白い羽(6)
今日の鷲津は、黒のボクサーブリーフだった。今まで見せてもらったトランクスよりも柔らかく、ぴたりと肌に沿う素材のボクサーブリーフは、そのおかげで形がくっきり浮かび上がってわかる。でもそれ以上に、『鷲津らしくない』と思ってしまった。鷲津のことを胸を張って語れるほど知り尽くしているわけではないけど。
「遠慮なくじろじろ見るよな」
視線を感じてか、鷲津が呆れたような声を上げる。
「いつもと違うなと思って」
「何がだよ」
「パンツ」
「はあ? 悪いかよ」
私の指摘に彼の声が裏返った。ちらっと見上げれば鷲津は眉をひそめていて、目が合ったとたんに逸らされた。
「悪くないけど、気になっただけ」
「俺が何はいてたって問題ないだろ」
「そうだね、どうせ脱ぐんだし」
「デリカシーゼロだなお前」
言いながら、鷲津が顔を寄せてくる。
キスされるのかと思いきや、唇が触れたのは私の鎖骨のあたりだった。熱い舌が骨の形をなぞる。くすぐったい。
私の目の前には、身をかがめた鷲津の頭があった。髪からシャンプーの香りがする。私が使っているものとは明らかに違う、たぶん男の人用のシャンプーだ。初めて嗅ぐけど好きな香りだった。
「いい匂い」
思わずつぶやけば、胸を舐めようとしていた鷲津が目をしばたたかせる。
「匂い?」
「うん、鷲津の髪が」
「ああ……」
曖昧に応じた鷲津は、一拍置いてから溜息をついた。
「風呂入ったから、お前が来る前に」
今までだって鷲津の身体を汚いと思ったことなんてないし、実際汚れていたこともなかったけど、その言葉はちょっと予想外で私を驚かせた。
言われてみれば髪だけじゃなく、身体からもほのかに石鹸の匂いがするようだった。
「ふうん、私が来るからってこと?」
期待を込めて尋ねたら、鷲津は黙って私の胸を優しく揉んだ。私の身体はびくりと反応し、そのごまかし方には笑ってしまう。
「あっ……もう、教えてくれたっていいじゃない」
「お前だって風呂入ってきてるだろ」
「そうだけど、朝からって珍しくない?」
「だから、お互い様だろって」
そう言って鷲津が唇を重ねてくる。黙らせるためのキスだったんだろうけど、ゆっくりと舌を絡めあえば確かに何も言えなくなった。
やっぱり今日の鷲津は少し違う。
下着の趣味が変わったことも、朝のうちにお風呂に入って私を待っていたことも。
いつもとは違う下着をわざわざ買いに行ったんだろうか。もしかしたらシャンプーもそうかもしれない、嗅いだことのない匂いだったから。どれも、私のために?
そういう変化は彼がさっき見せた不思議な優しさとも関わりがあるのだろうか――だとしたら、なんだか無性にうれしい。
黙っているとお尻が冷たかったから、私は机に座っているのをいいことに足で彼の下着を下ろそうとした。
「こら、何をする」
鷲津が手で制そうとしても無駄だった。私の器用な爪先はあっさりと新品らしいボクサーブリーフをずり下ろしてしまい、中から露出したものに手を伸ばす。
「私も触りたい」
許可をもらう前に握ってみた。もうすでに張りつめていて、骨が入っているみたいに硬い。そんなに力を込めて握ったつもりはなかったけど、鷲津が深い息をつく。
「あ……お前、いいけど優しくしろよ」
「うん。気持ちいいやり方教えて」
ネットで調べたから見様見真似ではできる。でも気持ちよさには個人差もあるだろうし、私は凡百な男の人たちの性感帯よりも、たったひとり、鷲津の喜ぶやり方を知りたかった。
「くそ、これ恥ずかしいな……」
そう言いながら、鷲津が私の手に自分の手を重ねる。
さっき初めて手を繋いでもらったばかりだった。今はふたりで手を重ねあって、まるで共同作業みたいにゆっくりと上下させている。私より体温の高い鷲津の手が、優しく私を導いてくれていた。
「こうやって、あんまり力入れずにしごく感じ。……は、あ……そう、そういうふうに……」
快感からか、説明の途中で鷲津が目を閉じる。それでもどうにか声はこらえて、机の上の私を上目遣いに見る。
「やり方知ってるだろお前、すごく上手い……」
「ネットで見ただけだよ、するのはもちろん初めて」
次第に先端に露が滲んできて、手のひらがぬるぬるしてくる。鷲津はそのあたりで私から手を離し、私は指先を露で濡らしてから先端を親指でくすぐった。
「あっ、やばい、うわ……それほんとにやばい……」
鷲津がいよいよ目をつむり、代わりに唇が薄く開いた。普段より血色のいい唇から、はあ、はあと抑え込んだ吐息が漏れる。その熱が私の胸をなぶるように撫でていき、こちらの興奮も高まるのがわかった。
鷲津が気持ちよさそうにしている時の、この顔が好きだ。ただ弱っているのとは違う、酷い目に遭わされているのとも違う、必死の抗いと流されたい欲求とがせめぎあっている顔。普段の繊細さは影をひそめ、ぞくぞくするような男らしさを感じてしまう。
「お前ばっかりずるい」
そう言って、鷲津の手が唯一身に着けている私の下着に伸びる。
脱がせるのかと思ったらそうではなく、下着の上からそっと指を這わせてきた。
「あっ、あ」
一瞬、手が止まりそうになるような快感が走る。
机の上に座る私はすでに脚を開かされていて、両膝を立てるとその間が無防備になる。鷲津の指をそのまま受け入れている。指先でつついたり、撫でたりする優しい動きがもどかしい。
「もっと……」
ねだる声が自分のものじゃないみたいに響いた。
直に触ってほしくなった。もっと強く、激しくしてほしかった。
「してほしいなら、っ、いったん手ぇ止めろ……!」
鷲津が苦しそうに言った。この間も私が手の動きを止めていなかったからだろう。
「もう出ちゃいそう?」
私が聞き返すと、鷲津は両手で私の手を覆うように掴んだ。それが答えだったのかどうか、耳まで赤くした鷲津が潤んだ目を向けてくる。
「い、いったん休憩……」
そういうことならと私は攻守交代を受け入れた。
荒い息の鷲津が私の下着をずらし、隙間からねじ込むように指を入れてくる。違和感は以前よりぐっと少なくなっていて、快感は回を重ねるごとに高まっている。何度も見た鷲津の指を脳裏に思い浮かべながら、それが与えてくれる気持ちよさに夢中になった。
「あっ、ああっ、すごくいい……っ」
指を抜き差しされると頭の奥がしびれて、うまくしゃべることさえできなくなる。濡れた音が鷲津の部屋に響いているのがわかる。机を汚していないか、そんな心配さえこの快楽の前には吹き飛んでしまう。
「お前、腰動いてる」
鷲津がそうやってうれしそうに笑うから、私も休憩はあっさりやめて、また鷲津への愛撫を開始する。片手で握って、さっきみたいに上下させながら先端を指の腹でもてあそぶ。
「は……はっ、黙ってないよな、お前」
また鷲津が笑う。
たまらない様子で目を閉じながらも、息を弾ませながらも、私に弄られながらも笑っている。すぐに余裕もなくなって上ずる声を立て始めても、悔しそうじゃない。本当に気持ちよさそうにしながら、私も気持ちよくしようとしてくれる。
そういう彼の変化が、実は一番気持ちよかった。
机の上でしようと言われたから、私はそれに従った。
「でも、いいの? 勉強するたびに思い出しちゃわない?」
今日は自分でゴムをつけた鷲津に尋ねると、彼は気まずげに口を尖らせた。
「悪いかよ」
「悪くないけど、ひとりの時に思い出したら困らない?」
「別に困らない」
ぶすっと答えた鷲津が、私の脚を再び開かせる。
机の高さはまるで計ったようにぴったりで、鷲津は屈むこともなく私の腰を引き寄せた。向かい合わせで繋がろうとする姿勢はどんなふうになっているのかがよく見える。薄いゴムをかぶせた先端が埋まっていくのを、私は熱に浮かされた気分で見入っていた。
同時に押し広げられる感覚、侵入される快感がじわじわと込み上げてくる。
「あ……すごいね、入ってくの見える……」
「うれしそうに言うなよ」
「うれしくない? 繋がってるのわかるんだもん」
今までは見えなかった。私が寝そべって上から挿れられる時も、四つん這いになって後ろから挿れられる時も、どんなふうになっているのかまるでわからなかった。それが怖いとも寂しいとも思わなかったけど、改めて見てみるといい眺めだ。
私の身体はちゃんと鷲津を受け入れられるようにできているんだ、と思う。
「興奮するならわかるけど……っ」
言いながら、鷲津が腰を押しつけてくる。
奥まで当たる感覚に背筋が震え、私は鷲津の首にしがみつく。鷲津は振りほどきもせず、嫌がりもせず、黙って私の背に手を回した。そして挿れる時と同じようにゆっくりと抜いていく。
「あ……やだ、抜かないで……!」
今までよりもずっと、抜かれた時の物足りなさが強かった。物足りないなんて生ぬるい、飢餓感にも似た疼きが私に悲鳴を上げさせる。
「こんな時だけ……っく、しおらしい声出しやがって……!」
鷲津がうめきながら、それでもやっぱり笑っている。
それほど気持ちいいんだろうか、それとも別の理由か――そんなことを考えかけても、思いきり深く突かれた瞬間に消し飛んでしまう。
「はあっ、あっ、鷲津っ、鷲津」
私は彼の名前を呼ぶ。
好き、気持ちいい、傍にいてほしい、大好き、彼のためならどんなことだってできる、このまま続けてほしい、ずっと繋がってたい。
そんな想いを全部口にしている余裕はなくて、その代わりに名前を呼ぶ。
「久我原、く……がはらっ」
鷲津はどうして私の名前を呼ぶんだろう。
きれいな顔をゆがませて、額に汗を浮かべて、普段こんなに息を乱すほど運動もしてなさそうな華奢な身体を力の限り動かして。ひどく苦しそうなのにそれでも止められないのに、さらに何か言う余裕なんてないはずなのに。
今の顔が見たい。そう思って額をくっつけてみた。
腰を動かすのに夢中の鷲津が、汗に濡れた前髪越しに私を見返す。至近距離でぶつかる視線は熱っぽく、とろんとしている。熱い吐息が混ざりあい、胸の間に溶けていくのが心地いい。
その心地よさが、込み上げる快感に拍車をかける。奥を突かれるたびに背筋を駆けあがるぞくぞくが身体中に響いて、どんどん張りつめていくのがわかった。それがどんな感覚か、頭では理解できる。でも味わったことがなくて、未知の恐怖以上に期待があって――。
「あっ、やだ、あ、ああっ、――……っ!」
鷲津にしがみついて、それでも身体の反応は止められずにのけぞった私を、鷲津はしっかりと抱き留めてくれた。骨ばった背中が痙攣していたから、彼もそうせざるを得なかったのかもしれない。
それでも、うれしかった。
ふたりでしっかりと抱きあって、乱れ切った呼吸が収まるまでじっとしていた。
どちらのものかもわからないような心臓の音が、しばらくの間どきどきとうるさく鳴っていた。