Tiny garden

番外編:誓約

「――コートニーさん」
 呼びかけられて、コートニーははっとする。
 面を上げれば視界に飛び込んできたのは、金髪の青年の気遣わしげな表情。ここ数ヶ月で見慣れた顔のはずだった。
 彼は揺り椅子に腰かけたコートニーを見下ろしていて、目が合うと少しだけ笑む。
「どうしました、考え事ですか」
「え、ええ……」
 コートニーは頷いて、次の瞬間はたと思案に暮れる。声を掛けられる瞬間まで、自分は一体何を考えていたのだろう。とんと思い出せない。
 そのせいか、目が覚めたような感覚を覚えていた。ここがどこだかわからなくなってしまいそうな、不思議な感覚。
 どこだかわからない、なんておかしい。ここは??二人で暮らしている、暖かな我が家なのに。
「眠たいのでしたら、お休みになってはいかがです? 後のことは僕がやっておきますから」
 彼の言葉に、コートニーはたちまち頬を膨らませた。
「いやだ、子ども扱いしないで。まだ床に就く時間じゃないわ」
 もう十九の小娘ではないのだから、と付け加えると、青年は金髪を揺らしながら笑った。

 最低限の家具を持ち込んだら手狭になってしまうほどの小さな家。それでも二人、慎ましく暮らしていく分には何の不自由もなかった。
 窓の外では冷たい空っ風が吹いている。その度に家のあちこちは悲鳴のような軋みを立てた。けれど暖炉の火が赤々と燃え盛っているお蔭で、ちっとも寒さを感じない。
 一日の終わり頃、夕食を終え、今はのんびり穏やかな時を過ごしている。テーブルの傍らに座る金髪の楽士は、今は商売道具であるフィドルの手入れに余念がない。揺り椅子の上のコートニーは編み物の途中だった。気を抜いてしまったせいか、編み目を違えてしまっていたことに気付いて解き始める。ジルに見せたらきっと笑われるわね、と懐かしい名前を呟いて。
 足りないものはたくさんあったが、それを補って余りある幸いがここにはあった。決して豊かではない暮らしぶりでも、コートニーは十分に満たされていた。まるで夢のように幸せな日々を過ごしていた。

 けれど??だからこそ、だろう。時折、無性に恐ろしくなる。この幸いがいつまでも続くものなのか。そもそも現実のものとしてここにあるのか、わからなくなるのだった。
 現実のものならいい、と思う。夢であっては欲しくない。二人で暮らすこの日々が本当のことであり、そしてこの先も続いていくものであればいいと思うのに、コートニーはどうしてか、そんな不安を抱いてしまう。夢見がちだった少女の頃を過ぎ、現実に幸いを手に入れても、それにそこはかとない覚束なさを感じるのはなぜだろう。
 夢も現も、そう違わないものだから、なのだろうか。
 これが夢だとすれば、夢に思い描くにしてはいささか現実味に溢れた未来だと思う。コートニーは夢の中でも貧しく、あくせくと働く日々に追われている。しかし夢のような幸いを、ただ一人から存分に与えられている。だから幸せだった。夢だとしても。
 これが現なら、きっとそんな疑問を持つことすらどうかしているのだろう。おとぎ話を好む夢見がちな性質は、大人になってもそう容易くは失われないようだ。
 さっきも、そのことを考えていたのかもしれない。それでぼうっとしてしまったのだろう。コートニーは夫の姿を見つめながら、ようやく思い当たっていた。

「どうしました」
 再度、彼が尋ねてきた。新妻から真っ直ぐな視線を向けられ、照れたような笑みを見せる。
 コートニーもはにかみながら、思っていたことを口にする。
「私ね、今、とても幸せよ」
「僕もです」
 金髪がさらさら揺れて、同意の答えが返ってくる。それでコートニーは小首を傾げた。ゆっくりと語を継いでみせた。
「でもね、幸せすぎて……何だか怖いくらいなの。本当はこの家も、こんな毎日も、あなたも、全部夢なんじゃないかって気がして」
 実際、半ば本気で告げたつもりだった。
 なのに彼女の夫は、一瞬の間を置いた後、声を上げて笑い出した。
「もう! どうしてお笑いになるの!」
 コートニーが再び頬を膨らませると、笑いを堪えようとする懸命な表情が彼女の方へと向いた。
「すみません。しかしあなたの想像力の豊かさ、少女の頃とちっとも変わらない」
「すぐそうやって、私を子ども扱いしようとするのね」
 むくれたコートニーは、しかし本気で腹を立てていたわけではなかった。すぐに夫を許す気になって、困ったように微笑んだ。
「ねえ、私、冗談のつもりはないのよ。幸せなのも、本当。だけど幸せすぎて、怖くなってしまうのも本当なの」
「わかっています」
 力強い、頷きだった。そして優しい笑顔が続いた。
「これが夢でないことを確かめる、よい方法がありますよ」
「どうすればいいの?」
 尋ね返したコートニーに、彼女の夫はフィドルを置いて、そっと歩み寄った。身を屈めて顔を近づける。金色の前髪が触れそうになり、コートニーは頬を赤らめた。
 そんな妻の様子を見てか、笑みを深めて彼は言う。
「どうぞ、僕の頬を抓ってみてください。夢ならば抓られたところで、痛くもないはずです」
「まあ、そんなことをして、酷く痛んだらどうなさるの?」
 当然コートニーはためらった。夫に手を上げるなど、考えられないことだった。けれど彼は尚も促す。
「平気ですよ。どうぞ、確かめてみましょう」
「……本当にいいのね?」
 尋ねてからコートニーは、おずおずと手を伸ばした。
 指先で白い頬に触れ、軽く捻り上げてみる。すぐに、彼女の夫は顔を顰めた。
「痛いでしょう?」
「ええ。でも、ほっとしています。お蔭で今が、夢ではないとわかった」
 彼が笑い、コートニーも胸を撫で下ろす。そして、今度はコートニーの方から申し出た。
「じゃあ、あなた。私の頬も抓ってくださらない?」
「え?」
 瞠られた青い瞳にそっと、告げてみる。
「私も確かめたいの。今が夢ではないってこと。抓ってみてくださらないかしら」
 それで金髪の青年は僅かにためらい、その後でぎこちなく手を伸ばしてきた。
 けれどその指先が、コートニーの頬に触れるか触れないうちに、さっと手を引っ込めてしまった。コートニーが見遣れば、顔に困り果てた色を浮かべていた。
「どうなさったの?」
「すみません。僕には、あなたの可愛い頬っぺたを抓り上げることなんて出来ません」
「……もう」
 頬を染めながらも、コートニーは控えめに抗弁した。
「それじゃあ、あなたの頬を抓ってしまった私は、さぞ冷酷な妻ってことね?」
「そんなことありませんよ。あなたはいつまでも可愛らしい、僕の奥さんです」
 自ら面映そうにしながら彼は言い、卓上のフィドルに手を伸ばした。ひょいと取り上げて、妻へと流し目を送る。
「あなたの為に、一曲弾きましょう。この旋律こそ現であることの証として、あなたの耳に、あなたの胸にいつまでも残りますよう」
 コートニーは瞬きもせず、夫の言葉を聴いていた。
「そして誓いましょう。僕の心はあなたにある。たとえ夢であったとしても、現であったとしても、僕はこの旋律と共に必ず、あなたの内に存在し続けるのです」
 詩のような甘い台詞でも、彼の言葉なら信じられる。コートニーはいつでも、彼を信じていた。信じてさえいれば何も怖くないと思えた。
 たとえ頬の痛みを覚えることがなくとも、夢か現か判然としなくとも。

 そうしてたちまちのうちに、小さな家にはフィドルの柔らかな音色が満ちた。
 暖かな部屋、穏やかな時、美しい旋律、そして傍らにいる良き人。ここにある全てのものが幸いで、いとおしい。
 夢も現もそう変わりなく、いつか終わりがあると言うなら――願わくは、せめてその終わりが遠い遠い未来のことであるように。コートニーはそう思っていた。


お題:TV様「新婚さんに贈る7つのお題」
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