好きな人ができたなら
私の呼吸が落ち着くより早く、福浦は私を上がり框に座らせた。まず最初に靴を脱がせて、それからほとんど脱げかけの服も全部剥かれた。いきなり全裸になってしまった私の前で、福浦もTシャツを脱ぐ。
「ここ、玄関だよ……?」
自分の口からいやに常識的な言葉が飛び出してきてちょっと笑えた。玄関なのが嫌なわけでは決してない。公序良俗に反しなければどこでもいいと思っているくらいだ。
でも福浦がここで脱ぎだすとは思ってなかった。
脱いだってことは、つまりそういうことだろう。
「ごめん」
彼は笑って私を見下ろしている。
「今から布団敷く余裕とかなくて。だめ?」
かわいらしい問いかけとは裏腹に、彼の声は少し上擦っていた。興奮が伝わってくる息の荒さに、それが嘘じゃないんだとわかる。本当に余裕なさそうだ。
「いいよ」
私がうなづくと、彼はどこかほっとしたようだった。
そして通勤用のトートバッグから財布を取り出すと、そこから包装されたゴムを取り出す。
私が黙って見守る中、福浦はベルトのバックルに手をかけ、ズボンを下ろした。
手早くゴムを着けた後は自らも上がり框に腰を下ろすと、私の身体を抱えて腰の上に跨らせる。
「入れていい?」
ここまで来て尋ねてくるから、私は彼の首に手を回しながら聞き返した。
「だめって言ったら入れないの?」
うっと詰まった福浦が、困ったように私を見る。
「羽菜ならそんなことは言わないと思って」
「よくわかってるね、言わないよ」
それどころか欲しくて欲しくてしょうがないくらいだ。私はゴムをかぶせたその根元を軽く握ると、ちゃんと入るように先端をあてがい、ゆっくり腰を下ろす。
さっきまで指でさんざん掻き回されていたからか、根元まで抵抗なく入った。とは言え指よりもずっと存在感のある大きさと硬さには息が詰まり、身体が自然と震えてしまう。
「はあ……っ、入っちゃった」
私が腰を深く沈めたら、福浦が一瞬目をつむった。
「あ……こら、俺が入れたかったのに」
大きく息をついた後、悔しそうにうめく。すぐに私の腰を掴んだかと思うと一度大きく突き上げてきて、その瞬間、奥底から揺さぶられるような快感が込み上げた。
「あっ」
「仕返し」
そう言ってにやりとする福浦がかわいい。なんだかんだでほだされている私がいる。
対面座位は好きだ。一方的な感じがしないし、こっちもそれなりに動ける。自分の体重がかかるから深く入ってくる感じもいい。相手の表情が至近距離から眺められるのも利点だと思う。
でも好きな人とこうして繋がったまま向き合うのは、照れるような、幸せなような、なんともくすぐったい気分だった。
福浦の顔がすぐ近くにある。
長めのミディアムマッシュは汗に濡れ、それをかき上げる仕草が色っぽい。
そうして露わになった切れ長の目が私を見て、うれしそうに細められると胸がときめく。
引き締まった唇はすでに呼吸を乱していて、でも目が合うとたまらなそうにつぶやいてくれる。
「好きだ、羽菜……」
「ん……私も、好き」
自慢の胸を彼の胸板に、つぶれるくらいに押しつけた。慣れているはずの誘惑の手法に、だけど今は私のほうが不思議な満足感を覚えている。汗ばんだ素肌同士が吸いつくようにくっつくのさえ気持ちいい。
鍛えた福浦の腕が私の身体を支えてくれていた。私も彼の背に手を回し、しっかりと抱きあう。そして見つめあえば、どちらからともなくはにかんだ。
「今さらだけど、ちょっと照れるね」
「そう? 俺は幸せ噛み締めてるよ」
「私も噛み締めてはいるけどね、なんか……」
好きな人とするセックスは、やっぱり特別なのかもしれない。単純な快感だけを貪り楽しむのとは違って、端々から大切にされているのがわかる。そういう愛情の表れが、気持ちよさとは別の意味で心を満たしてくれる。
「こうしてるだけで気持ちよくて、不思議だなって……」
私は福浦に抱きついたまま目を閉じた。
エアコンがついているとはいえ、真夏に長らく放置されていた玄関にはまだ熱気がこもっている。
でも蒸し暑さやお互いが流す汗を気にせずに抱きあう、こんな幸せもあるんだってしみじみ思う。片時も離れたくない。
身体は今も繋がっていて、圧迫されるような息苦しさもあって、快感は奥底でくすぶっている。このまま腰をめちゃくちゃに動かすだけで好きなだけ気持ちよくなれるだろう。そうしたい欲求もある一方で、ただこのひとときを味わいたい気持ちもあった。
「羽菜」
名前を呼ばれた直後、唇に柔らかいものが触れた。
思わず目を開くと、福浦が額をぶつけるほど近くで私を見ている。
「大切にするから」
真剣な眼差しで告げられると、はずかしくて、どうしていいのかわからなくなる。
「知ってる。もう、してもらってるよ」
「今よりもっとする。絶対に悲しい思いなんてさせない」
彼が私をぎゅっと抱く。
熱い吐息が首筋をかすめて、身体がぞくぞくと震えた。
「本当に好きなんだ……」
そんな言葉もまた、私を揺さぶり震わせる。今度は私から唇を重ねたら、福浦はうれしそうに唇をほころばせた。
「羽菜も俺のこと、好き?」
「好きって言ってるよ、さっきから」
私の答えに、彼が物欲しそうな顔をする。
「もっと聞きたい。いっぱい言って」
リクエストの仕方がかわいい。照れるけど、ここは正直に言っておこう。
「好き。どうしていいのかわかんないくらい大好き」
「ん……もっと聞かせて」
「好きだよ、ハルト。ずっとこうしてたい……」
「羽菜……俺も大好きだ……!」
そう言って深く息をついた福浦が、直後ごくりと喉を鳴らした。
「でも、ごめん。俺、そろそろほんとに限界……」
まだ動いてもいないのに呼吸を弾ませる彼が、潤んだ目で私を見る。
「さっきからめちゃくちゃ締めつけてくるの、わかる?」
言われた瞬間、身体の奥がひくつくのが自分でわかった。
「や、やだ……わざとじゃないからね」
「あっ……ほら、言ってるそばから。我慢できなくなるだろ」
荒い息を吐きながら福浦が笑う。『しょうがないな』とでも言いたげに。
そして両手で私のお尻を掴むと、かすれた低い声で言った。
「動くよ」
「ん……っ、ん、あっ」
宣言の直後から強く突き上げられて、待ち構えていた身体にがつがつ響いた。知らず知らずのうちに焦らされていたし、焦らしてもいたんだろう。先端を引っかけるように何度も何度もこすりつけられ、たちまち訳がわからなくなる。
「あっ、ああ……っ!」
「は……っ、いい、すごくかわいい……!」
福浦が私を見てる。
私も彼を見てみたくて、揺さぶられながらも目を開けた。形のいい眉をひそめて苦しそうな彼が、視線に気づいて少し笑う。
切羽詰まったその笑顔を、好きだと思った。
「あ、好きっ、ああっ」
「羽菜」
喘ぐ私の耳元で彼がささやく。
「俺も好き……ずっと、傍にいてくれ」
「んっ、うん」
私も彼の動きに合わせて動く。でもこれは仕返しとか、彼に負けたくないからとかじゃない。一緒に気持ちよくなりたいからだ。
繰り返し突き上げられて、その度に硬いもので内側をえぐられる。揺れる胸が彼の胸に擦れるのも、密着した腰が揺れるのも、お尻に彼の指が食い込んでいるのも全部いい。キスをねだればすぐに応じてくれて、お互い荒い呼吸のまま唇を重ねた。
「んん……んっ」
「は……も、離さないからな……」
唇を触れ合わせたまま彼が言い、片方の手で私の胸を持ち上げる。そうして胸の上に吸いつきながら揉みしだかれた。切ないような快感が走り、彼に突かれる中がきゅうっと締まるのが自分でわかる。そうすると彼の硬さや熱さがより鮮明に伝わってきて、頭が真っ白になる。
「やっ、あ……あ、んっ」
「う……ほんと、搾り取られそうだ……!」
うめく彼の声が聞こえたかと思うと、腰を打ちつける動きが早くなる。中を掻き回すように激しい突き上げの合間に熱い舌で耳を舐められ、身体がびくんと硬直した。
「ハルトっ、あ、私、やあっ、もう……っ」
「いいよ、羽菜、一緒に……っ!」
彼が私を強く抱き締める。私も彼にしがみつき、襲い来る快感を震えながら受け止めた。
「あ、ああっ、あ……!」
仰け反る私を抱き留めてくれる彼も、身体を震わせ息をつく。
「は、あ……好き……好きだ……」
そうして名残を惜しむようにゆるゆると腰を押しつけてきて、私もしばらく余韻に浸った。
真夏に玄関でこれだけ動けば、汗だってかくし喉も渇く。
「羽菜、水分補給しないと」
福浦はぐったりする私に水を飲ませてくれ、その後はバスルームまで運んで全身隅々まで洗い上げてくれた。
お風呂上がりにはお布団も敷いてくれて、今はエアコンの風を浴びつつふたり並んでごろごろしている。
「至れり尽くせりじゃん……」
私が思わず唸ると、横で寝そべる福浦が小首をかしげた。
「愛情表現だよ」
「こんなに表現してくれる人もなかなかいないと思うよ」
「俺は羽菜が大好きだからな」
顔色ひとつ変えずに言ってのけた後、それでもちょっとうれしそうに言い添える。
「だから羽菜も、『誰にも渡さない』ってずっと思ってて」
「……思っときます」
自分で口走った言葉ではあるものの、今になってはずかしくなってきた。
柄にもないこと言ったって自覚はある。そういう独占欲とか、執着とか、嫉妬とか、一番縁遠いものだって思ってたのにな。キスマークをつける人のこと、理解できないなって思ってたくらいなのに。
福浦は誰にも渡したくない。
私が独り占めしたい。
「痕、ついてる……」
ふと思い出して自分の胸を見下ろせば、新しい鬱血がひとつできていた。
福浦が身体をこちらに倒して覗き込んでくる。
「目立たない場所にって言われたから、そこにつけた」
そう言って手のひらで優しく撫でてくる。キスマークを見下ろす彼の顔は満足そうだ。
「次は、これが消える前に会いたいな」
「予約スタンプみたいな言い方するね」
私はそんな福浦を眺めて思う。
やっぱりこれが占有の証なのかな。
「今度、私もつけていい?」
そう尋ねたら、福浦は目を丸くした。
「俺に?」
「当たり前でしょ。他の人につけていいの?」
「いや、だめ。絶対だめ。断固反対。俺にして」
まるで食らいつくような勢いで否定した福浦が、その後で照れ笑いを浮かべる。
「羽菜がそういうこと言うと思わなかったから」
「私も、こんなこと思うなんて予想外だった」
どうせ消えちゃう痕にどれほどの意味があるだろうって思ってた。
一時の気分でつけるものなんだから、意味を考えるだけ無駄だって考えだった。
でも、福浦が意味を持って痕をつけたがるなら、私だってそうしたい。芽生えた独占欲と執着をひとりで抱え込むんじゃなくて、ちゃんと彼にぶつけたい。好きな人ができたなら、そうすべきだと思う。
「外から見えない場所ならどこでもつけていい」
福浦はむしろ、わくわくした様子で声を弾ませた。
「羽菜がつけてくれたら、俺もお返しにつけるから」
「あ、じゃあお揃いにしよ。おんなじ場所にキスマーク残すの」
「キスマークのお揃い? 聞いたことないな」
彼が吹き出したから、私もげらげら笑った。
「そこまでやったらバカップルかな?」
まあ、それやらなくてもすでに――的な自覚もあるけど。
福浦と一緒だと、事後だって気持ちが沈まない。
こうやって布団に寝そべって、心地よい疲労感の中でくだらない会話を交わしているだけで幸せだった。安らかな気持ちにもなれた。空しいとか寂しいとかそういう負の感情は一切なくて、ただ彼の隣にいられる喜びを噛み締めている。
やっぱり、セックスは好きな人とするほうがいい。
恋愛感情がなくても楽しめるのは事実かもしれない。でも好きな人とならもっと楽しいし、卑屈な気持ちも湧いてこない。それどころかちょっとした言動の端々に愛を感じて、大切にされてるって実感できる。こんなにいいものだったなんて、ずいぶん長く忘れていたな。
まあ、好きな人とだったら何したって楽しいのかもしれないけど。
考え事をする私の顔を、気づけば福浦がじっと見つめていた。
「どうかした?」
真剣な眼差しに問いかけると、彼が表情を柔らかく和ませる。
「羽菜とこんな話できるの、幸せだなって思ってた」
「偶然だね。私も同じこと考えてたよ」
どっちかって言うと必然なのかもしれない。お互いに好きな人が隣にいるんだから、考えることも似てくるだろう。
「好きな人がいるって、いいよね」
割り切った関係でも、一夜限りの恋でもなくて。
ずっと一緒にいたい、離れたくないって思う相手がいるのは幸せなことだ。
「ああ、そうだな」
福浦はゆっくりとうなづくと、私に身を寄せ、唇にそっとキスしてくれた。
それから優しい笑顔で続ける。
「何度だって言う。好きだ、羽菜」
本当に、今夜は何度その言葉を聞いただろう。
それは何度聞いてもいいものだから、私もすかさず彼に飛びついた。
「私も大好きだよ、ハルト!」