彼女にするのに向かない女子
訳がわからなかったとはいえ、「え……? なんで?」
とっさにそう聞き返したのは失礼だったかもしれない。
現に福浦は虚を突かれたような顔をして、それからすぐに落胆の色を見せた。
「なんでって……」
でも私からすれば、まず言われるなんて想像もしてなかった言葉だ。意味がわからないし困惑もする。そもそも私たち、お付き合いする必要を全く感じないんだけど。
まさか福浦、この間の責任取ろうとか思っちゃったのか。
「天野の恋愛観はあの時聞いたよ、ちゃんと覚えてる」
いち早く立ち直ったらしい福浦が、熱心に訴え始めた。
「でもこういうことはいい加減にしちゃいけないと思う。俺は天野と付き合いたい。もちろん絶対に裏切らないって約束する」
男前の台詞だ。
これが私あてでなければその格好よさ潔さに惚れ惚れするところだけど、そもそもこちらにはそういうつもりがない。付き合ってほしい、責任取ってほしいって気持ちがあって福浦とホテルに行ったわけじゃないのに。
「付き合いたいって言われてもな……」
私もパンケーキのフォークを置いて、とりあえず姿勢を正してみる。
福浦があくまで真面目だから、こっちも真面目に聞き返した。
「そもそも福浦、私のこと好きなの?」
同じ質問を、あの日、彼からされていた。
こうして聞き返すと今度は私が自惚れているみたいになりそうだけど、さすがに答えはわかりきってる。
案の定、福浦は気まずげに視線を落とした。
「それは……」
言葉に詰まっている姿に、逆に好感が持てた。
こういう時に嘘ついてごまかしたり、冗談で茶化したりしないのはいいなと思う。
でもそれはそれとして、
「好きでもない子に『付き合って』なんて言ったらだめでしょ。たとえ寂しくてもさ」
私も偉そうなこと言えた立場じゃないけど、一応そこは諌めておく。
「それもわかってる、でも」
福浦は殊勝にうなづいてみせた後、こう反論してきた。
「でも俺……あの日から、天野のことを考えるようになった」
「ええ?」
思わず変な声が出た。
ますます戸惑う私をよそに、彼はひたむきな眼差しを向けてくる。目を逸らさず続けた。
「振られた直後、俺はずっとその時のことばかり考えてた。その時の場面が焼きついたみたいに頻繁によみがえってきて、その度に腹立たしくて、悔しくて、悲しくて仕方なかった。馬鹿みたいな話だろうけど、思い出したくない記憶にずっと追いかけられてたみたいだった」
声の端にかすかな苦々しさがにじんでいたのは気のせいじゃないだろう。
馬鹿みたい、とは思わない。
私にだってそういうフラッシュバックの経験はあるから。
「でも、天野と……その、一緒に過ごして」
さしもの福浦もそこは微妙にぼやかしつつ。
それでも、揺るぎない口調で語る。
「あれから俺は、天野のことを時々考えるようになったよ。ひどい目に遭った記憶を思い出すこともあるけど、でも天野について思い出すと楽しい気分になれた」
そうやって思い出してくれるのは、正直うれしいかもしれない。
楽しかったって思ってくれるのはいいな。私も楽しかったから。たとえそれがふたりでラブホ行ってやることやりましたっていう人様には言えない思い出でもだ。
「まあ、ちょっと……おおっぴらにはできない思い出かもしれないけど」
福浦も同じところを振り返っていたようだ。またもごもごして、頬を赤らめた。
「それでも、楽しかったから」
頬を染めつつも、彼は言う。
「だから俺、天野といたら立ち直れる気がしたんだ。きっとこの先、だんだんと天野のことばかり考えるようになって、過去のひどい思い出も嫌な出来事も考えなくなるだろうって思えた」
ちょっと眩しくて直視できないくらいのひたむきさで告げてくる。
「それって、好きになったってことだろ」
ディナー時のカフェダイニングは程よいざわめきに満ちていて、こんなやり取りすら周りのおしゃべりに飲み込まれていく。
だけど私は急に居心地悪いような、気恥ずかしいような気持ちになって、ちょっと辺りを見回してしまった。幸いにしてこっちを見ている人はいなかった。
さっきまで下心がどうのという話をしていた時は、まるで気にならなかったのに。
居心地悪さの理由はわかってる。
こんなにも真っ直ぐな福浦の言葉を、否定しなくちゃいけないからだ。
ふうっと息を吐いてから、意を決して切り出した。
「悪いけど、違うんじゃないかな」
「えっ……」
絶句する彼を、私は優しくなだめておく。
「福浦は真面目だからこないだのこと責任感じてるんだろうけど、だからって無理に付き合う理由探さなくてもいいんだよ。私はそういうの全然気にしないから」
たぶん、そういうことだと思ってる。
福浦はこの間のホテル行きについて、自分なりに筋の通った理由づけが欲しかったんだろう。彼みたいに真面目な人は、失恋して打ちのめされてたから、酔っていたからという理由で同僚と一線を超えたことを受け入れがたいのかもしれない。
それでぐるぐる私のことばかり考えるうち、好きになったのかも、なんて誤解を抱いた。
そういうことじゃないだろうか。
「いや、無理にってわけじゃ……」
反論しかけた福浦も、責任という点については触れなかった。
やっぱりそこは良心の呵責というか、許しがたいものがあったみたいだ。
「っていうか福浦には、上を目指してほしいって思うんだよね」
進路指導の先生気分で続けたら、思いっきり眉をひそめられた。
「上?」
「そうだよ。福浦は顔いいし性格もいいし優しいしスタイルもいいんだから、次は誰もがうらやむような理想の彼女捕まえなよ。清楚な色白美人で、家庭的で、スタイルもよくて、冗談とか言ったらうふふってかわいく笑ってくれる感じの、ほんわか優しい子みたいな――」
なんとなく男の好きそうな女子の条件を上げれば、とたんに福浦の表情が陰る。
ぼそりと言われた。
「前の彼女、そんな感じだった……」
「あ! マジか!」
うわしまった。福浦の前カノさんとは話したことなくて顔見ただけだから、特徴言い当ててるとは思わなかった。確かに清楚な色白美人ではあったかもしれない。
失言したことは素直に謝るしかない。
「ごめん、今のはナシで」
「わかった」
福浦もうなづいてくれて、とりあえず仕切り直す。
「とにかく、これからの福浦は女の子なんて選び放題よりどりみどりなんだからさ。あんまり急いで次を見つけなくてもいいんじゃない?」
ましてや私とかさ。
顔が好みというだけで好きでもない男とホテル行く女子は常識的じゃない。福浦の恋の履歴書に私なんぞの名前を載せたら生涯の黒歴史になっちゃうよ。歴代彼女の中でずば抜けてビッチだったって――あ、先代もそうか。清楚に見えてウルトラビッチだった。
まあとにかくだ。私も付き合う気こそないけど福浦と一緒にいるのは楽しいし、あわよくば一時おいしい思いをしたいってのもある。だから『もう会うのやめよ』みたいないい女の態度に出る気はない。
なので、ここは提案しておく。
「次の彼女が見つかるまで、福浦が人肌恋しいとか、立ち直るのに誰か傍にいてほしいっていうんだったらその時こそ私がいるからさ」
福浦が、前の彼女から受けた仕打ちを思い出さなくなるまで。
つらい思い出やひどい目に遭った記憶を乗り越えて、次の彼女ができるまで。
その間に私が必要だっていうならいつでも呼んでほしい。
「付き合うとかじゃなくて、友達で落ち着くのはどう?」
私は笑顔で持ちかけた。
「友達……?」
対する福浦は釈然としない顔だ。
「そう。私のことはいつでも呼んでいいし甘えていいよ、飛んでくるから」
福浦がそう言ってくれたから、私も彼に対してそうしたい。
もちろんそこに肉体関係は含まれててほしい。
「友達か……」
福浦はその単語を繰り返した後、気にするように尋ねてきた。
「俺はそれ、『友達から』って解釈するけど、いいのか?」
彼としてはあくまでも、そういうことにしておきたいようだ。
それで福浦が納得するっていうんなら仕方ないか。『友達から』って言ったってどっちに転ぶかわからないし、セックスありの友情で落ち着いたっていいわけだ。
「いいよ」
私が応じると、福浦はようやくほっとしたようだ。全面的に納得したという顔つきでもなかったものの、力強く笑んでみせた。
「わかった」
一緒に過ごせば過ごすだけ、福浦にもわかるはずだ。
私ほど彼女にするのに向かない女子はいないと。
っていうか前カノとほぼ正反対のタイプじゃんね。いくら傷ついたからって、真逆の子を選ばなくてもいいのに。
カフェダイニングを出たのは午後八時過ぎのことだった。
外にはきらびやかな夜の街が広がっていて、あちこちにともるカラフルな彩色のネオンに新宿の本領発揮感が溢れ出ている。夜はこれからだって、背中を押してもらってる気分になる。
今日はどこのホテルにしよっかな。知ってる店をひとり脳内検索していれば、福浦が私に言った。
「天野、駅まで送るよ」
「えっ! 帰るの!?」
まだご飯食べただけだよ!
思わず声を上げた私に、福浦もきょとんとする。
「帰るけど」
「人肌恋しくて私を誘ったんじゃないの?」
「俺は天野に話があったって言っただろ」
言ったけど。
マジか。その話で友達ってことに落ち着いたから、今夜は何もしないで帰る気か。真面目か。
「でも福浦、下心あるって言ったじゃない。あれは嘘だったの?」
「嘘……ではないけど」
福浦は一瞬気まずそうにしたものの、すぐに苦笑いを浮かべてみせた。
「友達にそういうことはできない」
「もう一回してるのに?」
「そ、それでもだよ」
「じゃあセックスフレンドってことにしようよ」
私がそう口にした時、福浦は目を丸くした。
ぽかんと唇を開けて、何を言われたかわからないって顔で――きっとさっき『付き合おう』って言われた時の私もこんな顔してたんだろうな、って思う。
「え……天野、なんて?」
「セックスフレンド。肉体関係ありの友情、みたいな?」
「い、いや、意味はわかってるけど」
なら話は早い。
私は福浦の腕を取り、ノースリーブの二の腕を絡める。ついでに胸を押し当ててみると、またわかりやすく腕の筋肉が強張った。
「それでいいじゃん。私は福浦とホテル行きたいんだもん、だめ?」
「だめだ、そんなの……!」
福浦は今さらあわてて、私から目を逸らした。
「あれだけ言っといてそういうことしたら俺、最低な男になるだろ!」
「えー、全然そんなことないけど」
最低どころか最高ですけど。
責任とか誠意とか、そういうものは要らない。私といて楽しい、一緒にいたいって思ってくれるだけでいい。福浦だって言ってくれた、私といたら立ち直れそうだって。
「いっぱい思い出作って、嫌なことは忘れちゃおうよ」
私は福浦の腕をぎゅっと抱き締める。
「立ち直るために私が必要なんでしょ?」
それで福浦の目が、こちらをうかがうように見る。
「だったらほら、たっぷり癒してあげるから」
そうささやくと、彼のその目がわずかに細められた。
何かを見極めようとするような目だった。
それでいて、射貫くような眼差しの強さもあった。
彼が目をすがめると端整な表情からは穏やかさが消え、ぞくっとするような色気が代わりににじむ。福浦の、真面目だけではない一面が覗くような顔つきだった。
こういう顔もいい。好きだ。
何を考えているのかは全然わからない。でも、もっと見ていたい。
やがて福浦は、掴まれていた腕の先で私の手を握った。
指を絡めて握ってきた後、吐息と共に言った。
「わかった、行こう」
さっきは繋げなかった手を繋いでいる。
手のひらが触れ合う握り方は体温が混ざりあうようで、私はうれしくなってその手に力を込める。
「やった! 早速行こうよ、福浦!」
私が促すと、福浦は歩き出す。
少しだけ早足で、でもちゃんと私が追いつけるくらいのスピードで。
そうして歩きながら、ふいにがっくりうなだれてみせた。
「俺、やっぱり最低だ……!」
「そんなことないったら!」
私からしたら、本当に最高なんだけどな、福浦。
これからいい友達になれるといいよね。いろんな意味で。