Tiny garden

幽谷町であった怖い話:栄永編

「栄永さん、一緒に行かない?」
 迷ったけど、私は栄永さんにそう尋ねた。
「おっけー。やっぱ男どもには任しとけないよね!」
 栄永さんはにっこり笑った後、大地に向き直る。
「大地先輩もその方が安心でしょ?」
「安心ってか……別にいいけど」
 大地は反論しかけて、やめたようだった。すっきりしない顔をしている。
「女狐め、俺らじゃ安心できないみたいな言い方を」
 黒川さんが不満げにしている。
 でも栄永さんは本物の狐みたいに澄まして答えた。
「萩子先輩が私を選んだんだもん。一番頼れるって思われてるんだよ」
「ないわー。片野さんも絶対そんなこと考えてないわー」
「うっさい猫頭! 負け猫のくせに!」
「負け猫って何だよ変な単語作んな!」
 いつものようにじゃれ合いが始まりそうになったところで、上渡さんが二人の間に割って入る。
「もう遅いんだし、つまらない言い争いはやめよう。負け天女の僕が言うのもなんだが」
「この流れだと俺、普通に負け犬じゃん……」
 大地がこっそりぼやいたけど、雷獣は犬じゃないっていつも言ってるのに。確かに似たところもあるけど。
 ともかく、上渡さんは気にせず続ける。
「片野さんも栄永も、気をつけて行ってくるように」
「気をつけるも何も教室までだし平気でしょ。行こ、萩子先輩!」
 栄永さんは明るく言うと、私を促し、先に生徒玄関から引き返した。
「あっ、じゃあ行ってくるね!」
 私も慌てて、その後を追い駆けた。

 階段を上がって廊下へ出ると、辺りは西日に照らされて、一面眩しいオレンジ色だった。
「ほらね、やっぱ安心してんじゃん」
 栄永さんは私に対し、どこか得意げに胸を張る。
「見てよこの天気。大地先輩、絶対ほっとしてるよね」
「大地が? そうなのかな」
 私はてっきり、ちょっと拗ねるんじゃないかと思ってた。選んで欲しそうだったし。
 でも幽谷町の空には大地の心が表れる。栄永さんの言う通り、今は機嫌がいいんだろう。
「そうに決まってるって。大地先輩、心配性だしさ」
 そこで栄永さんは冷やかすように微笑んだ。
「会長とか黒川先輩選んでたら、嵐になってたかもよ」
 嵐はさすがに大袈裟かなって気もするけど、機嫌は損ねてたと思う。
「大地、結構気難しいからな……」
 私がぼやくと、栄永さんは呆れたように首を竦めた。
「それ、萩子先輩が言っちゃう? 大地先輩は逆に思ってそうだけど」
「逆って、私が気難しいってこと?」
「そうそう。『萩子が何考えてんのかわかんねー』ってね」
「そっか……」
 それは確かにあるかもしれない。
 私と大地はよく、お互いの気持ちがわからなくなる。それは別に重大ないさかいじゃなくて、ちゃんと話をすれば解決する、喧嘩にも満たないようなすれ違いだ。幼なじみとは言え私達は七年も離れていたのだから、何もかもわかりあえるというわけにはいかない。
 でも、わかったらいいのにな、とは思う。
 さっきだって私は大地に来てもらいたかったけど、大地がそれを笑ったことが、ちょっと寂しかったから。

「男心ってわかんないよね。あっちの方がよっぽど『秋の空』だよ」
 栄永さんが苦笑しながら、辿り着いた教室のドアを開ける。
 夕焼けに染まった教室は当然ながら無人で、私が忘れ物の補助バッグを取りに入ると、栄永さんも楽しそうについてきた。
「辰巳さんも、何考えてるかもっとわかったらいいのになあ。いつも思ってる」
 もしかしたら初めて入ったのかもしれない二年の教室を見回しながら、続ける。
「こんなことで、ってくらい小さなことで喜んでくれたり、そうかと思うと変なことで落ち込んだりね。何を気にして何を気にしてないのか、わかんないなって思うことだらけなんだ。もっと通じ合いたいのにね」
 それはものすごく共感できる。
 大地もそうだ。本当にちょっとしたことで喜んだり、怒ったり、拗ねたりして、その度に私は戸惑う。
 せめて大地がどこで喜んで、何で拗ねるか、もっとわかりやすかったらいいのに。
「わかるなあ。私も同じ、大地にいつもそう思ってるよ」
 私は栄永さんの言葉に頷いてから、あれ、変だなと思う。
 同じっていうのもおかしな話だ。私は別に、大地のことをそういうふうに思っているわけではないのに――でも、通ずるところはあるのかもしれない。男心、には違いないし。うん。
 とにかく、私も同じように思っている。
「大地の考えてること、もっとわかればいいのになって思う」
 気を取り直してそう続けると、栄永さんは茜さす窓辺を指差した。
「大地先輩はわかりやすいじゃん。だって、空見ればいいんだもん」
 教室の窓から差し込む夕日は眩しいくらいで、とてもじゃないけど直視できない。思えば今日は一日、とてもいいお天気だった。大地にとってもいい日だったんだろう。
 今頃、大地はどうしているのかな。
 ふと、そんなことを思う。
 生徒玄関で上渡さんや黒川さんと、何か楽しいお喋りでもしているのかもしれない。三人で盛り上がりながら、私達が戻ってくるのを待っているのかもしれない。
「今頃、萩子先輩が戻ってくるのをそわそわしながら待ってるよ」
 栄永さんはそう言うと、自分の席から補助バッグを回収した私の腕に飛びついた。
「ね、ここでぶっちゃけトークのお時間です!」
「えっ、何それ」
「萩子先輩は、大地先輩のことどう思ってるの?」
「ど、どうって何が!?」
 急な問いかけに私は慌てた。
 似たようなことはクラスメイトにもよく聞かれる。私達が付き合っているのかどうかを気にする人は相変わらず多いみたいだった。
 でも、今のは別にそういう質問ではない、はず。
「大地は幼なじみだよ。どうって言われても、そうとしか……」
 私にとっては、とてもとても大切な存在だ。
 幼なじみ。私の、一番最初の友達。
「それだけ?」
 私の腕をぎゅっと掴んだまま、栄永さんはさくらんぼ色の唇を尖らせた。
「うん、それだけだよ」
「そうかなあ……でもさ、もし仮に――仮の話だよ?」
 そして念入りに前置きしてから、
「大地先輩が他の女の子と付き合ったら、萩子先輩は嫌じゃない?」
 と尋ねてきた。
 仮定の話として想像してみようとしても、何だか難しい想像だった。そういえば聞いたことないけど、大地は誰かと付き合ったことあるんだろうか。そういう話は全然しないから、余計にイメージが湧かない。
「大地が誰かと付き合うって、あんまり想像つかないよ」
 だから正直に答えた。
「けど大地先輩、もてるじゃん。彼女作ろうとしたら簡単にできちゃうよ」
「うん、そうだろうけど。どうしても思い浮かばないんだ」
 大地が誰か、知らない女の子と一緒にいるところを想像してみようとする。でもいくら考えてみても何だかしっくりこない。大地の隣には私がいるのが当たり前になっていて、自分で作ったイメージに『どうして私じゃないんだろう』って思ってしまうくらいだった。
「萩子先輩、それってさあ……」
 栄永さんは何か言おうとしたけど、難しい顔をして言葉を止めてしまった。
「……ま、いいか。ここまで来たら時間の問題だよね」
 細い肩をひょいと竦め、私の腕を改めて引っ張る。
「じゃ、戻ろ。大地先輩が待ってると思うから!」
「う、うん」
 こんな話をした後で大地の顔を見るのもちょっと気まずいけど。
 気まずいっていうのも変かな。何でだろう。

 生徒玄関には、男子三人がそのまま待っていた。
「忘れ物は見つかったかな、片野さん」
 いつものように、穏やかに笑っている上渡さんと、
「栄永、片野さんに迷惑かけなかっただろうな?」
 どこか心配そうに栄永さんを出迎える黒川さん。
 そして、腕組みをしたまま黙って私を見ている大地。
「迷惑どころか、超楽しくガールズトークしてきたよ!」
 栄永さんは元気よく答えると私の手を離し、代わりに上渡さんと黒川さんの腕を取る。
「さ、先輩がた帰るよ。もう超スピードで帰るからね!」
「何を急いでいるんだ、栄永」
「ってか手離せよ、靴履き替えらんないだろ!」
「可愛い女の子に腕取られて文句言うとか贅沢すぎない?」
「文句ではなく、説明を求めているんだ」
「だから引っ張んなってって女狐! 落ち着け!」
 上渡さんと黒川さんが抗議の声を上げるのも構わず、栄永さんはぐいぐいと二人を引っ張る。その勢いに押されるように先輩二人は靴を履き替え――あ、しまった。置いてかれちゃう。
「萩子も、もたもたすんなよ。置いてかれるぞ」
 私が動くより早く、大地がそう促してきた。
 そこで私達も靴箱へ向かい、上履きから外靴へと履き替えることにした。
 同じクラスの私と大地は、靴箱の位置もすぐ近くだ。肩を並べて上履きをしまうと、何となく目が合う。焦って目を逸らすと、大地が不服そうな声を上げた。
「何だよ」
「な、何でもないよ……」
 教室で栄永さんと、大地のことを話した後だ。
 やっぱり気まずいような、恥ずかしいような、変な気分だった。
「忘れ物多いよな、お前。気をつけろよ」
 靴箱の蓋を閉めた後、大地は溜息をつく。
 全くだ。私が黙って頷くと、今度は少しだけ笑ってみせたようだ。
「忘れたら忘れたで、次は俺が付き合ってやるけどな」
 思わず顔を上げたら、大地は随分と柔らかい表情をしていた。どこか懐かしんでいるように私を見ている。
 すっかり大人になってしまったその顔は、確かに格好いいし、もてるのもわかる。これまで彼女がいたって話は聞いたことがなかったけど、本当はどうだったんだろう。
 それを聞いたところで、想像できないって気持ちに変わりはないけど。
「じゃあ次は、お願いするね」
 私がそう答えると、
「任せろ」
 大地が、今度はとびきりの笑顔になった。
「待ってる間さ。お前と離れてんの、微妙だなって思ったんだよ」
 二人で生徒玄関を出る。
 栄永さん達は一足先に校門へと向かっていて、その後ろ姿が夕暮れの景色に滲んだ。
「やっぱお前の隣は俺じゃないとな、って」
 言った後で大地は自分で照れたようだ。雷獣の毛皮みたいなふわふわの髪をかき上げながら、呟いた。
「そういうわけだから、次は俺を連れてけよ」
「うん」
 私は、短く答えるのがやっとだった。
 大地と同じように思っていることに――隣にいるのは私がいいって思っていたことに、なぜか無性にどきどきしていた。

 もしかしたら、大地もそうなのかもしれない。
 私の隣にいるのは自分で、他の人がいることなんて想像できない。そう思っているのかもしれない。
 それは、もちろん、幼なじみだからだ。
 お互いに大切な、一番最初の友達。
 だけど――。

『萩子先輩は、大地先輩のことどう思ってるの?』
 その質問に上手く答えをまとめられなくなってきた私がいる。
 私は大地を、どう思っているんだろう。
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