2 好きになったのはこっちのほうが先なんだから。

 バイト先の仲間たちは、割と歳の近い子が多い。
 学校は違うけど同い歳の子もいるし、同じ高校の先輩もいるし、専門学校や大学に行っている子もいる。しかも皆揃って女の子だから、一緒に仕事をするのも楽しかった。何かと話が合うし、気のいい子ばかりだし。
 だけど、どうしても苦手なこともある。日々の何気ない会話の中に、私がどうしても口を噤んでしまう話題が一つだけある。

 夜九時ちょっと前、閉店間際の店内はお客さんも全然いなくて、がらんとしていた。
 有線放送で流れているヒットチャート以外はまるで静かだから、バイト仲間同士、つい私語が出てしまうのもしょうがない。誉められたことじゃないけど、コミュニケーションを計るのだって円滑な人間関係を築くのには必要なことだ、なんて言ってみる。
 レジに入ってはいるものの暇を持て余してる私に、隣のレジの子が話しかけてくる。
「ね、隅田ちゃんって彼氏、今はいなかったよね」
 ――来た。
 確認みたいな問いだった。そう振られたら私はいつも、用心しなきゃと気を引き締める。
 警報。アラーム。ここからの発言には重々注意せよ。
「実は今度の日曜、合コンやるんだ。東高の子と。でね、女の子が一人足りないんだけど……」
 バイトの子からそんな誘いを持ちかけられるのも初めてじゃない。だけど、私が応じたことはなかった。
 だって、トモがいじけちゃうもの。
「ごめん、無理なんだ」
 私が苦笑すると、相手の子は残念そうに眉尻を下げた。
「えー、駄目?」
「うん……」
「どうしても駄目? 女子高の子連れてくと受けがいいんだけどな。隅田ちゃんなら人見知りしなさそうだし、楽しめると思うのに」
「うーん。私、そういうのちょっと苦手だから。ごめん」
 あながち嘘でもないんだけどね。合コンなんて行ったこともない。普段は化粧もしないような子じゃ浮くに決まってる。制服が可愛いから人気があるらしい女子高の生徒だからって、それだけの理由で男の子に受けるってこともないだろうし。
 男の子と話すのは嫌いじゃない。友達と他愛ないお喋りやバカ騒ぎをするのも好きだ。人見知りしない方だとは自分でも思うけど、やっぱり、それとこれとは話が別だった。合コンがそれだけの場じゃないってことくらいは普通に知っていたから。
「そっか、残念」
 首を竦めたバイト仲間に、私は内心申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
 いっそ言えたらいいのにね。
 秘密にしてるけど、私、本当は彼氏がいるんだ――って。
「隅田ちゃんって本当、そういうことに興味なさげだよね」
 この子に限らず、学校でもバイト先でもよく言われる台詞だ。実際はそうでもないけどね。
「彼氏欲しいとか思わないの?」
「あんまり、そういうのはないかなあ……今のとこはね」
 お茶を濁すみたいに、曖昧に嘘をつく。
 秘密を抱えているのは苦しいもので、それが罪とか、悪いことじゃないとわかっていても、時々酷くいたたまれなくなる。皆の視線が私の秘密を白日の下に晒し出そうとしているような、そんな風にさえ感じられて。そうじゃない、まだバレてないって自分に言い聞かせる。
 大丈夫、まだ私は、秘密を保ち続けていられる。
「隅田ちゃんはまだ若いもん。焦ってないんでしょ」
 すると品出し中の別の子が、隣のレジの子に対して口を挟んだ。隣の子は笑いながらむくれてみせる。
「あ、酷い! あたしだって焦ってないですけどー」
「よく言うわ。合コン大好きっ子のくせに」
 バイト仲間たちが笑いさざめくのを、私はきりきり痛む思いで見つめていた。表向きは一緒になって笑うのも忘れずにいたけど、何だか寂しい。
「けどさあ、隅田ちゃん」
 ひとしきり笑ってから、隣のレジの子がこっちを向く。
「興味ないなんて言わずにさ、若いうちに経験積んどく方がお得だと思うよ。それでこそ見る目も肥えるってもんでしょ」
 すると品出し中の子も言ってきた。
「そうそう。何だかんだで機会があるうちが花だって。彼氏欲しいなーなんて思う頃には、大抵機会なんて探しても見つかんなくなってんだから」
 そういうものかなと思っていたら、隣の子がひひひと冷やかすように笑う。
「ほら、うちの店長みたいにさ」
 別に私のことを冷やかしたわけじゃない。なのにその瞬間、どきっとした。
 皆はうちの店長の話をするのが好きなようだった。この子たちだけじゃなく、うちのバイトの子たち皆が店長に興味を持っているみたいだ。
「冴えないよねー。三十路入っても独身とか」
「いっつもお昼はコンビニ弁当かハンバーガーだもんね。見てるこっちが寂しいったら」
「だよね。きっと彼女もいないんだろうね」
 二人の話に、内心罪悪感を覚えつつも適当に相槌を打っていると、
「あ、でも彼女はいるらしいよ。本人言ってた」
 隣のレジの子がそう言った。
 それは、初耳だった。店長、皆にそんなこと言ってるんだ。
 慌てて私が、それって本当なの、なんて尋ねるより早く、品出し中の子が明るく笑った。
「ああそれ嘘だよ。だって証拠写真見せてって言っても、見せようとしないもん」
「やっぱそっか。怪しいかなーとは思ってたんだよね」
「持ち歩いてないとか、今日は忘れて来たとか言ってさ。単に見栄張ってるだけだって」
「何それ、誤魔化すの下手すぎ。何かかわいそうになってくるね」
 二人は勝手に納得し始めてる。
 それでいいならいいんだけど。
 彼女いるって言ってるんだ。ふうん。てっきりいないって言い張ってるのかと思ってた。女の子のバイトが多い店だから、いるって正直に言って貰えた方が安心できるのも確かなんだけどね。皆は信じてないみたいだけど。
 知ってるんだ、私。
 皆、口では店長のことをあれこれ言うけど、本当は嫌いじゃないんだよね。
「正直、彼女いないのも不思議なくらいだと思うんだけどね、店長」
「え、どうだろ。何だかんだでおっさんだしねえ」
「酷いんだー。でもあんなに休みなく働いてるんじゃ、彼女も逃げてくよね」
「それさえなきゃ、まだいいんだけどね」
 ほら、やっぱり。
 むしろ好きだと思ってる子もいるよね。ここに。それがラブじゃなくてライクのままならともかくも安心だけど、……どうなのかな。
 皆、私と同じで本音は口にしないからちっともわからない。
 すごく年上で、独身で、気さくで、しかも優しい店長は、きっと私たちくらいの年頃からすれば、憧れの気持ちを抱くにはちょうどいい存在だ。
 私も店長のことは嫌いじゃない。むしろ、好き。そう思い始めたのは多分、ここにいる誰よりも先のはずだった。自負にも、自信にもならない気持ちだけど、それでもそう思ってる。
「こらこら、私語が多いぞ」
 その時バックヤードから現れたのは、噂をすれば影、の店長だ。
「暇だからってのんきにお喋り大会か? 給料減らされたいか?」
「嫌でーす」
「困りまーす」
 口を揃える皆に、店長はにっこりと笑んでみせた。
「だったら私語は慎むように」
 直前まで私たちが何を話していたのか、聞こえていたのかはわからないけど、白衣姿ですたすた歩いて来て、
「1番レジから順番に精算して。店閉めるよ」
 いつものように指示を出す。
 皆は途端に口を噤んで、だけど目では合図し合って、それぞれの閉店作業に取り掛かる為、散っていく。
 私も皆と合図を交わしつつ、入り口ドアの鍵を閉めに行った店長の、白衣の背中を視線で追った。
 背はあまり高くないけど、歩く姿はきびきびしてて格好いい。仕事中の店長は真面目な顔をしていて素敵だ。お客様と接する時の笑顔も、時々皆にみせる優しい表情も、全部素敵だ。
 でもそれより素敵なのは、仕事をしていない時の表情だった。あの白衣を着ていない時の店長の方がもっと格好いい。
 この町ではきっと、『彼女』しか知り得ない素顔だろう。
「隅田さん、レジ上げた?」
 入り口のドアを施錠した店長が、レジ上げ作業中の私の手元を覗き込んで来た。
「今日の売上どう?」
「そこそこですね」
「そっか。やっぱ雨の日は痛いな。客足がてきめんに伸びない」
 言いながら店長はそっと、皆に見えないように私の手に触れた。
 微かな熱が伝わる。
 音も立てずに、ごく小さく折り畳まれた紙切れが、掌の中を移動する。私の手に転がり込んでくる。
 私はあえて目を合わさず、その紙切れをエプロンのポケットにしまった。
「本降りになる前に帰るぞ。急げよ、皆」
 すぐに傍から離れて行く店長が、皆にかけた声を、どこか遠くに聞いていた。

 後で開いた紙切れの中には、見慣れた丁寧な字が並んでいた。
『雨が酷いから送ってく。車の中で待ってて』
 いいって言ってるのに。
 皆をごまかして先に帰って貰うのも、結構大変なんだから。
 それにこないだも言ったけど、最近、うちのお母さんが勘繰ってるみたいだった。別に男女交際にうるさい人ではないはずだけど、それはあくまでも彼氏が普通の男の子だった場合に限ると思う。
 彼氏が男の子どころか、十七も年上の、私のバイトしているドラッグストアの店長なんだって知れたら――やっぱり大騒ぎされるだろうな。見つからないに越したことはない。
 それでも私は、トモの言葉を撥ねつけられない。不安な時ほど強く引き寄せられてしまう。
 ライクじゃなくて、ラブ。抱え込んでる想いは強過ぎて、トモの彼女という立場を得ても尚、押し流されそうなほどに勢いを増していく。辛うじて流れの中に立っている私を、つまらなく空虚なプライドが支えている。
 先に好きになったのは私の方だ。皆よりも先だった。トモが私を好きになってくれたのよりも、先だった。
 だから皆は私に敵わないだろうし、私はトモに敵わない。