ボーイズアンドガールズ(3)

 温泉旅館には、どういうわけか卓球台がつきものだ。
 どうしてなのかは私もよく知らない。他のスポーツより省スペースだからとか、学校の体育でもやるようなポピュラーな球技だから、なんて推測はいくつか立てられる。だけど正解はわからないし、調べてみてもはっきりした答えはないみたいだった。
「藍子ちゃん、わざわざ調べたの?」
「はい。そういうの、わからないままだと旅に集中できないかなって」
 ゆきのさんには驚かれてしまったけど、私は旅のしおりを作っちゃおうかな、とまで考えていたところだった。一泊二日の旅行にかさばる荷物は要らないだろうと、泣く泣く断念していたけど。

 とにもかくにも、卓球だ。
 ここの旅館にもやっぱりお約束みたいに卓球台が一基あった。大浴場からロビーへ戻る廊下の途中、ぽつんと明かりの点いたゲームコーナーの一番奥に置かれていた。
 温泉と同じようにゲームコーナーにも他のお客さんの姿はなく、アップライト筐体の奏でるゲーム音やエレメカの妙に機械的な音声が誰に呼びかけるでもなく繰り返し流れている。誰もいない遊園地ってこんな感じかな、と思える寂しい風景だった。
 もっともそこに私達が乗り込むと、たちまち賑やかになるんだけど。
「よっし、やるぞ卓球! 温泉旅館のお約束!」
 真っ先に声を上げたのは隆宏さんで、
「やるやる! 私、割と自信あるよ!」
 続いて伊都さんも両手を挙げる。
 私も当然やる気は十分だ。由来はわからなくても温泉と言えば卓球、これは絶対外せない。浴衣着てるからラケット振りにくいかもしれないけど、でもそこも含めて温泉だ。
「まあ、お約束だからな。たまにはいいか」
 安井課長がそう言って、じゃあ、という空気になったところで、
「え、本気でやるんですか……?」
 少し憂鬱そうに霧島さんが眉を顰めた。
「せっかく温泉入ったばかりなのにまた汗かくんですか? 無駄じゃないですか」
 確かにそれも一理ある。卓球をして汗をかいてから温泉、という流れの方が効率的と言えばそうなのに、どうして人は温泉の後に卓球がしたくなるんだろう。不思議だ。
「何だよインドア派、ノリ悪いな」
 隆宏さんは残念そうにしていたけど、霧島さんはちらりとゆきのさんの方を振り返る。
「妻も参加できませんから、五人だとちょっと数が合わないでしょう」
 ゆきのさんはテーブル筐体の前に置かれた椅子に座って、今はペットボトルの麦茶を飲んでいる。お風呂上がりは少し休まないといけないみたいで、もちろん身体を激しく動かすスポーツなんてできっこない。
「だから俺は審判でいいです」
 霧島さんの言葉に、隆宏さんもようやく納得した様子で頷いた。
「わかった。言われてみりゃ、五人で総当たり戦やると試合数えらいことなるもんな」
 というわけで出場選手は私、隆宏さん、安井課長に伊都さんの四人と決まった。試合はトーナメント形式で、いきなりセミファイナルから始まる無駄のなさだ。
 そして試合形式は、
「ただの卓球じゃつまんねえし、古今東西卓球でいいよな?」
 だそうです。
 古今東西というのは、一つのお題を挙げて皆がそれに関する単語を言い合い、上手く言えなかった人が負け、というシンプルな言葉遊びのゲームだ。例えばお題が『甘くて美味しいもの』ならパフェ、ケーキ、クレープにプリンみたいに――シンプルだからこそ、お題に対する純粋な知識量が問われる。ただそのままだと単調なので、卓球や輪になって遊ぶバレーなんかと組み合わせられることも多い。
 古今東西卓球においては、サーブ権を得た方がお題の決定権も貰えるというのがルールだ。そして打ち返し損じるか、打ち返せてもお題に応じた単語を言えなければ負け。ラリーが続くこともあれば一瞬で決着がつくこともあるから面白い。
 最後にセミファイナルの組み合わせをぐーぱーで決めた。
 そしたら、別に示し合わせたということもないのに安井課長と伊都さん、そして私と隆宏さんという対戦カードになってしまった。
「まるで愛のテレパシーだな、藍子」
 隆宏さんは私に、非常に返答に困る言葉をかけてきた。
 ただ私は、初戦から隆宏さんと当たったことにもちょっと困惑していて――彼がこういったゲームの類にいつでも全力投球なのは、身に染みてよくわかっているからだ。

 第一試合は安井課長と伊都さんだ。
 試合前のコイントスで、サーブ権を得たのは安井課長だった。
「夫婦の間とは言え、いや、だからこそ手加減はしないからな」
 指の間にオレンジのピンポン玉を挟んだ安井課長が、伊都さんに向かってそう宣言した。
「おっけー。正々堂々、いい試合をしようね巡くん!」
 ラケットを構えた伊都さんが親指を立てて応じる。ちなみに構えの方は、伊都さんの方がはるかに様になっている。
「この試合、どうなりますかね。解説の映さん!」
 椅子に腰かけたゆきのさんに声をかけられ、卓球台の真ん中に立った霧島さんは少し慌てていた。
「あ、俺、解説もやるんですか?」
 そして律儀に考え込んだ後、こう評した。
「……まあ、強いて言うなら伊都さんの方が有利なんじゃないですかね。スポーツお得意だそうですし」
 そう、結婚式で伺ったところによれば伊都さんは陸上経験者なのだそうだ。温泉でもさすがの脚線美だった。羨ましかった。
 対する安井課長は去年ロードバイクを始められたそうで、今年の新婚旅行ではしまなみ海道を走破されたとのことだ。下半身の強化は十分、それが卓球という競技にはどう影響するかが勝敗を分けるように思う。
「では、いきますよ」
 霧島さんが日本語で準備を促す。
「第一ゲーム、サーブ権は安井先輩です。ラブオール!」
 かけ声と共に、安井課長が左の手のひらにピンポン玉を乗せる。口元に不敵な笑みを浮かべたかと思うと、次の瞬間宣言した。
「お題! 『シューベルトのピアノソナタ』! ――ピアノ・ソナタ第6番ホ短調!」
 意外と高いトスの後、ラケットが一閃してピンポン玉を弾き出す。
 かこん、と軽快な音でバウンドした後にネットを飛び越え、伊都さんのコートへ落ちる。伊都さんの構えはその瞬間まで完璧で、どう見ても打ち返せるボールだった。
「えっ、な、何!?」
 ところが伊都さんは戸惑い気味の声を上げた後、慌てた様子でボールをようやく打ち返した。
 返球には成功したものの、当然ながらこれでは、
「えっと、安井先輩の勝ちです」
 霧島さんが釈然としない顔で勝者を宣言する。
 途端、コートに転がり込んできたボールを拾い上げた安井課長が拳を振り上げた。
「やった! 勝ったぞおお!」
 一方の伊都さんはラケットを握り締めたまま、卓球台の下でがっくりと膝をつく。
「シューベルトなんて……菩提樹くらいしか知らないよ……!」
 まさかの結果だった。
 安井課長には申し訳ないけど、誰もがフォームからして伊都さんが勝つと思っていただろうし、ラリーもそこそこ続くのではないかと思っていたはずだ。まさかサーブだけで終わってしまうなんて予想できた人がいるだろうか。
「これが、古今東西卓球……」
 思わず呟いた私の隣で、腕組みをした隆宏さんが顎を引く。
「気づいたか、藍子。古今東西卓球の恐ろしさに」
「はいっ。サーブ権を得ることの大切さ……コイントスの時点で試合はもう始まっているんですね!」
 卓球の腕前が全てを左右するのかと思っていたけど、そうじゃない。
 本当に大切なのは運。サーブ権をもぎ取ることのできる強運の持ち主こそ勝利を掴むにふさわしい――なんてシビアな競技なんだろう。
 試合後、くずおれる伊都さんに安井課長が歩み寄り、手を差し伸べる。
「伊都、勝利をありがとう。この先、お前の分も勝つからな」
「巡くん……正直めちゃくちゃ悔しいけど、負けは負けだよね」
 伊都さんは差し出された手を握り、ゆっくりと立ち上がった。そして繋いだ手を固い握手に変えて、微笑む。
「私に勝ったんだから、絶対優勝してよね!」
「ああ、任せてくれ」
 安井課長も柔らかく微笑み返した。
 敗者が勝者を称え、次の試合に送り出す。それはとても美しい光景に見えて、私は思わず拍手をした。
「ナイスファイトだったぜ、安井夫妻!」
「勝利を掴み取る熱い心意気、見せてもらいました!」
 隆宏さんとゆきのさんもそれぞれに声を上げ、健闘を称える。
 唯一、
「俺には卑怯上等ファイトにしか思えなかったんですが……いいんですかね、これで」
 霧島さんだけが納得のいかない顔をしていたけど、でも、それが勝負の世界というものだ。
 そして次は私の番。やるからには勝ちたい。
「じゃ、行こうぜ藍子。俺達のラブ・オールを見せてやろう」
 隆宏さんに促され、私は卓球台へと向かう。

 サーブ権をもぎ取れなければ、古今東西卓球に勝つのは難しい。
 そうとわかっていたにもかかわらず、コイントスの結果、サーブ権を得たのは隆宏さんだった。
「藍子、俺はお前が相手だろうと一切手は抜かない。わかってるよな?」
 器用な手つきでピンポン玉をドリブルする隆宏さんに、私は深く頷いた。
「わかってます。私だって負けたくないです!」
「その心意気だ、藍子。そしてラケットを構えるお前も超可愛いぜ」
「な、何言って……試合前に集中乱すのやめてくださいっ」
 これだってわかってる。私を動揺させてミスを誘い出そうとする隆宏さんのいつもの手だ。
 私はラケットを構え、彼が繰り出してくるであろうお題を頭をフル回転させて考える。隆宏さんの好きなものと言えばお魚、映画、電子機器、スポーツ全般――考えられうる出題範囲が広すぎる。魚とスポーツなら私にもある程度答えられそうだけど、映画は好きなジャンルが微妙に違うから厳しいかもしれない。電子機器についてならさっぱりだ。
 答えやすいお題が来ますように。
 祈る思いで握るラケットは、グリップが汗で滑りそうだった。
「サーブ権は石田先輩です。ラブ・オール!」
 霧島さんの宣言に、隆宏さんは深呼吸を一度する。
 それからピンポン玉を高くトスして、
「お題、『お互いへの愛の言葉』! 愛してるぞ、藍子!」
「ええっ!? ええええ、あの!」
 うろたえる私の目の前で、サーブもまた華麗に決まった。
 ピンポン玉が卓球台の上で跳ね、床に落ちて転がった後も、私は身動きが取れなかった。
「……石田先輩の勝ちです。なんて試合だ」
 霧島さんが呆然と試合の決着を告げる。
 一切打ち返せなかった。だって。
「俺の勝ちだ。悪いな、藍子」
 隆宏さんがにやりとする中、私は思わず訴えた。
「ず、ずるいですこういうお題はっ」
 試合前にあれこれ考えた『隆宏さんの好きなもの』は全て空振りだった。
 だけどよく考えればわかったはずだ。隆宏さんの本当に、一番好きなものって何なのか――それにしたってその、私が答えにくいと踏んだ上でのお題だから、やっぱりちょっとずるい気がするけど。
「ずるくはないだろ。お前が何て言ってくれるか、結構期待してたんだぜ」
 そう言うと隆宏さんは私の頭を、励ますようにぽんぽん叩いた。
「だが、言えないだろうなって思ってたのも事実だ。怒るなよ」
 すると私の気持ちも不思議と落ち着いてきて、負けは負けだ、とはっきり思う。
 確かに予想外のお題で、とてもじゃないけど答えられそうになかったけど、それでも私の負けには違いない。サーブ権を決めるコイントスの段階から、既に試合は始まっていたのだから。
「悔しいですけど、私の完敗です。さすがは隆宏さんです」
 思い直して私は勝利を称え、隆宏さんからは満面の笑みが返ってくる。
「ありがとな。決勝戦も勝って、優勝をお前に捧げる」
「はいっ、応援してます!」
「何かいい話風にまとめてますが、いいんですか藍子さん、それで」
 霧島さんは溜息をついている。卓球をしてないのに、どこかお疲れな様子だった。

 決勝戦は言うまでもなく、安井課長と隆宏さんの好カードだ。
「お前とはいつか、雌雄を決することになると思ってたよ」
 安井課長がいつになく真面目な顔で告げると、
「ああ。決着をつけようぜ、長きにわたるこの因縁に」
 隆宏さんも険しい表情で応じる。
 古今東西卓球の試合前とは思えぬ、ぴりぴりとした緊張感がゲームコーナーに漂った。まるで少年漫画のワンシーンのような台詞の応酬だ。
「お二人とも格好いいですね、解説の映さん!」
「かもしれないですね……お互いに奥さんを卑怯な手で打ち負かした後でなければ」
 ゆきのさんに話を振られて、霧島さんがこめかみを揉み解す。
「巡くん、頑張って!」
「隆宏さん、応援してます!」
 伊都さんと私がそれぞれ声援を送る中、サーブ権を決めるコイントスが行われ――ここで勝ち取ったのは、隆宏さんだった。
「これで勝負は決まったようなもんだな。安井、年貢の納め時だ」
「どうかな。お前がどんなお題を出すか、俺には想像がつく」
 卓球台を挟んで睨み合う二人、散る火花。
「最後くらい正々堂々やってくださいね。無理でしょうけど」
 何度目になるかわからない霧島さんの溜息。
「では行きます。サーブ権は石田先輩です、ラブ・オール!」
 試合開始の宣言に、隆宏さんがボールを放る。
「お題、『嫁の好きなところ』! ぷくぷくのほっぺ!」
「えええええ!?」
 私の絶叫をよそにボールはバウンドした後にネットを飛び越え、安井課長はそれを絶妙のタイミングで打ち返す。
「脚がきれい!」
「ちょっ、よりによってなんてお題を――」
 伊都さんが上げかけた抗議は、打ち返されたボールと共に隆宏さんによって遮られる。
「めちゃくちゃ素直で可愛い!」
「あの、恥ずかしいのでやめてくだ――」
「いつも明るく笑いかけてくれる!」
「二人とも違うお題にしてよ!」
 私と伊都さんの制止なんて全く聞き入れずにラリーは続く。
「すっげえ美味そうにいっぱい飯を食う!」
「髪がさらさらで気持ちいい!」
「俺のこと好きってのを一切隠さない!」
「何でも面白がって楽しんでくれる!」
「色白で肌がすべすべもちもち!」
「奥二重で上目遣いにされるとどきどきする!」
 お互いに出方を窺うような緩い打ち合い――まるでラリーをできるだけ長く続けようとするみたいにスマッシュを出さないお二人。
「正直、やるんじゃないかと思ってました」
 霧島さんが遠い目で呟く。
 聞いている方は当然、いたたまれない。もう恥ずかしいし温泉に入ってる時より顔熱いしどうしてこんな勝負にしちゃったんですか!
 にもかかわらず、ラリーを続けるお二人はとてもとてもいい笑顔だ。
「うちの藍子は犬っぽくて可愛い!」
「うちの伊都は笑顔が可愛い!」
「おまけに名前も可愛い!」
「それは伊都だって可愛い!」
 ここで私の隣にいた伊都さんが頭を抱えだした。
「ああああもう……! もはや古今東西でも何でもないよ!」
「ですね。普通に奥さん自慢です」
 ゆきのさんがにこにこと頷くので、私はいてもたってもいられなくなり、
「伊都さん!」
「……そうだね、藍子ちゃん!」
 伊都さんと目配せを交わし合った後、ほぼ同時にお互いの旦那さんの背中に飛びついた。
「もうその辺でやめといてください隆宏さん!」
「巡くんお願いだからもうやめて!」
 二人の動きがぴたりと止まる。
 ピンポン玉がころりと落ちる。
「では、レフェリーストップでノーコンテストってことでいいですよね」
 霧島さんが心底疲れ切った様子で宣言する。
 そこで隆宏さんと安井課長が顔を見合わせ、互いに笑顔を浮かべ合う。
「まあ、いいか。腹いっぱい嫁自慢できたし」
「ああ、言いたいだけ言えて気分よかったな」
「雌雄決するんじゃなかったんですか、先輩がた……」

 私としてはある意味、よく似たお二人だなあって思ってます。
 でも恥ずかしいので、ああいうのは人前では言わないで欲しいかな、なんて。

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