Tiny garden

不思議なご縁を感じた日

 今日の弁当はいい感じにできた。
 メインは以前作りそびれた鮭のムニエル、こんがりいい具合に焼けている。おかずはニンジンのきんぴらとアスパラの胡麻和え、それとスクランブルエッグを添えた。
 色合いもバランスも及第点の弁当は、昼飯時に蓋を開ける時しみじみ幸せを感じる。もちろん食べる時だって。

「いいなあ、非の打ちどころのないお弁当!」
 清水が笑顔で褒めてくれるのが、ちょっと照れるものの誇らしい。
「ありがとう。今日は理想通りの弁当が作れたよ」
「私は寝坊しちゃって、今日はこれ」
 続いて彼女が自分の弁当を開ける。大型犬の模様が描かれた弁当箱の中身は、どうやら二色丼のようだ。前に教えたツナそぼろと炒り卵がご飯の上に敷き詰められていた。
「清水も寝坊することあるのか」
 からかい半分で尋ねたら、拗ねまじりの笑顔が返ってきた。
「昨夜、ちょっと飲んじゃって。気持ちよくなって、帰ってそのまま寝ちゃったんだ」
 寝坊なんてみんな似たような理由のようだ。正直、清水にはあまり酒を飲むイメージがなかったが、誰かに誘われて飲みに行ったのかもしれない。
「一応、がんばりはしたんだよ」
 二色丼を指差して、清水が肩を竦める。
「この間の播上みたいに、寝坊してもぱぱっとできるお弁当は作って持っていこうと思って。でもお風呂とメイクで時間取られて、どうにかできたのがこんなもん」
 こんなもんとは言うが、ツナそぼろはほろほろに仕上がっていて美味しそうだったし、炒り卵も黄色がきれいに保たれている。十分いい出来映えに思う。
「よくできてるじゃないか」
 お世辞でもなく俺は言ったが、清水は不満げにしている。
「播上はこれにホウレンソウも添えてたじゃない」
「あの時か。たまたま冷凍してたのがあったからだよ」
「それ抜きにしてもお野菜なしとか、バランス悪くない?」
 三色丼を理想とすれば、緑のない『二色丼』は確かに物足りなく思えるかもしれない。それに弁当に野菜がないと気になるという人がいるのも事実で、実際俺もその一人だ。
 もちろん人様の弁当に対してそれを指摘するつもりはないが、清水もそういうのを気にするタイプなのは知っていた。俺と競うみたいに毎日弁当を作ってくる彼女が、栄養バランスについて妥協するはずもない。
「今日のお弁当、もっといいもの作る予定だったのになあ。悔しいな」
 清水は大げさに頭を抱えながら嘆く。
 まるでいつぞやの俺を見ているようだ。
「その気持ち、わかるよ」
「私も作り置きとかもうちょいやっておこうかな。今朝も慌てちゃって散々だったし、やっぱり野菜のないお弁当なんて……寝坊しなきゃいい話なんだけどね」
 自嘲気味に苦笑する彼女を、どう励まそうか迷った。

 何か言葉を掛けてやりたい。
 そう思ったが、こういう時に気の利いたことが出てくる性分ではなかった。
 それに『十分上手くできてる、美味しそうだ』と言ったところで意外に頑固な清水は納得しそうにない。彼女はおかずに野菜がないのを気にしているのだ。そこをフォローできるようなことを言わなくては。
 なんかもう少し筋の通ったことを言わないと。
 そこまで考えた時、ふと子供の頃のことを思い出した。

「――でも、海のものと山のものが入ってるじゃないか」
 俺が告げた言葉に対し、清水はゆっくりと瞬きをする。
「……え?」
 突拍子もない言い方で驚かせてしまっただろうか。慌てて説明を添えた。
「昔、本で読んだんだ。弁当のおかずに海のものと山のもの、両方が入ってたら大丈夫。入ってなかったら足りない方を鍋から出して盛りつけてくれる学校の話。野菜とか魚とか栄養素とかじゃなくて、海のものと山のものって判断基準が斬新だなって思って覚えてた」
 ずっと子供の頃に読んだ本だ。
 と言っても、自分で選んで買った本じゃない。夜に家を空けがちな両親が、留守番をする俺に退屈しないようにと買いそろえてくれた本の一つだった。特別読書家というわけでもなかった俺はあまり気乗りしないままだらだら読んでいたけど、そのうちの一冊はなんとなく最後まで読めてしまったし、その弁当のくだりは今でもしっかり覚えている。
 たぶん、書かれていたのが子供でもわかりやすい平易な文章だったからだ。あとは俺と歳の近い、子供の目線のお話だったから、でもあるだろう。
「ツナそぼろと炒り卵で海も山も入ってるし、それでいいって言ってくれる学校があるんだ。そう思えば気が楽にならないか?」
 俺がそこまで話すと、清水は急に瞳を輝かせた。
 そして嬉しそうな笑顔になって口を開く。
「それって、『窓ぎわのトットちゃん』じゃない?」
 まさにその通りのタイトルを告げられ、今度は俺が驚く番だった。
「知ってたのか」
「お母さんが好きで本が家にあったんだ。もちろん私も読んだよ」
「一緒だ。うちも母さんが好きで、俺に勧めてくれた」
 母さんがその本を俺に勧めてくれた理由はわからないが、俺が一番覚えているのはその『海のものと山のもの』のくだりだ。
 昔から本を読めば食べ物のことばかり印象に残っていて、宮沢賢治全集を読んだ時は『雪渡り』のきびだんごの味が気になっていたし、『十五少年漂流記』を読んだ時は物語そっちのけでウミガメの味を想像してみたりした。当然、上手い読書感想文が書ける質ではなかった。
 清水は、どうだったんだろう。
「うちのお母さんって普段は難しい本ばかり読んでたんだけど、その本だけは私にも読めるからって貸してくれたんだ。そしたら本当にすらすら読めたの」
 弁当のことを嘆いていた時とは打って変わって、清水は朗らかに語る。
「だから私も知ってるし、『海のものと山のもの』のとこは一番よく覚えてたな」
「俺もだよ。出てくる煮物が美味そうなんだよな」
「そうそう! それに今思うと、すごく気を楽にしてくれる考え方だよね」
 俺の相槌にも弾ける笑みを見せた彼女は、そのままの明るさで続けた。
「播上もそう思ってくれてるなら、なんか救われるなあ」
「え? なんで?」
「だって播上っていつも完璧にお弁当作ってくるじゃない。今日みたいに私が手を抜いたり、この間みたいに食費ないからオムライスだけとか、内心呆れられてるんじゃないかって心配してて」
 そんなことはない。
 むしろ清水だって、毎日弁当作ってきててすごいなと思っていた。
「俺だって別に完璧ではないだろ。寝坊もしたし、ラーメン欲に負けたりするし」
「ラーメンはむしろがんばってたじゃない」
 彼女がくすくす笑う。
 すっかり元気になったその顔に、無性にほっとする俺がいる。
「呆れたりするはずがない。完璧を目指すのも悪いことじゃないけど、弁当作りも楽しいのが一番だよ。寝坊しても、時間がなくて予定が狂っても、海のものと山のものがあればとりあえずよし、ってことでいいんじゃないか?」
 なんだってそうだ。がんばりすぎると続かない。
 楽しみながら続けていくのが一番いいことだ。
「そっか、そうだね」
 清水も納得した様子で、それから改めて今日の自分の弁当を見下ろした。美味しそうな二色丼に対し、しっかりと手を合わせる。
「ちゃんと海のものと山のものが入ってるから合格! よし、いただきまーす!」
 俺も、自分の弁当をもう一度眺めた。
 くしくも今日のおかずは鮭のムニエル、そしておかずの野菜は山のもの。もちろん俺も合格だ。味わって食べることにした。

 それにしても、食べながら思う。
 俺と清水は子供の頃に同じ本を読んでいた。そして同じくだりが印象に残っていたというから、なんだか不思議だ。
 それだけお互い、子供の頃から食いしん坊だったということだろうか。
 同じ本を読むことはあるだろう。あの本はベストセラーだしそれだけ多くの人の手に渡った。うちの母親と清水のお母さんが持っていたのも全く不思議なことではないし、それを我が子に読ませたのも自然なことだろう。だが読んだ上で印象深く思った箇所まで被るというなら、面白い偶然もあったものだ。

「でもさ、すごくない?」
 考え事をする俺の横で、清水がしみじみと呟く。
「私と播上、子供の頃に同じ本読んで、同じところを一番覚えてたんだよ」
 ちょうど彼女も似たようなことを思っていたようだ。俺は笑った。
「確かにな。お互い、関心持つのは食べ物の話ばかりだったのか」
「食いしん坊だったんだね、私も播上も」
「否定はしないよ」
 もっともらしく頷けば、彼女もころころ笑ってみせる。
「なんかそういうの、ご縁だなって思うよね」
「……ご縁?」
「そう。私と播上、こうして出会う運命だって決まってたのかもね!」
 運命。
 清水はその単語を実に軽く口にしてみせたが、俺はなぜか面食らった。
 いや、そうだろうか。同じ本を母親が買い、それを我が子に読ませて、たまたま同じくだりを覚えていた――それは運命なんて言えるほどの確率だろうか。あれだけ売れたベストセラーなら、そんな子供はまだまだ他にもたくさんいたっておかしくない。
 だが俺自身、なんだか不思議だと思っていたのも事実だった。
「……まあ、不思議なご縁、かもなあ……」
 認めたいのかそうでもないのか、自分でもよくわからないまま応じれば、清水が俺の顔を覗き込んでくる。
「ね! すごいよね」
 彼女がにこにこ笑っているから、まあいいか、って思ってしまった。

 運命――というのは正直、妙にこそばゆい。
 でもある意味ご縁だよな。今のところ唯一無二のメシ友と、こうやって笑い合って一緒にご飯を食べている。
 そんなささやかな幸せが、今日も俺を支えてくれている。
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