これからどうやって愛そうか
「私もさ、今年の年末は帰んない予定だったんだ」残り少ないチューハイをちびちびやりつつ、持ちかける。
「だからよかったら、仕事納めの後は一緒に過ごさない?」
うちの店の初売りは毎年一月二日から。
つまり元日はまるまるお休みで、しかもわざわざ合わせるまでもなくハルトも一緒のお休みだ。ふたりで過ごすにはぴったりだろう。その分、次の日からは初売り商戦で目も回るほど忙しかったりするんだけど――まあ、そのための英気を養うと思えば。
軽くなった缶を傾けていたハルトが、怪訝そうに首をかしげた。
「毎年、年越しには帰ってるんじゃなかったのか?」
「うん。でも別にいいんだ、私がいなくても」
私がいなくても、あの家族はちゃんと家族してるし幸せそうだ。
一家を支える寡黙な父、心配性だけど優しい母、そして無邪気でかわいい美羽。
完成されたその家族の中に不純物は要らない。
「むしろ親と顔合わすの、今でも気まずかったしね。帰りたくなかったの」
私は軽く笑って打ち明けた。
「険悪とかじゃないんだけどね。母はふつうに話しかけてくるし、いろいろ気にかけてくれるし。妹もあんまり一緒に暮らしてないのに私に懐いてくれてるし。父とは全然しゃべらないけど、私の分までお年玉用意しといてくれるから、娘扱いはしてくれてるみたい」
なんでもないふうにしようと、一気に語ったからだろうか。
ハルトは少し気圧されたように息を呑み、それからぽつりと言った。
「……そっか」
「一応ハルトのことも話したし、彼氏できたから帰んないって言えば通じると思う」
「逆に、連れて来いって言われないか?」
彼の問いがまさしく図星で、私は乾いた笑いを漏らす。
「言われた。けどスルーでいいよ」
正直、ハルトなら親の受けもばっちりだろう。紹介したらうちの母は大いにはしゃぎ、こんな優良物件絶対逃すなとけしかけてくるに違いない。美羽は最初こそ人見知りしそうだけど、すぐに懐いてくれそうな気がする。
父の反応は予測がつかない。でもまあ、どうでもいい。
どうせ連れていくつもりなんてないから。
「俺も言われたよ」
さりげなく彼がそう言って、私はちょっとびっくりした。
「え!? ご両親に?」
「ああ。ほとぼりが冷めたらって答えたけど」
ハルトはぼやくような言葉の後、片手で頭を抱えてみせる。
「俺もさ、羽菜を連れ帰ってみんなに紹介したいって気持ちはあったんだ。でもあんなことがあった後じゃ羽菜にも嫌な思いさせるだけだろうし、やっぱり今年は無理そうだ」
「しょうがないよね」
地元に帰れないのはかわいそうだけど、あんなことがあったからこそ私とハルトは今付き合ってるわけだし、しょうがない。
「その代わり、落ち着いたらちゃんとする」
ハルトは真剣な口調で誓ってみせる。
「兄さんにはもう紹介済みだし、いつか親にも正式に紹介したいって思ってる。こういうことはなあなあにしたくない。少し遅くなるのは羽菜にも申し訳ないと思うけど、ちゃんと機会を設けるよ」
そういうところはさすがの真面目さだ。
もちろん嫌ではないけど、面食らってしまう私がいる。
「私もハルトのご両親は見てみたいけど、そんな焦らなくてもいいよ」
「でも、真剣なんだ」
彼は言葉どおりのひたむきさで、じっと私を見つめてきた。
「羽菜とのこと、いい加減にはしたくない。だから――」
「いや、別に、今でもいい加減にされてるとか思ってないよ。大丈夫」
あわてて彼の言葉を遮る。
たぶんハルトも、私たちの始まりが『友達』からだったことを多少気に病んでいるんだろう。
何せ二度目のデートで交際を申し込んでくるほどだ。正式に付き合ったら次は家族に紹介して、真剣なお付き合いだってことを証明しておきたいのかもしれない。
でも私は、そこまでしてもらわなくてもわかってる。
ハルトは私を大切にしてくれる。いい加減になんて扱ってない。
「真剣だっていうのもわかってるよ、ちゃんと」
私は何か言いたげなハルトを宥めにかかる。
「だから急がなくてもいいよ。そのうち連れてってくれたらで。今すぐ紹介して、なんて思ってないし、そうしてくれないとハルトの気持ちがわかんないってこともないからさ」
それをハルトは、どこか神妙な顔つきで聞いていた。
「俺は……羽菜のこと、大切にしたい」
「十分、もうしてもらってるよ」
大切にされてる。そんなこと、身に染みて実感してる。
だから私もハルトのためになんでもしてあげたいって思うようになって――ああ、そっか。そういうとこ、私たちは似てるのかもしれないな。
絶対に失いたくない大切な人を、これからどうやって愛そうか。それを今はお互い模索してるところなんだろう。
私は彼に尽くすことで、彼は周りに紹介することで、それぞれ証明しようとしていた。
「ハルトの気持ち、疑ったことなんてないよ。大丈夫」
そう告げると、彼は唇をそっと引き結ぶ。
それから切れ長の瞳をかすかに揺らして、零すようにつぶやいた。
「羽菜は俺を、信じてくれてるんだな……」
その言葉に心臓が跳ねた。
どきっとしたというより、ぎくっとしたのかもしれない。
私も考えていたことだ。ハルトのお兄さんとふたりで話した時に思った。今では誰よりも、私がハルトのことを信じてるのかもしれないって。
人を好きになるより、信じるほうが難しい。そのはずなのに。
「なんか、そうみたい」
私は素直に白状した。
「そうみたい、って」
とたんにハルトは硬かった表情をほどく。柔らかい微笑が口元に浮かんだ。
「俺にとってはすごくうれしいことなのに、簡単に言ってくれるんだな」
「や、自分でも実感したところでさ……けっこう信じてるのかなって」
疑う理由がないというほうが正しいのかもしれない。
ハルトがどんな人か、これまでの付き合いでよく知っているから。
「私はハルトが嘘つけない人だってことも、どんなに怒ったってって暴力振るう人じゃないってことも知ってる。女の子と、いい加減な気持ちで付き合ったりできないってこともね」
「……俺、家族にすら疑われたのに」
彼が溜息をつく。
それでも私を見る目は穏やかで、幸せに満ちてもいた。
「羽菜に信じてもらえるなんて、本当にうれしいよ」
彼の手がダイニングテーブルの上で、ぎゅっと私の手を掴む。
しなやかで男らしいその手を、私も笑って握り返した。
「実は、よっぽど頼もうと思ってた」
「何を?」
「羽菜が俺に『してほしいことない?』って聞いた時」
「え、私に信じてほしいって?」
「ああ」
ハルトがはにかんで顎を引く。
「なんにもしなくていいから俺を信じてくれないかって。今すぐじゃなくてもいい、どんなに時間かかってもいいから、まずは『信じてみる』って言ってくれないかって……喉まで出かかってたけどやめたんだ。そんなこと、頼んでどうにかなるわけでもないのにな」
それがハルトの、私にしてほしいこと。
他のどんな恋人らしいことをも差し置いて、それだけを私に願った彼の思いが、今はなんだか胸に突き刺さるようだった。
だったら私も、信じたいな。ハルトのこと。
そのためにできること、なんでもしたい。何すればいいのかは全然わからないけど。
「がんばるよ、私」
私は彼の目にうなづいた。
「ハルトのお願い、絶対叶えたいから」
「ありがとう。でも、がんばらせるのもなんか違うよな」
ハルトは言葉を探すように視線をさまよわせる。
そうかもしれない。誰かを信じるために必要なものはその人に対する情報、知識、それと積み重ねていく長い時間だ。私がどんなに急いで、がんばったとしても、どうしても埋められないものがあるのかもしれない。
そういう時、彼を信じてもいいのかって迷った時に、逃げないでまずはがんばってみる。
「でもせっかく言ってもらったお願いだからさ、叶えたいじゃん」
私は繋いだ手にぐっと力を込め返した。
「いくら言っても全然おねだりしてくれないんだもん。掃除洗濯炊事、どんな過激なプレイでもいいよって言ってるのに全部いらないって言うからさ。欲がないよね」
「欲がないわけじゃないんだけどな……」
ハルトがそこで苦笑して、私へと視線を戻す。
だいぶ飲んだし酔っ払っているのかと思ったけど、真っ直ぐに私を見つめてくれていた。
「俺は羽菜が傍にいてくれるのが一番で、あとは俺を信じてくれたら十分なんだ」
「欲ないじゃん。もっとあれこれ言ってもいいんだよ」
「これでも贅沢言ってるつもりだ」
そう言って、彼が私からそっと手を離す。
喉が渇いたのか、チューハイの缶に手を伸ばした。すでにだいぶ軽くなっていた缶の最後のひと口を飲み干した後、ハルトは空になった缶を卓上に置く。
「おかわりする?」
缶チューハイは四本買ってきた。残り二本、たしか甘夏味とシークワーサー味が冷蔵庫で冷えている。
だけどハルトはちらりと缶を見た後、名残惜しげにかぶりを振った。
「やめておく。明日仕事だから」
「そっか、じゃあ私も」
ずいぶん話し込んでしまって、時計を見れば日付がぼちぼち変わりそうだった。私は明日お休みだけど、ハルトはそうじゃない。そろそろ寝る準備をしないといけない頃合いだ。
「泊まってっていい?」
「今から出ても終電間に合うかどうかだろ」
私の確認に、立ち上がったハルトが身を屈める。
そして軽くキスしてくれた後、そっとささやいた。
「もう少し一緒にいて。明日の朝まで」
もちろん、私の答えはひとつだ。私だってそうしたかった。
私は彼の部屋のバスルームを借り、ついでに彼からパジャマがわりのTシャツを借りた。
どうせ脱ぐんだから服なんているのかという疑問もなくはない。でも一旦着たものをあえて脱がすという作業が逆に盛り上がるというのもある。あといかに彼氏とは言え、お風呂上がりはずっと全裸っていうのもどうかと思うし。
「年末、本当に帰らなくていいのか?」
スマホのアラームをセットしながら、ハルトが改めて尋ねてくる。
「うん」
言葉少なにうなづけば、彼もそれ以上追及してはこなかった。
「じゃあ一緒に過ごそう。羽菜は、年末といえば何してる?」
「去年はひとり鍋したよ。ぼっちだったからね」
「鍋か、そういうのもいいな」
「で、適当に年末特番見てた。初詣は年が明けてから行った」
「俺も初詣は明るくなってから行くな。夜はより寒いし」
「じゃあ一緒に行こうよ。東京は大きい神社いっぱいあるし」
そんな約束を交わしつつ、ふたりで布団にもぐり込む。明かりを消さないのはすぐに寝ないつもりだからだろう。ハルトはどうしてか私の顔を見るのが好きだ。
今も私を見つめつつ、布団の上でそっと抱き寄せてくる。Tシャツ越しに感じる彼の体温は、いつもよりも少し高めだ。
「ハルト、なんか身体あっつい……」
私が彼の胸に手を置くと、彼はその手を捕まえてしまう。握ってくる手もさっきより熱っぽく感じた。
「酔ってるからかな」
「そうだろうね。なんかもう火照ってるみたい」
「ごめん、酔っ払ってて」
そう言う彼の顔が意味ありげに笑っていて、本当に酔ってるのかもなって思う。企み顔というか、いたずらっ子みたいに楽しそうだ。
「俺、ちょっとテンション高いかも」
「何それ、珍しいね」
「羽菜がいてくれるの、うれしくてさ」
彼は私の手を捕まえたまま、ゆっくりと唇を重ねてくる。
軽いキスで終わるかと思えば、熱い舌が口をこじ開けて入り込んできた。いつもより性急に、だけどじっくり舌を絡めてくる。
「ん……ふ……っ」
私が荒い息をつくと、それすら飲み込むように唇を軽く吸い上げた。ちゅっと音がするくらいのキスの後、ハルトは私に覆いかぶさって、耳元にささやいてきた。
「好きだ、羽菜」
「ん、くすぐったい……」
「大切にするから、ずっと」
顔を上げれば、すぐ目の前にハルトの顔がある。
天井の照明を背負った彼は、逆光のせいで陰って見える。なのに表情は少しも暗くなく、それどころかとろけるような笑みを浮かべていた。普段は引き締まった口元がそうやってほどけると、幸せを実感して、噛み締めているように映る。
そんな顔を見るのが、私もすごく幸せだった。
「優しくしてね」
私がささやき返すと、ハルトも深くうなづく。
「もちろん、そうする」
私だってわかっている。彼が優しくしてくれなかったことなんて一度もない。乱暴にされたことも、痛いことも、怖い思いもさせられたことは一切ない。
身体の関係から始まったからこそ、わかることもあるのかもしれない。
私はハルトが優しい人だって、ずいぶん前から知っていた。