Tiny garden

主任とルーキー、大団円(5)

 五人での飲み会が始まったのは、外の日が暮れた頃だった。
 ローテーブルにはゆきのさんお手製のおつまみが置かれて、それを囲んでからまずはビールで乾杯。それから結婚式の映像を再生することとなった。
 主任のカメラマンとしての腕前は相当のもので、チャペルでの式も披露宴も、本当にきれいに撮れていた。手ブレもほとんどなかったし、ピントもちゃんと合っていた。途中、二度ほど私がデジカムをお預かりした場面があったから、そこだけは酷い映りになっていたけど――床ばかり撮っていたり、花嫁さんに手を振り返したせいで画面がぶれぶれだったり。皆にも笑われて、恥ずかしかった。
 ちなみに問題のキスシーンは、霧島さんが早送りボタンを押したので見られなかった。
 当然、揉めた。
「お前何勝手に飛ばしてんだ、ちゃんと見せろよ」
「だから霧島にリモコン持たせるの反対だったんだよ」
「いいじゃないですか俺の結婚式なんだから好きに飛ばしたって! 文句あるなら料理下げちゃいますよ、ゆきのさんお願いします!」
 主任と課長に突っ込まれてむきになる霧島さん。ゆきのさんはくすぐったそうにしながら応じる。
「料理は下げませんけど、私も恥ずかしいので飛ばしていただいて結構です」
 私としても、結婚式当日ですらあれだけどぎまぎしてしまったので、お二人の前でもう一度拝見するのはきっと照れただろうなと思う。
 そもそも結婚式自体が見ているだけで何だか照れてくるものだ。そこには幸せが溢れているし、その幸せもずっと続いていく。そうして築かれた家庭がここにはある。
 並んで座る霧島さんとゆきのさんを見ていると、ご夫婦なんだなあ、としみじみ考えてしまう。先輩二人にからかわれてむきになる霧島さんと、さりげなくそのフォローをするゆきのさん。つい先日まで恋人同士だった人たちが家族になっている光景って、とてもロマンチックな気がする。
 テレビ画面の中で披露宴は着々と進み、やがて余興の時間になる。安井課長の歌声に聴き入る新郎新婦が映し出されると、ゆきのさんがにこにこしながら言った。
「安井さんの歌、本当にお上手ですよね」
「ありがとう」
 課長もうれしそうに応じてから、ちらと私の方を見遣る。そして、
「小坂さんの結婚式にも歌うつもりでいるんだ。どうせもうすぐだからな」
 と言ってきたものだから、私は口に運ぼうとしていたエビフライを危うく落っことすところだった。
「も、もうすぐなんてそんなことないです、予定もないですからっ」
「何だよ藍子、せっかくそう言ってもらったんだから遠慮するなって」
「主任もからかわないでくださいっ!」
 遠慮とかじゃなくって。慌てふためく私を、主任は隣でにやにやしながら見ている。どことなくうれしそうなのは、やっぱり私をからかうのが好きだから、なんだろうか。
「慎重になった方がいいですよ、小坂さん」
 霧島さんは真顔で言ってくる。
「わざわざ石田先輩みたいな狼を選ぶことはないと思います。小坂さんはまだ若いですし、この先引く手数多でしょうから、もっと紳士的な人を選んだって――」
「おい霧島、ちょっと表出ろ」
 低い声で、霧島さんの言葉を遮る主任。そこへ安井課長がいい笑顔で割り込んでくる。
「そう言うけど、お前が長谷さんと結婚するって言った時、同じこと思った奴はどのくらいいるんだろうな? お前の奥さんだって十分引く手数多だろうに」
 ぎくりとしたらしい霧島さんが、恐る恐る奥さんへと尋ねる。
「ゆきのさんは、俺で良かったんですよね?」
 アルコールのせいか、ほんのり赤い頬のゆきのさんが、はにかみながらこう答えた。
「もちろんです。映さんは、私には過ぎた人ですよ」
 お二人のそんなやり取りに、結婚式の映像なんて目じゃないくらい、どぎまぎした。主任と課長が一斉に囃し立て始めた中、私は視線のやり場に困りながらビールを呷る。フライが美味しいからお酒も進んで、頬っぺたはすっかり熱かった。
 でも、さらりと今みたいなことが言えてしまうゆきのさんは、素敵だ。
 私も惚気話は無理だけど、誰かに主任のことを聞かれた時にはちゃんと答えようと思う。それにしても結婚は、まだまだ早いと思うんだけど――いつか、そうじゃなくなるのかもしれない。

 五人でのささやかな飲み会は、午後八時で幕を下ろした。
 霧島さんご夫婦に見送られておいとました後は、主任と二人きりになった。と言うのも安井課長が一緒に歩くのを嫌がったからだ。
「お前らと歩いたら独り身には目の毒だ。先に行くから、せいぜいいちゃつきながらゆっくり歩いてくればいい」
「せっかく見せ付けてやろうと思ったのに」
 主任は相変わらずそんなことを言う。私としてはノーコメント。
 そこで課長が私を見て、にっこりと笑んだ。
「そうだ、小坂さん」
「は、はいっ」
「今日はありがとう」
 お酒が入っていることを感じさせない口調でのお礼。とっさに理解出来ずに瞬きをすれば、囁くような声で付け足してくる。
「昨日のことだよ」
 言われてやっと思い当たる。そうだ、――アフターフォロー。
 でもお礼を言われるような行動は出来ていない。主任が抱えている悩み、悩みというほどではない『些細なこと』を聞く約束をしただけで、まだ聞いた訳でもないし、解決に至った訳でもなかった。
 だけどそう言ってきたということは、課長の目から見た主任の様子が、元気を取り戻したようだったんだろうか。
「何の話だ?」
 主任が眉根を寄せれば、安井課長は愉快そうに答える。
「石田にもいい彼女が出来たなって話だよ。じゃあな、二人とも」
 そして手をひらひら振ってから、先に夜道を歩き出す。
 等間隔に立つ水銀灯の向こうに、姿勢のいい課長の背中が溶け込む。その後でもう一度、主任が尋ねてきた。
「藍子、何の話をしてたんだ」
 私は迷うことなく教えた。
「安井課長も、主任のことをすごく心配してるんです」
 すると主任はあからさまに疑わしげな顔をしてかぶりを振ったけど、表情で照れているのがばればれだった。ないない、と言い放つその様子を、にやつかずに見ているのは大変難しかった。

 空には、ほのかに霞んだ月が出ていた。春らしいおぼろ月夜だ。
 予想していた通り、お酒の入った身体は三月の夜を心地良いと感じていた。昼間よりも風は穏やかで、時折ふと静かにさえなる。夕方とは違って、夜も更けた住宅街は足音がこつこつと高く響いた。
 私と主任は手を繋いで歩いていた。いつの間にか右手を取ってもらうのが当たり前のようになっている。それでいて大きな、少しひんやりした手の感触には相変わらず、どきどきしている。手のひらから鼓動が伝わってしまうんじゃないかって思うくらいに。
 駅までは徒歩で十五分。話をしながら歩くならちょうどいい距離かもしれない。どきどきしつつもそう考えて、まず私から切り出した。
「何だか、いい夜です」
 いい気分だった。楽しくお酒を飲んで、楽しく話をした。霧島さんもゆきのさんも安井課長も、それに石田主任だって幸せそうだった。好きな人のそういう顔を見ていられた時間が、すごく幸せだった。
「そうだな」
 どことなく酔いの感じられる声で、主任が応じてくる。左手は私と繋いで、右手は上着のポケットに突っ込んで、幸せそうに空を見ていた。
 見上げた先にはうっすらぼやけた月がある。
「おぼろ月だな」
「春らしいですね」
「三月だもんな。直に桜が咲くぞ」
「もう、そんな頃なんですね。早いなあ……」
 去年の桜をどんな気持ちで見ていたか、あまり記憶にない。覚えていられないくらい余裕がなかったのか。緊張していたのか。それとも密度の高いこの一年間を過ごすうち、初めの方の記憶は打ち消されてしまったのか。
 覚えているのは夏になるまでの焦燥。早く仕事を覚えたいとひたすら急いていた頃のこと。それから、仕事を覚え始めた頃の緊張。そして一人で仕事をするようになってからの慌しさ。日々はどこまでも切れ目なく繋がっていて、どこからどう変わっていたのか、すぐには思い出せないほどだった。
「ルーキーイヤーももうじき終わりだ」
 主任はそう言ってくれたけど、そんな実感もなかった。三月末日でルーキーっぽさを全て払い落としてしまえるかどうか、自信もなかった。四月一日も未熟なまま、あたふたしながら迎えていそうな気もする。一年目が終わったくらいではそうそう変わらないんじゃないかな。
 だとしても、私は思う。
「いい一年でした」
 すっかりアルコールの回った頭で、だけど夜らしくトーンを落として、素直な気持ちを告げてみる。
「びっくりするくらい、いいことだらけの一年でした」
 思えば、貰ってばかりの一年間だった。出会えたのは優しい人たちばかりで、いつだって幸せでいられた。そういう人たちの為に私が、何が出来ただろうと考えると、どうしても省みたくなる。
 来年は、もう少し他人の為に、誰かの為に頑張りたい。
 今年の残りの数日で、まず、一番大好きな人の為になりたい。
「だから私、主任のことも幸せにしたいです」
 息をついて告げると、心なしか歩くスピードも緩やかになった。
 繋ぐ手にも力が込められて、並んだ肩の上で視線も繋がる。ゆっくりと歩きながらこちらを見る主任が、微かに笑んだ。
「藍子」
 呼びかけられて、以前よりも一層心臓が跳ねる。
「は、はい」
 上擦る返事の私に、目を細めて告げてくる。
「行きの時に言ってた話をする。聞いてくれるか」
「……はい」
 ぎくしゃく顎を引く。
 素面では言えないことだと聞いていた。大した話じゃない、とも聞いていた。それがどんなことかは想像さえつかなかったけど、出来る限りどんなことでも受け止めようと思う。心配してるのは私だって同じだ。
 好きな人の為になりたい。
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