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ふつうに恋愛をしている

 八月になると、店頭には秋物が並びはじめた。
 アパレルは季節の移り変わりが最も早い業界のひとつかもしれない。外の気温が三十度前後だろうとお構いなしにサマーセールが終わり、代わりに秋カラーの商品が出そろう。テラコッタ、カーキ、ボルドーといった色合いが並ぶディスプレイを見ると、オータムシーズン到来だなってしみじみ思う。

 もっとも、現実の季節は真夏日が続く八月だ。
 この夏は私にとって、単に忙しいだけではない夏だった。秋物の立ち上げに商品の入れ替えとあわただしくなる仕事の陰で、日常が少しずつ変わりはじめている。
 たとえば、福浦が時々メッセージを送ってくれるようになった。
 内容はごく他愛ないもので、
『おいしいランチの店見つけたから、今度一緒に行こう』
 ってプレートランチの画像つきで送ってくれたりとか、
『シャツ買ったけど何と合わせるか迷ってる』
 ってコーデ相談を持ちかけられたりとか、
『声が聴きたいから電話していい?』
 って聞かれたりとかだ。
 その都度私も返信を送ったり、コーデ相談に乗りつつさりげなく福浦のファッションの好みを聞きだしたり、楽しく電話したり――自分でもびっくりするほどふつうに恋愛をしている。
 福浦はメッセージの文面だって優しいし、真面目で人の話を茶化したりもしないし、照れずに真っ直ぐ好意を伝えてくれる。今月は休みの合う日がないものの、来月のシフトを申請する時期が来たら休みを合わせて一緒に過ごそうとも言われていて、私も当然そのつもりでいる。
 半面、そんな彼の真っ直ぐさがうらやましかったりもした。
 私はそういう好意を伝えるのがまだ照れくさくて、メッセージでも電話でもうまく言えなかった。『やりたいから会おう』は言えるのに『私も声が聴きたかったんだ』は言えないんだから始末に負えない。電話してもらえるだけでうれしいとか、本当は休みじゃなくてもいいから会いたいとか、そういう気持ちもなかなか口に出せずにいた。
 そういうのも慣れで、いつかは当たり前になるだろうか。
 そんなことを思いながら夏の終わりを迎えていた。

 その日私は早番で、昼休憩の時間をのんびり過ごしていた。
 福浦は遅番で、さっきストックルームで発注をしているのを見かけた。もう当たり前のようにお互いのシフトを把握していたし、彼が明日休みだってことも知ってて、私も明日は遅番だから今夜ちょっと会えないかなって思っていた。そういう文面をスマホに打ち込んで、だけど送信ができないまま五分くらい経っている。
 会いたい理由は特にない。強いて言うなら告白しあった引っ越しの日からずっと仕事以外で会えてなかったし、連絡は取りあってなかったけどなんとなく寂しかったからだ。でも仕事の後じゃ疲れてるだろうし、付き合いだしたら急に重い女になったとは思われたくない。久々のまともな男女交際に距離感を測りかねている自覚もあって、やっぱ我慢しとこうかなとも思う。
「天野、何スマホ睨んでんの?」
 店の休憩室には、他に北道さんもいた。
「別になんでもないです」
 見られてたことを気まずく思いつつ応じると、からかうように笑われた。
「なんだよ、男に振られたか?」
「違いますって」
「だよな。お前に男っ気なんてあるはずないし」
 それも違います、と言いたかったけどやめておいた。

 北道さんには、福浦と付き合ってることをまだ言ってない。
 この人も含め、職場の誰かに聞かれたら隠すつもりはないって福浦は言っていた。私も同じ気持ちだけど、だからと言って自発的に切り出す気にはなれなかった。特に北道さんが相手だと地雷を踏み抜きそうで言い出しにくい。
 だいたい北道さんもちょっと前まではしつこいくらい私たちを勘ぐってたのに、いざ本当に付き合いだしたら何も言わなくなったから謎だ。聞いてくれたら正直に答えるんだけど――いや、それでもちょっと怖いけど。

 休憩中にこの人と関わると何か磨り減る気がするし、あとは黙ってようと思った時だ。
 軽いノックの後で休憩室のドアが開き、笑顔の店長が顔を覗かせた。
「羽菜ちゃん、秋物の新作が入荷来てるよ。食べ終わったなら見に来ない?」
「えっ、行きます行きます」
 秋物に気になってる服があるって、前に店長と話していた。そのことを覚えていてくれたみたいで、私は即座に立ち上がる。
「秋物は気になるのたくさんあったんですよ」
「羽菜ちゃんいろいろ欲しがってたもんね」
 話しながら休憩室を後にする私と店長、それに北道さんまでついてきた。
「新作チェックしとくのも仕事のうちだろ」
「へえ、北道くんそんなに仕事熱心だったんだ」
 店長はくすくす笑ったけど、北道さんはあんまり気にしていないようだった。
 行き先はストックルーム。中にはまだ福浦がいて、ドアが開くとすぐ振り返り、私に気づいてちょっとだけ微笑んでくれた。私は照れながらも笑い返しておく。
「秋服って一番心弾むよね」
 店長はハンガーにかけられた服を数着、みんなに見えるように並べていく。ディスプレイ用に吊るしておいた秋物たちはメンズもレディースもかわいくて、秋らしい色合いもとてもいい。
「涼しくなってきて、着たい服が着られる時期だからでしょうね」
 福浦の相槌に、北道さんがうなづく。
「夏場は過ごしやすさ優先になるもんな。秋は重ね着もできるし、いろいろ買ってやろうって気になるよ」

 実際、秋になると商品展開にも力が入る。
 気温の変動が大きい時期だからアウターも幅広く置かれるし、夏には着られないコーデュロイやフェイクレザーといった素材も増えてくる。暑いうちは季節感を色で合わせるという人が多く、夏場には売れなかったカラーリングがよく売れるようになるのも秋ならではだ。
 私も秋服を見ると心が弾むほうで、特にオータムカラーは大好きだった。普段はカジュアル寄りでなかなか大人っぽいコーデが似合わない私も、秋色を身に着けるとすんなり大人っぽくなれてしまうからうれしい。

 そんな私の今年の狙いは、まずタイトスカートだ。
 揺れるフリンジが秋らしいスカートは温かみのあるツイード素材。いつもならタイトスカートなんて絶対はけない私だけど、フリンジつきだと視線がそちらに向く分挑戦しやすそうだと思う。
「このスカートいいですよね、欲しいなあ」
「今年はフリンジ気になるよね。私もかわいいなって思ってたんだ」
 私の言葉に店長も目を輝かせる。
 乗馬風ブーツと合わせたら絶対かわいい。下がタイトめな分、上はぽんわり袖とかよさそう。社割で買っちゃおうかな。
 秋服が欲しい理由は他にもあって、デートに着てく服を仕入れておきたかった。店に着ていくのとはまた雰囲気の違う服を買って、福浦に見てもらいたいなって思ってたりして――。
「天野がタイトスカートはくって?」
 柄にもない乙女な思索に耽っていたら、北道さんの笑い声が無粋に割り込んできた。
「お前、こういうのはきれいなお姉さんが着るもんだろ? お前のどこにそんな要素があるんだよ」
「北道くん」
 店長がひと睨みすると北道さんは口をつぐんだけど、にやにや笑いを浮かべたままだ。私には似合わないって心底思っているらしい。
 もちろんわかってる。自分が『きれいなお姉さん』枠の人間でないことくらい承知の上で、それでも着てみたいって思ったんだけどな。そういうふうに言われるとたちまち購買意欲が失せてしまう。

 北道さんはよく私の服にダメ出しをする。
 アパレル店員として同僚の評価はありがたいこともあるけど、北道さんの場合は私の容姿に言及することがほとんどで――それが間違ってるとは思わないものの、どうしたってへこむ。
 だから私は未だに、北道さんが私のこと好きだとは到底思えていなかった。

 ともあれ、先輩からのダメ出しに萎えた私は、
「ま……まあ、自分で着るのはハードル高いですけどね」
 へらへら笑ってこの場をやり過ごそうとした。
 本気で怒れる相手でもないし、反論すれば自覚なしと思われそうだし。悔しいけど仕方ない。
 そう思っていたら、福浦が口を開いた。
「俺はそのスカート、天野に似合うと思うけど」
 彼は北道さんでも、もちろん店長にでもなく、ただ私だけを真っ直ぐに見てそう言った。
 目が合って、こんな時でも真面目な顔をしている福浦にどきっとする。
「え、そ、そうかな? でも私だよ?」
 うろたえる私をよそに、彼はそこで少し笑った。
「天野だからだよ。いつもかわいいめの格好してるから、大人っぽくしてるのも見てみたい。それに天野、脚きれいだし」
「どこ見てんだよ福浦」
 北道さんの野暮な突っ込みさえスルーして、福浦は私に告げる。
「俺は絶対似合うと思う。もし買ったら見せてほしいな」
「う……うん」
 まさか、庇ってもらえるとは思わなくて。
 私はぎこちなくうなづくのが精一杯だった。
 福浦は優しく微笑んでいる。それを見て北道さんが顔をしかめる。
「福浦は売りつけんの上手いよな。どうせこうやって女の客引っかけてんだろうけど――」
「北道くん、ちょっと!」
 店長が声を張り上げた。
 そして北道さんの腕を掴むと、ストックルームから引きずり出そうとする。
「ちょ、店長! 急になんですか」
「いいから来て、話があります!」
 いつも温厚な店長の声に珍しく怒気がにじんでいて、たぶんこの後お説教なんだろうなって私でも思う。
 気の毒だとは思わない。申し訳ないけど。

 北道さんが店長に連行された後、ストックルームには私と福浦だけが残っていた。
 彼のほうを見たらまたすぐ目が合って、そのタイミングのよさにどぎまぎする。
「えっと……ありがとう、庇ってくれて」
 私は照れながらお礼を言った。
「庇ったっていうのとは違うけど。思ったことを言っただけだ」
 そう答える福浦に、なんだか面食らいつつも告げる。
「それはうれしいんだけど、北道さん相手の時はスルーでもいいんだよ? あの人しつこいし、福浦までうざ絡みされたくないでしょ?」
 私が絡まれるのはいつものことだ。でもそれで福浦にまで嫌な思いはさせたくない。
 だけど彼は、一瞬黙ってからこう言った。
「天野が傷ついてるのを黙って見過ごせないよ」
「え、でも――」
「天野こそ、あの人の言うことなんて聞かなくていい。それより俺の言うことを信じて」
 きっぱりと言い切った福浦が、あっけに取られる私を見てはにかむ。
 先輩相手に言い過ぎたって思ったのかもしれない。でもその後も訂正はせず、優しく言い添えた。
「俺は絶対似合うと思う。なんなら一緒にコーデ考えようか」
「福浦……本気にして買っちゃうよ、私」
「買ったら見せてくれる? ふたりで会う時に着てきてほしいな」
 これがセールストークだったら確かに上手いなって思う。
 もちろんそうじゃないことはわかっている。だからうれしくて、ちょっとくすぐったかった。

 彼氏がいるって状況に全然慣れてないけど、こういうことなのかもなって少し思う。
 つらい時に助けてくれるとか、励ましてくれたりとか、着慣れない服を絶対似合うって言ってくれるとか――ずっとひとりだったからか、そんな彼の優しさがじわじわ効いてくるのがわかる。
 そんなこと言われたら本当に買って、着せて見せたくなるから困る。
 いや、困らない。うれしい。すごくうれしい。
 やっぱあのスカート買おう。そして福浦に見てもらおう。意外と合わせるのに困ったら一緒にコーデ考えてもらうし、すっごくかわいく着られたらめちゃくちゃ褒めてもらいたい。
 彼氏がいるって、服を見せる楽しみがあるってことでもあるのかもしれない。

 その日、私は福浦より先に退勤した。
 昼休みに打ったお誘いメッセージはまだ送ってない。このタイミングで誘うのはずかしい気もするし、でも福浦に会いたい気持ちはより一層強くなっていた。やっぱり送っちゃおうかな、それで福浦の仕事終わるのを駅近くで待ってようかな――そう思って、通用口を抜けながらスマホを取り出す。
「天野」
「うわっ」
 急に声をかけられて、そのスマホを取り落とすところだった。
 見れば通用口を出てすぐのところに、北道さんがいた。明らかに不機嫌そうな仏頂面で、腕組みをして突っ立っている。先に帰ったと思ったら、なんでここにいるんだろう。
「お、お疲れ様です……」
 私が会釈をすると北道さんはうなづき、それから言った。
「別に俺も、本気で似合わないって思ったわけじゃないからな」
「え? なんですか急に」
「昼休みの話。福浦が突っかかってこなきゃ笑い飛ばしてやったのに」
 店長によっぽど叱られたとかだろうか。北道さんはそれなりに反省しているようだ。それが言いたくて私を待っていたのかもしれなかった。
 それでも『気にしてないですよ』とは嘘でも言えず、私は作り笑いで応じた。
「別にいいですよ」
 ぶっちゃけどうでもいい。福浦が私に似合うって言ってくれたから、それだけで十分幸せだし前向きな気持ちになれた。
「じゃ、お先に――」
「待てよ天野」
 用が済んだなら早く帰りたい私を、またも北道さんが呼び止める。
「お前、この後暇か?」
 その問いに、めちゃくちゃ嫌な予感がした。
「いや、帰ります。疲れてるんで」
「用事ないなら付き合ってくれ」
 私の返事が聞こえているのかどうか、有無を言わさぬ調子で続ける。
「お前に会ってもらいたい人がいる」

 それが誰なのか、全く想像もつかなかった。
 ただ正直な話、そう言われたって行きたくもなかった。
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