Tiny garden

ご当地キャラの中の人

 高見市の人口は約二十八万人。
 県内では第三位の規模の中核市だ。

 市の北側に位置する山並みにはかつて鉄鉱山が存在しており、また古くから港として栄えていたのもあって、昔は製鉄が主要産業だった。その歴史ははるか江戸時代にまで遡り、初めて高炉に火が入れられてから百年以上もの間、高見市の経済を支え続けてきた。
 もっとも現在では鉄鉱山もとうに閉山し、製鉄所こそ稼働しているものの町の至るところに存在していた鉄工所は徐々に数を減らしつつある。

 現在の高見市は深刻な過疎の問題を抱えている。
 工場の閉鎖に伴う失業、また地価の高騰により近隣市町村への人口の流出に歯止めがかからなくなっているのだ。
 観光資源の乏しさもたびたび課題として挙がっている。高見市と言えば製鉄所であり、歴史的価値のある高炉跡や現在稼働している製鉄所の近未来的外観、お馴染みの赤白の煙突に魅せられて訪ねてくるファンもいなくはない。ないのだけど、観光客誘致という観点ではまだ全国的に知名度も低く、パンチが弱いのが現状だった。
 よって高見市役所地域振興課では、
『そだてようふるさとへの愛、広めようふるさとの魅力』
 をスローガンに掲げ、高見市の全国的な知名度向上、観光客へのPR、及び市民の郷土愛をより高め、愛着のある土地づくりをしようと活動を行っている。
 その一環として持ち上がった計画が――。

「高見市にもご当地キャラを作ろう、という計画だ」
 ハンドルを握る新宮さんが、前を見ながら切り出した。
「俺が二年間も関わってきたプロジェクトでもある。お前も知っているだろう」
 尋ねられ、助手席に座る私は頷く。
「はい。私が振興課に来た春に始まったそうですし、新宮さんが通常業務と平行して進めていたことは伺いました」
「その通りだ。この二年、トラブル続きでとても長かった」
 冷静な口調とは裏腹に、新宮さんは目に見えてやつれていた。
 新宮さんは地域振興課の同僚で、私の四年先輩に当たる。黒いセルフレームの眼鏡がよく似合う、真面目で落ち着いた男性だった。
 短い髪はいつも一筋のほつれもなく撫でつけられていたし、どんなに忙しい時期だろうとスーツがよれていることも、眼鏡のレンズが汚れていることも一度としてなかった。
 性格もそのまま生真面目な朴念仁、間違っても冗談を言うような人ではない。地域振興課の飲み会ではいつも隅の方に姿勢よく座り、まるで武士のように一人でちびちび飲んでいる。誰かと騒いでいる姿は見たことがないし、私自身、新宮さんと業務以外で会話を交わしたことはほとんどない。

 そんな新宮さんがご当地キャラ製作に携わると聞いた時、耳を疑ったのは私だけではなかった。
 今や全国的な広がりを見せている市町村のマスコット、ご当地キャラを高見市でも――その計画自体は取り立てて突飛でもないだろうし、異議を唱えるまでもない。
 でも生真面目な新宮さんが、そのプロジェクトのリーダーを務めるなんて意外すぎた。
 一体どんな可愛らしいご当地キャラになるのだろう。課内でもちきりの話題になっていたのが二年前の話だった。

 それから時は流れ、件のご当地キャラがお披露目されることは一向になかった。
 新宮さんは業務の方も通常通りに行っていたものの、プロジェクトについてはだんまりを決め込んでいた。また彼が日を追うごとにやつれ、くたびれていくのを目の当たりにした私達はおいそれと尋ねることもできないままだった。
 彼の様子からプロジェクトの難航は容易に察しがついたから、皆はひそひそと噂し合った。
 キャラクターのデザイナーと報酬の件で折り合いがつかなかったのだろうとか、デザインは上がったものの着ぐるみを作った後に既存のキャラクターとの酷似が発覚し計画自体が白紙に戻ったとか――。
 しかしどれも憶測に過ぎず、当の新宮さんからの説明がない以上は『難航しているが計画自体は続行中である』と考えるしかないのが実情だった。
 そして不透明なプロジェクトが三年目を迎えたこの春。
 私は新宮さんから、急に声をかけられた。
「平井、お前の力を借りたい。例の計画についてだ」
 退庁後、私はろくな説明もないまま彼の車に乗せられて、既に日が沈みきった高見市内をどこかへと移送されている。

「この計画にもようやく目途が立った」
 車を運転する新宮さんの頬はこけ、目の下には隈ができていた。
 それでも顔色は悪くなく、状況が芳しくないわけではないのだろうと私は思う。
「あとは平井、お前次第だ。急な話で悪いが、お前にはこの計画において最も重要な役割を果たしてもらいたい」
 名前を呼ばれ、私は居住まいを正した。
「はい」
 気になっているのはそこだ。
 今日までプロジェクトの進捗さえ知らされていなかった若手課員の私に、なぜ新宮さんは声をかけたのだろう。
「お前、まだ三年目だったか」
 不意に新宮さんが言い、私は頷いた。
「そうです。私としてはもう三年目、という印象ですけど」
 すると新宮さんの横顔がほんの少しだけ和んだ、ように見えた。
「大変なのはこれからだ。先は長いが、頑張れよ」
 先輩からの叱咤激励を、私も微笑んで受け取った。
「はい、わかってます」

 念願叶って地元で、それも公務員として働き始めて三年目。
 愛する高見市の為に貢献できる地域振興課の仕事は。私にとって天職だった。
 よその人から見れば製鉄所があるだけの寂れ始めた街かもしれない。でも私にとっては生まれ育った故郷であり、二十五年間暮らしてきたかけがえのない場所だった。この街の為に働きたい、その思いは社会人三年目となった今でも胸のうちにある。
 だから、この高見市の為にできることが他にもあるならとても嬉しい。

 新宮さんはもったいつけるように、ゆっくりと口を開いた。
「平井、お前には今回、ご当地キャラの『中の人』を任せる」
 それを聞いた途端、驚きに息が止まった。
「……中の人、ですか?」
「そうだ。言うまでもないことだが、どこのご当地キャラにも必ず中の人はいる」
 新宮さんは落ち着いている。
 こちらも取り乱してはまずいと、大きく深呼吸をしてから相槌を打った。
「まあ、そうでしょうね」
 中に誰もいないはずがない。それは私にもわかる。
 しかし考えてみれば全国各地のあのキャラ達の中に一体誰が入っているのか、という点はあまり深く考えたことがなかった。市主導のプロジェクトであれば、中に入るのが市職員であったとしても不思議ではないのかもしれない。
 その重要な役割に、ようやく新人扱いを脱却した私が選ばれるとは思わなかった。
「我が高見市のご当地キャラの中身は、お前に担当してもらおうということになった」
 念を押すように新宮さんが繰り返す。
「できるか、平井」
「は、はい……いえ、光栄です」
 驚いてばかりもいられないと、私は胸を張って答えた。
 新宮さんは運転中でこちらを見ていなかったけど、どちらかと言うと自分を勇気づける為の行動でもあった。

 ご当地キャラと言えば今や地域振興の立役者だ。
 グランプリがあってニュースで放送されたり、CDを出しては歌って踊ったりとちょっとしたスターの扱いだった。
 そこまでいかなくとも地域の各種イベントに登場しては子供達に囲まれ、愛される盛り立て役として活躍するものだと聞く。もちろん素顔は見せられないから私自身がスターになるわけではないものの、そういう仕事も面白そうだと思った。
 生まれ故郷の地域振興に役立てればと今日まで働いてきた私だ。ご当地キャラとして更に故郷の為に働けるならこの上なく光栄なことではないだろうか。できることなら皆に親しまれ、愛され、子供達と楽しく触れ合えるようなご当地キャラになりたい。
 ただ、なぜ私が選ばれたのかという点は気になるところだ。
 女性としては平均的な身長の私だから、着ぐるみのサイズの都合という可能性もあるだろうけど、実際にそういったものを着た経験がないので何とも言えない。要はずぶの素人なわけだけど、ぽんと選び出されてすぐにご当地キャラを演じられるものなんだろうか。

「着ぐるみを着た経験はないのですが、大丈夫ですか?」
 気になったので私は尋ねた。
 ご当地キャラと言えばもちろん着ぐるみだろうし、中の人ともなればそれを着る必要があるのだろう。
 かく言う私も学生時代はボランティアサークルに所属しており、子供達相手に紙芝居や人形劇などを演じたことがある。だけど着ぐるみに要する体力はその比ではないだろう。人がすっぽり入るというサイズからして決して軽いものではないだろうし、夏はさぞかし暑いことだろうと推測できる。
 ところが私の質問に、新宮さんはわずかに眉を顰めた。
「……大丈夫だ」
 気のせいだろうか。表情に迷いの色のようなものが見えた気がした。
「うちのご当地キャラは特殊なつくりをしている。着ぐるみの経験がなくても問題ない」
「そうですか」
 特殊なつくりとはどういうことだろう。私は疑問を覚えたけど、
「見ればわかる。もうじき着くから、楽しみにしているといい」
 新宮さんは更なる質問をかわすかのようにそう言った。
 百聞は一見にしかずという。見る前からあれこれ質問攻めにするより、実際に対面してみるほうが早いのも確かだろう。私は納得し、頷いた。
 ただしこれだけは聞いておきたい。私はもう一つ尋ねてみた。
「そのご当地キャラの名前はもう決まってるんですか?」
 すると新宮さんは不自然に口元を歪めた。
 まるで照れ笑いを堪えるような表情に見えたけど、すぐに真面目な顔つきに戻る。
「それも、あとで話す」

 いつもクールな新宮さんがそんな表情をするのも妙だ。
 もしかしたら私が見間違えたのかもしれない。

 やがて車は、小さな工場の前で停まった。
 この時分では稼働こそしていないようだけど、工場前はまだ照明が点いており、掲げられた看板がよく見えた。
 梶谷鐵工所、と記されている。
「ここだ。ここに件のご当地キャラがいる」
 新宮さんは抑えた声で説明してくれた。
「ここ、ですか?」
 高見市は製鉄の街だ。昔ほど数は多くないものの、今なお鉄工所は市内にいくつも存在している。
 とは言え――鉄工所と、ご当地キャラ。
 硬いものと柔らかいもの、という相反するイメージしかない。
 ご当地キャラについては『特殊なつくりをしている』と聞いていたけど、どういうことだろう。
「さあ行こう。皆に紹介もしたいし、何よりあれをお前に見せたい」
 新宮さんは工場ではなく、隣接する倉庫へ歩き出した。
 そして振り返り、私に手招きする。
「あれは俺たちが心血を注いだ自信作だ。お前にも気に入ってもらえるといいんだが」
 そう語る新宮さんはとても満足げだ。
「すごく楽しみです」
 答えた私は、もちろん嘘ではないつもりだった。
 どうして鉄工所に連れてこられたのかは、ちっともわかっていなかったけど。
▲top