隠したりしないから
福浦と再びラブホに来た。今回は高い部屋は選ばず、普通のお値段の部屋にした。フロントでキーを受け取ってエレベーターに乗り込むと、一旦離していた手を福浦がまた繋いでくる。
行き先は五階だ。エレベーターのパネルを押すとドアが静かに閉まり、密室ができあがる。
時間にして一分間もないようなこの密室が私は好きだ。
エレベーターが上がっていくのと同じくして心臓の音が早くなる。わくわくしてくる。
私は隣の福浦を見上げた。
彼は閉じたドアを見ている。その顔が、今はどこか不本意そうだ。
「そんな顔しないでよ」
繋いだ手をくいくい引くと、福浦ははっとしたようにこっちを向いた。
「せっかく来たんだよ、楽しもうよ」
ここまで来ておいてつまらなそうにされるのが一番悲しい。私が促すと、見上げた表情はてきめんに優しく和らいだ。
「ごめん。楽しいって思ってるよ」
詫びた福浦は身をかがめ、私に顔を近づける。
惚れ惚れするような彼の顔がすぐ目の前までやってくる。音もなく前髪が触れ、かすかに息を呑むのが聞こえて、切れ長の瞳がゆっくりと目をつむる。
私もそうしようとしたけど、残念ながら、唇が重なるより早くエレベーターが停止した。
ドアが開く。
「続きは後でだね」
身体を離して告げた私を、福浦はちらりとだけ見てきた。何か言いたそうなのに、何も言わない。
エレベーターを降りてから、廊下を歩いて部屋に辿り着く。
前の時と同じように、重たいドアは福浦が開けてくれた。
「ありがとう」
お礼を言って中に入った私は、やっぱり前と同じようにスリッパを並べてあげた。
そして靴を脱いで上がろうとした時、背後でドアの閉まる音がして、
「天野、ちょっと待って」
「ん? なに――」
振り向きながら聞き返した時、福浦が私の腕を掴んだ。
軽く引かれただけで靴を脱ぎかけていた私はバランスを崩し、そのまま引き寄せられるように福浦の胸に抱き留められた。青いサマーニットのさらりとした感触が頬に触れる。
かすかな汗の匂いに、つい先日の記憶がよみがえってくるようだった。
「どうしたの、急に」
突然のことに顔を上げて笑う私を、彼も目を細めて見下ろしている。
「さっきの続き」
短くそう答えたかと思うと、私の肩を掴んで、閉じたばかりのドアに押しつけた。
無理やりでもなく、寄りかからせるように優しい力ではあったけど、金属製のドアが剥き出しの肩にひやりと冷たく感じた。
「あっ」
上げかけた私の声を、身を屈めた福浦の唇がそっと遮る。
彼の唇はこの間と同様に柔らかかった。二度、三度と繰り返されるキスも優しく、離れた時に漏れる吐息が熱く、くすぐったい。もっと感触だけを楽しみたくて、思わず目を閉じてしまう。
「福浦……」
私はうっとりと彼を呼ぶ。
どうしたんだろう。福浦、うってかわって積極的だ。来るのを渋っていた割に、ここまで来たらと開き直りでもしたんだろうか。
もちろん私としてはそっちのほうがうれしい。今回もノリノリになっちゃえばいい。
「天野」
呼吸と共に名前を呼び返されて、そっと目を開けてみる。
福浦の顔が至近距離にある。ほんの少し顔を上げたらまた唇が触れあいそうな近さだ。これだけ間近で見つめても福浦の顔はきれいだった。目の形、鼻の高さ、引き締まった口元、全部に非の打ち所がない。
だから思わず見とれていれば、彼も私を見つめていた。
息を殺して、しげしげとまるで見入るようだった。距離の近さのせいか、焼け焦げそうなほど熱っぽい視線にも感じた。少し照れる。
「すごい、見てくるね」
「うん……」
私は笑ったけど、福浦はその言葉さえどこか上の空だ。
長い指の手を私の頬に添え、ゆっくりとなぞる。髪の中にその指先を差し入れ、梳くように動かす。髪を触られるのは好きだから、こうされるのも気分がいい。
でも、まだ靴も脱いでないんだけど。
立ったままするのも嫌ではないしその場のテンション次第ってところもある。でもさすがに廊下へ続くドアの前はチャレンジャーすぎる。まさかあの真面目な福浦が『聞かせたがり』だとも思えないし。
「ここでするの……?」
移動を促すつもりで尋ねたら、福浦は手の動きを止めて苦笑する。
「まさか」
「ずっとここにいるから、そういうつもりなのかと思った」
「そうじゃない」
半ば冗談で言った言葉も生真面目に否定して、彼は私を見つめている。
私の顔を、というより私の目を。
むしろその奥の何かを覗き込もうとするみたいな、そんな眼差しで言う。
「天野のこと、もっと知りたいって思ったんだ」
「……もう全部知ってるでしょ?」
私は聞き返した。
この間全部脱いだ。私の身体の隅から隅まで、福浦は見たことあるはずだ。もう隠してるものなんてない――せいぜい、どうしたって外からじゃ見えない骨と内臓くらいだ。
「俺はまだ、なんにも知らないつもりでいたけど」
福浦はかぶりを振る。
そんなはずはない。この前の夜に全部見せたのに。
でも酔っ払っててあんまり覚えてないっていうなら、今夜はもっとじっくり見てもらおう。私も福浦を堪能させてもらうんだから、全部差し出さないとイーブンじゃない。
「じゃあ見せてあげるから」
私は福浦の胸に手を置いて、足元に目をやる。
「とりあえず、中入らない?」
「……うん」
彼はうなづき、それからこそばゆそうに口元をほころばせた。
「ごめん、待てなくて」
待てなくてこれか。福浦、紳士だなあ。
別に激情に任せて襲いかかってくれてもいいのに――そういう福浦は今のところちっとも想像できないけど。
仕事の後だし少し汗をかいていたから、先にシャワーを使わせてもらうことにした。
明らかに一人用じゃないバスルームで軽く汗を流した後、部屋に戻る。福浦はこの間みたいにソファーに座って、ルームサービスについて書かれた冊子をめくっていた。
こういう時にスマホとかテレビとか見てない感じがまたいい。私はソファーに近づいて、福浦が顔を上げたところで屈み込む。
「お待たせ」
「ああ、おかえ――」
お帰り、と言おうとしたんだろう。だけど福浦は何も言えなくなったように口だけ開けて、目も大きく見開いていた。
「えへへ、びっくりした?」
私はバスタオルの胸元を押さえつつ、福浦の隣にすとんと座る。
せっかくシャワー浴びたんだから、ただ服着て戻るだけじゃ芸がない。そう思ってバスタオル一枚だけにした。ホテルのバスタオルはそれほど大きくもなく、座ると丈が本当にぎりぎりだ。合わせ目を胸元で留めてはいるけど、胸の谷間はばっちり見える。まるで計算ずくのサイズだった。
彼の目も、しっかり胸に向けられている。ごまかしようもないくらいじっくり見てる。
「福浦には私の全部を見てもらおうと思って」
私のこと知りたいって言うから、サービスです。
そう思ってのことだったのに、福浦は我に返ったか、急に早口になってまくしたてた。
「全部っていうのはその、違う、そういう意味じゃない」
「え、違うの? 酔ってて覚えてないからそう言ったのかと」
「覚えてないわけないだろ、全部克明に――そうじゃなくて!」
「そうだよね。仕事中も思い出しちゃってるくらいだもんね」
「お、思い出して……るけど、極力考えないようにはしてる!」
「ぶっちゃけどう? 私で抜いたりした?」
福浦はその質問には即答しなかった。
ただいたたまれない様子で顔を背け、せっかく湯上がりの私を見ないようにする。
「そういう質問はやめよう。ほら、冗談にもならない」
「知りたいんだけどな。別に引いたりしないよ?」
「……あ、天野は?」
仕返しのつもりだったんだろうか、福浦が聞き返してきた。
「知りたい?」
私はさらに質問を返す。
うなづかれたら正直に答えるつもりだったけど、ひと呼吸分じっくり迷った後で彼は言った。
「いや、だめだ。女の子にそんなこと言わせたら本当に最低な人間になる……!」
悩み多き人間だなあ福浦は。他の女の子はともかく、私はふつうに答えるのにな。
ともかく福浦がこっちを見ようとしてくれないので、私はソファーの上で距離を詰める。彼の膝に手を置いて、ぐいっと身を乗り出した。
「いいから、ちゃんと全部見て」
髪に半分隠れた彼の耳に、わざと吐息がかかるようにささやく。
福浦が私を見る。
「知りたいことがあるなら、隠したりしないから」
バスタオルの合わせ目に手をかける。
もちろん自分で解きはしなかったけど、福浦の目はその動きを追うように私の胸へ向き、そのまま吸い寄せられるように留まった。
この間から思ってた。
「福浦、おっぱい好きだよね?」
「え!?」
図星と見えて、福浦はわかりやすく声を裏返らせる。
「何を言うかと思えば……」
「だってこないだからめっちゃ見てるもん」
ちょっと揺れたらその動きすら目で追うくらいには見てる。
まあおっぱい嫌いな男のほうが珍しいのかな。大小の好みはあるだろうけど。
「す、好きかどうかって言われたら……」
「好きなんでしょ?」
私がさらに詰め寄ると、福浦の目は忙しなく私の顔と胸を行ったり来たりする。
そんな状態で答えた。
「……ああ、好きだよ」
「今もちらちら見ちゃってるし、相当おっぱい好きだよね?」
「好きだよ! 大好きだ!」
耳まで真っ赤になりつつも、大変男らしく言い切った。
その後、さもそれが大事なことのように付け加える。
「けど誰のでもいいってわけじゃない!」
大きさ以外に形や色とかも気にするタイプかな。細かいなあ。
でもこんなに見てくれるってことは、私のは福浦のお眼鏡に適ったんだろうか。
「じゃあ、私のでよければ好きにして」
私は福浦の手を取って、自分の胸まで導く。
下から持ち上げるように触れさせてみる。福浦の目もそこに釘づけになり、息を呑んだか喉仏がゆっくり上下するのが見えた。
「揉むのも舐めるのも吸うのも、挟むのだっていいよ」
正直、福浦になら何されてもいい。
そう思えるのは彼の顔が、姿が、人柄が本当に好みだからでもあるし、あんまりひどいことしないってわかってるからでもある。たった一回寝ただけでわかってる気になるのも変だろうけど――でも、なんだかわかってしまう。
福浦は絶対優しくしてくれるだろうって、無謀にも信じてしまう。
「好きにしてって……」
参ったようにつぶやいて、福浦は唇を結んだ。
それからふと真面目な顔になる。
「じゃあ好きにさせてもらう。確かめたいって思ってたんだ」
「確かめる? 何を?」
形とか色とかサイズ感とかを?
マイスターみたいなこと言い出すなと思っていたら、福浦の手が私の胸に改めて触れた。バスタオル越しにじゃなくて、中に手が入ってきた。
お酒を飲んでいないのに熱い手が左胸を撫でて、それだけでぞくぞくするほど気持ちいい。
「福浦の手、あったかい……」
バスタオルが剥がされて、両胸があらわになる。
冷房の効いた部屋の空気は湯上がりの肌には少し涼しくて、だから触れてくる福浦の手が心地よく感じられた。福浦は片手で胸を柔らかく弄びながら、もう片方の手をゆるゆると、身体の側面を辿るように下ろしていく。腰骨の辺りをつうっとなぞられて、不覚にも身体が震えた。
「あっ……そこ、くすぐったい」
「くすぐってないよ」
福浦は少し笑う。
本当に開き直ってしまったのか、私の髪をかき上げ、耳に軽くキスをする。
「天野のこと、なんでも知りたい。どこが弱いのかとかも、全部」
「それなら私も。福浦のこと知りたいな」
私は福浦の肩に抱きついて、唇にキスを返す。
すると彼は私からバスタオルを本当に全部剥ぎ取って、裸の腰を抱き寄せた。そうして何も着てない私を腕の中に囲い込んで膝立ちにさせると、胸にむしゃぶりついてきた。
胸の先端を吸われ、さらに舌先で転がされる。ころころと押しつぶされるたびにしびれるような感覚が走り、声を押さえていられなくなる。
「ふ、福浦……あっ、や、スイッチ入るとすごいんだから……」
私が声を震わせると、軽く甘噛みされた。
「スイッチ入れたのは天野だよ」
福浦は口に含んだままそんなことを言う。
ここに誘い込んだのも、こうしてほしいと望んだのも、たしかに私だ。彼がその気になってくれたのが本当にうれしい反面、めちゃくちゃ乱れてしまいそうな予感もしていて、どきどきしてくる。
私もまだ、福浦のこと全然知らないのかもしれない。