Tiny garden

平行する思惑(3)

 学校前の坂道を、今日は牧井と駆け下りた。
 大和と一緒の時とは違い、先頭が俺で、牧井がしんがりだった。何せ彼女はスカートだ。先に行かせる訳にはいかない。
「じゃあ、行くぞ」
「うん」
 俺たちは縦一列に並んで校門を潜る。

 急勾配の道へ出ると、すぐに車体が加速していく。
 耳元で風を切るごうごうという音がする。日の照ってる暑い午後、風があるのは心地いい。葉っぱの青々した並木の陰を通り抜ける。涼しくて、いい匂いがする。
 通い慣れた坂道を、だけど今日は、時々振り返りながら下りた。思えば先頭を取るのはあまりなかったことで、まして相手は女の子。どのくらいスピードを出していいものかわからなくなる。
 そしてこういう不安は得てして的中してしまうもの。振り返る度に牧井との距離は大きく開いていて、ブレーキを握りながら下りなくてはならなかった。坂を下りきってからも、普通にペダルを漕ぐとすぐに差が開いて、慌ててハーレーの速度を緩めた。
 俺が横断歩道を駆け抜けた直後、信号が変わってしまった時は、さすがに悪いことをしたと思った。道路を挟んだ向こう側で済まなそうにする牧井を、かえって済まない気持ちで見ていた。
「ごめんね、遅れちゃって」
 信号が再び青になり、追い着いてきた牧井が詫びる。
 俺は首を横に振った。
「いや、こっちこそごめん。今度はゆっくり行くから」
 幼馴染みとは違う、女の子と行く公園までの道。
 駅前のアーケード街も、住宅地の裏道も、普段よりゆっくり慎重に進んだ。自慢のコーナリングテクニックを披露する機会もなかった。代わりに時々振り向いて、彼女を気にする配慮って奴を学んだ。

 児童公園の入り口に、二台並んで停車する。
 途端に汗がどっと噴き出てきて、木陰のベンチが恋しくなった。
「アイス、買ってくればよかったな」
 ついついぼやきたくもなる。正直、牧井を置いてかないようにするのがやっとで、コンビニに寄ろうなんて気持ちにもまるでならなかった。夏祭りを控えている以上、無駄遣いもしてられない訳だけど、暑い時にはやっぱアイスがあるといい。
 そう思っていたら、牧井にも突っ込まれた。
「節約してたんじゃなかったの、進藤くん」
「よく覚えてんな。そうなんだけどさあ」
「喉が渇いたなら、あっちでお水を飲もうよ」
 白いセーラーの袖から伸びた細い手が、奥の方にある水飲み場を指し示す。背丈は同じなのに、彼女の腕は俺よりもずっと細かった。そりゃあ坂を駆け下りるスピードだって違うだろう。
「そうしよっか」
 俺は牧井と歩幅を合わせて、並んで水飲み場へと向かった。そして思いのほか冷たい水を飲ませてもらった後で、改めて木陰のベンチに腰を下ろした。
 日なたよりは幾分涼しい風が吹いている。
 噴き出してきた汗も、だんだんと落ち着いてくる。
 牧井はすぐ隣に座っている。額に浮かんだ汗を、チェックの柄のハンカチで拭いている。頭の良さそうな横顔は、ここ最近ですっかり見慣れてしまったような気がする。
 何だかすっかり、普通のことになっちゃったみたいだ。牧井とこの公園にいること。ベンチに並んで座っていること。普通って言うけど、これでたったの三度目なのにな。
「進藤くんと一緒にいるのって、寂しくなくていいな」
 ハンカチを握り締めた牧井が、こっちを見て言う。
 ばちっと真っ直ぐに目が合う。視線以上に、その言葉に動揺したくなる。やっぱり黒川がいないと寂しいんだな、牧井は。
「最近は少し、慣れてきたの。一人で帰ること。美月のいない帰り道」
「……そっか」
「うん。だから一人でいるのは平気、でもね」
 すぐ隣に座る、俺を見つめながら、淡々と話し続ける。
「一人でいるところを、美月に見られるのは嫌。寂しい顔をしない自信がないから。私も一緒に帰りたいって、言いたくなっちゃうかもしれないから」
 そう口にした時の牧井は、事実、寂しそうな顔をしていた。黒川が見たらきっと心配するだろう顔つきだった。
 俺も心配になった。
 多分、俺の方こそわかりやすい表情になってたんだろう。そこでくすっと笑われた。
「心配しないで。慣れなきゃいけないって、ちゃんとわかってるから。親友離れ、出来るようにならないとね」
 そうなんだよな。
 黒川には大和がいて、大和には黒川がいる。二人は両想いで付き合ってるんだから、俺たちは幼馴染みと親友を、それぞれ譲ってやらなくちゃいけない。
 でも俺には、他に誰もいない。二人乗りをしてくれる相手も、夏祭りに浴衣を着てきてくれる子もいない。
 牧井も、誰もいないのかもしれない。寂しい帰り道、一緒に帰ってくれる相手は。
「彼女、欲しいなあ」
 声に出して呟きたくもなる。
 その気持ちはだんだんと大きくなりつつある。以前よりも一層切実になってる。
「そうだね」
 深く、彼女も頷いた。心底そう思ってるらしい頷き方だった。
 それからもう一度笑んで、聞かれた。
「進藤くんは好きな子、出来た?」
 俺たちにとって、すっかり定番の挨拶みたいになってしまった、そんな問い。
 答えはいつも決まっている。
「いいや。牧井は? 好きな奴か、彼氏でも出来た?」
「ううん、全然」
「って言うかこのやり取り、今日もしなかったっけ、教室で」
 教室でも会話のとっかかりに利用することがある。俺たちはそう長い付き合いでもないし、似た者同士なだけで事実上はただのクラスメイトだから、話を始めるきっかけには乏しい。だからこのやり取りは、牧井と話す時の大事な手札だった。
 もちろん、実際に気になってるから聞いてるのもあるけど。
 牧井に彼氏が出来たら、夏祭りの予定も変わっちゃうからな。
「そうだったね」
 と、彼女が小首を傾げた。
「毎日してるから、いつ聞いたか忘れちゃうんだ。進藤くんの顔を見る度に考えてるよ、今日は聞いたっけ、って」
 忘れちゃうのか。牧井にとってはそんなレベルの会話なのか。
 まあいいけど。
 俺は肩を竦めつつ、そういえばと思い当たる。聞いてみたいことは他にもあったんだ。今日の放課後、声を掛ける為の口実にしようと思ってた、大事な手札二枚目。

「ちょっと、聞いてみたいことあるんだけど」
「なあに?」
 改まって水を向ければ、ぱちぱちと瞬きをされた。
 すかさず質問をぶつけてみる。今日の昼休み、大和と話したことについて。
「牧井はさ、いざ好きな奴が出来たら、その気持ちが恋だってちゃんと気付けると思う?」
 俺の問いに、彼女は更に目を瞬かせた。
「ええと、どういう意味?」
 こっちも更に説明してみる。
「俺たちって、これからするとしたら初恋な訳だろ? 初めてすることなのに、その気持ちが恋か恋じゃないかって、ちゃんとわかるもんなのかな?」
 すごく気がかりだった。アンニュイな気分になるくらい。
 初恋が確かに初恋なんだって、自分でわかるものなんだろうか。大和は後から気付いたって言ってた。でもそれはちっちゃい頃の話だからかもしれない。じゃあ俺はどうだろう。この先、ちゃんと気付けるだろうか。
 今の今まで、自分の気持ちすら気付けてないってことはないんだろうか。
「それかさ」
 もう一個、不安に思ってることを続けてみる。
「本当はとっくの昔に、誰かを好きになってたのに、それに自分で気付けないまま初恋が終わってたとか、そういう可能性だってあると思わないか?」
 そうであって欲しくない。
 でも、なくはないよな、とも思う。
 牧井はどう思ったんだろう。眉間に皺を寄せている。
「そういう風に考えたら、何だか不安でさ。彼女作るにしても俺、ちゃんと恋愛出来んのかなーって」
 率直な気持ちを打ち明けてみる。
 俺は大和みたいになれるだろうか。この公園に黒川が来てて、自分のことを見てたんだってこと、気付けた大和のようになれるだろうか。彼女作って幸せそうにしてる幼馴染みに置いてけぼりを食らったまま、ずっとガキのままでいるってことは、ないよな。
 その時、牧井がさらりと言った。
「多分、だけど。大丈夫じゃないかな」
 案外と軽い口調だったから、あれ、と思った。
 驚く俺の目の前で、頭の良さそうな顔が微笑む。優しく、励まそうとするみたいに。
「恋をするって、誰よりも一緒にいたくなる人を見つけることなんだと思う」
 そのままの口ぶりで彼女は続ける。
「友達よりも、家族よりもずっと、同じ時間を過ごしたいと思う人。そういう人が出来たら、自分で気付けないはずがないよ。きっとわかるよ」
 話を聞きながら、俺はまた大和と黒川のことを考える。あの二人はお互いがそういう相手だから、一緒にいるんだろう。それはしょうがない。俺が羨んでも、牧井が寂しがっても、こればかりはどうしようもない。
「進藤くんだって、今は飯塚くんが一番好きなのかもしれないけど――」
 牧井が言いかけた。ので、慌てて遮った。
「いやいや、ないない。それはない」
 そりゃまあ、何かって言うと真っ先に浮かぶのはあいつだけど。単に付き合い長いからだ。
「そう? じゃあ他の、例えばお家の人でもいいけど」
 ぶっちゃけそれも、ちょっと同意しがたい。今の俺にとって誰が一番か、よくわからない。家族は皆大切って言えばそうだし、でも好きっつーか、そう思うのは当たり前のことでいちいち考えることすらしないし。言ってしまえば大和の扱いだって似たようなもので、好きか嫌いかで括ったことはなかった。
「今まで好きだった人たち以上に好きな人が出来て、気持ちが新しくなった時、自分で気付けないはずがないと思う」
 あくまでも軽く、柔らかく、牧井はそう主張した。
「新しい気持ち、か」
「うん。だから恋をしたら、きっとわかるよ」
 最後はきっぱりと言い切った。
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