Tiny garden

後天性ロマンチスト(2)

 クリスマスイブの夜、俺は午後七時過ぎに営業課へと足を運んだ。
 本当はもう少し早く出向きたかったのだが、年末進行な上に忘年会まで控えている。よってなかなか手が離せなかった。早く来いと言っていた石田も、さすがに忙しいのだろう。催促の電話がかかってこなかったのが救いだ。

 それにしても、イブだというのに社内の空気には華やぎがない。せいぜいエントランスにツリーが飾られている程度で、それだってせかせかと忙しい気分でいればさして気にも留まらなくなる。
 人事課にも一人二人、終業後の予定に思いを馳せて浮かれる者もいたみたいだが、それより年末年始の連休の方が楽しみという人間がより多いようだった。皆、仕事納めに向けてラストスパートを切っている。誰だって仕事を残したまま正月は迎えたくないだろうし、ここが正念場に違いなかった。
 俺は年末年始も特に予定は入れていないが、勤務日よりも休日が嬉しいのは当たり前のことだ。それに、十二月に入ってからというもの街中に流れっぱなしのクリスマスソングにはもはや食傷気味だったから、仕事中くらいはクリスマスのことなんて忘れていたい。そんなに誰もかもがこの日を待ち望んでいたわけでもあるまいに、世間のクリスマスへの強要ぶりは正直どうかと思う。まあ、俺にだってそれを楽しんでいた時期があったのは否定しない。可愛い女の子が一人でも傍にいれば、また気が変わるのかもしれない。
 さしあたって独り身の俺がぶち当たっている最大の問題は、一ホールのアイスケーキをどのようにして片づけるからだ。
 生クリームのケーキとは違って多少は日持ちするはずだが、自宅の冷凍庫を長々と占拠させておくわけにもいかない。なるべく計画的に食べなくてはならない。一人でなら毎日一切れずつ食べるとしても、年を越さずに済むかどうかぎりぎりのところだが、さて。

 俺が営業課のドアの前までやってきた時だった。
「あ、安井課長。お疲れ様です」
 霧島ゆきの夫人もちょうどここを訪ねてきたようで、俺に気づくなりお辞儀をした。向こうから声をかけてくれたので、俺もいい気分で挨拶をする。
「お疲れ様です。もう上がり?」
「ええ。ケーキを引き取りに来たんです」
 そう答える夫人はモスグリーンのダッフルコートを着込んでいて、ケーキを受け取ったらそのまま帰るつもりのようだ。コートの色合いもさることながら、気負いなく浮かべる笑顔が大変魅力的な女性だった。その魅力は人妻となった現在でも一向に陰ることなく、むしろ一層幸せそうに、そして美しく見える。
 この人がいかなる数奇な運命を経てあの天然眼鏡と結婚するに至ったか、という疑問は俺や石田のみならず、社内の大勢の男共が総じて抱いた疑問だろう。今のところはっきりした答えは出ていないが、世の中には趣味の変わった物好きもいるという理屈だけでは到底納得しがたい。まあ先輩として言わせてもらえば霧島のいいところはあの頑ななまでの真面目さだから、結婚相手として安定を求めるなら申し分ない対象ではあるはずだ。そしてそういう男を好む女性が、俺のような真面目ならざる男を好きになってくれる確率が恐ろしく低いことも承知している。
 もうじき結婚一周年を迎えるご夫人は、勤務の後とは思えない明るい表情で続ける。
「もしかして、安井さんもケーキを?」
「そう。営業課の鬼主任に買わされた」
 俺はスーツのポケットから引換証を取り出し、彼女に見せた。
 霧島夫人がくすっと笑う。
「でも、楽しみにしてていいですよ。すごく評判のメーカーなんですって」
「楽しみにしたいところだけど、一緒に食べてくれる相手がいないからな」
 思わず肩を竦めた。
 今更一人きりのイブが寂しい、などと泣き言を言うつもりはないが――いや、実を言えばそこそこ寂しいとは思っているが、その解消の為だけに石田のような馬鹿っぷり浮かれっぷりを晒す気にはなれない。どうせクリスマスが過ぎれば寂しい気持ちも落ち着いてしまうだろうし、どうにかやり過ごしてみせよう。
「本当にいないんですか?」
 霧島夫人はなぜか怪訝そうにしていたが、今のところは嘘でもないし、頷くしかない。
「残念ながら」
 それからわざとおどけて、
「惜しいな、奥さんが独身なら『よかったら一緒に食べる?』って誘う流れなのに」
 と言ってみたら、思いっきり笑われてしまった。
「あいにくですけど、先約がありますから!」
 断り文句すら明るく朗らかな女性である。こんな人と築く家庭はさぞかし温かみに満ちていることだろう。霧島が羨ましい限りだ。
 これが小坂さんなら違う反応が返ってきたんだろうなと思いつつ、俺は先に立って営業課のドアを叩いた。
 俺にとって古巣であるはずの営業課は、やはり年末進行らしくばたばたとしていた。ノックをすれば返事はあったが、ドアを開けても手を止めて顔を上げてくれる人間は約半数、残りはそんな余裕すらないといったところだった。心なしか室内の空気さえ澱んでいるように思えた。
 もっとも、石田はすぐにこちらを見て、席を立ってくれた。
「遅いぞ安井、うちの冷蔵庫が大分前から定員オーバーだ」
 一言文句は言われたが、それもいつも通りの挨拶というものだ。
「しょうがないだろ。手が離せなかったんだから」
 応じながら俺はドアを押さえ、先に霧島夫人を通した。そして石田に向かって反論を続ける。
「それに、霧島の奥さんだって今来たぞ。俺だけ文句を言うってことはないよな?」
「美人はいいんだよ。俺が許す」
 いけしゃあしゃあと答える石田に俺が呆れると、すかさず霧島夫人が吹き出した。
「そこまで言ってもらえるほどでもないんですけどね。じゃあケーキ、いただいてきます」
「はいはいどうぞ。安井は後回しな、美人が先だから」
「差別だ、男女差別だ!」
 俺の抗議を石田は黙ってスルーすると、営業課の隅に置かれた古い冷蔵庫を開ける。あれは俺がここにいた時代からずっと使われている備品で、法定耐用年数などとうの昔にぶっちぎっているはずだった。毎年、『今年こそは逝くだろう』と営業課員の間で囁かれているのだが、そういった陰口が聞こえているかのように粘り強い働きを見せているようだ。
「はい、これ霧島家の分な」
 やがて石田が白いケーキの箱を持ってくる。
 霧島夫人はそれを両手で受け取り、すぐに持参した引換証を石田に手渡した。
「ありがとうございます、石田さん」
「こちらこそ。買ってもらえて大いに助かりました」
 妙に恭しく応じた石田が、その後霧島夫人に目配せをする。
「お宅のサンタクロースにも、今日は早く帰るよう焚きつけてやりますから、どうぞご安心を」
 何と気障な物言いだ。傍で聞いていた俺は更に呆れた。
 当のサンタクロースになるべき男は自分の席でパソコンを弄っていたようだが、それが聞こえたのか途端に咳き込んでいた。笑っているのか馬鹿にしているのか、あるいは案外とうろたえているのか。
 どれにせよ、霧島夫人はそういった言い回しにも耐性があるらしく、やはり笑って受け流していた。
「お気遣いありがとうございます。でもこの時期の忙しさは十分わかってますし、私はいくらでも待ちますから、気にしないでお仕事頑張ってもらえたらと思います」
「……だとよ。聞こえたか、霧島」
 にやにやしながら石田が声をかける。
 霧島はちょっと頬を赤らめて、石田には睨みを、奥さんには笑顔を向けようとしたらしい。でも結局どちらも両立できずに締まりのない顔になっていた。
「なるべく頑張りますよ。今日中にパーティ、やりたいですし」
 年末進行で慌しい営業課一同も、霧島の態度はスルーできなかったらしい。そこでどっと笑いが起こった。
 言われてみれば当然の話だろうが、本日の霧島家はクリスマスパーティの予定らしい。一般的な家庭ならクリスマスのお祝いは普通にするものだろうし、それが新婚家庭というなら尚更だろう。食卓にはキャンドルを飾り、シャンパングラスを二つ並べて、ほのかな明かりの中で最愛の人と過ごすひとときを心底幸せに思うのだろう。ああ、何と羨ましい。羨ましすぎて涙が出そうになる。
「パーティか。憧れの響きだ」
 俺がぼやくと、石田もうんうんと頷く。
「いいよなあ。もう何年やってないだろうな、クリスマスパーティ」
 お前は既に相手がいるんだからいいじゃないか。今日は弁当作ってもらったんじゃないのか。俺は嘆く石田の足を床を踏み抜く勢いで踏みつけたい衝動に駆られたが、そんなことをしたら営業課二年目の可愛い可愛い女の子からクレームが来そうなので、すんでのところで思い留まった。
 そういえば、その小坂さんの姿がまだない。こんな遅くまで外回りだろうか。
 俺の疑問はさておき、
「今年はツリーを飾ったんです。クラッカーも用意しましたし、シャンメリーも」
 霧島夫人は楽しそうに、本日のパーティについて報告をくれた。
「帰ったらローストチキンを焼くつもりですし、あとはこのケーキがあれば食卓が一気に華やぎます」
「すごいな。クリスマスを味わい尽くす気満々じゃないか」
 石田が感心している。
 俺も、別の意味で感心した。彼女と付き合う前まではえらく殺風景な部屋に住んでいた霧島が、家にツリーを飾ったりクラッカーを鳴らしたり、そもそもまともにクリスマスのお祝いをするようになるなんて。変われば変わるものだ。
 これもある意味、恋をすると馬鹿になるというやつの一例なのだろうか。
「じゃあ、お先に失礼します」
 パーティの準備があるという霧島夫人は、ケーキを抱えて一足先に営業課を出ていった。その前に、霧島の席に近づいて、
「映さん、頑張って。家で待ってます」
 と励ましの言葉をかけていくのも忘れなかった。
 おかげで俺は霧島の締まりのない顔をまたしても見せつけられる羽目になり、若干いらつきながら石田に催促した。
「ほら、美人の次は美男子にケーキを寄越せ」
「は? 美男子? そんなの俺以外にいるか?」
 石田は臆面もなくそう言ってから、俺の分のケーキを持ってきた。ホールのアイスケーキは相応の重量感があり、受け取った俺の心にも重く圧し掛かった。

 重いケーキを人事課まで運ぶ途中、廊下で小坂さんと出くわした。
 外回りから帰ってきたところなんだろうか。大きな鞄を提げた彼女は長い髪を揺らしながら急ぎ足で歩いてくる。それでも俺に気づくと、一度足を止めて頭を下げてきた。
「お疲れ様です!」
「小坂さんこそお疲れ様。今まで外回り?」
 俺が問い返すと、彼女は冬場らしく頬を真っ赤にしながら微笑んだ。
「はいっ。そろそろ仕事納めなので、年末の挨拶回りも兼ねてです」
「ああ、もうそういう時期か……」
「早いですよね。今年もいろいろあって、あっという間でした」
 小坂さんは目を輝かせて、充実した様子で語る。
 実際、彼女にとってはまさにいろいろあった一年となったことだろう。年明け早々にできた彼氏とは相変わらず順調のようだが、あいつもいい歳だから自然と結婚についても考えなくてはならなくて、小坂さんにとってはまさに目まぐるしいほどの私生活になったのではないかと推測できる。
 その結果、彼女は去年よりも幸せなクリスマスを手に入れたはずだ。近いうちに石田がまた惚気るだろうから、本人からは問い質さないでおくが。
「あ。それ、課長のケーキですか」
 会話の合間で俺じゃなく、俺の抱えるケーキの箱に目がいきがちなのも、実に小坂さんらしい。そんなに気になるなら一緒に食べてくれればいいのに。
「そう。君のうるさい上司に頼まれたからな」
 俺の言葉に小坂さんはなぜか笑った。
「主任も言ってましたよ。安井課長なら絶対買ってくれるから大丈夫だって」
「どういう意味の絶対なんだか……」
 あいつの場合、『絶対買わせる』の間違いじゃないのか。別に無理やり契約を結ばされたなどと言うつもりはないが、当てにしてくれていたのならもう少しいいサービスをして欲しいものだ。
「俺は誰かさんと違って独り身だからな。一ホールなんて多すぎるよ」
 そうぼやくと、小坂さんはなぜか俺を元気づけるみたいな口調で言った。
「一ホールなら案外いけちゃうものですよ。食べてみれば、あ、こんなもんかってなりますよ!」
「……小坂さんならそうだろうけどな」
 彼女と話していると時々無茶と言うか、本気なのか冗談なのかわからないことを言われる。そういう時、呆れるより早く笑いたくなってしまうのが不思議だ。真面目で、霧島に負けず劣らず頑なな感じがするにもかかわらず、その言動は妙に愉快な印象がある。一緒にいたら退屈しないと石田でなくても思うことだろう。
 俺にもこんな彼女がいたら、ケーキをどうやって片づけるか悩むこともないし、楽しく笑いながらケーキを片づけられることだろう。全くもって石田が羨ましい。それは馬鹿にもなるというものだ。
「では、失礼します。どうぞいいクリスマスを!」
 挨拶回りのノリなのかどうか、小坂さんはそう言い残して俺の横を通りすぎていく。
 現状、俺のクリスマスがいいものになる可能性は極めて低いが――遠ざかっていく結んだ長い髪が、犬の尻尾みたいにぶんぶん揺れるのを振り向いて見送っていたら、せっかくだから俺も楽しんでやろうか、という気持ちが芽生えた。
「小坂さん」
 呼び止めると、彼女はすぐに足を止めた。尻尾が大きく揺れて、怪訝そうな顔がこっちを向く。
「何ですか、課長」
 それで俺はかねてからの謎を、彼女に尋ねてみることにした。
「去年のクリスマス、あいつに何をプレゼントしたの?」
 少々不躾な質問ではあったかもしれない。問われた小坂さんは目を丸くしてから、何となく焦りを見せた。
「えっ……ど、どうしてですか?」
「あいつから、貰ったって聞いたから。でも何を貰ったかは口を割らないんだよ」
 すると小坂さんもまた口を閉ざした。言いたくないという意思よりは、言いづらいという内心の方がより窺える顔つきだった。いつもはきらきらしている目がやたら泳いでいるのも、何と言うか、口ほどに物を言うというやつだろう。
 俺としても他人の彼女をちくちくいじめる趣味はない。だからこの質問はただの下準備だ。前振りだ。
 悪戯をしかける対象は、もっと別の相手にしておこう。
「前に、空き瓶を取っておきたいんだけどって相談されてな。結局その空き瓶とやらをどうしたのかは知らないけど……小坂さんは知ってる?」
 俺が白々しく畳みかけると、そこで彼女は目を瞬かせた。
「空き瓶を、ですか」
「そう。君からの贈り物なんだろ?」
「……はい」
 小坂さんはこくんと頷く。それからちょっと照れた顔になって、
「あの、中身は恥ずかしいので内緒ですけど……空き瓶のことは聞いてみます」
 と言った。心の中で誰かさんに尻尾を振っているのが丸わかりの、羨ましくなるほど嬉しそうな表情をしていた。
「頼むよ」
 こちらも尻尾をゆらゆらさせておく。恐らく尖った悪魔の尻尾に違いない。

 どうせ石田なんて、小坂さんからのプレゼントなら何でも喜ぶに決まっている。
 たとえ中身が空でも、『隆宏さん! これその辺で集めてきた空気です!』とか言われても大喜びで貰ってしまうだろう。何せあいつはすっかり馬鹿になってしまったのだから。
 それならそれで、俺も小坂さんが去年あいつにどのような品を贈ったのかは追及しないでおくことにした。
 もっと興味があるのは、あいつのことだ。果たしてあいつは例の空き瓶をどうしたのか。初彼氏からプレゼントを貰った女子高生のように取っておいたのか、さすがに三十男がそれをやるのは痛いと気づいて捨てたのか。答えはもうじきわかることだろう。

『……おい安井。お前、藍子に変なこと吹き込んだだろ』
 イブがあと一時間で終わるという時分、既に退勤して自宅にいた俺に、石田が電話をかけてきた。
 どうやらビンゴのようだ。
「本気で取っておいてたのか、空き瓶」
 俺がげらげら笑いながら聞き返すと、
『うるせえよ! いいだろ別に!』
 電話が壊れるんじゃないかというほどの罵声が耳元に放たれた。思わず携帯を遠ざけつつも、俺の笑いは止まらない。
「でも、小坂さんは喜んでたんだろ? じゃあいいじゃないか」
『そりゃまあ、喜んではいたけど……こっちは恥ずかしさで死ぬかと思ったわ!』
「何だ。そこからイブの夜らしい甘い時間でも過ごせばよかったのに」
 それをきっかけに、浮かれてしまっている馬鹿らしくいちゃいちゃと過ごせばよかったのに。まあ、石田のことだからいちいち言わないだけで、することはしてきたんだろうが。
『ったく油断ならねえな……。もう安井には何にも言わないことにする』
 拗ねたのか、石田はそんなことを言い出す。
「感謝くらいしろよ。今夜は俺がお前のサンタクロースだぞ」
 逆に俺が浮かれ始めている。自棄になって一人で既に半分食べたアイスケーキのせいかもしれない。特に酒が入っている様子はなかったが、何だかいい気分になってきていた。
『誰がだよ! こんな歪んだ性悪サンタとか願い下げだ!』
「そう言うなよ。お前と小坂さんに、昔を振り返って愛を深め合うきっかけをプレゼントしたじゃないか」
 俺の反論に石田は深く溜息をつく。
『そんなもん、貰わなくても十分深まってんだよ、こっちは! 要らぬお世話だ!』
「はいはい、ごちそうさまです」
 今でもやっぱり羨ましいと思う。
 石田に小坂さんがいることも、霧島に奥さんがいることも。
 その上で、空き瓶を取っておくようになった石田も、ツリーを飾るようになった霧島も、変わったと思う。でも傍に小坂さんやゆきの夫人みたいな女性がいたら、そりゃあ馬鹿にもなるというものだろう。
 男は恋をすれば馬鹿になる。
 もう少しましな言い方をするなら、ロマンチストになる。
 さて、それでは俺の場合はどうだろう。俺もいつかはこんなふうに、馬鹿に、あるいはロマンチストになれるだろうか。みっともないし気恥ずかしいしで未だに抵抗はなくもない。でも石田や霧島を羨むなら、避けては通れぬ道でもあるはずだ。
『安井こそどうなんだよ。ケーキ、一人で食ってんのか?』
 石田に尋ねられたから、正直に答えておく。
「今のところはな」
『また思わせぶりな言い方を。実はあるんだろ、一緒に食べてくれそうな当てが』
 さあどうだろう。今のところは、報告に値する話もない。
 ただ、俺もクリスマスイブの幸せなカップルどもに当てられて、何だか浮かれ気分にはなっている。
 今なら、馬鹿にもなれそうな気がする。
「石田」
『何だよ』
「俺もいつか、お前みたいになるかもな。浮かれ調子の馬鹿に」
 そう告げると、電話の向こうは一瞬沈黙した後、けたたましく笑った。
『なるなる! 安井なんて俺より霧島より馬鹿になるぜ、賭けてもいい!』
 石田にそこまで保証されるのも、正直心外ではあるが――。

 まあいい。それなら本当に馬鹿になってやるまでの話だ。
 そうして上手くいったなら、石田や霧島には今までの分のお返しとばかりに惚気まくってやろう。
 クリスマスイブが終わる頃、俺はそんなことを考えながら、一人で楽しい気分になっていた。むやみやたらに前向きなのは、きっとクリスマスのせいだ。
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