Tiny garden

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ちくわと故郷に思いを馳せる日

 ちくわにはなぜ穴が開いているのか。
 それは、中に何か美味しいものを詰めるためだ。

『違う。ちくわは棒にすり身を巻きつけるようにして作るんだ。その状態のまま加熱するから穴が開く』
 播上は僕の言葉を真っ向から否定してきたが、こっちだってそのくらいはわかっている。
「そういうことを言いたいんじゃない」
 宥めるつもりで言って、僕は続けた。
「お弁当のおかずとして、ちくわの優秀さに最近気づいたところなんだ。素晴らしいと思わないか? あの穴に何を詰めてもだいたい美味しい」
『それについては同意だけど』
 いくらかは納得した様子で、播上が応じる。
『渋澤は何詰めてる?』
「定番だけど、チーズとキュウリはやった。どっちも美味しかったよ、キュウリは彩りもいいし」
『どっちも美味しいよな。俺も好きだ』
 ちくわの優秀選手ぶりといったら全く頭が上がらないほどだ。お弁当にちょっと隙間ができたなと思ったら適当な長さに切って入れればいい。もちろん中に何か詰めたほうが美味しいのは事実で、チーズもキュウリも相性はばっちりだった。
「けど、そろそろ違うバリエーションも試してみたくてさ」
 例によって料理初心者を脱却できていない僕はこういう時に弱い。代わりに何を入れるか、というところがまるで思いつかないのだ。チーズの代わりに思い浮かぶものなんて乳製品繋がりのヨーグルトしか想像つかないし、キュウリのかわりはもっと浮かばない。野菜ならなんでも合うだろうか。
「播上ならもっといいアイディアあるんじゃないかと思って、電話したんだ」
『なるほどな』
 少しだけ笑うような声の後、播上は言った。
『俺だったらまず思いつくのはアスパラかな』
「アスパラか! 確かに詰めやすそうだ」
 キュウリに近い野菜であれこれ考えてはいたが、アスパラは盲点だった。
『アスパラを茹でて詰めるだけで一品できる。歯ごたえもあるし、緑の差し色にもなるだろ』
 確かに美味しそうだ。柔らかいちくわにはポリポリしたキュウリもいいが、しゃきしゃきのアスパラもなかなか相性いいと思われた。
「今度、早速試してみるよ」
『ああ。もうひと手間かけるなら、アスパラを入れてから油で揚げるのも美味しいよ。磯辺揚げにしてもいい』
 播上はそうも言ってくれたが、僕はそこで難色を示さざるを得ない。
「揚げ物は……ちょっとまだハードル高いかな」

 しつこいようだが料理初心者の僕は、これでも週一、二回程度のペースでお弁当を作り続けてきた。
 だが未だ揚げ物には挑戦したことがない。焼き物炒め物煮物に比べると手間もかかるし調理自体が難しそうだからだ。揚げた後の油の始末も面倒くさそうだし。
 もちろん揚げ物自体はけっこう好きだ。ハンバーグが好物の僕はメンチカツだって大好きだし、北海道を離れてからというもの、ザンギには全くありつけていない。そろそろただの唐揚げではないザンギを食べたい気持ちもあって、いつか挑戦したいという気持ちはあるのだが。

『実際、揚げ物は準備も後片づけもちょっと面倒くさいよな』
 理解を示すように、播上はちょっとだけ笑った。
『慣れないうちは少なめの油で、揚げ焼きにするのもいいかもな。それなら油の始末も簡単だし、フライパンでもできる』
「揚げ焼きか、それくらいなら僕にもできるかな」
 フライパンでできるというのもありがたい。うちのキッチンには揚げ物専用の鍋もまだないから、買ってくる手間も省ける。いつか挑戦してみよう。
「じゃあ揚げ物は長期的な目標として、短期的にクリアできそうな目標も頼む」
 僕が催促すると播上はまた笑って、すぐに答えてくれた。
『もう少し簡単なやつだと……そうだな、ちくわにツナマヨ詰めるのも美味しいな。ちくわパンみたいに』
 ちょっと懐かしい名前が聞こえてきて、つい僕の口元もゆるんだ。
 ちくわパンといえば我が故郷の名物だった。安くて美味しい学生の味方だ。
「懐かしいな、ちくわパン。こっちじゃ全然売ってなくてさ」
『えっ、そうなのか? 東京にないとか?』
「ないな。少なくとも僕が立ち寄ったパン屋にはなかった」
 東京と北海道の食文化に違いがあることは周知の事実だが、パン屋のラインナップも微妙に違う。僕は東京に来るまでちくわパンが故郷の名物だってことは知らなかった。他にも、豆パンやようかんパンなどはこちらに来てからほぼ見かけていない。
 僕がその話をすると、播上も衝撃を受けたようだ。
『豆パンもないのか? ようかんパンも?』
「一度だけ、豆パン売ってるとこは見かけた。でもようかんパンはないな」
『マジか……あれなんて疲れてる時に食べるとすごく美味しいのに……』
 ようかんパンは生クリーム入りのパンにようかんのコーティングをした大層甘い菓子パンだ。僕も普段ならあまり食べないが、めちゃくちゃ疲れた時や肉体労働に従事した後などにちょっとつまむととびきり美味しい。うちの祖母の大好物でもある。
『じゃあ、東京のパン屋にはどんなラインナップがあるんだ?』
「え、うーん。そう言われると東京ならではってのは思いつかないな……」
 言われてみれば、東京のご当地ものや名物を活かしたパンというのはあまり見かけない。僕もそこまでパン屋に通い詰めてはいないから、単に気づいていないだけかもしれないが。
「でも強いて言うなら、『北海道産生クリーム使用』って文句はよく見る気がする」
 それ以外にも例えば『青森県産リンゴ』とか『福岡県産明太子』とか、材料の産地をはっきり書いたパンが多い気がする。そういう話をしたら、播上は興味深そうにしてみせた。
『東京ってなんでもあるんだろうな。そういうところは羨ましいよ』
 奴の声には東京に対する純粋な憧れみたいなものが滲んでいて、僕にとっては若干複雑だった。
 確かに、東京にはなんでもあるし大体の品は買える。でも時々ようかんパンみたいに置いてないものがあって、そういうのに限って無性に恋しくなったりするのだ。

 僕はお弁当にアスパラ入りちくわを入れて、職場に持っていった。
 揚げ物は僕にとって長期的な目標なので、今回は本当に茹でただけのやつを詰めただけだ。でも播上のお薦めだけあってこれもけっこう美味しかった。次はツナマヨを詰めてみようかな、と思っている。ちくわパンみたいに。
「渋澤さん、ちくわにアスパラを入れてるんですね」
 今日も芹生さんがお弁当を食べている僕を見つけて、そんなふうに声を掛けてくれた。
「そう。こうすると美味しいって教えてもらったんだ」
 嬉しさを噛み締めつつ答えると、芹生さんはそこで目を輝かせる。
「やっぱりそのアスパラも北海道産だったりします?」
「え?」
 予想外の質問だったので、一瞬言葉に詰まってしまった。
 いや、実際その通りだ。僕もスーパーで買い物をする時はなんとなくだが、地元産のものを優先して選んでしまう。今日のアスパラはまさに北海道産だった。
「一応、そうだけど。どうして?」
 聞き返した僕に、彼女はどこか楽しげに答える。
「北海道産と書いてあると一層美味しそうに見えませんか?」
 なるほど、東京の人はそういうふうに思っているってことか。
「だから私、北海道産って売り文句にすごく弱いんです。パンとかお菓子とか、すぐに食べたくなってしまいます」
 芹生さんの声と表情からは強い憧憬の念が感じられた。
 ちょうどこの間の、東京を羨ましがる播上みたいに。
「……わかるよ」
 故郷を遠く離れ、まだ東京の人にもなれていない僕は、どちらの気持ちもちょっとわかる。
 なんだかすれ違いの片想いみたいだな、なんて感傷的なことを思ってみる。
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