いつか、一緒に暮らす日が来るんだ
ハルトが引っ越す前は、駒込って言っちゃ悪いけど少し地味な街だと思ってた。ぶっちゃけ山手線乗ってても駒込駅には降りたことなかったし、今まで全くご縁がなかった。彼が池袋から駒込へ移り住むと言った時は、その経緯はさておき『なんで駒込にしたんだろ?』とさえ思ったほどだ。
でもこうしてお休みの日に歩いてみると、駒込はなかなか住みよい街だった。
程よくのどかで、意外とお店が多くて、六義園みたいな名所もあって。お腹空いたなって店を探せばよさげなカフェや食堂もけっこうある。
お昼ごはんと休憩を兼ねてふらっと入ったカフェも雰囲気がよくて、平日だからかお客さんもそう多くなかった。
窓際の席で歩き疲れた身体をゆったり休めつつ、駒込の街並みをふたりで眺めた。さっき歩いた六義園の木々の梢も、建物の頭に覗いて見える。
「いいところだよね、駒込」
しみじみとつぶやけば、ハルトがうれしそうに小首をかしげた。
「気に入った?」
「うん。なんか住みよい街って感じじゃん」
「わかるな、俺も気に入ってるよ」
彼は微笑んで窓の外に目を向ける。
午後の陽射しに切れ長の瞳を細める、たったそれだけの仕草がものすごく絵になる。
「家賃が手頃で、職場からもまあまあ近いからここに決めたんだけど。今となってはいい選択だったと思う」
訳あってやむを得ず、急に決まってしまった引っ越しだったわけだし、迷ってる暇もあんまりなかったはずだ。それでこんないい街を引き当てたんなら、ハルトは強運の持ち主なのかもしれない。
「運命ってやつは、どこに転がってるかわかんないね」
私が言うと、彼はこちらに視線を戻してまた微笑む。
「本当にな」
午後になってもいいお天気だった。
窓から射し込む陽射しは彼のパーマがかった髪をより明るく照らしていて、透けたように光る髪がきれいだな、と思う。
整った顔立ちには睫毛や唇の影ができていて、その彫りの深さがいつも以上に強調されているようだ。首筋に落ちた影は彼の喉仏の形をくっきり浮かび上がらせ、私を無性にどきどきさせる。
運命、かなあ。
なんかそういうの気にする柄でもないつもりだけど、考えちゃうな。
こんな素敵な人を引き当てた私も、強運の持ち主かもしれない。今まで自分が幸運な人間だと思ったことはないから、きっとこれまでの不幸の前借分がいい形で返ってきたんだろう。もう前借はしたくないけど。
「……どこ見てる?」
私の視線に気づいて、ハルトがけげんそうにする。
「いや、私の彼氏つくづく素敵だなって思って」
「でも喉笛見てなかったか?」
「見てた見てた。よくわかるね」
もしかしたら肉食獣の目つきになっていたのかもしれない。
自分にないものに惹かれるっていうのもよくある恋愛心理のひとつだろう。ハルトだって彼には絶対持ち得ないおっぱいが好きだから同じことだ。私は彼の意外に尖った喉仏や、しなやかなのに関節がしっかりしている手などを、たまらなく魅力的だと思っている。
ハルトは私の眼差しが不思議なようだったけど、ともあれ気を取り直したように言った。
「一緒に住む部屋も、駒込で探す?」
「あ、いいかもね。家賃安いし」
一番はそれだけど、意外に通勤が楽っていうのもある。
ハルトの部屋に泊まってそのまま出勤したことが何度かあるけど、自宅から通うよりずっと近くて早かった。もちろんふたりともずっと池袋店にいられる保証はなく、配置替えの可能性もある職場なんだけど、山手線沿線というだけでどこへ行くにもまず便利だ。
そしてこの街にはすでにいっぱい、いい思い出ができたから。
「今度、不動産のサイトでも見とこうかな。気が早い?」
私が笑うと、彼もつられたように笑ってくれた。
「俺も考えてた。どんなのあるか見ておくぶんにはいいよな」
「ね。だいたいの家賃も把握しときたいし」
気が早いのはお互い様のようで、それからはふたりでしばらく駒込の物件探しを楽しんだ。
ふたり暮らしするならそれぞれに部屋が欲しい。お互いワードローブには服がたっぷり入ってるから収納もかなり大事だ。キッチンは使いやすいほうがいいし、バスルームは一緒に入れるようにそこそこ大きいのがいい。できたら築年数は浅いほうがいいし、あと防犯もしっかりしてたらなおいいなあ――などと高望みもしつつ、ネットで物件を見回るのもいいものだった。
今はまだ夢みたいだけど、でもいつか、一緒に暮らす日が来るんだ。
そういう未来を純粋に信じていられるのは、相手がハルトだからだ。
カフェを出た後はちょっとその辺をぶらついて、それから彼の部屋へ向かう前に買い物をすることにした。
餃子の材料はいろいろある。まず餃子の皮、これは手作りなんかしてる暇ないし市販のやつを買う。それから豚挽肉、キャベツ、ニラ、椎茸、それにショウガも入れる。
「ショウガが入るのか」
ハルトは買い物かごを覗いて、ちょっと驚いてたみたいだ。
「うちは入れるよ。ニンニク入れない代わりにね」
「それはそれでおいしそうだ」
彼が私の腕を全面的に信頼してくれるので、うれしい反面プレッシャーもちょっとある。
なんとしてもおいしく作らなくては!
「餃子の時って何飲む? ビール?」
「甘くないのがいいよな」
適当にお酒やお茶も買って、ふたりで買い物袋を提げながら帰った。
おいしい餃子の作り方。
まずキャベツを数枚茹でます。適当に茹でたらざるにあげとくといい感じにしんなりします。
その間に刻んだニラと椎茸、すりおろしたショウガを豚挽き肉に混ぜ、醤油で下味をつけてさらに混ぜます。
で、キャベツから粗熱が取れたらみじん切りにして、ここがポイントだけど水気を絞んないで挽肉にインする。そしてまた混ぜる。めっちゃ混ぜる。
あとは皮に包んで焼くだけ。
工程は多くないけど、ぶっちゃけ包む作業が一番手間取る。
「手伝うよ」
ハルトがそう言ってくれたので、ふたりで餃子を包むことにした。
キッチンで肩を並べて、タネ入りのボウルと餃子の皮を間に置いて、おしゃべりしながら延々と包む。
「キッチンも、広いほうがいいかもな」
「私も思った! 一緒に料理するなら大事だよね」
「気がついたことは覚えておこう。後で使うから」
「間取りだけ見てもわかんないことあるしね」
彼の家のキッチンは、申し訳ないけどそれほど広くない。別にファミリー向けの物件じゃないから仕方ないんだろうけど、ふたりで並ぶと時々肘がぶつかったりする。
でも、それがちょっと楽しかったりもするから不思議なものだ。
夕飯作りにはちょっと早いかもしれない午後四時過ぎ。
夏よりは陽が沈むのが早くなったようで、キッチンには斜めの西日が射し込んでいる。眩しさにお互い顔をしかめつつ手を動かせば、お皿の上には焼く前の餃子がどんどん並んでいく。
「ハルト、餃子のひだ作るの上手いね」
「そんなとこ褒められたの初めてだ。ありがとう」
「しかも仕上がりすっごいきれい。プロの餃子師になれるよ」
「餃子師って。焼売師とか回鍋肉師もあるのか?」
「私は小籠包師がいいなあ」
「好きなの? ……作れるようになっとくか」
馬鹿みたいな会話もハルトとだったら楽しくて、気がつけばあっという間に包み終えていた。
それをフライパンに並べて焼いて、油跳ねでわあわあ言ったり換気扇の音でつい声が大きくなったりしながら、大はしゃぎで焼き上げた。
いつものダイニングテーブルに座って、ふたりで軽く乾杯をする。
そしてハルトがまず餃子を一口、その食べる様子を私はじっと見守った。
「あふ」
焼きたて餃子が熱かったか、彼はそんな声を漏らした後で軽く目をみはる。それから餃子を飲み込んで、納得した様子で言ってくれた。
「本当だ、超ジューシーだ」
「でしょ! これすごい裏技なんだよ」
たったあれだけのことで、中から肉汁が溢れ出す最高にジューシーな餃子になる。熱いから火傷には注意だけど、でもめちゃくちゃおいしいんだ。
「すごくおいしいな、これ」
ハルトは熱さを物ともせずにどんどんと餃子を口に運ぶ。その食べっぷりのよさは惚れ惚れするほど気持ちがよく、私の顔もゆるむというものだ。
「そう言ってもらえるとうれしいな。いっぱい食べてね!」
一度くらいは手料理を披露しとこうと思っていたから、そういう意味でもいい機会だった。
本当、上手く作れてよかった。いきなり揚げ物とかじゃなくて。
食卓には餃子二皿の他に、ハルトが作ってくれた卵スープと炒飯、スーパーで買ってきたザーサイが並んでいる。すっかり中華づいているけど飲み物はビールと麦茶。ぎりぎりちぐはぐな感じがふつうの食卓っぽくて逆にいい。
「私、得意って胸張れるレパートリーなくてさ。初めての手料理が餃子でよかった」
正直に打ち明けたら、ハルトは意外そうな顔をした。
「でも料理自体作り慣れてるだろ? 手際よかったし」
「ありがとう! 普段はもっと適当なんだ、自分しか食べないから」
昨夜はお好み焼きを作って食べた。自分だけの食事となると、一~二品で野菜も肉も炭水化物も取れるメニューになりがちだ。焼きそばとか焼きうどんとか、カレーとかもそう。
だけど人に出すとなると、主菜とか副菜とか一汁三菜とか考えないといけないわけで。
「ハルトに食べてもらうのに、一品だけってのも微妙じゃない?」
私は神妙な思いで告げる。
「次までにもっと練習しとくよ」
そうしたら、ハルトはゆっくりとかぶりを振った。
「この餃子、すごくおいしいよ。微妙なんてことない、十分すぎるくらいだ」
「そうかなあ……気に入ってもらえたのはうれしいけど」
「足りない分があるなら俺が作るよ」
彼はさらりと言い切って、笑顔で語を継ぐ。
「次の部屋は絶対、キッチン広いところにしよう。ふたりで料理するのも楽しいよな」
それから彼はまた餃子に箸を伸ばし、目を細めてすごくおいしそうに食べてくれる。
「ショウガ入りっていうのもいいな、食べやすくて後味もいい」
そんな褒め言葉に、なんだかきゅんとしてしまう私がいる。
だって今まで、手料理を褒めてもらう機会って全然なかった。大したもの作れない人間だったからしょうがない。だからと言って、『ふたりで作ろう』って言ってくれる人だってもちろんいなかった。そして実際、ハルトと一緒にキッチンに並んで餃子包んだり焼いたりするのは本当にすっごく楽しかった。
まったく、こんな素敵な人が私の彼氏でいいんだろうか。
「ショウガいいよね、さっぱりしてて」
私はうれしくなって、ゆるみっぱなしの口元で応じる。
「ハルトの口に合ってよかったなあ……いっぱい食べてくれてありがとう!」
「こちらこそ、おいしく作ってくれてありがとう」
彼もにこにこしている。
餃子、よっぽど気に入ってもらえたみたいだ。本当によかった。
ただ、彼の作った卵スープと炒飯も相当おいしかったので、レパートリーはもっと増やそうと思った。
ハルトは『もう二品くらい作っとこうか』ってノリでメニュー増やしてくる料理上手だから、肩を並べてキッチン立つためにはやっぱり、もうちょい練習が必要そうだ。
炒飯と餃子があらかた片づく頃には、だらだらと飲みモードに突入した。
もっとも明日はお互い仕事だからそんなに深酒はしない。しかもふたりとも早番だから、一緒に出勤するつもりだった。このためにちょっと前から着替えとコスメ類を運び込んでおいたりして、お泊まりの準備も完璧だ。
「でもやっぱ、仕事は憂鬱だよね……」
頬杖をついた私がぼやくと、ハルトもすかさず苦笑する。
「楽しい一日の後だと特にな。明日も休みだったら、もっと羽菜と過ごせるのに」
さすがにふたり揃って連休取るのは難しい。余程の事情でもない限りはまず無理だろうと思われる。
だからこそ、気は早いけど年末の休みには期待かけてる私がいる。
「こうなったら年越しはふたりでのんびりしようよ! 鍋しながら紅白見たりとかさ!」
ハルトは今年帰省しないと言うし、ふたりで過ごす約束もしている。うきうきしながら提案した私に、彼はふと真面目な表情になる。
「羽菜は、本当に帰らないのか?」
「そのつもりだけど、どうして?」
私が帰らないほうが一緒にいられて、ハルトだって喜んでくれるはずだ。
そう思っていたのに、彼は少し気にするように言葉を続ける。
「別に年末じゃなくてもいいけど、羽菜のご家族にもきちんとご挨拶がしたいと思ってた」
「え! ご、ご挨拶!?」
「同棲するなら必要だろ? いい加減な付き合いじゃないってお話ししないと」
「そ、そうなの……?」
同棲するのに挨拶とかするもんなんだ。今まではずっと黙ってしてたし、挨拶したいって言ってくれる人もいなかったけど、そういうものか。知らなかった。
というか、ご挨拶。
ハルトが、うちの両親に。
「もちろん羽菜の気持ちが最優先だ。そういうの要らないって思うなら尊重するよ。羽菜が帰りたくないなら、ふたりで過ごすのもいいと俺も思ってる」
彼は考え考え、生真面目に続けた。
「でももし帰るつもりなら、俺も連れていってくれるとうれしい。そう思って聞いたんだ」