Tiny garden

幽谷町であった怖い話:大地編

「大地、一緒に来てくれる?」
 迷った末、私は大地にお願いすることにした。
 すると、むっつりしていた大地の顔が一転ぱっと輝いて、
「だよな!」
 ものすごく嬉しそうに声を上げた。
「見てよあの嬉々とした顔。隠せてないじゃん」
「うわあ写真に撮りたい。本人に見せてやりたい」
 栄永さんと黒川さんが筒抜けのひそひそ話をすれば、大地は慌てて振り返る。
「べ、別にいいだろ! ってか最初に声かけられてたの俺だからな! 普通に考えたら俺が誘われんのが当然の流れなんだよ!」
「はいはいわかったから行っといでよもう」
「早くしないと暗くなるよ。そっちの方がいいならともかく」
 一生懸命に弁解したのも二人にあしらわれて、結局何か言いたそうな顔のままで押し黙る。
 何でだろう。私までちょっと恥ずかしい。
「稲多くんが一緒なら安心だな。僕らは先に帰るよ」
 上渡さんはそう言うと、私と大地に向かって穏やかに微笑んだ。
「二人とも、また明日」
「うん。皆も気をつけて帰ってね」
 靴を履き替え、生徒玄関を出ていく三人を見送った後、私と大地は一緒に教室へ向かった。

 階段を上がると、二年の教室前の廊下は一面オレンジ色に染まっていた。
 教室の窓から差し込む西日が照り返して、廊下の床まで眩しく光らせている。歩いているだけでかなり眩しい。
「今日もいいお天気だったね」
 私の言葉に、隣を歩く大地が肩を竦める。
「俺は関係ねえけどな」
「大地のお蔭で晴れたんじゃないの?」
「天気が全部俺のせいってわけじゃねえだろ、多分」
 多分というからには、大地も確証が持てているわけではないみたいだ。
 でも幽谷町の空模様は、いつだって大地の気分とリンクしている。大地がご機嫌な時は雲一つない晴れ空になるし、機嫌を損ねでもしたらあっという間に雲が出てきて暗くなる。
 だから今はいい気分でいるんじゃないかな、と思うんだけど。
「……多少、ほっとしたのはあるけどな」
 無人の教室に入ったところで、大地がふと呟いた。
「ほっとしたって、何が?」
 机の横にかけっ放しだった補助バッグを回収しつつ、私は聞き返してみる。
 大地も私の席まで歩いてきて、夕日に光る机の天板にそっと手を置いた。
「さっきのあれ。お前が俺を選んでくれたから」
 私が視線を上げると、大地も私を見下ろしている。すっかり大人になった顔に繊細そうな表情を浮かべて、気まずげに口を開いた。
「今だから言うけど、すっげえどきどきしてた。会長さんがついてくとか言い出すし、黒川先輩に栄永ちゃんもだろ。お前が俺以外の奴連れてくっつったらどうしようかと思った」
 それから、ぼそぼそと言いにくそうに、
「そうなったら、やっぱ嫌だし……」
 大地のその言葉が、どうしてか胸に痛かった。
 多分、同じように思ったからかもしれない。もしああいう状況になった時、選ぶのが大地で、私は選ばれる側で、だけど大地が私じゃない人と一緒に行くって言ったら、きっと寂しくなったと思う。私じゃないんだって、がっかりしたかもしれない。
 大地もあの時、そんなふうに思ってたんだ。
「私だって、最初に大地を誘ったんだよ」
 どこかむくれたような大地に、私も苦笑して言い返す。
「でも大地、私のこと笑ったじゃない」
「あ、あれは悪かった。けど馬鹿にしたんじゃねえからな」
 大地は少し慌てて、それから机に置いていた大きな手で前髪をかき上げた。
「馬鹿にする以外に笑う理由ってある?」
 思わず私が軽く睨むと、目を逸らしつつ口ごもる。
「あるだろ。……可愛いって、思った時とか」
 聞こえてきたのは思ってもみなかった言葉だ。
 私が息を呑む音が、二人しかいない教室に響いた。
 大地も自分で言って、恥ずかしくなってしまったんだろう。天井を仰いで呻いた。
「何か今の変だよな。違うんだって、別に妙な趣味とかじゃなくてマジで、お前がそういうの怖がってんの普通っぽくていいなって――いや、ますます変だよな。えっと、つまり……」
 何が言いたいのかよくわからない。
 けど、何だか私の方まで、すごく恥ずかしい。
「お前、俺と一緒にいて、結構怖い思いしたり危ない目に遭ったりしてんじゃん。平気で空飛んだりとかさ。ってか妖怪と出くわしてる時点で怖いもんだろ、普通は」
「そういう普通はとっくに通りすぎちゃったよ」
 妖怪のいる日常が、私にとっては当たり前になっていた。
 怖い思いをしたことも、危ない目に遭ったのも事実だけど、だからといって大地と一緒にいないって選択肢はない。ありえない。
 それも結局は、大地がいるから頑張れたということだ。
「でもそんなお前が、いるかどうかもわかんねえもん怖がってんのが何かいいよな、って思って……」
 言いながら大地は、雷獣の毛皮みたいにふわふわの髪をぐしゃぐしゃ掻き混ぜた。
 そして自棄になったみたいに叫ぶ。
「ああもう、『可愛い』以外の言い方がわかんねえよ! そうとしか言いようねえんだって!」
「いいよ無理に言い換えなくても!」
 私も慌てて制止する。
 何て言うか本当に、これ以上言われると恥ずかしくて倒れそうだし!
「けど変だろこんなの……怖がってるお前に頼られて嬉しい、とか」
「そんなことないよ。私も大地に頼られると、嬉しいし」
 そう告げると、言葉が見つからなくて苦しそうだった大地がようやく胸を撫で下ろす。
「あ、そっか……そこはお互い様ってやつかもな」
「うん。私も大地のこと、可愛いって思う時あるしね」
「可愛い、かよ。そこは格好いいって言えよな」
「も、もちろん格好いいとも思ってるよ! 本当だよ!」
 指摘されて、あたふたと言い直す。
 すると大地は照れたのか、曖昧に笑いながら首の後ろあたりをさすっていた。
「あんまり素直に言うなよ、言わせたみたいになるだろ」
 実際言わされたようなものだけど、嘘でもない。だから別にいいと思う。
 でも何か変だ。変な空気だ。夕暮れの教室に二人きりでいる時にこういう会話をするのが気まずくてそわそわする。いや、どきどきする。こういうのって映画とかで見たことある気がする――私も何考えてるんだろう、こんな時に!
「そ……そろそろ、帰る?」
 当初の目的だった補助バッグを抱き締めて、私はおずおず切り出した。
 大地はためらうように視線を泳がせていたけど、やがて笑って、頷いた。
「そうだな。帰るか、萩子」
 
 無人の生徒玄関へ戻った後、私と大地は手早く靴を履き替えて、外へ出る。
 空には燃えるような残照が広がっていて、遠くの空には淡い星の光も見えていた。
 夕暮れの景色はきれいだけど、やっぱり少し寂しい。小さかった頃、遊びの時間の終わりを知らせてくれたのがこの空だったから、だろうか。
 あの頃と同じように、私の隣には大地がいる。
「次は、絶対笑わねえから」
 校門をくぐり、家までの道を辿り始めたところで、大地がぽつりとそう言った。
 私は黙って、隣を歩く大地を見る。
 少し真面目な顔つきになった大地が、私ではなく、道の先を見据えながら続ける。
「だからお前も、迷わず俺を頼れ。他の奴じゃなくて」
 見上げる先にある横顔は、消えゆく夕暮れの光に赤々と染められていた。きれいだった。
 言わされるまでもなく、冗談でもお世辞でもなく本当に、私は大地を格好いいと思っている。こんなふうに、つい見とれてしまうくらいに。
 幼なじみ、なのに。
 小さな頃に仲良しで、また一緒にいるようになった、私の一番最初の友達。
 大地が隣にいてくれると嬉しいはずなのに、どうしてか時々、上手く言葉が出てこなくなることがある。
「……何か、言えよ」
 私が黙っていたからか、大地がぼそっと言ってきた。
「……うん」
 それで私が頷くと、ちょっと恨めしそうな目を向けられた。
「そんだけかよ」
 じゃあ、言い直す。
「また忘れ物したら、ついてきてくれる?」
「ああ。ついてくから、俺に言え」
「約束だよ」
「わかった、約束だ」
 大地が、深く頷き返してくる。
 その真面目な顔が、真剣な眼差しが無性に恥ずかしくて、どうしていいのかわからなくなる。
「ありがとう」
 私は俯いてから、こっそりと言い添えた。
「もし、大地が忘れ物した時は言ってね。私がついてくよ」
 大地は私と違ってしっかりしてるから、忘れ物なんて滅多にしないだろうけど。
 でも絶対ついていく。
 もしも大地が、私を選んでくれたら。
「お前しか選ばねえよ」
 大地が、その手を私の頭の上に置く。
 思わず顔を上げようとしたけど大地が押さえているからできなくて、代わりに視線だけを上げたら、照れた横顔がちらりと見えた。
「そういう意味で言ったんだろ、今の」
「……うん」
 私がもう一度頷くと、大地は私の頭から手を離して、ほっとしたように笑った。
「だよな」
 その笑顔も夕映えで眩しくて、なのに私は、目を逸らせなかった。

 帰り道はどこまでも一緒だ。
 歩いているうちに日が落ちて、もっと暗くなったとしても、大地が一緒だから怖くない。
 だけど言葉が出てこなくなる変な恥ずかしさは残っていて、私達はしばらくの間、黙ったまま歩いた。
 時々盗み見た大地の横顔は、何となく、幸せそうだった。

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