くりこ二号と恋をする(1)
「――くりこ!」いきなり低い声に名前を呼ばれ、私は思わず跳び上がった。
「な、何っ」
びくびくしながら辺りを見回したけど、周囲に人影は一切ない。
目の前には寂れきった駅前商店街が広がっている。くたびれた緑色のアーケードと、夏の強い日差しの下でからからに乾いた道が続いている。ところどころに打ち水の跡があって、遠くの景色が揺らめいて見えた。
私も普段はこの辺なんて来ない。
お盆を控え、お仏壇に供える和菓子を買ってくるよう頼まれて、それでここまでやってきた。夏休み中の私は家族から暇だと思われているらしい。一応これでも受験生なんだけど。
駅前商店街には可愛いカフェや服屋さんなんてない。あるのは昭和レトロな喫茶店とか、入り口ごと本に埋まってそうな古本屋とか、昔ながらの理容室とかそういうのばかりだ。
だからこんなところじゃ、友達にだって会うことないと思っていた。
「……空耳、かな」
声の主が見つからなくて、私は一人首を傾げる。
おかしいな、確かに聞こえたと思ったんだけど。『久里子』なんて古風すぎてレアな名前の子、私の他にはそうそういないはずだ。でも商店街には私以外に人の姿もなく、どこかで風鈴の鳴る音が微かに響いただけだった。
まさか昼間からお化けに呼ばれちゃったとか――何だか不気味に思えてきて、私はその場を立ち去ろうとした。
すると、
「こらっ、くりこ! おとなしくしてろ!」
さっきの声がもう一度、私を呼んだ。
「え、ええっ」
空耳じゃない。震え上がった私はその時、アーケードの下の店の一つから、小さな影が飛び出してくるのを見た。
猫だった。
薄茶色に白いしましま模様の茶トラ猫が、ぴょんと私の前に躍り出た。子猫だろうか、サイズはやけに小さくて、赤いリボンみたいな首輪をつけている。首輪の下には銀色のネームプレートがきらりと光っていた。
そこに記されていた名前は――。
「くりこ! 暑いから駄目だって!」
三度目に低い声が響いた時、猫が出てきたのと同じ店から、今度は人影が飛び出してきた。
柔らかそうな癖っ毛の、やや細身の少年だった。彼は立ち止まっている子猫に慌てて駆け寄ると、屈んで即座に抱き上げる。猫も素直に彼の手に収まって、可愛い声で鳴いてみせた。
「なー」
「散歩は涼しくなってからな、くりこ」
「なー」
ネームプレートが示す通り、この子猫は私と同じ名前だった。
妙な偶然もあったものだなあなんて感心していれば、猫を抱いた少年が、そこで初めて私を見る。
猫の目みたいに吊り上がった瞳が、次の瞬間大きく見開かれた。
「……あ、日南久里子」
「なー」
「えっ」
今度はフルネームで名前を呼ばれ、私より先に猫が返事をした。さっき以上にびっくりした。
私の方は彼に全く見覚えがない。
同い年くらいに見えるから、もしかしたら一緒の高校なのかもしれないけど。
「どうして私のこと知ってるの?」
尋ねてみたら、彼はたちまち人懐っこそうな笑みを浮かべた。
「有名人じゃん、うちの学校の」
「そ、そう? 初めて言われたけど……」
「んなわけないだろ。『猫の平和利用』、超面白かった」
彼が目を輝かせたのとは対照的に、私はぎくりとしていた。
なぜなら彼が口にしたのは、つい二ヶ月前に私が作った黒歴史のタイトルだからだ。
うちの高校には毎年六月に、弁論大会という行事がある。
一つのテーマを決めて作文を発表し合うという実にお堅いイベントで、発表者は各クラスから一名選出される決まりだ。
今年のテーマは『戦争と平和』。
代表を選出する為に、まずはクラス全員で作文を書き、ホームルームで発表した後、多数決で決めることになっていた。
でもいざ書くとなると『戦争と平和』は難しいテーマだ。高校生の知恵でどうにかできるものでもないし、思いつくようなネタは大体言い尽くされている。それでもあえて考えることに意味があるんだって先生は言ったけど、真っ白な原稿用紙を前に、私は完全に行き詰まってしまった。
悩んだ末に、こう書いた。
『猫の平和利用』
世界を平和にしたいなら、皆で猫を飼えばいい。
ごろごろ喉を鳴らす猫を抱き締めたら温かくて可愛くて、戦意なんて喪失してしまう。
猫が駄目な人は犬を飼えばいい。ふかふかの毛皮とぶんぶん揺れる尻尾に夢中になれば、他のことなんてどうでもよくなる。
猫も犬も駄目なら、ひよこなんてどうだろう。手のひらサイズの小鳥にぴよぴよ懐かれているうちに、戦争してる暇もなくなる。
猫も犬もひよこも駄目なら、ペンギンだっていいと思う。
――という感じで延々と、動物の可愛さを語る作文だ。
今なら思う。すごくふざけてる。
だけど行き詰まってた私はどうにもならなくて、その作文を提出した。それはホームルームで大いにウケを取り、最多得票でクラス代表に選出されてしまった。ノリ重視の高校生に『戦争と平和』はやっぱり難しかったみたいだ。
そして恐ろしいことに、私は弁論大会の壇上に登った。
作文はウケた。全校生徒の前で笑いを取ることに成功した。まあもしかしたら笑われただけかもしれないけど、少なくとも白けはしなかった。
ただ学年主任辺りがいい顔をしなかったらしく、うちの担任がちくりと釘を刺されたそうだ。あとで聞かされて、さすがに申し訳なかったなと思った。
そういう経緯もあって、弁論大会の件は私の中で黒歴史となっていた。
にもかかわらず、
「いや、あれめちゃくちゃ楽しかったよ」
薄茶色の子猫を抱いた猫目の少年は、私の作文を絶賛していた。
「弁論大会でも腹抱えて笑ったし、あの後一週間は思い出し笑いして――」
と言いかけて、また思い出し笑いの波が来たんだろう。堪えきれずに吹き出した後で盛大に笑い始めた。
「ああ駄目だ、今でも笑える!」
「そ、そんなに?」
笑ってもらえたのは嬉しいような、今更だしちょっと恥ずかしいような。
私は戸惑ったけど、彼はひとしきり散々に笑った後、涙の浮かぶ目を細めた。
「こんなところで会えるなんて嬉しいな。握手してよ」
そして右手に子猫を抱いたまま、左手を差し出してくる。
断るのも失礼かなと、私はその手を握ってみた。私よりも大きくて、日に焼けた手がぎゅっと握り返してくる。
「ありがとう、夏休みに最高の思い出ができた」
彼は屈託なくそう言って、五秒間くらい堅く握ってから私の手をようやく離した。
何だろう。私、あの作文でファンを作っちゃったのかな。
あんなふざけた作文で――うわあ後ろめたい。もっと真面目に書いとくんだった。
「うちの猫も、それにちなんで名前つけたんだ」
内心後悔しまくりの私をよそに、少年は両手で猫を掲げてみせる。
薄茶色の毛皮はふわふわで、三角の耳も手足も全部、見てるこっちの胸がきゅんとするほど小さい。瞳は透き通ったアイスブルーだ。
「な、『くりこ』」
慣れ親しんだその名前を彼が呼ぶと、
「なー」
子猫が可愛く返事をする。
やっぱりこの子の名前は私と同じ『くりこ』みたいだ。
「私の名前、つけたの?」
「そう。子猫を貰ったんだけど、名前何にするか悩んでさ」
話しながら、彼の指先が子猫の顎をくすぐる。ふかふかの部分を撫でられて、今度は猫が目を細める。
「で、猫と言えばあの作文だろ。なら名前は『くりこ』しかないなと思って」
「随分、印象に残っちゃったみたいだね……」
かくして黒歴史は猫の名前として、永遠に少年の記憶に残るのであった――。
あまりの重大さに眩暈がしてきた。私が額を押さえて天を仰ぐと、少年がすかさず切り出した。
「そうだ、時間ある? よかったらうちの店寄ってって」
「うちの店?」
「そこにある駄菓子屋。ラムネでも奢るよ」
彼が指差したのは、さっき子猫と一緒に飛び出してきた店先だ。
よく見れば確かに駄菓子屋だった。店のひさしが作る日陰の中に、お菓子がいっぱい入った籐編みのかごや、百円を入れてがちゃがちゃ回すカプセルトイや、低いモーター音を立てて稼働するアイスケースや、背もたれのないベンチなんかが置かれている。最近は見ないタイプのベーシックな駄菓子屋さんだ。
「時間はあるけど、奢ってもらうのは悪いよ」
私はちょっとためらった。
おつかいは急ぐものでもないし、こんな暑い日に冷たい飲み物はもちろん嬉しい。だけど彼は今日初めて会った相手だ。どうやら同じ高校らしいけどそれ以外の縁もないのに、お言葉に甘えちゃっていいんだろうか。
「遠慮すんなって。ずっとお礼がしたかったんだ」
だけど彼は首を横に振る。
「お礼って、私は何もしてない」
「あの作文で楽しませてくれただろ」
また思い出し笑いしたんだろうか。喉を鳴らして笑った後、抱いている子猫の頭を撫でる。
「それに、この子に名前をくれた。いい名前だよな、『くりこ』」
「なー」
子猫は名前を呼ばれる度、可愛い声で返事をした。
「すごい。この子、お返事ができるんだね」
「おりこうさんなんだよ、くりこは」
「なー」
私が誉めると、彼は自慢げに胸を張り、子猫は呼ばれたと思って鳴く。その様子が素敵で、私もつい笑ってしまった。
考えてみたら、作文を気に入って私の名前を子猫につけたっていうのも、それなりに何かのご縁だ。喉も渇いたし、お呼ばれすることに決めた。
「どうぞ、召し上がれ」
猫目の少年が、店内から持ってきたラムネの瓶を差し出す。
店先のベンチに座っていた私は、ひんやり冷たい瓶をありがたく受け取った。
「ありがとう、ええと――」
そこで彼の名前をまだ聞いていないことに気づく。ごちそうになるのに知らないままなのも失礼な気がして、ちょうどいいので尋ねてみる。
「そうだ。あなたの名前は?」
すると彼はもう一本のラムネ瓶を手に、少し隙間を開けて私の隣に腰を下ろした。猫のくりこが待ち構えていたようにその膝の上に乗る。
少年は猫を一撫でしてから、ためらうような間の後で、言った。
「俺、イリヤアサヒ。……知ってる?」
告げられた名前に聞き覚えはなかった。私の顔を覗き込む彼が、そこで表情を緩ませる。
「入る谷に旭川のアサヒ。まあ、一学年六クラスじゃ知らない奴もいるよな」
彼の言う通り、三年生は六クラスもある。他の学年も同じように六クラスずつあって、全校生徒はゆうに五百人を超えている。
それこそ何かの行事で壇上にでも立たなければ、知らない生徒の方が多いくらいかもしれない。
「かもね。入谷くんって何組?」
「F組」
「Fかあ。仲いい子いないし、あんまり知らないかも」
入谷旭くん。駄菓子屋さんの子が同じ学校にいたなんて全然知らなかった。
「私はA組なんだ」
そう名乗ったら、入谷くんは頷きながらラムネの蓋を開封する。
「知ってる。弁論大会で見たしな」
慣れた手つきでビー玉を押し込むと、しゅわしゅわと泡を立てながらビー玉は瓶の中に落ちた。中身を全く零さない、実に見事な開封ぶりだ。
「入谷くん、上手だね」
私が誉めると、彼は照れ笑いを押し隠すように口を尖らせる。
「そりゃ駄菓子屋の息子だし。って言うか、呼び捨てでいいよ」
「え?」
「旭でいい。くん付けとか、こそばゆいから」
そう言われても、私は男子を名前で呼んだことなんてない。そっちの方がこそばゆい。
何て返事をしようか迷っていると、彼が陽気に続ける。
「そしたら俺も気軽に『くりこ』って呼――」
「なー」
だけどその言葉は子猫の返事で遮られ、途端に彼は苦笑した。
「くりこって呼んだらお前が返事するのか」
「なー」
「そうだよね、あなたのお名前だもんね、くりこ」
「なー」
私が呼んでも、小さく口を開けて返事をした。
飼い主と一緒で人懐っこいな。作文に書くくらいだから私も猫は大好きで、思わず手を伸ばしたら、すごくおとなしく撫でられてくれた。ふかふかだった。
「可愛いなあ。くりこ、いい子だね」
「なー」
この子誉めると、まるで自分を誉めてるみたいになっちゃうな。
私が笑うと、入谷くんがこっちを見て目を瞬かせる。それから急に思いついたように口を開いた。
「じゃあ、日南さんは『くりこ二号』ってことでどう?」
「え、私が二号?」
彼の言葉に、今度は私が瞬きする番だった。
「私の方がくりこ歴長いと思うんだけど……」
そう告げたら彼はげらげら笑い出す。
「そりゃそうだ。十七……十八年? その名前なんだろうし」
ラムネを一口飲んでから、ビー玉の転がる音と共に続けた。
「でもうちのくりこは聞き分けられないからさ。この子がいる時、便宜上はってことで」
確かに、猫に対して『名前被ってるから、今日からあなたがくりこ二号ね』なんて言っても通じるはずがない。
それなら彼の言う通り、今日のところは私が二号でも仕方ないか。
「そういうことなら、いいよ」
私が譲歩すると、入谷くんは嬉しそうに猫のくりこを撫でた。
「くりこ二号もいい子だな。な、くりこ」
「なー」
相変わらず、子猫はちゃんと返事をする。
この名前が気に入ってるのかな。私は結構古風って言うか、古すぎないかなと思うこともあるんだけど、茶トラのくりこには逆にしっくり来る気がする。
まずいな。くりこ度では向こうの方が上かも。
「……ラムネ、俺が開けようか?」
入谷くんがそう言って、私はラムネの瓶に手をつけていなかったことを思い出す。
自分でも開けられないわけじゃないけど、彼の手際のよさを見た後だ。
「お願いしてもいいかな、入谷くん」
「『旭』でいいって言ったろ、くりこ二号」
「あ、じゃあ、――旭くん」
ちょっと言いにくかったけど、そんなふうに呼んでみる。
入谷くん――旭くんはこそばゆそうにしながら瓶を受け取り、そしてやっぱり上手にビー玉を落としてみせた。
「……よかった、手元狂わなくて」
開けた後で胸を撫で下ろしてたのが、何だかおかしかった。
その後、私たちは駄菓子屋さんの店先でラムネを飲んだ。
よく冷えたラムネは美味しくて、夏の日差しに晒された後の身体を程よく冷ましてくれた。瓶を傾ける度にころころ揺れるビー玉は、猫のくりこの瞳と同じ、透き通ったアイスブルーだ。
アーケード街の人通りはあまり多くない。ラムネを飲む間黙っていると、辺りは商店街らしくもなく静まり返る。
夏の日差しに照らされた白く乾いた街並みが、まるで見知らぬところに来てしまったような感覚を呼び起こした。
「くりこ二号は、この辺よく来るのか?」
長い沈黙の後、旭くんがぽつりと尋ねてくる。
私は正直に答えた。
「ううん。今日はおつかいで来たの」
「おつかい? 買い物とか?」
「そう。お盆用のお菓子を買いにね」
すると旭くんは吊り上がった目を光らせる。
「お菓子ならうちにもある。おまけするから買ってけよ」
「いや、お仏壇にお供えするのだから……」
さすがに麩菓子とか、えびせんべいなんかはお供えできない。私が手を振ると、旭くんは真面目な口ぶりで反論する。
「それはそれでご先祖様に好評かもしれない。『懐かしい味だ!』っつって」
「その考え方はなかったなあ」
思わず私は笑い、つられるように旭くんも笑う。彼の膝の上では、くりこが白いひげをぴくぴくさせている。
「たまに駄菓子もいいかもね。今度買いに来ようかな」
話してたら、ちょっと食べたくなってきた。次はお客さんとして来てみようかと思う私に、すかさず旭くんが身を乗り出してくる。
「是非また来てくれよ。店番やってても暇でしょうがないんだ」
それから人通りの少ないアーケード街を見回して、続けた。
「この辺寂れてるだろ。それでもたまには小学生とか来るんだけど、今はお盆前で帰省してるのかガラガラでさ。結局猫と戯れるだけの日々だ」
私にとってもこの商店街は、用でもない限り足を運ばない場所だった。
それがこうしてラムネをごちそうになって、まったりベンチに座ってるんだから不思議なものだ。それもこれも全部、あの作文のお蔭かもしれない。書いてよかった――とまでは、さすがに言えないけど。
「だからまた遊びに来てくれよ。くりこも待ってるって」
「なー」
旭くんの誘いに合わせるように、猫のくりこが鳴き声を上げる。
微笑ましいその様子に、私もすっかりいい気分になる。
「わかった、また来るね」
「ああ、待ってる」
彼が、意外と真剣な面持ちで頷いた。
もしかすると客足の減少は駅前商店街にとって深刻な問題なのかもしれない。私一人で売り上げに貢献できるとは思えないけど、ラムネをごちそうになったし、たまに足を運ぶくらいはしてもいい。駄菓子も食べたいし、旭くんも猫のくりこもいい子だし。
「じゃあ私、そろそろ行くね。ラムネ、ごちそうさまでした」
空になった瓶を手に、私はベンチから立ち上がる。
「どういたしまして」
旭くんは笑んだ後、少し考え込むように頬を掻いた。
「あとさ……くりこ」
「なー」
「いやお前じゃなくて、くりこ二号の方」
「私? なあに?」
聞き返すと、ベンチに座ったままの旭くんがこちらを見上げてくる。
猫のくりこよりも猫っぽい、吊り上がった形の瞳は、しばらくしてからふっと逸らされた。
「……えっと、また来てくれると嬉しい。本気で待ってるから」
「え、う、うん」
そこまで切望されると、どういうわけか反応に困る。
うろたえる私と同じように、旭くんも慌てた様子で言い添えた。
「ずっと話してみたかったんだ、あの作文書いた人と」
そんなにウケたんだ、あれ。
黒歴史の余波はまだまだ続きそうだけど、私も前ほど悪い気はしていなかった。
お盆が過ぎた数日後、私は再び駅前商店街に足を向けた。
お目当てはもちろんあの駄菓子屋さん、旭くんと猫のくりこのところだ。
かんかん照りの午後二時頃、お店の前には小さな先客がいた。
小学生くらいの子供たちが数人、楽しそうな声を上げながら駄菓子を選んでいる。のしいかや串カツを頬張る子、チューブに入ったジュースを吸う子、チョコについてるくじの文字に目を凝らす子と様々だ。
「お兄さーん、くじ当たったー!」
チョコの子が大はしゃぎで叫ぶと、店の中から日に焼けたTシャツハーパンの少年が現れる。
旭くんだ。
「おー、すごいじゃん。しかも五十円券か、やるなあ」
彼がいい笑顔で誉めると、チョコの子も嬉しそうにぴょんぴょん跳ねた。
「これで当たったの三回目!」
「マジで? なあ、お兄さんにもくじ運分けてくれよ」
そう言って屈む旭くんに、他の子供たちも口々に話しかける。
「俺も! 俺も前に当てた!」
「チョコのやつ当たりやすいんだよ。当てるから見てて!」
さすが駄菓子屋さんの息子、すっかり懐かれてるみたいだ。
私もさっそくお店に近づき、彼に声をかけようとした。
だけどそれよりも早く、旭くんがこちらを向いた。そして私を見つけると、吊り上がった猫目がぱちぱち瞬きをして、次の瞬間にまっと細められる。
「くりこ二号!」
その呼び方はちょっと恥ずかしかったけど、歓迎されてるのは嬉しい。
「こんにちは、旭くん。来てみたよ」
私がお店の前に進み出ると、彼も猫みたいな身軽さで駆け寄ってくる。
「来てくれたのか! 俺、すげー待ってたよ」
人懐っこい笑顔に、こっちまでつられて笑ってしまった。
「そんなに? 来てみてよかったな」
「つか、来ないんじゃないかって不安だった」
旭くんはサンダル履きの爪先で、とんとんと地面を叩く。
そんな彼に、お客の子供たちが物珍しげにまとわりついた。
「ねーねー、『くりこ二号』って何?」
それで旭くんは答える。
「このお姉さんもうちの猫と同じ名前なんだよ」
すると子供たちはへええと声を上げ、
「猫と同じなんてすげー偶然!」
なんて感心していたのがおかしかった。
偶然っていうか、私の方が先に『くりこ』だったんだけど。
「うちのくりこも中にいるよ」
旭くんがお店の中を指差す。
覗いてみれば、外と比べると薄暗い店内に猫のくりこの姿もあった。レジカウンターの横に置かれた椅子の上、ちょこんとお行儀よく座っている。たった数日前にあったばかりの私を覚えているかはわからないけど、光る瞳がじっとこちらを見つめていた。
「こんにちは、くりこ」
近づいてって声をかけたら、
「なー」
ちゃんと返事をしてくれた。飼い主と一緒で、本当に人懐っこい。
「あのお姉さん、彼女じゃねーの?」
お店の外では、子供たちの無邪気な声がする。
最近の子供は全くおませさんだ。苦笑する私をよそに、旭くんはあっさりと答えた。
「だったらいいんだけどな、友達だよ。同じ学校の」
「じゃあお願いしてみればいいじゃん!」
「そうだよ、付き合ってくださいって言えばいいのに!」
子供たちが騒ぎ立てても彼は動じることなく、
「無茶言わない。向こうにだって選ぶ権利はあるんだよ」
上手い具合にあしらっているから感心した。
旭くん、本当に『駄菓子屋のお兄さん』って感じがする。
買い物を終えた子供たちが帰ってしまうと、アーケード街はいつもの静けさに戻ってしまった。
駄菓子屋のお客さんも私一人で、のんびりと買い物をする。
買ったのはフルーツ餅とちっちゃいドーナツ、それに缶のラムネとヨーグルだ。それらをレジまで持っていくと、旭くんがお会計をしてくれた。
「くりこ二号はアイスって好き?」
支払いを済ませた後で旭くんが尋ねてきた。
「夏はよく食べるよ」
そう答えたら、彼は笑って店先のアイスケースを指差す。
「じゃあ奢る。一つ選んでいいよ」
「え、いいよいいよ。この間だってごちそうになったじゃない」
申し訳ないから断ろうとした。
だけどそれを遮り旭くんは言う。
「そんな高いもんじゃないし、遠慮すんなって」
「でも――」
「ただ、持って帰ると溶けちゃうだろ。うちで食べてくのがいいよ」
そう勧めてくる彼の猫みたいな目が、嬉しそうにきらきらしている。
「俺もアイス食べたいんだけど、一人だと寂しいからさ。な、頼むよ」
何と言うか、旭くんはめちゃくちゃお誘い上手だ。
前回もそうだったけど、今回も断る気になれなくて、私はアイスをごちそうになることにした。