Tiny garden

意識と無意識(2)

 実際にどんな初夢を見たのかは、三日、お会いしてすぐに聞いてみた。

「それでその、初夢を見る方法、上手くいきましたか?」
「――見たには見た」
 家までわざわざ迎えに来てくれた主任は、助手席に座った私にそう答えた。
 車はすぐに動き出す。サイドミラーに玄関からこちらを伺う両親の顔がちらと見える。そちらに会釈をしてから、主任がハンドルを握り直して、続ける。
「でも若干、不本意な夢だった」
「不本意……ですか?」
 私は運転席の主任に集中しようと思うのに、サイドミラーの中が気になってしょうがない。うちのお父さんとお母さんはまだこっちを見ている。寒いのに、わざわざ外まで出てきて見送ってくれている。気持ちは少しわかるけど、曲がり角を曲がって映らなくなった時は、さすがにほっとした。
 改めて主任の方を見る。横顔が苦虫を噛み潰したようだった。
「一応、小坂は出てきたんだがな。勤務中の夢だった」
「でもそれなら、夢を見る方法、成功したってことですよね?」
 私は思う。そしてすごい、と感嘆する。
 自由に夢を見る方法があるなんてすごい。私も是非試してみたい。仕事のある日、特に面倒な案件やプレゼンの前の晩なんかはいい夢をたっぷり見ておけば、朝の目覚めも気分よく、仕事にも張り切って取り組めそうな気がする。
 わくわくと明日への希望を見いだしかけた私に、
「成功? お前が猫背でパソコン打ってて、途中で慌てて姿勢直す夢でもか」
 と主任。
「そんな夢だったんですか? あの、恥ずかしいです」
 勤務中の夢って言うなら、せめてもう少し――キャリアウーマンっぽくばりばり仕事をこなしているところとか、パソコンに向かっているにしてもきりりと姿勢良くしているところとか、何と言うか現実よりも色をつけて見てもらえたらよかったのに。そんないかにもありのままの姿を夢に出されても。
「だから言ったろ、不本意だって」
「本当ですね……」
「俺だって見るなら、お前に違う意味で恥ずかしがってもらえる奴がよかった。もうちょい色気のある夢な」
 それはそれで無茶な注文のような気がする。色気のある私とばりばり仕事をする私、どちらも別ベクトルで非現実的だ。自分で言うのも何だけど。
 さておき、肝心の疑問はもっと違うところにある。
「せっかくですから教えていただけませんか? 思い通り――ではなくても、ある程度見たい夢を見る方法。やっぱり気になります」
 身を乗り出さんばかりに尋ねれば、主任は横目で一瞬だけ、こちらを見た。
「内緒ったら内緒だ」
「えっ、どうしてなんですか?」
「教えてやったところでお前には無理だ。どうせ無闇に恥ずかしがって出来っこない」
 得意げに言い切る運転席の横顔。
 余計、気になる。
 でも私の恥ずかしがるポイントみたいなものは主任もご存知らしいし、そこまで言い切られたからには追及しないでおくべきなのかな、とも思う。気にはなったけど、きっと私にとって百パーセント恥ずかしいことに違いない。
 そんな恥ずかしいことをしている主任というのも、やっぱり気にはなったけど。
「プレゼントした奴、つけてきたんだな」
 私が口を噤んだ時、別の話題が振られた。
 プレゼントという単語だけですぐに思い当たった。香水の話だ。
「はい、あの、そうなんです! その節はありがとうございました!」
 改めてお礼を言わなくてはと姿勢を正した私。
 全く隠そうとしない笑い声が、隣から聞こえた。
「そこまで力一杯言わなくてもいい。先に貰ったのは俺の方だ」
「いえ、素敵な品をいただけてうれしかったです。すごくいい匂いでした」
 頭を下げた時、まだ嗅ぎ慣れない香水の匂いがした。すっきりと爽やかな匂い。グリーンノートって言うらしい。それほど甘くなく、大人っぽい感じがするのが好きだった。まるで大人のお姉さんになった気分。
 服装も、今日は香水に合わせてみたつもりだ。もちろん行き先がデパートに霧島さんのおうちであることも踏まえて、失礼のないように、だけど畏まり過ぎないようにセーターとロングスカートを選んだ。気分だけならすっかり大人のお姉さんだ。
「気に入ったか」
 その問いには、もちろん即答した。
「はい! とっても気に入りました!」
「良かった。お前に似合うと思ったんだ」
 横顔で笑う主任は、とても見立て上手だと思う。私に似合う香水がわかるなんて、それこそすごい。三十歳になるとそのくらいは出来ちゃうものなんだろうか。私もそういう三十歳になりたい。
「家族にも誉められたんです。香水一つで大人っぽく見えるねって」
 まだ二十三の私が照れながら報告したら、すかさず突っ込まれた。
「大人っぽくったって、小坂はとうに大人だろ」
「そうなんですけど……うちの両親からすると、やっぱりまだまだって感じみたいです。だから香水つけてたらびっくりされてしまいました」
 事実は少し違う。実を言うとうちの両親からは、これでもかってほど冷やかされた。でもそのことを当の主任に言うのも恥ずかしいので、黙っておく。今日の見送りようで、あるいは察しがついているかもしれないけど――。
 ともかく、二十歳を過ぎようと社会人になろうとなかなか大人扱いして貰えない。これがまた思いのほか悩ましい問題だった。冬道の運転だって最近ようやく許可が下りたくらいだ。おばあちゃんなんてまだお年玉をくれようとするし。私自身、胸を張れるほど立派な大人になれた気はしないけど、学生気分だってとっくに抜けてるつもりなのに。
「俺は、大人の扱いしかしないからな」
 ふと、主任が呟きのトーンで言った時、信号で車が一旦停まる。
 私は怪訝な思いで、主任は意外なくらいの真剣さで隣を見ていた。目が合う。新年早々つり目がちの眼差しに射抜かれた。
 すぐに、つられるみたいに心拍数が上がった。息が止まる。
 大人の扱い。
 主任にならされたいような、まだ、されたくないような。
 迷うのも妙な話だ。大人扱いされたいって、つい直前まで思っていたのに。他でもない石田主任に大人の扱いを受けて、どんな悪いことがあるって言うんだろう。
 なのにどうしてか、迷ってしまった。とっさに答えられなかった。
 どぎまぎしている間に、つ、と目を逸らされた。溜息交じりの声がエンジン音越しに聞こえる。
「六日ぶり、なんだよな」
 何が、と言われなくてもおぼろげにわかった。
 去年、先月の二十八日以来。――確かにそうだ。六日ぶり。
「もっとお前を困らせてやろうかと思ったが、後にする」
 主任は意味深長なことを口にした後、フロントガラスの向こうへ笑んだ。
「今は会えただけでうれしくて駄目だ。にやけて話にならん」
 そう言った通り、ものすごくうれしそうな顔をしている。笑いをどうにかして噛み殺そうとして、結局どうにもなっていない横顔。それにもつられてしまいそうになる。私まで、頬っぺたが緩んでくる。
「私もお会い出来てうれしいです。今年もよろしくお願いいたします、主任」
 緩み切った声で告げてみた。
「今年こそ、だ。去年そう言っといただろ」
 主任も実に、迫力のない口調で言った。
「覚えてろよ、小坂。この気分が収まったら散々困らせてやるからな」
 どう受け止めていいのかわからない台詞と口調だったので、場違いと思いつつもえへへと笑い返しておく。
 六日ぶり、か。それ以上に久し振りにお会いしたような気がする。
 やっぱり好きな人に会えるのはうれしい。それが仕事以外の機会だと一層うれしい。
 だから主任も、勤務中じゃない私の夢を見たかったのかな。そんなことを思ってみたら尚のことにやけてきた。困ったものだ。

 以前と同じように、コインパーキングに車を停め、デパートへと向かった。
 以前と同様に手を握られた。
 心臓がばくばく言っているのも前と同じだったけど、今回はちゃんと、心臓の位置にあった。右手にはなかった。だから鷲掴みにされたような感じはしなくて、代わりに溶け出しそうな感覚を味わう。
 どうしよう。足元がふらつくくらい幸せだった。
「大分慣れてきたみたいだな」
 主任は私を見て、半分がっかり、半分ほっとしたそぶりで笑う。
 慣れたのとは違うようにも思うから、私はぼそぼそ答えておく。
「あの、生意気な意見かもしれませんけど、きっと幸せがわかるようになってきたんです、私」
 どきどきはする。呼吸も苦しくなる。一月だって言うのに頬が熱くて、手のひらにそのうち汗を掻き出さないか気になる。だけどその手のひらが幸せだった。繋がっている右手。主任の手はひんやり冷たく、ごつごつしているのに滑らかだ。
「いや、いい意見だ」
 繋いだ手ごと、肩を竦める主任。
「お前さえその気なら、もっと幸せにしてやれるんだがな」
 更にはそんなことまで言われたから、慌ててかぶりを振った。
「十分ですよ。今のままでももったいないくらいです!」
 恐ろしいくらいに出来過ぎのお正月。三が日のうちからこんなにいいことばかりで許されるんだろうか。実は目の前にぽっかり落とし穴があったりしない? そうしたらとっさに繋いだ手を離せるだろうか。
「これで十分なんて言うなよ」
 たしなめるような物言いをした主任が、ぎゅっと力を込めて握ってくる。
 たちまち私は溶けた。頬っぺたから。多分、この上なくにやにやしていたはずだ。

 お昼前の駅前通りはなかなかの人出だった。
 この辺りは休日ともなれば大抵混んでいるものだけど、今日はやはり趣が違う。コート姿の人波に交じって、晴れ着の人をちらちら見かけた。どこからか聴こえてくる音楽は定番の『春の海』、いかにもお正月らしい。
 繋いだ手と幸せと、微かに感じるグリーンノート。まだ慣れた気はしないけど、しみじみ噛み締めることは出来る。
 いい日になりそうだ、と予感している。
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