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熱情(4)

 ベッドに腰を下ろしたのも、私の方が先だった。
 鷲津が続いて私の左隣に座る。そして黙ったまま手を伸ばしてきて私の頬に触れる。温かい。たった一日ぶりなのに、懐かしいような切なさが込み上げてくる。
「……大きな手」
 感触にうっとりすると、鷲津は不満そうに顔を顰めた。
「悪いかよ」
「悪く言ってるように聞こえる?」
 聞き返しても彼は答えず、そのまま引き寄せられて唇が重なった。
 押しつけるだけのキスで、彼の唇がいつもどおりかさついているのを確かめる。
 リップクリームを使ったりしないんだろうか。几帳面そうなのに、そういうところは男子らしい無造作さだ。

 長いキスの合間に、鷲津の首に腕を回してみる。
「ん……」
 鷲津は何か言いたげに唸ったけど、意外にも振り払われなかった。
 そのまま下唇を軽く噛んであげたら、それはさすがにびくりとされた。開いた隙間に舌を滑り込ませると、ざらざらした熱い彼の舌が今日も私から逃げようとする。
 逃がさずに絡め取ってみせればすかさず彼が身を引いて、私の腕は首からほどけ、唇と唇の間には深い吐息が落ちた。
「はあ……」
 苦しげな鷲津が目をつむったから、すかさずその肩を突き飛ばす。
「うわっ」
 ダブルベッドが大きな音を立てて軋み、鷲津が後ろから倒れ込んだ。スプリングが効きすぎているのか彼の身体は軽く弾んで、私はそれを受け止めるように覆い被さる。
 濡れた唇に、もう一度キスをする。
「ちょ……ちょっと待てっ、誰が上になっていいなんて――」
 抗議の声は聞き流した。押されて呆気なく倒れてしまう方が悪い。
 昨日は譲ってあげたんだから、今日は私に譲ってほしい。
「嫌なら抵抗したら?」
 見下ろした顔に尋ねると、沈み込むベッドの上で鷲津の顔が歪んだ。
「わざと言ってるだろ」
「何が?」
「だって、そんな――んっ、くすぐりながら、とか、ずるい」
 彼の言葉が途切れ途切れになっているのは、きっと私の指が耳たぶを弄っているせいだろう。
 柔らかい肉の部分を指先で軽く揉む。輪郭をつうっとなぞる。
「だ……から、やめろ、って……!」
 たちまち彼の眉間に皺が寄った。
「抵抗できない?」
 これは本当にわざと聞いた。

 そうしながらも自然と口元が緩んでしまう。
 意地悪したい。
 めちゃくちゃにしたい。
 大好きな鷲津に対して、やけに嗜虐的な気分になってくる。

 鷲津は何も答えない。
 答えたくないのか、答えられないのかはわからない。
「今日はいっぱいしようね、時間もあるし」
 私はねだりながら身を屈めた。
「ほら、どこが弱いのか教えて」
 彼に圧しかかるようにして耳元へ唇を寄せる。
 そのくにくにと柔らかい部分を軽く、舌先で舐めた。
 鷲津が細い身体を震わせる。
「やめ……!」
「やめないよ」
 彼の訴えをすかさず制した。
 そのまま耳たぶをなぞるように舐め、軽く噛む。口の中に含んでちろちろといたぶる。
 何かをする度に身体をびくつかせ、その後でだらしなく弛緩させる鷲津の反応が、いとおしくて仕方なかった。

 だからつい、遠慮も我慢もできなくなる。
 私の唇が下りていく。耳から顎のラインを下って白い首筋、喉元へ辿り着いた。
 タートルネックのセーターが邪魔だ。首を引っ張ろうとしたらさすがに、かぶりを振って拒まれた。
「やめろ、服が伸びる」
 涙目の抗議に、私は思わず吹き出した。
「なんだ、抵抗できるんじゃない」
「は……?」
「さっきの、わざと抵抗しなかったでしょう」
 ――耳を責められるの、悪くなかった?
 囁き声で尋ねたら、鷲津は真っ赤になってじたばたもがき始めた。
「ち、違う、さっきのはっ」
「こら、あんまり暴れないで」
「いいからどけよ、誰が上になるの許したんだよ!」
 鷲津が声を荒げる。
 だけど、もう遅い。そういうことならお望みどおりにしてあげる。
「本当は嫌じゃないんでしょう」
 セーターの上から手のひらで脇腹を撫でる。
 彼がふうっと息をついた。
「本当は、してほしいんでしょう」
 この部屋は静かで、鷲津の荒い呼吸も、いたぶるような私の声もよく響く。
 絶対に邪魔は入らない、ふたりきりの部屋だ。
 彼のセーターをまくり上げると、すぐに白い素肌が覗いた。腹部から胸元にかけて、赤とも紫ともつかない薄い痣がぽつりぽつりとできている。
 昨日つけた、私の痕跡だ。
「痕、残ってる」
 声に出して告げれば、鷲津が呻いた。
「つけたのはお前だろ」
「今日もまたつけてほしい?」
「……ちっ」
 忌々しげに舌打ちをされる。
 組み敷かれて、服をまくられて、白い肌まで曝け出している状態なのに虚勢を張ってる。かわいい人。
「ねえ、どうなの。つけてほしい?」
 痣のひとつひとつに、指先でつんと触れてみる。
 鷲津は身をよじったけど、痛いわけではないはずだ。その証拠にこちらを見上げる目が潤んでいる。
「お前、何なんだよ」
「聞いてるの。鷲津が私にどうしてほしいのか」
「おかしいだろ、普通逆だ、こんなの……!」
 鷲津の口にする『普通』は、一体どこで身につけたものなんだろう。
 ネットで調べたのか、本で読んだのか、それとも誰かから聞いたりしたんだろうか。
 そんな常識、実際に試してみたらどうでもいいってわかりそうなものだけど。

 私は、鷲津の為なら何だってできる。
 たとえ鷲津の思う『普通』じゃなくても、常識から外れたことでも。

「してほしいことを言ってみて」
 白い肌に触れながら、私は彼の目を覗き込む。
 涙が今にも零れ落ちそうな目は、それでも強気に私を睨んでいた。そこにまだ愛情は感じられない。
「鷲津の言ったとおりにしてあげる。何でもしてあげるから」
 だから、鷲津の言葉で聞きたい。その声で言ってほしい。
 これは決して意地悪で言ってるんじゃない。あくまでも鷲津の意思を知りたかった。
 どうしてほしいのか。
 どうされるのがうれしいのか。
 私にどんなことをされたら気持ちがいいのか。
「ねえ、鷲津の今の気持ちを教えて。私に、どうされたいの?」
 ベッドの上に横たわる鷲津の。白い喉が動く。私を見上げてごくりと音を立てる。
 その仕種に私は、また嗜虐的な心を募らせる。

 ほんの少しは、意地悪で言ってるのかもしれない。
 鷲津を困らせて、散々に焦らして、私が欲しくて欲しくてしょうがない状態にまで追い込みたい。
 私がいなくちゃだめだって、彼に心底思わせたい。
 私といる時が一番幸せで、気持ちいいんだって、その身体にも心にも強く焼きつけたい。
 こんな衝動、初めてだ。彼以外の人に、こんなにも強く恋をしたことなんてなかった。昨日の出来事が私の箍を外してしまったのかもしれない。
 鷲津が好き。
 早く、一緒に気持ちよくなりたい。
 
 鷲津はしばらく、私を睨みつけていた。
 眼球を動かさずにじっとこちらを見据えていて、その裏で何を考えているかは読み取れない。ただ彼の眼差しは真っ直ぐで、迷いがなかった。答えなんてとっくに決まっていて、いつ言おうかを考えていただけなのかもしれない。
 ラブホテルの部屋は耳が痛くなるほど静かだった。
 見下ろす鷲津の顔はほんのりと火照り、唇がまた乾き始めている。

 やがて。その唇が動いた。
「そこまで言うなら、好きにさせてやるよ」
 なのに声は湿っていた。しっとりとしたトーンで続けた。
「お前の好きにすればいい」
「本当?」
 思わず私は笑んだけど、直後、釘を刺すように鷲津は言う。
「勘違いするなよ。『させてやる』んだからな」
「……どういうこと?」
 意味がわからず聞き返す。
「奉仕させてやるって言ってるんだよ」
 彼が言い慣れない言葉を口にした時はすぐわかる。声が上擦って目が泳ぐからだ。
 その言葉の底知れなさに彼自身が慄いているくせに、虚勢を張っているのがありありとわかる。
「奉仕、か。ふうん」
 その言葉を私は口の中で転がしてみる。
 拘束と同じで、そのフレーズはこってりと甘い。
 鷲津の方からそれを口にしてくれるとは思わなかった。私のことを受け入れようとしていると捉えていいんだろうか。危ないことはしない相手だと、少しは信用してくれたのかもしれない。
「少しでも痛くしてみろ、蹴っ飛ばしてやるからな。その覚悟があるんだったら好きにしろ」
 噛みつく声が追ってきたけど、その時にはもう私の胸は期待ではち切れそうになっていた。

 奉仕。
 その響き、嫌いじゃない。むしろ好きな言葉かもしれない。
 彼がされたいことと、私がしたいことが合致するなんて素敵だ。

「本当にいいの?」
 私はうれしさに微笑んだ。
「何度も言わせるな」
「大丈夫。私、痛くなんてしないよ」
「偉そうな言い方しやがって」
 鷲津が拗ねたように鼻を鳴らす。
 ここまで言っといて何が気に入らないのかわからないけど、受け入れられたからには遠慮するつもりもなかった。
 私は身を起こし、彼の両脚の間に膝をつく。
 そしてジーンズのベルトに手を掛けた。
 かちゃりと、鍵が開くような音が室内に響く。
「い、いきなりかよ」
 鷲津の焦った声が聞こえたから、ちらっとだけ見て、笑っておいた。
「安心して。脱がすのはズボンだけだから」
「安心って何だよ……」
「あ、ごめん。靴下も脱がすよ」
 ベルトを外し、ジーンズを引き下ろす。
 その作業は鷲津が腰を浮かせてくれないので手間取った。最後は面倒になって、彼の身体を裏返して、無理矢理抜き取った。
 重いジーンズは床に放り、次は靴下だ。裏返ったままの彼の足から、黒い靴下を脱がせる。こっちはジーンズよりははるかに楽だった。
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