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新婚旅行の為の定食(4)

 一泊二日という日程は、新婚旅行としては短い方なのかもしれない。
 もちろん短いからと言っていい思い出が出来ないということもないだろう。実際、一日目にごちそうしたハンバーグ定食は相当堪能してもらえたようだし、その晩に泊まったホテルにも満足してもらえたようだ。二日目に顔を合わせた時にはホテルの話ばかりをされた。
 というより、客室露天風呂の話ばかりだった。
「客室に露天風呂を設えようと考えた奴は天才だ」
 渋澤が真顔で言い切る。なまじ顔のいい男がそんなことを口走るのはなかなかシュールだ。
「まず窓からの眺めがいい。入浴しながら大海原が望めるんだ、これが素晴らしかった」
 そういえば昔、うちの母さんも言っていたっけ。窓からのオーシャンビューがどうのこうのと。海なんて毎日見ているくせに。
「それと、驚いたのは源泉掛け流しだってことだ。てっきりただの露天風呂だと思っていたら、ちゃんと温泉なんだもんな。いい湯だったよ」
 温泉が名物の街だ、そこはしっかりやってもらわないと困る。満足してもらえてよかった。
「しかし何と言っても、可愛い妻と二人きりで温泉を楽しめるというのが最高だった。あんな贅沢は他にはない」
 結論がそこへ行き着くのも渋澤らしいと言えばらしい。一海さんが若干恥ずかしそうにしていても全く気にするそぶりがないのも、いかにも。
「あれはいいな。もう一泊くらいして、のんびりしたかった」
 しみじみと記憶を反芻しているらしい渋澤。どうやらいい新婚旅行だったらしい。俺も自分のことを棚に上げて、幸せ一杯の新婚さんめと羨んでやりたくなる。返り討ちに遭いそうなので黙っていたが。
 やっかみはともあれ、本当に満足してもらえたようでほっとした。渋澤も一海さんも朝風呂を楽しんできたらしく、湯上がりの顔で俺たちの前に現れた。湿り気を含んだ髪が潮風に揺れている。この街ではそう珍しくもない、実に観光客らしい姿だった。
「知らなかったなあ、そういうとこって本物の温泉引いてるんだ」
 真琴がびっくりした声を上げると、渋澤も目を丸くする。
「行ったことないのか、地元なのに」
「地元だから行かないんだよ」
 うちの親じゃあるまいし。反論する俺に、しかし奴が向けてきた言葉はこうだ。
「お客さんにお勧めするのに『行ったことない』じゃ困らないか? お前らも一度行ってみたらいいのに」
「素敵なところでしたよ、本当に」
 一海さんにまで太鼓判を押され、俺と真琴は顔を見合わせる。もっともなだけに返す言葉もない。地元の観光なんて、そもそもしようという気にもならなかったが――言われてみれば必要かもしれない。考慮に入れておこう。
 とりあえず、そうまで言ってもらえる旅行になったのは、よかった。
 旅行二日目のお昼前、渋澤たちの新婚旅行はもうじき終わる。可愛い奥さんとの休暇を楽しんだはずの渋澤も、帰り際には言ってきた。
「もう少し、いられたらよかったんだけどな」
 そして俺も、同じように思った。
「こっちも休みだったらよかったんだろうけど。そしたら市内の観光案内なんかも出来たのに」
 飲食業をやっていて、ゴールデンウィークに休みがあるはずもない。一泊二日の日程の間、俺たち四人が顔を合わせていたのは半日もなかった。久し振りに会ってまだ話し足りない気もするし、食事をごちそうするだけじゃなくて、他にも何かしてやれたらよかった。
 せめて見送りだけはしようと、帰り際にちょっとだけ時間を貰った。ホテルをチェックアウトした後で店にもう一度寄ってもらって、昼食にと用意した折詰弁当を渡したら、一海さんにはすごく恐縮されてしまった。
「こんなにしてもらって何とお礼を言ったらいいか……お蔭でとっても楽しい旅行になりました」
「いや、このくらいしか出来ないから、あまり気にしなくても」
 もごもご答える俺を、隣で真琴がこっそり笑う。顔を合わせた時間が短かったせいで、結局一海さんに対しては最後まで照れてしまっていた。やっぱり若い女の子に慣れるのには、もっと段階を踏まなくちゃいけない。
 だから渋澤たちには、また是非ともこの街へ来てもらいたいところだ。
「このくらいって、いろいろ世話になっただろ。いい宿も取ってもらったし」
 渋澤が柄にもなく気遣わしげな顔をしたから、ここぞとばかりに言ってやる。
「いいよ。ほら、リピーターを確保するのも観光都市としては必要なことだし」
 でも話す途中で笑ってしまって、その言葉は建前にもならなかった。若い女の子ならいざ知らず、渋澤に対して照れるというのも何だかおかしい。
 真琴が俺の脇腹を肘で突き、渋澤は一海さんと顔を見合わせて、ちょっと笑う。そしてこちらへ向き直り、告げてきた。
「じゃあ、また来るよ」
 今度は照れも何もなく、心底からの気持ちで答えておく。
「ああ。待ってるからな」
「次も是非、ハンバーグがいい」
「……覚えとく」
 もっとも、こいつの好物なんて今更忘れようもない。
 
 俺と真琴は、渋澤の車が通りの向こうへ消えてしまうまで見送った。
 それから多少の物寂しさを覚えつつ、店の中へと戻る。ゴールデンウィーク終盤、今日も夕方からは仕事がある。昼飯を食べたら開店準備を始めなくちゃいけない。
 今日の昼飯は弁当だった。朝のうちに作った弁当は、渋澤たちに持たせたものより品数が少ない。それでも賄いにしてはちょっと贅沢な折り詰めだった。
「俺たちも頑張ったからな、このくらいの役得はないと」
「自分へのご褒美って奴だよね」
 きっと今日も忙しいだろうから、しっかり食べて開店に備えないと。二人で小上がりに座り込み、並んで弁当を開く。
「渋澤くんたち、喜んでくれてよかったね」
 食べながら、真琴が笑みを向けてくる。
「いい新婚旅行になったみたい。あんなに幸せそうにされたら、こっちも幸せな気分になるよね」
「そうだな。奥さんとも仲いいみたいだし、よかった」
 仲がいいと言うよりは臆面もなくべたべたし過ぎじゃないかと思いもしたが――まあ、新婚さんだから、ハネムーンだからしょうがない。
「初めて会ったけど、やっぱり一海さんって素敵な人だったね」
「ああ。いいとこのお嬢さんみたいだった」
「ね。それでいて、写真で見るよりもずっと柔らかい感じがした」
 弁当の里芋を口に放り込み、真琴はしばらく考え込む表情で味わっていた。その後でふと思いついたみたいに、
「名は体を表すって言うけど、何か本当に『母なる海』ってイメージの人だった」
 と言う。
「わかる」
 納得のいく例え方だ。俺たちより年下とは思えない、すごく落ち着いた子だった。渋澤に対しても、温かく見守っている様子ばかりが目に付いていた。見守られている方の渋澤は相変わらずだったものの、相変わらずでいられるというのも、つまりはああいう奥さんがいるからなのか。
「渋澤の好みって、ああいう子じゃないかと思ってたんだよな。おっとりした、癒し系みたいな子」
 つまり事前の俺の読みは当たっていたということだ。写真で見るよりもずっと柔らかくて、優しい感じがした彼女。密かに得意になっていれば、真琴にも納得の表情をされた。
「わかるなあ。渋澤くん、包容力のある子に弱そう」
「だよな」
「プライベートではすごく寛いじゃう人だよね、きっと」
「ああ、すごく想像がつく」
 頷きつつ、違う意味で意外さを覚える。俺より接点の少なかった真琴が、奴の趣味を見抜くとは思わなかった。女の勘って奴だろうか、それとも渋澤がわかりやすい奴ってだけなのか。
 すると、彼女は不思議なはにかみ笑いを浮かべた。
「私も包容力のある人が好きだから、よくわかるよ」
 一方、俺はぎくりとして、危うく箸を取り落としそうになる。慌ててしっかり掴んでから、恐る恐る切り出した。
「真琴の好み、初耳だ」
「そうだったっけ。でも、結構わかりやすいと思うんだけどな」
「俺、そんなものあったかなあ……」
「あるよ。だって私、こっち来てからまだ二ヶ月経ってないんだよ?」
 照れたように首を竦めた真琴が、それでも弁当は持ったまま、視線も折り詰めの中身へ向けたままで言う。
「なのに『長く働いてるみたいだ』って、渋澤くんには言われちゃった。それってつまり、包容力のある人と結婚したからってことじゃないかなーって……そ、そう思わない?」
 言いながら途中でもじもじし始めるのは止めて欲しいな、ととりあえず思う。こっちだって反応に困る。どぎまぎする。
 そりゃあ、そう言われてうれしくない訳でもないものの。
 と同時に違うことも思う。一海さんは包容力のある人だったが、だからと言って渋澤がだらしない奴ってことでもないんだよな。あいつの抜きん出た外面の良さ、行動力は、傍にいる誰かの包容力が土台となって、初めて上手く働くものなのかもしれない。
 だとしたら、ちょっとは俺も、あいつにとって寛げる友人になれてたのかな。
 俺にとっては今でも、嫉妬するのもおこがましいほど欠点のない友人だったし、学ぶべき事柄の多い相手でもある。それはもうものすごく多い。俺は真琴の言う包容力に寄りかからず、驕らずに、機会があれば渋澤瑞希を見習うべきである。
 例えば今とか。
「真琴」
 俺も弁当を見つめながら切り出す。
「渋澤たちも勧めてたし、今度行ってみようか、温泉」
「え?」
 窺うように微かな声で問い返された。それで俺はぼそぼそと付け足しておく。
「客室にある露天風呂ってのも、見てみたいし」
 結局それが目的なのかと言われたら、否定は出来ない。地元の温泉なんて行ってどうするんだと思っていたくせに、いつの間にやら気が変わっているんだからしょうがない奴だ。
 でも、地元じゃなくちゃいけない理由もある。渋澤たちの評判もそうだし、店を休めないこともそうだ。この街に暮らす以上、地元のことはよく知っておかなきゃいけないし、真琴には特に、俺の故郷をもっと知ってもらって、まるで長く住んでいるみたいに思ってもらえたらいい。
「……新婚旅行?」
 やっぱり小さな声で、真琴が尋ねてくる。俺は急いで語を継ぐ。
「近場で悪いんだけど、その分、店の定休日に一泊くらいは、してこれるし」
「うん」
「あのホテルなら多少顔利くから、部屋も押さえられると思うし」
「うん」
「あと、……渋澤を見習おうかなと思って、俺も」
 さすがに人前で彼女のことを、『可愛い妻』なんて言えはしない。でもあいつに負けないくらいには、真琴を大切にしよう、とは思っている。
「新婚旅行かあ」
 真琴の声が、やっと笑った。
 横目でこっそり盗み見れば、うれしそうに弁当を見下ろしているのがわかる。頬の赤い照れ笑い。
「楽しみにしてるからね、播上」
 やがてそう言ってもらったから、俺ももうひと頑張りと思って、また弁当を食べた。
 可愛い妻をがっかりさせちゃいけない――心の中では結構しょっちゅう、言ってたりする。
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