Tiny garden

駆け足の季節(1)

 夏休みが終わってしまった。

「長いようで短かったね、夏休み……」
 登校する車の中で私がぼやくと、横に座る庸介が物珍しげな顔をする。
「お嬢様でもそんなふうに思われるんですね」
「え、どうして?」
「てっきり、早く二学期になって欲しいものだとばかり」
 正直、それは少しある。
 学校が始まればミナと毎日会ってお喋りができるし、『幼なじみ』の庸介と一緒に過ごすこともできる。今の学校は楽しいから、夏休み中は二学期が来るのを待ち遠しく思ったこともあった。
 だけどそれとは別に、私にはまだ片づけていない夏休みの宿題――みたいなものがあった。
「夏休み中に、お父さんたちと話がしたかったの」
 私が素直に答えると、庸介は複雑そうに苦笑した。
「お二人とも、近頃は特にお忙しそうですからね」

 ミナに貰ったアドバイス通り、私は両親と話をしようと決意した。
 私と両親の間には、残念だけど意識のずれがある。私が本当に望んでいること、欲しいもの、したいこと、父も母も何も知らない。知らないのに二人とも私を想って、喜ばせようとして、いろんなことをしてくれる。それで私が『何もわかってない』と不満を溜め込んで――ずっと、そんなことの繰り返しだった。
 だけどそれに鬱屈としているだけでは何も始まらない。
 だから、両親に私のことをわかってもらいたい。その為に話をしようと思っていた。

 ところが、両親は多忙な人だ。
 父は仕事ともなれば日本を離れて海外を飛び回ることが日常茶飯事だし、母も祖父の会社を手伝っているから、いつも帰りは遅く、夕飯ですら一緒に食べる機会が少ない。
 二人が帰宅したタイミングを狙って話しかけたところで、二言三言交わすのが精一杯だ。
『留守番は任せたぞ、六花。お土産楽しみにしてろよ』
『暑いのに二学期なんて大変ね。お勉強頑張るのよ』
 それぞれそう言い残して家を出ていった両親を、いってらっしゃい、と見送ったのが今朝のことだった。
 結局、何も話せなかった。

 それで朝から溜息をついている私に、庸介は言う。
「来年度のことはもうお決めになったんですか?」
「……ううん」
 夏休みの旅行中に、母に言われたことについて、答えはまだ出ていない。
 私がどうしたいかはわかっている。そんなの、今の高校にいたいに決まっている。大切なお友達がいるし、大好きな彼氏だってできたし――後者は、まだ言わない方がいいだろうけど。
 でも、母の言うことにも一理ある。私は将来なりたいものも見つけられていなくて、進路についても何も決めてはいない。一時の楽しさだけで今の高校に留まることを決めて、後で悔やんだりはしないだろうか。そういう不安も少しはある。
 もちろん、高校がどこでも頑張っていい大学に行く、って胸を張って言えたらいいのだろうけど。
「漠然と、ここにいたいとは思ってる」
 私が曖昧に答えると、そのくらいは予想がついたのか、庸介が小さく笑った。
「そう仰ると思っていました」
「他のことは全然決まってないんだけどね」
「まだ時間もありますよ」
 彼はそう言ってくれたけど、その時間もぼやぼやしていたら駆け足で過ぎてしまいそうだ。夏の終わりを意識した途端、夏休みがあっという間に終わってしまったみたいに。
「庸介はどうするの?」
 車に揺られつつ私は聞き返した。
 進路のことを考えなければいけないのは彼も同じだ。まして庸介は、今の高校の授業内容に不満があったみたいだから、もう決断していてもおかしくはない。
 すると庸介は真剣な面持ちになって、慎重に答えた。
「俺は、どちらでもいいと思っております」
 正直に言うと、予想していなかった答えだった。
「本当に?」
「ええ」
 思わず聞き返せば、彼は深く頷く。
「お嬢様が残られるのでしたらお付き合いいたします」
「いいの? 私に合わせてくれなくてもいいのに」
 とは言いつつも、庸介が一緒にいてくれるなら私もすごく嬉しい。
 ただ、庸介はいいのかな。この先の進路について、後悔しない自信があるとか――ありそう。
「こっちの学校に残るなら、勉強頑張らないといけないよ」
 脅かしてみても、眉一つ動かさずにまた頷いた。
「それはどこであっても同じことです」
「わあ、優等生みたいなコメント」
「環境を言い訳にはしたくないですから」
 真面目としか言いようのない発言の後で、庸介はほんの少し表情を和ませる。
「それに、環境というなら今の方がいいと思います」
「そう?」
「ええ。お嬢様のお傍にいられます」
 平然と言い切られて、私は息を呑んだ。
 もちろんそれは私にとってもいいことだけど、不意打ちで言われると困る。これから登校するというタイミングなのも困る。顔、赤くなってないかな。
「受験勉強がご不安でしたら俺がついてますよ、お嬢様。二人で一緒に勉強しましょうか」
 庸介は畳みかけるようにそう言ってくれた。
 頼もしい彼氏だ、全く。
「庸介はさすがだね。覚悟決まっちゃうの早いね」
 私は感心した。
 私の方は相変わらず、まだ決断できてもいないけど――庸介がそう言ってくれたこと、その気持ちは大切にしたいなと思う。環境を言い訳にはしない。庸介となら、頑張れるかもしれない。
 すると庸介は何でもないように応じる。
「ずっと欲しかったものがようやく手に入りました。あとはそれを守り抜くだけですから」
 欲しかったものって何、なんて、当然だけど恥ずかしくて聞けなかった。
 運転席の行田さんが咳払いをする。九月になっても冷房全開の車内が、それでも何だかすごく暑い。

 長い夏休み明けの教室は、ざわざわと落ち着きがなかった。
 クラスメイトたちは変わったこと変わっていない子が半々、といったところだ。日に焼けて別人のようになった子もいれば、夏を潜り抜けてもなお透けるように色白の子もいる。それぞれの夏休みの過ごし方が窺えるようだ。

 ミナとは夏休みの終わりに一度会ったから、彼女が日に焼けていたことは知っていた。
「リッカ、おはよう!」
「わっ、お、おはよう」
 教室に入って来るなり飛びつかれて、私は慌てた。
 だけどミナは上機嫌で、日焼けした顔をにこにこ微笑ませながら言う。
「もー、夏休み早く終わんないかなって思っちゃったよ! リッカに会いたくて!」
 それは私にとって、この上なく嬉しい言葉だった。
「わあ、本当に? 私もミナに会いたかった!」
 思わず私が抱きつき返すと、ミナは私の頭をよしよしと撫でてくれる。
 それからちらりと、傍で立ち尽くす庸介を見た。
「私たち、夏休み中に仲良くなっちゃったんだよねー。びっくりした?」
「いや、別に。六花から聞いていたからな」
 現在は『幼なじみ』の庸介が、あっさりと肩を竦める。
 それはミナを相当がっかりさせたようだ。残念そうに唇を尖らせていた。
「何だ、言っちゃったの? 徒野を妬かせてやろうと思ったのに!」
「ご、ごめん」
 言っちゃったどころか、庸介は変装してあのお店に来ていた。
 でもそれはミナには言えない。庸介も『聞いていなかったことにする』と言ってくれたし、そういうことだ。
 正直、あの変装ぶりだけは見せてみたかった気がしなくもないけど。
「聞いていなかったとしても嫉妬はしないよ」
 庸介が真面目に返すと、ミナは疑わしげに彼を見る。
「ほんとにぃ? 徒野は嫉妬深いタイプだと思ってたけど」
 そうかなあ。あまりそういう実感はしたことないけど。
 首を捻る私の前で、庸介はあくまでも冷静に言い切った。
「この程度でやきもちなんて焼かない。当然だろ」
「何その自信ありげな態度。夏休み中、何かあった?」
「さあ、どうだろうな」
 どうしてそこでは否定しないかな、庸介は!
 彼が濁したことで当然ながらミナの矛先は私へと向けられ、
「じゃあリッカに聞こうっと。ぶっちゃけどうなの?」
「ど、どうも何もないよ!」
「えー嘘でしょ? 徒野のあの変わりようは何かあったっぽいじゃん」
「ないったら! ミナってば誤解しすぎ!」
 私はそっぽを向いて誤魔化した。
 ない、わけではないけど。二人でプールに行ったあの日から、庸介は少し変わったように思うから。
 それよりもっとすごく劇的なことも、夏休みの終わりにあったけど――あれは、今は思い出さない! 顔が赤くなるから!
「あっやしいなあ……」
 ミナは尚も追及したがっている様子だったけど、そこへ真っ黒に日焼けした蒲原くんが駆け寄ってきた。
「渡邉! お前いつから主代さんとファーストネーム呼び合う仲に!?」
 途端にミナが長い睫毛を瞬かせる。
「はあ? あんたに関係ある?」
「大アリだよ! 羨ましすぎるだろ!」
「知らんがな。つかいきなり割り込んでこないで、うるさいから」
「俺も主代さん名前で呼びてー!」
 蒲原くんはミナの言葉をスルーして、今度は私に詰め寄ってきた。
「な、な、いいよな主代さん!」
「――駄目だ」
 私よりも早く、庸介がぶすっと答える。
 それで蒲原くんも眉を顰めた。
「徒野には聞いてねえよ! お前のファーストネームは絶対呼ばねー!」
「こっちだって願い下げだ」
「俺のも呼ぶなよ! 絶対呼ぶなよ!」
「心配しなくても一生口にしない」
 蒲原くんと庸介がそんなふうにじゃれ合い始めて、これはこれで仲がいいのかな、って思う。
「漫才コンビでも組めばいいのにね、この二人」
 ミナが呆れたように囁いてきて、私はついつい笑ってしまった。
 二学期の始まりを笑って迎えられるなんて、きっと幸先のいいスタートに違いない。

 まだまだ暑いけど、暦の上では秋を迎えていた。
 この秋こそが私にとって、決断と覚悟の季節になるだろう。
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