Tiny garden

マリエの探偵物語:ルドミラ編

 ルドミラに相談する為には、いくつかの手順を踏まなくてはならない。
 まずはカレルに話を持っていき、令嬢を城に招く許可を得ることだ。
「構わぬが、かの令嬢に何用だ? 相談? 私では駄目なのか?」
 カレルは自分が相談相手になれぬと知ると悔しがったが、ルドミラを招くことはたやすく許してくれた。
 次にルドミラに宛てて文を書き、相談があること、二人きりで話したいことを伝えた。彼女からの返答は早くにあり、『美味しいお茶とお茶菓子でお引き受けいたします』と綴られていた。
 ここまで来ればマリエのすることは一つだ。

 その日、マリエはルドミラの為に心を込めて茶菓子を焼き、極上の茶会を誂えた。
 カレルの居室に、当の主に退出していただいた上でルドミラを招き入れる。マリエは相応の畏れ多さを覚えずにはいられなかったが、カレルは快く部屋を出ていき、ルドミラの方も気にするそぶりもなく席に着いた。
「お招きありがとう、マリエ。あなたが誘ってくれるなんて驚いたわ」
 本日は暖かな苔桃色のドレスを身にまとい、ルドミラは屈託なく笑った。
「わたくし、あなたのお茶とお茶菓子をとても楽しみにしてきたの」
 そこでマリエは用意していた茶葉と茶菓子でできる限りのもてなしをした。ルドミラは幸せそうに茶を飲み、茶菓子を味わい、そして満足げな顔をしたところで切り出してきた。
「ところで、お手紙にあった相談事とは何かしら」
「はい、実は――」
 マリエは先だっての出来事を子細にわたって語り聞かせた。
 夜更けに訪ねたカレルの部屋であった一部始終――廊下で大きな物音を聞いたこと、カレルはそれを転んだのだと言い、その言葉を裏づけるように部屋が散らかっていたこと、窓が開けっぱなしだったことなどを告げると、ルドミラは興味深げに聞き入ってくれた。
「殿下があなたに隠し事だなんて、想像がつかないわね」
 一通りの話が終わると、ルドミラは率直な感想を述べた。
 それから可愛らしく小首を傾げて、
「でも、いくつか気になることがあってよ」
「どんなことでございましょうか」
「そうね、例えば……」
 マリエをじっと見つめながら口を開いた。
「あなたが殿下のお部屋に入った時、どんな匂いがしたか聞きたいわ」
「匂い……でございますか」
 問われてはたと考える。
 あの夜、カレルの居室は窓から吹き込んでくる夜風の匂いしかしなかった。
「匂いは何も。窓が開いていて、新鮮な空気で満ちておりましたから」
 マリエが正直に答えると、ルドミラは口元に手を当てて考え込んだ。
「そう。では、殿下のご様子はどうだったかしら。普段とは違うそぶりなどしていらっしゃらなかった?」
「それでしたら、随分暑がっておいででした」
 これも正直に答えておく。
「あの晩は冷え込んでおりましたのに、窓を開けて上着も脱いで、頬まで赤くしていらっしゃったのです。お熱があるのかと思ったほどで」
「そう、やはりね」
 ルドミラはここまでで見当がついたようなそぶりを見せたが、更に質問を重ねてきた。
「あとは、そうね。そのお部屋に、あなたと殿下以外にどなたかいらっしゃった様子はあった?」
「いいえ、まさか」
 その点については、マリエも強くかぶりを振った。
 室内にいたのは確かにカレルとマリエだけだった。他に誰の姿も見かけなかった。
「でも、寝室の扉が揺れていたのでしょう?」
 ルドミラはマリエの記憶力を試すが如く、問いかける。
「その向こうに誰もいないことは確かめたの?」
 確めてはいない。
 そして誰かが息を潜めていたとしても、あれだけ風が吹き込んでいれば気づけなかったかもしれない。
「いいえ……」
 マリエはおずおずと否定したが、すぐさま反論した。
「ですが、殿下が寝室に人を招くなどあり得ません」
「そうね。あなた以外の婦人を招くはずがないでしょうね」
「……え、ええと」
 鋭い切り返しにマリエは口ごもる。
 するとルドミラはくすくすと、屈託なく笑った。
「でも、殿方だとしたらどうかしら」
「えっ?」
「殿下がこの上なく信頼している殿方が、お傍に一人いるでしょう?」
 そう言われて真っ先に思い浮かぶ顔は、近衛隊長アロイスだ。
「さすがにあの方を寝室に招くなんてことはなさらないでしょうけど、例えば一時隠しておくだけならどうかしら。殿下もあの方なら寝室に入れることをお許しになると思うの」
「では、アロイス様があの場にいたと……?」
 信じられない思いで聞き返すと、ルドミラは確信的に頷く。
「椅子が二脚倒れていたのでしょう? 偶然二つとも倒れたというのもなくはないでしょうけど、直前までお二人が座っていたと考えるのが自然ではなくて? そしてそのお相手は、殿下が気を許し、庇うだけの信頼に足る人に違いないわ」
 だがそこまで言われても、マリエはその仮説を信じられなかった。
 あの場にアロイスがいたというなら、なぜマリエから隠れたのだろう。カレルもアロイスを庇ったということになるが、それはなぜか。
 ルドミラはまた口元に手を当て、考え込む様子を見せる。
「なぜそうまでして隠匿したかは、まだ確証がないのだけど……」
「他に気になることがおありですか、ルドミラ様」
 マリエが居住まいを正すと、ルドミラはその目を覗き込むようにして言った。
「あなた、まだわたくしに話していないことがあるでしょう?」
「いいえ。わたくしはおおよそをお話しいたしました」
「おおよそでは駄目よ。包み隠さず話してちょうだい」
 ルドミラはねだるような口調で、マリエから何かを引き出そうとする。
「例えばだけど、殿下は夜にあなたの訪問を受けて、都合が悪いからとあなたをすげなく追い返したりするかしら? 隠さなくてはいけないものがあるにしても、あなたをぞんざいに扱うことはないと思うのだけど、違って?」
 そこまで言葉を重ねられれば、さしものマリエも何を聞かれているか理解できた。
「あ、あの、それは……」
 頬を赤らめ、言葉を濁したが、ルドミラは追及の手を緩めない。
「話してくれるわよね? それが解決の糸口になるかもしれないの」
 そこまで言われれば隠しているわけにもいかず、マリエはたどたどしく語を継ぐ。
「殿下が、言われてみればいつもと違ったような……」
「違うって、どこが?」
「その、く、唇に……してくださらなくて」
「何を?」
 ルドミラの顔には悪戯っ子の笑みが浮かんでいる。
 マリエはもはや湯気立つほどに真っ赤になったが、ルドミラはそれで答えを得た様子だった。
「お蔭で全てがわかったわ。マリエ、殿下と隊長さんがあの晩何をなさっていたか、知りたいでしょう?」
「え、ええ……」
「お二人はね、お酒を飲んでいたのよ」

 それはマリエにとって全く予想外の答えだった。
 なぜなら知る限り、カレルに飲酒の習慣はない。宴の席で食前酒などを嗜むことはあるが、せいぜいが一、二杯でやめてしまう。だからマリエはカレルが酒を好んでいるとは思わず、主の為に酒を用意する機会もほとんどなかった。
 だから、マリエのあずかり知らぬところで酒を飲むカレルの姿は、どうしても想像がつかない。

「殿下が、わたくしに隠れてお酒を……」
 だが言われてみれば、あの夜のカレルは酔眼と言っても差し支えない目をしていた。
 頬も赤く、体温も妙に高かったように思うし、それに――。
「あなたの唇に口づけなかったのは、吐息で知れてしまうと思ったからでしょうね」
 ルドミラは辿り着けたことに満足したのか、穏やかに茶を飲み干した。
 マリエはお替わりを用意しながら尋ねる。
「で、では、窓を開けていたことは? やはりお酒で暑くなったからでしょうか」
「いいえ、それは丸めたクロスが答えよ」
 令嬢は見ていないはずのその夜を思い描くように、そっと長い睫毛を伏せた。
「あの夜、殿下はあなたの突然の訪問に酷く驚いたのでしょうね。大きな物音を立てるくらい慌てて、酒瓶か杯をひっくり返してしまったのでしょう」
 言われてみればあの夜、零れる水音も聞いていた。
「零したお酒はクロスで拭いたけど、匂いがすれば気づかれてしまう。だから窓を開けて、お酒の匂いを追い払おうとしたのよ」
「なるほど……」
 倒れた椅子、丸めたクロス、ばら撒かれたクルミの殻、そして寒い夜にもかかわらず開いていた窓――ルドミラの推理ならば全て説明がつく。
 納得しきれない点があるとすれば、
「あの場にアロイス様がいたのは、確実なのでしょうか」
 マリエの疑問に、ルドミラは迷いなく頷く。
「わたくしに証明する手立てはなくてよ。でもわかるの」
「なぜでございますか」
「殿下はあの方の――隊長さんの背中をご覧になってるのだって確証があるから、かしら」
 ルドミラがそこで、少女らしいはにかみ笑いを浮かべた。
「実を言えばわたくしもね、殿下がお酒を飲まれる姿はあまり想像がつかないの。お一人で飲み始めたとも思えないわ。だけどあの隊長さんがお酒の味を教えた、というのなら想像がつくのよね」
 マリエもその言葉には心から頷ける。
 思えばカレルが何かを始める時、その陰には常にアロイスがいた。乗馬を始めたのも、木登りを覚えたのも、水泳も、剣術の稽古も全てがアロイスの影響によるものだった。
 ならば酒を飲むことも、同じように教わっていたとしても不思議ではない。
「だからあなたも案ずることはなくてよ」
 ルドミラは優しく、マリエに語りかける。
「あの方は殿下に正しいお酒の飲み方を教えているはずだもの。無茶な飲み方をして身体を壊したり、酔いつぶれて過ちを犯すようなことはないはずよ」
 話を聞くだけでもわかる。ルドミラはアロイスに全幅の信頼を寄せているようだった。
「わたくしも、そのように思います」
 マリエはもう一度深く頷いた。
 本当なら飲酒の件はカレル自身に問い質してみたいところだ。だが二人がせっかく秘密にしていることを、わざわざ踏み込んで汚すのはよくないことだろう。アロイスとカレルにとって、それは大切な秘密なのだろうから。
 自分は真実を推し測れただけで十分だ、とマリエは思う。
 それから、見事な推理を披露してくれた令嬢を褒め称えた。
「ルドミラ様のご慧眼には感服いたしました。ありがとうございます」
 するとルドミラは恥ずかしそうに目を伏せる。
「慧眼なんてものではないわ。ただ、あの方のことだからわかるのよ」
 恋慕の情が存分に込められた口調は柔らかく、当のアロイスが聞いても間違いなく照れたに違いなかった。全く、聞かせられないのが残念だとマリエも思う。
 同時に、想い人に対する観察眼では劣っている自分を少し情けなくも思う。
「わたくしは想う方のことを何も見抜けていなかったようです」
 マリエが呟くと、ルドミラはこちらに身を乗り出すようにして言った。
「あなたは殿下と隊長さんに二人がかりで欺かれていたんですもの。気づけなくて当然よ」
「そう……でございましょうか」
「そうよ。そしてわたくしと二人なら、それを解き明かすことができるの」
 朗らかに言ってのけた後、ルドミラは愛嬌たっぷりに片目をつむってくれた。
「わたくし達、とてもよい相棒同士だったと思わない?」
 その問いかけはマリエの心に温かく響いた。
 だからマリエは、間髪入れずに頷いた。
「はい、ルドミラ様!」
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