ふたりでのんびり過ごす休日
その日は、爽やかな秋晴れだった。いつもなら自発的にアラームを止めて二度寝を決め込んでしまう休日の朝、だけど今日は六時に起きた。待ち合わせは十時だからそこまで早起きしなくてもいいのに、ひとりでに目が覚めちゃったんだからしょうがない。
顔を洗ってメイクして、手早く朝ごはんを用意する。
準備ができて食卓に着いたところでスマホが鳴る。どうやらハルトも早起きしちゃったくちのようで、メッセージを送ってくれていた。
『おはよう、楽しみすぎて早く起きちゃった』
そんな文面に添えられていたのは、いつもながらきれいに巻かれたオムレツと、既にヘアセットまで済ませたハルトが写った画像だ。浮かべた笑顔は晴れやかで、どう見ても寝起きじゃないようだ。
早く起きちゃったのはお互い様みたい。私はひとりでにやけつつ、即座に撮影して返信する。
『私もだよ! 早く会いたいね』
本日のオムレツは我ながらなかなかきれいな出来で、ドヤ顔で笑って送ってみた。そうしたらめちゃくちゃ褒めてくれた上、こうも言ってくれた。
『俺も早く会いたい。あと三時間が待ちきれないよ』
そのメッセージには同意しかない。
本日は待ちに待った、ふたり揃ってのお休みだった。
九月と言えど気温はまだまだ夏みたいで、コーデには本当に悩む。
うちの店にはもう各種アウターが出揃っているけど、実際のところでは半袖でも十分なくらい。せいぜい陽が落ちた時にちょっと羽織るもの欲しいかな、って思う程度だ。
それでもこの間買ったフリンジスカートをはいていきたくて、トップスはモーヴピンクの七分袖ニットにした。メイクもブラウン寄りの秋色にしたし、足元はレザーのショートブーツ、ついにサンダル卒業の時期だ。
お出かけ前に全身を鏡に映し、またにやけたくなる。
今日の私、けっこうかわいい。
なんだかんだで秋服が一番好きだな。季節の移り変わりが、はっきりと色でわかるから、かもしれない。自分で選んで秋色を着る、そうすることで夏を振り切り、秋へ飛び込んでるような気がするから。
ハルトとは、駒込駅で待ち合わせている。
本日の行き先が駒込周辺だからだ。
ハルトは電車を乗り継いではるばるやってくる私を気遣い、
「もっと中間あたりで待ち合わせようか?」
とも言ってくれたんだけど、それは気持ちだけもらっておいた。せっかく駒込に住んでる彼に無駄な移動はさせたくないし。
ともあれ私は十時より二十分も早く駒込駅についてしまった。
平日だし、通勤通学ラッシュを避けてこの時間に決めたんだけど、気が逸ったせいで電車はほんのちょっと混んでいた。でもまあ、家でじっとしている気分でもなかったからいいんだ。
いい天気だった。
十時前ともなると明るい陽射しが降り注いでいて、駒込駅前の街並みをきらきらと照らしていた。平日のこの時間帯は人通りもそれほどなく、程よい温かさもあってのどかだなと思う。
二十分の待ち時間をどう過ごそうか。そわそわしながらスマホを取り出したところで、タイミングよく声がした。
「羽菜!」
とっさに顔を上げれば、ハルトがこちらへ駆け寄ってくる姿が見えた。待ち合わせ時刻まで全然余裕あるから急がなくていいのに、走ってくる彼を私は笑顔で出迎える。
「ハルト、おはよう」
九時台はまだ『おはよう』の時間だろう。そう思って声をかけると、彼もいい笑顔を向けてくれた。
「ああ、おはよう。ずいぶん早く着いたんだな」
「ハルトこそ、ここ来るの早いね」
「今朝も言ったけど、めちゃくちゃ早起きしちゃったから」
「私も! なんかじっとしてらんなくてさ」
お互い、考えてることは一緒なのかもしれない。顔を見あわせ笑いあった。
それから、ハルトはしげしげと私の服装を眺める。どこかうれしそうに目を細めて、言ってくれた。
「今日のコーデ、最高にかわいいよ。よく似合ってる」
「え、やった! ありがとう!」
最高のお言葉、いただきました。
一方のハルトはこっくり深めグリーンの五分袖カーデにアイボリーのシャツ、それに黒スキニーというこちらも秋っぽさを意識したコーデだ。細身の彼は黒スキニーもばっちりはきこなしていて、お兄さんと一緒でお直し要らないタイプだろうな、と羨望も抱いた。
「ハルトもすごく秋らしくていい感じだね。格好いいのはいつもだけど」
私が褒め返すと、彼は少し照れたようだ。はにかみながら応じた。
「ありがとう。この時期は何着てくるか迷うよな」
「わかるよ、日没後は冷え込むかなあとか考えちゃうよね」
季節の変わり目あるあるだ。そうやって手探りで気温と気候に慣れていくうち、気づけば冬がやってくるのが毎年のことだった。
とは言え、今日はそこまで肌寒くはならなそうだ。陽射しも次第にじりじり強くなってきて、日焼けが気になるほどだった。
「じゃ、行こうか」
「うん」
私たちは手を繋ぎ、駅前から歩き出す。
向かう先はここからすぐのところにある、六義園だ。
東京に住んで割と長いし、私なんて出身が神奈川だっていうのに、実は最近まで六義園の存在を知らなかった。
ぶっちゃけ名所なんて回りたがるほうじゃなかった。そんな時間があるなら服屋見て歩くのが好きだったし、お休みの日はまず寝てたいし。かと言って完全インドア派ってわけでもなく、たまに都会の喧騒を離れて箱根あたりでのんびり過ごすのも好きだ。
今回六義園に来たのは、前にハルトがひとりで来て、その時に絶賛していたからだ。庭園と聞くとなんかちっちゃそうなイメージあったけど、川あり池あり小さい山あり展望所までありの、そこそこスケールの大きな公園らしい。
「峠って名前の場所もあったな」
「峠!? 園内に峠!?」
聞けば聞くほどやばそうなその六義園に、私もぜひ行ってみたくなった。
背の高い建物ばかりが建ち並ぶ大都会東京の中に、それほど大きな庭園があるなんてすごく非日常的な感じがしたからだ。初めてふたりでのんびり過ごす休日に、そういう場所はぴったりだと思う。
六義園には入り口が二ヶ所あるそうだけど、なんの記念日もない平日だからか片方の門は閉まっていた。駅に近い染井門というその入り口は、休日や桜、紅葉のシーズンなどは開いてるものらしい。
「さすがに紅葉にはまだ早いもんな」
「ふつうに夏の陽射しだしね」
ってことでもう少しだけ歩いて、正門から入った。
園内に入る前から、辺りには緑の匂いが漂っていた。まだ秋よりは夏っぽい、陽射しに照らされて熱せられて空気に蒸発したような緑の匂いだ。目につく木々もまだ青々としていて、道に零れる木漏れ日も眩しいくらいだった。
「九月となると、やっぱり夏に近いよな」
ハルトも同じことを思ったようだ。ゆっくりと歩き出しながら、頭上を覆う木々の梢に目を細めている。
「十一月頃かな、紅葉の時期になるとすごいらしいって聞いた。カエデの赤やイチョウの黄色で辺り一面彩られるって」
「へえ……それはちょっと見てみたかったな」
紅葉のシーズンは私たちからするとクリスマス商戦に向けての準備期間だから、毎年そこそこ慌ただしくてあんまり見に行く機会がなかった。十二月に入ったらすぐクリスマスソング流してディスプレイを雪景色で飾りつけ、だからね。
「だったら、その頃にまた来ればいい」
惜しがる私を見てか、ハルトはたやすい口調でそう言ってくれた。
「俺の部屋からもすぐ近くだし、なにかのついでに立ち寄れるだろ」
「あ、そっか。それもそうだね」
駒込駅から近いのはもちろん、彼の住んでるマンションからもすぐ近くにある。紅葉を見にくるくらいなら簡単にできそうだ。
「俺、来年まではあの部屋住むつもりだからさ」
ハルトがそう続けたので、そこはちょっと気になって聞き返す。
「来年まで? また引っ越す予定でもあるの?」
前に彼が住んでた池袋に比べたら華やかさはないけど、駒込は静かでのどかで住みよい街だなと思ってた。でも彼には物足りなかったのかな。
という私の読みは全然的外れだった。
「今の部屋、ひとりなら十分だけどふたりで住むにはさすがに手狭だろ」
緑に包まれた道を歩きながら、彼はそういうふうに言った。
「やっぱり将来的には、羽菜と一緒に住みたいと思ってる」
手を繋いだ距離から、真っ直ぐに私を見て言った。
言われたほうはそれはもう、息を呑むほどびっくりした。
「同棲ってこと!?」
「あ……ああ、そうだけど」
ハルトは私の驚きようにびっくりしたらしく、目を丸くしてから表情を和らげる。
「今でもよく泊まりに来てもらってるし、もう一緒に住むのとそんなに変わりない気がしたから。そういうことを考えてみてもいいかなって思った」
それからちょっとだけ、照れ笑いを噛み殺すような顔つきをしてみせた。
「あと……同棲したら、羽菜と会えない寂しさも紛れるだろうから」
たまにかわいいこと言うんだよな、彼。
「私がいないと、寂しい?」
試しに聞き返してみたら、すごく素直にうなづかれた。
「寂しいよ。ひとりでいると、部屋がすごく静かに感じる」
「え、私いるとそんなにうるさい?」
「うるさいわけじゃない。でもふたりきりなのに賑やかで、すごく楽しい」
すごく楽しい、か。
そう思ってくれるのすごくうれしいな。私も同じこと思ってたから尚更だ。ハルトと一緒にいると楽しいし気分が弾む。仕事以外で会えない時間が続くと寂しくなるのも同じで、だからメッセージや写真を交換しあうのもすごく楽しかった。
でも、同棲っていうのもいいかな。
何より、彼がそういうことを考えてくれてたっていうのがとびきりうれしかった。
「ハルト、私のことちゃんと考えてくれてるんだね」
うれしくなってそう言ったら、彼はまたびっくりしたようだ。
「当たり前だろ、大切な彼女なんだから」
「うひゃ……」
思わず変な声出た。
相変わらずめちゃくちゃストレートに、思うことを言ってくれる。
「ただ、仕事のシフトはどうしてもばらけるからな。そこは羽菜の意見も聞いてみたいと思ってた」
話しているうち、前方に木々に囲まれた広い水辺が見えてくる。
夏の陽光を浴びてきらきら輝く水面には、細い橋もかかっていた。うっすら草が生えている土橋には手すりがなく、『立ち入り禁止』の看板が立っている。橋を渡した向こうには、小さな島があるようだった。
「すごい、趣ある橋。渡れないんだね」
「ああ。でも眺めはいいよな」
ハルトはそう言って、道のさらに先を指差す。
「向こうにもすごい橋がある。羽菜、驚くかもな」
「驚くような橋? どういうこと?」
「行ってみればわかる」
彼の案内についていってみれば、驚く理由がすぐにわかった。
渡月橋と名のついたその橋は、岩でできていた。岩を二枚、こちらの岸と対岸からそれぞれ倒しあったような形をしていて、幅は人がひとり歩ける程度だ。橋の向こうは鬱蒼と茂る緑のモミジの木が美しく、渡ってみたいような、渡りたくないような気分にさせられた。
「たしかに驚くねこれは……渡って大丈夫?」
「全然平気。でも並んでは無理だな」
ちょうどその時、橋の向こう岸に老夫婦が姿を見せた。私たちは先を譲り、手を取りあうご夫婦が慎重に橋を渡るのを見届けた後で橋を渡った。先を行くハルトが手を引いてくれて、私は足元ばかり見ながら歩いた。
「ここ、どうしても手繋いで渡っちゃうね」
私が恥じ入ると、ハルトは静かにうなづいた。
「本当に狭い橋だからな」
「手を引いてくれてありがとう」
「いつでも引くよ」
そう言ってくれる彼がすごく頼もしくて好きだ。
いつの間にやら私も彼に甘えることができるようになってて、それを幸せだなってふとした時に思う。
「たしかに、シフトは合わないことのほうが多いけどさ」
橋を渡った先の、モミジの木々が生い茂る道を歩き出す。手を繋いで、私も彼の顔を見ながら告げる。
「むしろ帰ったらハルトがいるって思えば、繁忙期とか年末商戦もがんばれそうな気がするよ」
「俺も。羽菜が待っててくれたら乗り切れそうだ」
ハルトはうなづき、その後でいたずらっぽく笑ってみせた。
「でも来年までは引っ越せないからな。今年は別の形で乗り切らないと」
「大丈夫! そのために合鍵もらったんじゃん」
張り切って答えた私が肩をぶつけると、ハルトもほっとしたようにまた笑う。
今年は今年で、お互いがんばって乗り切れるようにあれこれしよう。
で、将来的には同棲したい。ハルトとだったら、すごく楽しく過ごせる自信があるから。