね」
「お母さんの料理が美味しいからいけないんだ」
 どことなく自慢げにお父さんが応じる。
 そうやって開き直りたくなる気持ちもわかる。確かにお母さんが作ってくれた手料理はどれも美味しくて、特に煮しめが絶品だった。昆布が柔らかくて味も染みてて、里芋もほくほくしてて、いくつ食べても飽きが来ない。煮物なんて外食でもない限り食べる機会がまずないから、ここぞとばかりに堪能しまくった。
「やっぱり男の人は食べっぷりが違いますね」
 お母さんはにっこりしてから、ちらっと藍子の方へ目をやる。
「藍子も結構食べる方だけど、よかったわね。たくさん食べる男の人とお付き合いできて」
「うん。主任が食の細い人だったら、一緒にご飯も食べにくいよね」
 しみじみしている藍子が何だかおかしい。
 彼女は彼女で食べる方も飲む方もいいペースだった。梅酒のサイダー割りを片手に刺身やマリネをぱくついている。つまみの傾向にその甘い酒が合うのかどうかはわからないが、本人が美味しそうで幸せそうにしてるからいいと思う。
「藍子も飲み過ぎないようにしてね。石田さんが来てるのに潰れちゃったりしないように」
「そんな私、潰れたことなんてないもん」
 お母さんの言葉に藍子は強気で答えたが、そこへお父さんが眉を顰めて、
「去年だったか、玄関で寝てたことはあったじゃないか」
「寝てなかったよ! 寝そうになってただけ!」
 恥ずかしそうにかぶりを振って、藍子は俺の表情を窺う。多分俺は物問いたげな顔になってたと思うが、そのせいか彼女は説明を付け足してくれた。
「あの、取引先の飲み会に出た時です。主任が出張中に……」
「……ああ、あれか。やっぱりそれだけ酔ってたんだな」
 当時、俺は出張先から彼女と電話をしていたが、声だけでもわかるくらいの酩酊状態だった。飲み会でも個人的な飲みでも、藍子がそれほど酔っ払ってみせることは過去になかったから、彼女の能天気かつハイテンションな『何杯飲んだかわかりません』報告に、それはもう大変にやきもきした。そっちにいたら迎えに行ってやったのに何でこんな時に限って出張なんだよありえねーって、ビジネスホテルの狭っ苦しい部屋で一人悶々としていた。そういう事情もあって結局俺はいてもたってもいられず、次の日に飛んで帰ったっけ。まあ、彼女恋しさっていうのも割とあったんだけど――どっちかって言うとそれがメインだったんだけど、さておき。
 帰ってすぐに会った彼女は、酷い二日酔いの顔をしてた。それもはっきり覚えてる。
「あんなに酷いことになったのは、後にも先にもあの時だけです」
 急に重々しい口調になって藍子が語る。
 俺としては、酔っ払ってぐでんぐでんで『空も飛べそうです!』なんて訳わからんテンションの藍子も見てみたいがな。酔った女の子というのもいいものです。こと、普段はガードが固くて恥ずかしがり屋さんな子の場合、酒が入った時には素晴らしいはっちゃけぶりを見せてくれたりもするから、どうにかして彼女を一度、酔わせてみたい。
「空きっ腹にお酒なんか入れるから、そういうことになるんだ」
 お父さんは至極もっともなことを言う。
「ちゃんと食べながら飲まないと胃にもよくないぞ、藍子」
「そう言うけど、ちょっと手を出せる状況じゃなかったんだもん」
 藍子の言い分も俺にはわかる。仕事の上での飲み会ってそういうとこがめんどい。
「そもそもすき焼きだよ? 和牛だよ? 外部の人間としては気が引けちゃうじゃない」
「すき焼きだったら尚更食べてこないと損した気分じゃないか」
「損とかの問題じゃないよ。場の空気を読んだら、もうお酒しか飲めなかった」
 力説する藍子は、その後で俺に話を振ってきた。
「主任だって、そういう時は遠慮しちゃいますよね? すき焼き」
 実は結構、すき焼きが食べられなかったことを根に持ってたりするんだろうか。可愛いのう。もうちょい涼しくなったら連れてってやるからな、すき焼き屋。あ、それか俺の部屋で二人鍋ってのもいいな。ロマンだよな。
「取引先相手だったら、さすがに遠慮せざるを得ないよな」
「ですよね!」
「だからそういう時は自分でコンビニとかで何か買って、先に腹に入れとくようにしてる」
 空きっ腹でよその飲み会には行かない。酔いが回って醜態晒すわけにはいかないし、そうでなくてもばくばく食べられるもんじゃないからな。つまみがまるで当たらなくてもいいように、軽くつまんでから行くのがベターだ。
「それはナイスアイディアですね、主任」
 藍子が熱心に頷いている。
「女の子なら少食にも見せかけられるしな。藍子なら特に使いたくなる手だろ」
「はい。次からは是非そうします」
 思うところでもあるのか、やけに食いつきがいい。
「あと霧島がやってるのは、軽くつまんだ後に牛乳飲むやつな」
「牛乳飲むといいことがあるんですか?」
「何か、吸収が鈍くなって悪酔いしなくなるとか言ってた。皆も工夫してんだよ、案外」
「大変なんですね、皆さん」
 溜息をつく藍子が、それでも梅酒サワーをくいっと飲む。
 結局、気を遣わなきゃいけないのは『外』での飲み会だけなんだよな。家で飲むだけなら、あるいは気心の知れた相手とだったらいくらでも酔っ払ったり、ちょっとくらいはっちゃけたりできるのにな。仕事が絡むとそうもいかん、会社の看板背負って出かけてるわけだから。
 と、すると。今日の藍子はいつもより酔っ払ってみせてくれたりするんだろうか。
 ちらっと隣を見下ろしてみる。神妙に考え込む横顔は目尻の辺りまでほんのり赤くて、色っぽい。家族と一緒だという油断からか、あるいは素面でいたくないせいか、順調に酒量を重ねているようだ。
「ところで、さっきから気になってたんだけど……」
 不意に、お母さんが怪訝そうに口を開いた。
「石田さんは藍子のことを名前で呼んでくださってるのに、藍子はずっと『主任』って呼んでるのね。普段からそうなの?」
 びくっと、藍子の肩が跳ねた。向けられたばかりの疑問に答えるより早く、こわごわと俺を見上げてくる。わかりづらい目配せは話を逸らして欲しい合図なんだろうか。だから俺は残機ゼロなんだってば。
 どうしたもんかと視線を彷徨わせれば、藍子のお父さんも不思議そうな表情をして、
「あれ? まだ名前で呼んでなかったのか? 前に練習してただろう」
「お父さん、それは!」
 即座にお母さんが唇の前に指を立てたが一足遅く、藍子は愕然と声を上げた。
「うううう嘘!? 知ってたの!?」
 あーやっぱりばれてたんだな。そりゃそうか。
 どうやらお母さんとしては『知ってた』事実を黙っていたかったらしく、困ったようにお父さんに告げる。
「藍子が恥ずかしがるから、それは黙ってましょうって言ってたでしょう」
「ああ……ごめん。お父さんうっかり忘れてた……」
「ばれてたんだ……うわあ、恥ずかしすぎる……!」
 項垂れる父と娘。やはりうっかりは遺伝性なのか。二人してそっくりなポーズでへこんでる姿は何と言うか、失礼かもしれないが可愛い。『この父にしてこの娘あり』をそのまま具現化したような親子の姿に、俺は何だか微妙に感動してしまった。
 それはそれとしてだ。小坂家の居間が形容しがたい沈黙に包まれてしまったので、やむなく割って入ることにする。
「俺がお願いしたから、藍子さんは名前で呼ぶのを練習してくれたんです」
 小坂家一同が、一斉に俺を注視した。最も強い反応を見せたのは当然のように藍子だ。それ言っちゃうんですか、と言いたげな焦り顔をされた。
 いやさすがに、何で名前で呼んで欲しかったかまでは言えない。言っちゃったらお父さんに殴られても文句言えないだろ。その詳細は俺と藍子だけの秘密にして、お互い胸に秘めたままでいよう。
「最初のうちはプライベートでも『主任』って呼ばれていたんですが、今は、ちゃんと名前で呼んでもらってます」
 俺の告白に、お父さんが瞬きをする。
「藍子さんのそういう、真面目でひたむきなところが、俺は好きです」
 時々使いどころを間違ってはいるが、それでも彼女の真面目さは、下手な言葉よりもずっと信頼できる。ずれてるところも含めて、俺は藍子がこういう子でよかったって思うし、可愛いって思う。そして、好きだ。
 居間の空気が違う意味で静まり返る。その中で、
「た、隆宏さん……」
 ぼそっと、藍子が俺を名前で呼んだ。
 俺は彼女に視線を戻し、若干気まずげに、でも八割くらいは照れ笑いでこっちを見ている彼女の顔を眺めておく。目が合ったので笑ってやったら、藍子も改めて微笑んでくれた。
「……石田さん」
 次に、お父さんが俺を呼んだ。
 しかし視線はこちらになく、テーブルの上、もう何杯目かわからない飲みかけのタンブラーに落ちている。表情は柔らかく、ほんの少し寂しげだった。
「娘を好きになってくださって、ありがとうございます」
 落ち着いた声が続ける。
「うちはご存知のとおり、娘二人ですから……いつかは両方とも嫁にやらなくてはならないとわかってはいましたが、やはりどうしても、寂しくてね」
 密かに背筋を伸ばす俺に気づいたかどうか、溜息をついていた。
「もし藍子が彼氏を連れてくるとなったら、まず一発殴ってやろうと思っていたんです」
「お父さん!?」
 藍子が思いっきりうろたえると、お父さんは安心させるみたいにちょっと笑った。
「いや、思ってただけだよ。お父さんはもう若くないから、そういう荒っぽいことはできない。肩が上がらなくなっちゃうからな」
 もし若かったら、俺は本当に殴られてたんだろうか。
 でもお父さんがそこまで言う心中には、藍子のことがそれほどに大切だから、という気持ちがあるはずだ。俺はまだ彼女と出会って一年ちょいだが、お父さんはもう二十四年間も藍子の傍にいて、慈しんできたし、大切にしてきた。しっかりと培われてきた年季の入った愛情だ。そこに娘を攫っていこうなんて男が現れたら、そりゃあぶん殴りたくもなるだろう。
 裏を返せば、俺はその二十四年分の愛情に負けないくらい彼女を慈しんで、大切にして、愛せるようじゃなきゃいけないんだと思う。――当然、するけどな。
「正直、嫁になんか行かなくてもいいんじゃないかと思うこともありました」
 お父さんは更に続ける。優しい目で、俺たちに語りかける。
「でも……藍子がこっそりと名前を呼ぶ練習をしたり、料理の練習をしたり、お休みの日にあれこれ服を選びながら、うきうきと出かけていく姿を見てるとね。やはり娘の幸せを、どうしても、願いたくなるんです。ただただ娘が傷つくことなく、幸せでいてくれたらいいと」
 そうしてこちらへ、深々と頭を下げてくる。
「これからもどうか、藍子をよろしくお願いいたします」
 今の言葉で俺は、改めて、この人は藍子のお父さんなんだよな、と思う。とても真面目な人だ。そしてひたむきな人だ。
 最初の訪問でそこまで踏み込んだらかえって失礼かと考えてもいたが、ここまで来たらぶっちゃけてしまった方が早い。いい具合に酒も入ってるし、ためらう理由は何もなかった。
「藍子さんは俺が必ず、幸せにします」
 告げてから、俺もお父さんに向かって頭を下げる。
 しばらくしてから目線を戻した時、藍子も、藍子のお母さんも、何やらすごくびっくりした様子でいた。二人のそぶりを見たお父さんはと言えば、急に照れたように少し口元を緩めて、
「た、隆宏くん」
 俺の名前を呼んできた。
「はい」
 すかさず返事をする。お父さんがどことなく、くすぐったそうにする。
「……って、これからは呼んでもいいですか」
「もちろん、どうぞ」
 大歓迎に決まっている。答えを二つ返事で貰って、お父さんはにこにこと水割りを飲んだ。一口飲んでからふと、軽く首を傾げてみせたが。
「お父さんも名前の呼び方、練習した方がいいかな」
「……それ、忘れて欲しいなあ」
 藍子が拗ねたように頬っぺたを膨らませたから、つい吹き出してしまった。いいじゃん、俺はお前のそういうとこが、もうめっちゃくちゃに好きなんだから。

 それからも、四人でいろいろと話をした。
 話題の中心はほとんどが藍子のことで、俺は主に勤務中の彼女の話をして、お父さんとお母さんは家での彼女の様子や、昔の思い出なんかをちょこちょこ語ってくれた。
 食器棚の写真も見せてもらった。――聞いたところ、親戚の結婚式の時の写真らしい。藍子が本当に女子大生だった頃で、妹さんは当時まだ高校生。姉妹はそれほど似ているという感じではなく、妹さんの方がはっきりものを言いそうな印象を受ける。藍子がお父さん似、妹さんはお母さん似のようだ。
「妹の方がしっかり者なんです」
 藍子の言葉を、お父さんもお母さんも否定はしなかった。
「一緒に暮らしてた頃はしょっちゅう怒られてました。お姉ちゃんは暢気で要領が悪いって」
 話す時の藍子の、表情と口調は優しい。妹からすれば優しくて、でもちょっと危なっかしくて放っておけないお姉さんだったんじゃないだろうか。
 と言うか、まだ会ったこともない妹さんに言いたい。お姉さんなんて多少頼りなくても優しい方がいいって。これはマジ。世の中には、しりとりやテレビゲームで弟を完膚なきまでに叩きのめすのが趣味っていう性格のきっつい姉だっているんだぞ。俺だったら藍子みたいなお姉さんの方が絶対いい、どうせならこういうお姉さんに甘えたり甘えられたりしたかった。
「隆宏くんは、ご兄弟は?」
 お父さんに聞かれたので、俺は過ぎる痛々しい思い出たちをそっとしまい直して答える。
「姉が一人います。もう結婚してますが」
「お姉さん、どんな方なんですか?」
 次は藍子に尋ねられた。でもその答えを、こんなほのぼの家族の前で正直に口にするのは若干憚られる。だから違うことを聞き返してみた。
「何だったら今度、会いに来るか? うちの実家近くに住んでるから」
「いいんですか?」
「当たり前だろ。……姪っ子と甥っ子もいるから、ちょっとうるさいかもしれないがな」
 藍子はむしろそっちの方に気を引かれたようで、その後は立て続けに質問された。おいくつなんですか、お名前は、よく一緒に遊んだりするんですか、などなど。上が小学二年、下はまだ幼稚園児だって教えると一層目を輝かせて、会ってみたいと言ってくれた。それをお父さんもお母さんもにこやかに見守ってくれていたから、俺も藍子を実家に連れ帰る計画を立て始める。
 そういえば今年は帰ってなかったから、去年の正月以来帰省してないことになる。いい機会だし一緒に帰っちゃおう。そして可愛い彼女を見せびらかしてこよう。
「隆宏さんのご実家に行くなら、旅行になりますよね。楽しそう!」
 弾む声を上げる彼女は、既に赤らんだ目元をとろんとさせていた。表情も心なしかぼんやりしていて、これは大分酔っ払ったのかな、という感じがした。
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