Tiny garden

はじまりのおわり(5)

 それから一ヶ月も経たないうちに、『六人で』集まる機会はやってきた。
 九月の末に石田さんが、小坂さんと結婚式を挙げるというので、その前に集まってしまおうということになったからだ。
 前回とはうって変わって、落ち着いた雰囲気の洋風居酒屋が会場だった。

「――というわけで、俺の彼女を紹介します」
 巡くんが畏まって私を手のひらで指し示す。
「伊都とは大分前から付き合ってて、今は一緒に住んでる。明るい子だから心配はしてないけど、皆もよろしく」
 私はお集まりくださった皆さんに対して深々と頭を下げた。
「園田伊都です。皆さん初めまして……では全然ないですね、えへへ」
 照れてしまって挨拶どころではない私を、霧島さんと長谷さんご夫妻は改めてぽかんと眺めている。小坂さんは何度も瞬きを繰り返し、その隣で石田さんが今更のような顔で笑う。
「働いてるとこ同じだもんな。見知った顔だろ、そりゃ」
「見知ったどころか……」
 息をつくようにそう言って、霧島さんが眼鏡の傾きを直す。それから優しく微笑んで、私に向かって切り出した。
「園田さんは、俺達の結婚式にも来てくださいましたよね。その節はありがとうございました」
「いえいえ。こちらこそご招待いただきまして」
 私は頭を下げ返す。
 お二人の結婚式には新婦同僚として招いていただいた。当時はまだ秘書課にいたからだ。
「まさか園田さんと、こういう形で顔を合わせるとは思わなかった」
 あの時の新婦にして秘書課時代の同僚である長谷さんは、すごく面白いことが起きたという顔をして私を見ている。私もそう思うのでしょうがないだろう。
「本当だね。何かちょっと照れるね、今更だけど」
 私がへらへらすると、長谷さんは興味深げに身を乗り出してくる。
「それにしても全然知らなかった。園田さん、安井さんとはいつから?」
「ええと、おおよそで言うと去年辺りからなんだけど、その辺りはいろいろありまして……」
 詳しく説明するのは気恥ずかしかったけど、隣の巡くんを見たら私に話して欲しそうだったので、この場を借りて一から全て打ち明けてしまうことにした。
 もちろん口にするには恥ずかしすぎることもあるので、その辺りは適当にぼかしつつだ。

 何年も前に一度、たったの半年間ではあったものの付き合っていたこと。
 ちょっとしたすれ違いで別れてしまったこと。
 最近になって『やり直そう』と話をして、お見合いして、その他にもまあいろいろあって、また一緒にいられるようになったこと。
 話してみれば非常によくあるような、特に珍しくもない事情ではあるんだけど、それでも私達にとってはまさに人生を揺るがし何もかも変えてしまうような出来事だった。実際、いろいろ変わっちゃったしね。今じゃプロポーズもされたし同棲もしてるし結婚だってする予定だ。ちょっと前まではこんな未来、想像もつかなかった。

「じゃあ結構長いお付き合いなんだ」
 長谷さんは私の、照れながらしどろもどろになりながらの説明に頷きながら聞き入ってくれた。
「いや、長いって言っても間空いてるし、まだブランクの方が長いくらいなんだけどね」
「でも本当に気づかなかった。まして一緒に住んでたなんて、わからないものですね」
 そう言って、長谷さんは相変わらずきれいな顔立ちに冷やかすような笑みを浮かべた。
「あ、思い出した。私が結婚する時、園田さんには結構冷やかされた覚えが……」
 ぎくりとした。
「い、いやいや、その辺はもう時効じゃない? お手柔らかに頼むね、長谷さん」
「どうしようかなあ。考えてみれば、園田さんからはそういう話聞いたことなかったし」
 私が手を合わせると、長谷さんは思わせぶりに首を傾げてみせる。
 同僚と言えど恋愛話をする機会なんてそうない。せいぜい彼氏の有無を聞き合ったりするくらいだ。そんなものだから、こうして彼女と話をするのが新鮮だった。
「いろいろ聞きたくなるよな。俺もまだ聞いてねえことあるし、ここは根掘り葉掘りしようぜ」
 石田さんが便乗してきたので、私は恨めしい思いで彼を睨んだ。
「こないだ十分根掘り葉掘りしたでしょ、石田さんは!」
「あれで済んだと思ったなら大間違いだ! プロポーズの言葉もまだ聞いてねえしな」
 高らかに石田さんがそう言い放ち、
「えっ、プロポーズ?」
「したんですか!? 初耳ですよ先輩!」
「何て言ったんですか、知りたいです!」
 長谷さん、霧島さん、小坂さんがすぐさま食いついてきて、私は頭を抱えた。
「ぺらぺら喋るな、石田。伊都も困ってるだろ」
 巡くんが諌めてくれたけど、もちろんあの石田さんだ。聞く耳なんて持ちそうにない。
「言っただろ、どうしたって冷やかされる運命なんだよ。諦めろ」
 すると巡くんはきっぱりとかぶりを振って、
「嫌だ。プロポーズの言葉なんて、伊都以外には聞かせたくない」
 なんてことを言ったものだから、かえって皆には面白がられていた。
「そっちの台詞の方が恥ずかしいだろ!」
「聞いてる俺達が顔から火が出そうですよ!」
 石田さんと霧島さんに口々に冷やかされて、巡くんもさすがに照れ笑いを噛み殺し始める。
「ああもう、うるさいなお前らは……!」
 そうぼやきつつも、彼の顔はどことなく嬉しそうだった。
 私もちょっと恥ずかしかったけど、巡くんが喜んでいるようだったからよかった、と思う。

 昔、巡くんから聞いたことがあった。
 石田さんや霧島さん達と集まってお酒を飲むのは楽しいけど、取り残されたような気持ちにもなって、無性に寂しかったって。
 俺だけ一人で何やってんだろう、そう内心では思いつつも決して顔には出さなかったであろう彼の胸中は察するに余りある。
 だからもう、そんな思いは私がさせない。

 それにしても、いつもこんな調子で飲んでたわけだ。
 そりゃ楽しいだろうなと思う。
「……しかし、珍しいですね。顔が緩みきってる安井先輩ってのも」
 霧島さんが眉を顰めて巡くんを見やり、にこりともせずにからかう。
「幸せいっぱいってのが顔に出てますよ。そんなんでよく今までばれませんでしたね」
 この程度の応酬には慣れているのか、巡くんが澄ました顔で答える。
「仕事にプライベートを持ち込むわけにはいかないからな。その辺りの線引きはちゃんとするさ」
「よくもまあぬけぬけと格好つけたことを言いやがって」
 そこで石田さんがお約束の茶々を入れてくる。巡くんをびしっと指差し、手厳しく批判した。
「こいつ、こないだは俺にずっと秘密にしてた理由を『彼女と二人きりの時間が楽しすぎて』とか何とか言ってたんだぞ。ちゃっかり同棲までして、さぞかしたっぷり楽しんだんだろうな」
「そうだったんですか?」
「そんなことまで喋ったの?」
 長谷さんと私が同時に口を開くと、巡くんはしまったという顔つきで弁解を始めた。
「いや、それはしょうがないだろ。俺だって石田や霧島みたいに社内恋愛堪能したかったんだよ。何年もそういうのとはご無沙汰だったし、無事によりを戻せたばかりだったしな」
「だからって報告遅すぎでしょう、先輩。やり直せたのが嬉しいのはわかりますが、夢中になりすぎです」
 霧島さんが楽しそうにツッコミを入れる。結婚式で見かけた時は真面目そうな人だと思っていたけど、意外と手厳しい。
 それで巡くんはますます困窮し、苦し紛れに言い返す。
「何だよお前ら。俺の長年寂しかった男心に共感も同情もしてくれないのか」
「理解はするがこっちは不義理働かれた側だしな。しばらくこのネタで弄り倒すから覚悟しやがれ」
「安井先輩って意外とのめり込むタイプなんですね。彼女さんにめろめろじゃないですか」
 すぐさま石田さんと霧島さんにやり返されて、あえなく撃沈していたけど。
「意外とって何だ。のめり込めない恋愛なんてそもそもする価値ないだろ」
 ぼそぼそと反論らしきものをぼやく巡くんは額に汗を掻いており、すっかりお二人にやり込められた格好だ。私が思わずはにかむと、彼も私を見て、諦めの境地みたいな顔つきで笑んだ。
 まあこれもある意味、予想していたからかいと祝福ではある。
「だけど安井課長と園田さんのお話、運命的で素敵ですね。ロマンチックです!」
 小坂さんは私達のありふれた打ち明け話に、それはそれは熱心に耳を傾けてくれた。そして瞳をうるうるさせて感想をくれたので、私は一層照れて、慌ててぶんぶんと手を振った。
「いや、それほどでもないですってば」
 そういえば小坂さんと、まともに話をするのは初めてだ。何度か社内で行き会って朝や帰りの挨拶をしたことはあったし、営業課に内線かけた時に話したこともある。もちろん名前もよく知っている子だったけど、こうして飲み会の席で顔を合わせると、やっぱ可愛いし、若々しいなと感心してしまう。まだ二十五歳だそうです、羨ましい。
「ちゃんとご挨拶するの、初めてですよね」
 私が切り出すと、彼女は勢いよく頷いた。
「はいっ、小坂藍子です。社内報、いつも楽しく拝読してます!」
「あ、ありがとうございます。うちの課長に伝えときます」
「是非お願いします。最近はいろんな企画も充実してて、本当に読み応えありますよね!」
「嬉しいです。小野口課長も間違いなく泣いて喜ぶかと」
 まさかこの席で仕事の話をすることになるとは思わなかったけど、嬉しいのは間違いない。普段はなかなか感想を聞く機会がない社内報だから尚のことだ。是非とも覚えておいて、課長に伝えようと思う。
「園田さんは安井課長や隆宏さんと同期入社なんですよね」
 小坂さんは、当たり前だろうけど石田さんを名前で呼んでいるらしい。同期とは言え聞き慣れない呼び方に、なぜか私の方がもじもじしたくなる。
「そうです。だから二人の入社当時のこととか、どんな新入社員だったかもいろいろ知ってるよ」
 私は答え、わざと意味ありげににやりとしておく。
 すかさず石田さんと巡くんが割り込んできて、
「おい待て園田、俺らの若気の至り的なものを酒のつまみにする気か」
「伊都、俺はお前を信じてるからな。恥ずかしいネタの暴露はしないよな?」
 妙に慌てて言ったものだから、逆に小坂さんの興味を引いてしまったようだ。
「それ、とっても聞きたいです! よかったら教えてください!」
「俺も聞きたいです是非。先輩がたは『昔から模範的社員だった』みたいなこと言ってますけど、嘘ですよね」
 彼女に続いて霧島さんまで俄然興味を示したので、先輩二人は大いに慌てふためいていて、それがおかしかった。

 でもまあ、若気の至りなんて誰にもあるものだ。私だってそうだ。
 そういう話を後になってから自分で笑えるのが、一番いい歳の取り方じゃないかな、と思う。
 私と巡くんも過去の失敗とか、すれ違いとか、いつか全部笑えるようになれたらいい。今でも大分、笑えてるけど。

「園田、うちの妻に俺の黒歴史を吹き込んだりするなよ」
 まだ昔話を気にしている石田さんが、私に釘を刺してくる。
 ちょっとだけ気の早いその言葉に、小坂さんはあっという間に耳まで真っ赤になって俯いてしまった。可愛いなあ。
「どさくさに紛れて何言ってんだ石田、お前らはまだ結婚してないだろ」
「そうですよ先輩。フライングにも程がありますよ」
 巡くんと霧島さんに立て続けに突っ込まれても、石田さんは堪えるどころかますます得意げにしている。
「めでたい話にフライングも何もあるか。前倒しして何が悪い」
「あとたったの一ヶ月が待てないのか、石田は」
 尚も文句をつける巡くんが、私の方を見て、どこかむきになったように続けた。
「俺達なんてあと半年は先だけど、じっくり待つ気でいるのにな、伊都」
「まあ、私達は準備も全部これからだからね」
 石田さん達が随分と長い間、結婚の為に準備をしてきたことは知っている。一年半前の長谷さんもそうだった。結婚をするとなると本当にたくさんのやるべきことがあって、長い長い時間をかけてそれらをこなしていかなくちゃいけない。

 さしづめ私と巡くんは、ようやくナインカウントを終えようとしているところなんだろう。
 そして今の私達は知っている。テンカウントまで辿り着いてもそれで何もかも終わりというわけじゃない。物語ではめでたしめでたしで終わるところでも、人生ならその先に続く、またしても長い長い時間があるわけだ。大変なことも、辛いこともあるかもしれない。だけどそれ以上に楽しいことや幸せなことも、たくさんあることだろう。
 テンカウントのその先を、私は巡くんと一緒に、これから辿っていくことになる。
 ここにいる霧島さんや長谷さん、あるいは石田さんと小坂さんみたいに。

「……早く半年経つといいな」
 私にだけ聞こえるように、巡くんがそっと呟いた。
 さっきは『じっくり待つ気でいる』と言ったばかりなのに――でも気持ちはよくわかるから、私は笑って頷いた。
「うん。待ち遠しいね」
 そう答えると、巡くんは目を細め、居酒屋のテーブルの下で私の手をぎゅっと握り締めた。
 その後は皆に見つかって冷やかされるまで、ずっと手を繋いでいた。

 私達のナインカウントは、これにておしまい。
 そして始まりの終わり、テンカウントはもうすぐ目の前だ。
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