帰る気になんてなれない
彼は手早くゴムをつけると、私を仰向けに寝かせた。背中が痛くならないよう下にクッションを差し入れてくれた後で、そっと膝を掴んでくる。私の脚を大きく開かせた福浦は、こちらを見下ろしにんまり笑った。
ごちそうを目の前にして、早く食べたいって思ってる顔だ。
「物欲しそうな顔してる」
私が言うと、福浦は素直にはにかんだ。
「ばれたか。もう待ちきれなくて」
それからゴムをかぶせた先端を、私の脚のつけ根に押しつけてくる。さっきまでたっぷり指で押し広げられていたからか、かすかな水音を立てながらすんなり咥え込んだようだ。指より太くて硬いものがゆっくり中に入ってくるのがわかる。
「あ……」
「入っ、た……中、あっついな……」
根元まで入った瞬間、お互いに大きく息をついた。
薄いゴムを隔てていても彼の熱がわかる。私は息苦しくなるような圧迫感と、欲しいもので満たされた充足感の両方を味わっていた。
めちゃくちゃに突かれるのだって好きだけど、挿入直後の気遣いめいた静止時間も悪くない。中に入ってる、繋がっているって存分に実感できる瞬間だった。
「ここに、入ってるんだよな」
福浦の指が、私の下腹部をきゅっと押す。
中に入っている感覚がより強調されて、私は腰を浮かしかける。すると福浦が眉を寄せ、詰めていた息を吐いた。
「中、締まった。すごいな」
「搾り取ろうとしてるからね」
「やばい、俺もがんばらないと」
彼は困ったように微笑んで、私の脚を掴み直す。
それから最初はゆるゆると、試すように腰を打ちつけてくる。
こうして福浦と寝るのも三度目で、ぼちぼちお互いのやり方がわかりかけてきたところだ。
一番最初、相手のことを何も知らない状態でするセックスは、その手探り感に興奮するし、未知への期待でどきどきさせてもらえるから当然楽しい。
でも何度か肌を重ねて、相手のことをわかりかけてきた頃のセックスもこれはこれで楽しいものだ。息を合わせるのもたやすくなるし、相手が喜ぶ愛撫や仕種も見えてくる。
福浦は私の顔を見ているのが好きらしい。
私の膝をつかんだまま腰を動かす、その間にもずっとこちらを見下ろしている。
「天野、気持ちよさそうにしてる……」
どこか穏やかなつぶやきとは対照的に、彼の動きは貪るようだった。うねるように私の中を掻き回しては身体ごと揺さぶってくる。まだゆっくりな攻めなのに、深くえぐられると声が出てしまう。
「あっ、あ……っ」
大きな声は出せない。だからどうにか堪えているのに、福浦は容赦なく打ちつけてくる。
「ん……あ、あっ」
「声、我慢してる?」
大きく息をつきながら尋ねられ、私はどうにかうなづいた。
「し、してる……だ、って、ラブホじゃないし……っ」
「そうやって抑え込んでる顔もすごくいいよ、かわいい」
私が必死になって耐えてるほうが、福浦は興奮するらしい。
とは言えわざわざ『振り』をする必要もなく、私は声を抑えるのに必死だった。押し寄せる快感に、うまく集中できなくなっていくのがわかる。目を強くつむっても、口は自然と開いてしまう。
「あっ、あっ……やだっ、それ、いい……!」
福浦は何かをぶつけるみたいに力強く内側を突き上げてくる。引き抜かれる時ですらずりずりと擦りつけてくる。味わい尽くすような腰の動きに、私はただ息を呑む。
「天野、いい? 気持ちいい?」
「ん、んっ……すごく、あっ、すごいの……」
絶え絶えの呼吸でどうにか答えれば、福浦は少し笑ったようだ。
「かわいいな。やっぱり、好きだ……」
彼が私の顔を見ているのが、その言葉でわかった。
私も見てみたい。そう思って目を開くと、たしかに彼の姿が見えた。動きに合わせてふわふわ揺れる髪、照明の光に白く見える裸の肩、汗が流れ落ちていく広い胸と、きれいに割れた腹筋、色っぽく骨の浮いた腰――どのパーツももれなくいい。
そして汗で濡れた前髪の隙間から、切れ長の瞳が覗いている。今は煽られたように熱っぽく私を見つめていて、その眼差しだけでどうにかなりそうだった。
私も好きだな。
この目、この顔、この身体――福浦の、全部が。
「ほんとに、好きなんだ」
低くかすれた声で福浦が言う。
そうしてさらに腰を激しく打ちつけてくる。
「あっ、ああっ、や……」
猛然と突き上げられ、めちゃくちゃに掻き回されて、耐えがたい快感とそれに対する期待や欲望が一気に膨らんでくる。言葉にできない気持ちよさで頭が真っ白になっていく。
「あ……あ、あああ……っ!」
「う……く、……っ」
ついいに耐え切れず私が喉の奥で声を絞り出した時、福浦もまた抑え込んだようなうめき声を漏らした。そして身体をぶるりと震わせた後、私をぎゅっと抱き締めてきた。
クレームが来るほどうるさくはしなかったと思う。
思いたい。
ともかく激情の荒波が去って、福浦の部屋のリビングは静かになっている。エアコンが風を吹き出す音に紛れて、お互いのまだ整わない呼吸が漏れ聞こえる程度だ。福浦はまだ私を抱き締めたままで、でも体重がかからないように腕で支えてくれている。
「楽にしていいよ」
私がささやくと、福浦は名残惜しそうに頬をすり寄せてきた。
「重いよ、俺」
「ちょっとなら大丈夫」
「いや、やめとく。今抜くから……」
その言葉の後で彼は身を起こし、すぐにずるりと抜ける感覚があった。彼がゴムを外してティッシュに包んで捨てるのを、私は眺めながら尋ねる。
「いっぱい出た?」
「……うん、まあ、かなり」
目を逸らして曖昧に答えた後、またこっちを見て苦笑していた。
「天野はそういうこと、ふつうに聞くよな」
「隠すのも恥じらうのも今さらじゃない」
特に福浦は隠し事が苦手なようだし、そういうことはどんどん打ち明けてほしい。私で気持ちよくなってもらえたら、やっぱりうれしいし。
福浦が隣に戻ってくる。床に寝そべる私の横に、同じように寝転んでみせる。まだしっとり汗ばんでいる脚を絡めて、腕枕までしてくれる。
彼の視線は胸の上、鎖骨あたりに留まっていた。さっき強く吸われて赤くなっていた部分だ。
「痕ついたかな」
「ついてるね、どう見ても」
「よかった」
福浦は妙に満足気だ。手のひらで、痕をつけられたあたりを優しく撫でてきた。
見えないところにしてという私の懇願もぎりぎりのラインで叶えられたようだ。しばらくデコルテの覗く服は着られないけど。
にしても、男ってやつはどうして痕をつけたがるんだろう。
それが独占欲、征服欲の表れだってことくらいは私にもわかる。私自身、痕をつけたいと思ったことは――そういう恋をしていた頃もあった。まだ恋に希望を持っていた頃の話だ。
でも痕をつけるほどの執着を見せる割に、こちらから執着するととたんにうざがられる。一回寝ただけで彼女ヅラすんな、というようなことを言われたこともあって、じゃあなんで痕をつけたんだと憤慨したこともある。
今では怒ることも、たかだかキスマークを特別な占有の証と思うこともないけど、福浦にもそういう一面があったのは素直に驚かされた。
やっぱセックスで気分が乗ると、目の前の女をマーキングしておきたくなるのかな。終わった後のことなんて考えもせずに。福浦にそういう見境ないところがあるなら意外だ。
「最初、首につけようとしたからびっくりしたよ」
私の驚きに、福浦ははにかんで笑う。
「うなじ、あんまりきれいだったから」
真っ直ぐな目で褒めてくれるから、むしろこっちが照れる。私はどぎまぎしたのを押し隠すようにもっともらしく応じた。
「そう言ってくれるのはうれしいけど、お互い接客業だからね」
「わかってる」
彼は真面目にうなづいた。
でも痕をつけたことには満足しているらしく、こうも言われた。
「天野にこうして痕残ってるんだって思うと、どきどきする」
「そういうもん? また勤務中に思い出したりする?」
「勤務中はちゃんとするけど……思い出すな、きっと」
素直に認める福浦がかわいい。
見えないところに残した跡を、服を着た私を見て思い出す。それはなかなか色っぽい連想で、キスマークつけたがる人の気持ちが少しわかった気がした。これも同僚だからこその醍醐味かな。
「ここだとさすがに見えないよな」
「襟ぐり深い服だったらだめかもね」
「そうか……ばんそうこう貼ろうか? ベタだけど」
「ベタすぎない? 逆に怪しまれるパターンじゃん」
鎖骨付近にばんそうこう貼ってあったら私だって『あっ……』って思うわ。
さすがに本人には言わないけど、ずけずけ物言うタイプの人なら嬉々として指摘するだろう。
「それやったら北道さんとか、絶対黙ってなさそう」
それはもうずけずけと指摘しては馬鹿にしてくるに違いない。そう思って私は笑ったけど、福浦は笑わなかった。
代わりに、少し残念そうに言った。
「俺もそう思う」
「だよね。だから今後も、つけるんだったら見えないとこにして」
だめとは言わない。言ってもいざとなったら忘れられてしまうだろうし、私も盛り上がってるところに水なんて差したくないから。
こういうので福浦がより興奮してくれるっていうなら、痕つくくらい構わないって思うし。
「じゃあ、次からもそうする」
福浦は気を取り直したように顔をほころばせ、また鎖骨の下の後を撫でた。
それからふいに首を巡らせ、テレビボードの方向を見る。ボードに置かれたデジタル時計の表示は、午後十一時三十八分。
そろそろ終電を気にするべき時刻だった。
「天野、泊まってかないか?」
福浦のほうからそう言ってくれて、だけど私はちょっと迷う。
「いいの? どうしようかな……」
私は明日も仕事だ。遅番だから十二時出勤だけど、一旦家に帰ることを考えたらあまりのんびりもしてられない。泊まっていくにしても、朝八時くらいにはここを出たい。
でも、そうだとしても、今は福浦から離れがたい。
いつもならセックスの後は寂しいような、空しいような気持ちになるんだけど、福浦といるとそういう気分が和らぐから不思議だ。きっと彼が事後でも優しくしてくれる人だからだろう。汗ばんだ身体をくっつけあって、実のない話をだらだらするのも楽しい。
「いいに決まってる」
福浦はきっぱりと言い切る。
「というか、泊まってってくれたほうが俺はうれしい」
「ほんとに? じゃあ遠慮しないよ」
「遠慮なんて……」
彼はそう言いかけたところで、腕枕されている私にそっと顔を近づけた。触れるだけの短いキスの後、懇願するように続ける。
「俺は天野に、傍にいてほしいんだ」
おねだりされると胸がうずく。
彼が時折見せる素直でかわいい一面に、正直やられかけてる私がいる。帰る気になんてなれない。
「うん……甘え上手だね、福浦」
私もちょうど、離れがたいって思っていたところだったから。
軽くシャワーを浴びて汗を流した後、私たちは近所のコンビニまで出かけた。
お泊まりとなると買いたいものはいくつかあったし、ついでに飲み物も欲しかった。
深夜のコンビニは他のお客さんが全然おらず、店員さんが床にモップをかけていた。店内には軽快な音楽と共にキャンペーンのアナウンスが流れていて、それを聴いているのが私たちだけってことに妙な非日常感を覚えた。
お泊まり用のコスメセットなどを見繕った後、なんとなくアイスが食べたくなった。夏の夜はじめじめと蒸し暑いし、さっき適度に運動したからってのもある。
「福浦、アイス食べない?」
「いいよ」
彼もうなづき、私たちは肩を並べてアイスケースの中を覗く。ふたり揃って選んだのは夏らしいソーダアイスだった。それもあわせてお会計して、アイスが溶ける前にと足早に店を出る。
真夏の夜だった。池袋の住宅街は駅周辺の繁華街とはまるで趣が違っていて、華やかなネオンも喧騒もどこか遠くにある。人通りは全然ない真夜中の道を、私たちは足音も立てずに歩く。
「虫の声がするね」
「いるな。キリギリスかな」
「私、東京ってこういう虫もいないと思ってたよ」
「俺も」
近所迷惑にならないように、ひそひそ声で会話を交わした。
それでも福浦は楽しそうに笑っている。
「でも住んでみると印象変わるな。思ったよりふつうの街だ」
「そうだね」
地元にいた頃は憧れだったし、上京したての頃は広大すぎる大都会に目が眩んだりもした。でも今では当たり前のように住んで、暮らして、働いてもいるふつうの街。
「ちょっと人が多すぎて、建物の密度が高すぎるけどね」
電車で数駅離れたら顔見知りに会わなくなるようなスケール感には未だに圧倒される。そういう街だからこそ、私みたいに人間関係希薄な奴には生きやすいとも言えるだろう。
そんなことを思っていたら、ふと彼が手を繋いできた。
指を絡め手のひらを触れ合わせて、ぎゅっと力を込めてくる。その手の大きさを十分よく知っているはずなのに、心臓を掴まれたような気持ちになる。
「俺、ここで天野に会えてよかった」
そんな言葉を、福浦は私を見つめて言ってくれる。
変にごまかすことも、冗談めかしてみせることもなく、真剣な口調で言う。
私もそう思ったけど、真夏の夜の息苦しさのせいだろうか。とっさに言葉が出なかった。ただ黙ってその手を強く握り返した。
私も。
たった二十五年の人生でいろんな出会いがあったけど――嫌な思いも何度かしたけど。
それでも福浦のことだけは、会えてよかったって思いたい。
そう願うあまり、繋いだ手をずっと離せなかった。