Tiny garden

幽谷町であった怖い話

 日が落ちるのが次第に早くなってきた、二学期のある日。
 化学同好会のミーティングを終え、皆で下校しようと生徒玄関に差しかかったところで、私は気づいた。
「……あ!」
 思わず声を上げると、皆も一斉に足を止める。
「萩子先輩、どしたの?」
 栄永さんが不思議そうに聞いてきた。
「忘れ物したの思い出しちゃった。取ってこないと」
「また忘れ物かよ、うっかり屋め。化学室か?」
 大地はいつぞやのことを思い出したのか、にやにやしている。
 こっちは恥ずかしくて苦笑するしかなかった。また、です。うっかりしてる。
「ううん、教室にジャージ忘れてきちゃって」
 今日は体育があったから、ジャージを持ち帰って洗濯しなくちゃいけない。ジャージを詰めた補助バッグは確か教室の机にかけたままだ。ぎりぎりだけど気づけてよかった。
「じゃあひとっ走り行って取ってこいよ。待っててやるから」
「そうだね。僕らはここで待ってるから、行っておいで」
 大地と、それに上渡さんも言ってくれて、本当なら『ありがとう』と駆け出すところなんだけど――。

 夕暮れの廊下をちらりと振り返る。
 こんな時間なら校舎に残っている生徒なんて全然いない。当然、耳を澄ましても話し声どころか、足音一つ聞こえてこない。
 窓から差し込む夕日が廊下を赤々と照らしていて、普段ならきれいだと思うその色が、今はちょっと寂しく感じた。

 私は、隣の大地に視線を戻す。
「……ついてきてくれない?」
 恐る恐る尋ねたら、大地は何か察したようだ。そこで意味ありげに目を細めた。
「何だよ萩子、怖いのか?」
 的確な指摘に、私は思わず言葉に詰まる。
「う……だ、だって、遅い時間の学校ってちょっと……」
「お化けがいるかも、とでも思ってんのか?」
 大地はおかしそうにげらげら笑う。
「いるわけねえじゃんお化けとか。大体、高校生にもなって――」
 そしてそう言いかけたところで、不意に笑いを引っ込めた。
 上渡さん、黒川さん、栄永さんの三人が、ものすごく微妙な顔で大地を見つめていた。
「稲多くん、野暮なツッコミかもしれないけどさ」
 そのうち黒川さんが、こめかみを揉み解しながら切り出した。
「君は自分が何者か、まさかと思うけど忘れてやしないよね?」
「……いや、覚えてたけど、お化けって意識はなかった」
 大地も気づいたのか、自分のおでこを押さえて呻く。
「そっか……俺も一応そっちに分類されんのか……」
 私もそんなふうに思ったことはなかった。妖怪とお化けって、同じものなのかな。

 お化けが本当にいるのかどうか、私も知ってるわけじゃない。
 だけど妖怪はいる。本当にいる。少なくとも今、私の目の前に四人いる。
 だからというわけではないけど、私は近頃、お化けの話にも敏感になっていた。例えば幽谷高校内で囁かれるありふれた怪談――音楽室のピアノがどうの、校長室の肖像画がどうのという、どこの学校にもありそうな怖い話さえ、もしかしたらという思いで聞いてしまう。
 またうちの学校はそんなに新しくないしきれいでもないから、蛇口は水漏れしててぴちゃぴちゃ言うし、床がぎしぎし軋むところもあるし、隙間風だって吹いてくる。
 だから日が暮れてから一人で歩くのが怖くなるのもしょうがない。私だけがびびってるってわけじゃないと思う。日中は何とも思わない風景さえ怖くなるのが『逢魔が時』というものだ。
 大地もその辺り、わかってくれたっていいのに。

「お化けと妖怪って違うもんなの?」
 栄永さんが上渡さんに尋ねる。
 すると上渡さんは顎に手を当て、思案しながら答えた。
「難しい問いだな。何をもって『お化け』と定義するのかにもよるが、広義では僕ら妖怪もお化けと呼べるのかもしれない。だが僕らだって、この世に存在する同胞のことを全て把握しているわけではないからな。実在がまだ確認できていない未知の存在というのも、どこかにはいるのかもしれない。それをお化けと呼ぶのなら、僕らはお化けではないことになる」
「話長ーい。つまりどういうこと?」
「……同じだとも、違うとも言い切れないということだ」
 一つだけ、私がわかっている大きな違いがあるとすれば、妖怪の皆さんは話が通じる。
 だって皆、私と同じように幽谷町で暮らしていて、学校に通ったり働いていたり、人間と変わりない生活を送っている。もちろん妖怪にだっていろんな人がいるけれど、ちゃんと話し合うことができるのは人間と同じで、怖くなんてない。
 だけど怪談に出てくるお化けは、話が通じないことが多い。大体、強い恨みや未練があるから出会う人を片っ端から――みたいなのがパターンだ。話は通じそうにないのが怖い。
「た、例えばだけど、幽霊とかっているのかな……」
 私も質問してみたら、上渡さんには気遣わしげな顔をされた。
「それについて自論はあるが、言えば君を怖がらせるかもしれない」
 ということは、いるのかな。上渡さんにはそう思うだけの根拠があるのかもしれない。
 余計怖くなった私を見透かしたか、
「教室に行くんだったな。よければ僕が同行しようか?」
 上渡さんがそう申し出てくれた。
「会長さん、いいの?」
「もちろん。二人で行けば怖くないよ」
「ありがとう! 誰かについてきて欲しいなって思ってたんだ」
 この時間に一人で教室へ戻るのは心細かったから、すごく嬉しい。上渡さんは優しい会長さんだ。
 と思っていたら、
「ちょっと待った! 俺が行く!」
 大地が慌てて割って入ってきたから、びっくりした。
「えっ、大地はついてきたくないんじゃなかったの?」
「行きたくねえって俺が一言か言ったか?」
「そうだけど……」
 確かにはっきり断られてたわけではなかった。あのまま粘ってたら、大地も『しょうがねえな』って顔でついてきてくれたのかもしれない。
「俺でいいだろ」
 大地がむっとしたように言った途端、生徒玄関の外で空が陰ったのがわかった。
 上渡さんが同じように外を確かめた後、複雑そうに大地に目をやる。お天気を気にしているのかもしれない。
 そんな二人を見て、私は困る。
「ど、どうしよっかな……」
 先に言ってくれたのは上渡さんの方だし、かと言って大地を連れてかないと拗ねそうな気がするし、どっちを選んでも申し訳ない気がする。
「じゃあ、三人で――」
 私がそう言いかけた時だった。
「なら俺! 俺も立候補する!」
 今度は黒川さんが挙手をして、大地、上渡さん、それに栄永さんをぎょっとさせていた。
「何で先輩まで……」
「黒川、急に割り込んでくるなよ」
「猫頭の空気読めなさって半端ないよね……」
「うるさいぞ君達! 特に女狐!」
 黒川さんは皆を一喝すると、私に向き直って猫みたいに笑う。
「選択肢は多い方がいいじゃん? でもって俺、迷った時の安牌だと思うよ」
「安牌って、どういう意味?」
「文字通りの意味。さ、選びたまえよ片野さん!」
 そう言われても、二択が三択になったらもっと迷う。
 ついてきてくれるって気持ちは本当にありがたいし、嬉しいんだけど、皆で行くんじゃ駄目かな。
 まごつく私に、今度は栄永さんが肩を叩いてきた。
「ねえ先輩、いっそ女子同士で行かない? この男ども構ってたら収拾つかないよ」
「え、えっと……」
「ほらほら、ぱぱっと一人に決めちゃおうよ。恨みっこなしで!」

 結局、最終的に選択肢が四つになっちゃった。
 どうしよう。誰か一人を選ばなきゃいけない流れみたいだ。



 A:上渡さん。最初に声をかけてくれたから。

 B:黒川さんと一緒なら、賑やかで怖くないかも。

 C:栄永さんの言う通り、女の子同士の方がいいな。

 D:やっぱり、大地に一緒に来てもらおう。
▲top