Tiny garden

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未知の野菜に挑戦する日

 お弁当作りを習慣にしたお蔭で、自炊も定着しつつある今日この頃。
 といっても僕の場合、毎日やっているわけではない。せいぜい週に一、二回持っていければいいほうで、家での食事も未だに簡素なものだ。それでもご飯を炊いて味噌汁を作り、おかずに一品でもこしらえたらなんとなく達成感を覚えていい気分になる。僕も立派な料理男子、などと調子に乗ってみたりする。
 そういうわけで、例えば終業後や休日なんかにスーパーへ出向くことも増えた。青果コーナーや鮮魚、精肉コーナーをうろうろして、安くて新鮮な食材を仕入れるようにしている。
 そんな折、ふと気づいたことがあった。
「ズッキーニ……一体どんな味なんだ?」
 いつからかは知らないが、いつの間にか青果コーナーに現れた謎の野菜。見た目は太めのキュウリのようでもあり、しかし表面はつるつるとしていてなめらかだ。ぽてっとした形はナスにも似てなくはないが、色はカボチャのように美しい緑だった。
 このズッキーニなる野菜、僕も何度か見かけていたが一度も食べたことはない。今までは縁もゆかりもないからと視界に入ってもスルーしてきたものの、今日はなぜか目に留まってしまった。一本九十八円とお安かったからかもしれない。
 最近では播上のお蔭で作れるお弁当レシピも増えつつあるのだが、だからだろうか。未知の食材への探求心まで芽生えてしまったようだ。
 ズッキーニはどんな味がするんだろう。お弁当の新たなレパートリーになり得るだろうか。気になってしょうがなくなってしまった。

「播上、ズッキーニって食べたことあるか?」
 電話をした折にそう尋ねてみたら、予想通りの答えが返ってきた。
『あるよ』
「あるよな。お前なら絶対ありそうって思ってた」
『渋澤はないのか? 癖がなくて使いやすい野菜だよ』
「へえ、そうなのか」
 そもそも僕はズッキーニのなんたるかを知らない。食べたいと思ったことがないどころか、関心すらなかったほどだ。自炊をする習慣がなければ今でも興味なかったかもしれない。
「実はないんだ。今日行ったスーパーで安かったから買ってみたんだけど、お前なら美味しい食べ方知ってるかと思ってさ」
 自分で調べるというのも手ではあったが、せっかくなので僕の料理の師匠、播上先生のご意見を聞いておきたかった。何せ先生は僕の料理の習熟度もよくご存知だ。きっと僕にも作れる簡単なレシピを教えてくださるに違いない。
『さっきも言ったけど癖がないから、割となんにでも合う。輪切りにしてただ焼いても美味しいし、カレーの具にしても美味しい。煮込めばとろとろになるし、素揚げにすれば油が染みたいい味になる』
「ふうん……」
 あの見た目で癖がないのか。味の想像がつくような、つかないような。
「食感としては何に似てる? やっぱキュウリ?」
 僕の問いに播上は少し考えてから、
『いや、どっちかって言うとナスかな。油と相性がいいところもよく似てる』
「ナスなのか! 確かに形は似てるけど」
『天ぷらにしても美味いよ。……あ、渋澤は揚げ物はしないんだっけ』
「この間教わった揚げ焼きくらいならできる」
 天ぷらは個人的に最難関メニューに位置する料理だ。僕が料理道を極める日が来たら挑戦したいとは思うが、週一弁当男子にそんな日が訪れるとも思えない。 
 閑話休題、それならと播上は言った。
『なら、煮浸しにするのもいいかもな』
「煮浸し? 僕に作れるかな」
『揚げ焼きができるなら難しくない。輪切りにして揚げ焼きにしたらめんつゆに漬けるだけだ』
「あ、それだけならできそうだ」
 ナスに似ているというズッキーニ。未だに僕は味の想像がついていないが、播上が保証してくれるなら美味しいに決まっている。
『俺はショウガをたっぷり入れるのが好きだけど、その辺りは好みかな。ピリッと辛いのが好きなら唐辛子を入れるのがいいし、ポン酢で漬ければさっぱり味だ。しっかり水気を切ればお弁当のおかずにもなるし、一度試してみたらいい』
 しかし今更だけど、よくそんなすらすらと知識が出てくるな。
 好きこそものの上手なれ、論語だと『これを知る者はこれを好む者に如かず』だって芹生さんが言っていたが、播上の料理に対する知識量はまさにそれだ。好きだからこそこんなにも詳しく、そして熱意をもって語れるんだろう。
「ありがとう、播上。お蔭でズッキーニも美味しく食べられそうだ」
 僕が感謝を述べると、奴はちょっと照れたのかもしれない。微かな笑い声と共に言う。
『役に立ててよかったよ』
「役立ったなんてもんじゃない。播上はもはや僕の師匠だよ」
『師匠? そんな大げさなもんじゃない』
「播上先生! 今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます!」
『……恥ずかしいから、やめてくれ』
 こういう悪ふざけには乗ってこないのが播上先生のお人柄である。
 僕は笑ったけど、播上はずっと本気で恥ずかしそうにしていた。

 ともあれ、僕は教わった通りにズッキーニを輪切りにして、カリっと揚げ焼きにした。
 その時点で一枚味見をしてみたが、確かに食感はナスに似ている。ナスよりもややあっさりしていて、癖がないというのも本当だった。
「こんな味なのか、ズッキーニ……」
 未知の野菜の味を知るというのも楽しいものだ。少し前の僕なら、店にズッキーニなんて並んでいても気に留めることさえなかっただろう。それを『食べてみたい』と思うようになったのは、人間的に成長したと言えるのではないだろうか――それこそちょっと大げさか。
 揚げ焼きにしたズッキーニをめんつゆに漬けて、ついでに播上に倣ってショウガもたっぷり入れて一晩置く。翌朝、水気を切った煮浸しをお弁当に入れて職場へ持っていった。
 昼休み、休憩室で会った芹生さんに尋ねてみた。
「ズッキーニって食べたことある?」
「いえ、ないです。名前は知ってますけど……渋澤さんはあるんですか?」
 彼女はかぶりを振りつつ、好奇心に目を輝かせる。
「僕は昨夜初めて食べたよ。煮浸しにして持ってきたんだけど、食べてみる?」
「いいんですか? いただきます!」
 こうして僕は芹生さんにズッキーニの煮浸しを振る舞った。彼女はいつものように美味しそうに食べてくれて、そしてとびきりの笑顔を僕に向けてくれる。
「美味しいですね! 初めて食べたんですけど、初めての気がしません」
「僕もこんなに食べやすい野菜だとは思わなかったよ」
「はい、ナスとカボチャの中間みたいです。ショウガたっぷりなのも合いますね」
 芹生さんはにこにことズッキーニを味わった後、嬉しそうにこう言った。
「渋澤さんのお蔭で、美味しいものをまた一つ知ることができました。ありがとうございます!」
「いや、こちらこそ」
 僕の方こそ、何もなければズッキーニを食べてみようとか、そもそもお弁当を持ってこようなんて思いもしなかっただろうから。
 それが誰のお蔭かといえば――播上先生だけではない、とだけ言っておこう。
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