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山口くんと山口さん(4)

 僕とみゆはそれからも、結婚と結婚式について時間ができる度に話し合った。
「どっちかって言うと派手にはしたくないかな」
 いくつかの式場の特色を調べて、プランや体験談なども見た上で出した僕の結論だ。
「来てくれた人たちに見届けてもらえたらそれでいい、って思うよ」
「私もそう思うな。結婚しますってこと、認めてもらえたらそれでいいよね」
 みゆにも異論はないようで、彼女は一般的な挙式で行うようなウェディングケーキ入刀とか、スライド写真とか、親への手紙朗読などにはあまり興味がないらしい。
「そもそも、いっぱい人に集まってもらうのはちょっと照れちゃうし」
 彼女は実際恥ずかしそうに言ってから、少し真面目な調子で付け加える。
「それにうちはおじいちゃんおばあちゃんがいて、ふたりともまだ元気だけど疲れやすかったりするんだ。でもふたりには絶対来てほしいから、なるべく短めに終わる式にできたらいいなって思ってる」

 それもすごく大事なことだ。
 みゆのおじいさん、おばあさんとは何度かお会いしているけど、たしかにおふたりともまだまだお元気だ。でもお休みになる時間はびっくりするくらい早いから、彼女の言うように時間のかかる式だったり、夜遅くになるようではまずいだろう。
 結婚式にはまず誰に来てほしいかと考えたら、みゆはやっぱりお母さんと、おじいさんおばあさんなんだろうから。
 かく言う僕も、来てほしい相手となると考え込んでしまう。
 とりあえず両親には自立したところを見せたいと思っているけど、それ以外となると――。

「いっそ身内だけの式にする?」
 僕は尋ねた。
「それもいいかもね」
 すんなりうなづいた後、彼女はいくらか気づかわしげな顔をする。
「篤史くんがそれでいいなら、だけど」
「僕はいいよ。友達とか大学の先輩がたとか、どこまで呼ぶか迷うより楽だし」
 実を言えば僕もそのあたりは悩んでいて、友達にしても大学でつるんでる奴らとバイト仲間とバスケサークルの面々、それから今でも交流がある高校時代の友達などなど、どこからどこまでに来てもらうかという線引きを決めかねていたところだ。全員呼ぶのは現実的じゃないし、品のない話だけど来てもらうにもタダというわけにはいかない。向こうだって安い出費じゃないだろうし、お金ないのに呼ばれても困るって思わせるのも悪い。
 そのくらいなら、身内だけでひっそり式を挙げるのが気楽でいいかもしれない。
 僕らが結婚するのは同期なら卒業直後、新社会人一年生の年になる。誰だって忙しい時期だろうし、それを理由あるいは口実にしてしまうのがよさそうだ。
 ――ということをみゆに話したら、目を丸くして感心された。
「篤史くんはそこまで考えてたんだね、すごいな」
「いや、逆の立場に立って考えてみただけだよ」
 就職したての時期に結婚式に招かれて貴重な週末がつぶれたらきついかなとか、ご祝儀もっていくにもそんなに余裕はないだろうなとか、想像してみただけのことだ。
 それに僕らも、大々的に人呼んでお披露目とかしたい質ではない。
 幸いにもそういうところは僕らの意見がぴったり合った。
「私ね、子供の頃から結婚式に夢見たことって全然なくて。私が結婚できるなんて思ってなかったから」
 打ち明け話みたいにみゆが言う。
「だから私はドレス着られて、それをお母さんたちに見せられたらそれだけで本当に十分なんだ」
 ささやかだけど、とても優しいその願いを叶えてあげたいと思う。
 僕たちの結婚式はそういうのにしよう。身近な人たちに結婚を見届けてもらう、ただそれだけのシンプルな式だ。

 思えば、こんなふうにふたりでひとつの議題について話し込むのも珍しいことだ。
 付き合いはじめて四年、一緒に暮らしてからは二年になるから、彼女とこれまでに交わしてきた会話の数は数えきれない。だけどすぐには答えの出せない難しい考え事を、じっくりじっくり時間をかけて少しずつ答えを組み立てていくのは初めてかもしれなかった。
 でも、これから先はそういうことがさらにいくつもあるはずだ。
 一緒に生きていくうちに、もっとたくさん悩むこと、すぐには答えを出せないような難しい問題にぶち当たることが何度だってあると思う。
 その時も今みたいにお互い考えあって、意見を出しあって、ふたりで助け合いながら答えを見つけていけたらいい。
 結婚するって、そういうことなのかもしれないな。

 それから僕らは時間を作り、結婚式の式場を決めた。
 身内だけの結婚式を挙げられるプランは目移りするほどいっぱいあったし、見積もりで出た予算も思ったより良心的でありがたかった。
 結婚式の時期は四月に決めた。僕が入社したらすぐに籍を入れて、その月のうちに式も挙げてしまうつもりだった。新社会人にとってその時期はとても目まぐるしくなるだろうけど、みゆは僕を『支えるからね』と言ってくれたし、僕はそんな彼女を頼もしく思っている。
 新社会人と新婚生活を同時にスタートさせるのはたやすいことではないにせよ、メリットのあることでもあるのかもしれない。少なくとも僕にとっては心強い。

 式場を決めた後は、ドレスの試着にも行った。
 ドレスについては彼女の好みに一任して、僕はただ楽しみに待っていることにした。
 そして普通の試着よりも時間をかけて、試着室を出てきたみゆは、
「わあ……」
 自分の姿に感動したように、溜息まじりの声を上げていた。
「すごい、私ドレス着てる……!」
 感動するのも無理はない。白いドレスに身を包んだみゆは一足先に本物の花嫁さんになったようで、息を呑むほどきれいだった。

 オフショルダーのウェディングドレスは飾り気のないつくりをしていた。
 生地はさらさらと柔らかく、ウエストをきゅっと絞ったその下のスカートは裾に向けてひかえめに広がっている。店にはもっとレースをあしらったドレスや後ろにずっと長いドレス、花飾りをたくさんつけたドレスなんかがあったのに、彼女が選んだのは白さが際立つシンプルなドレスだった。
 この日のために髪をまとめてきたみゆの、うなじにある後れ毛が照明の光で透き通って見える。オフショルダーの襟元に覗く鎖骨がなめらかだ。
 そして睫毛を伏せてはにかむ表情は、初々しい花嫁さんそのものだった。

「篤史くん……変じゃないかな?」
 そう尋ねられて、はじめて。
 僕は褒め言葉すら発さないまま彼女に見とれていたことに気づいてあわてた。
 取り急ぎ告げる。
「変じゃない! というか似合うよ、すごく……なんて言うか、きれいだ。ものすごく」
 こういう時に語彙力がなくなるような大人にはなりたくなかった。
 でもびっくりしたんだ。この間勝手にイメージしたドレス姿以上に、本当に彼女はきれいだった。実物だからかもしれない。僕のイメージなんてしょせん僕が思いつく程度のありふれた妄想にすぎず、それ以上に現実のほうが素晴らしくきれいで、目が覚めるほど美しくて、それでいて胸が痛くなるくらいかわいいと思った。なぜそれをうまく言語化できないのか。
 ただ、未熟な褒め言葉でもみゆにはしっかり伝わったようだ。少し目を潤ませて、恥ずかしそうに笑ってくれた。
「ありがとう。よかった、安心しちゃった」
 そうして笑うとスカートの生地がさらさら揺れて、静かな水面がさざ波立ったように見えた。
 彼女にはドレスが似合う。
 高校時代に思ったとおり、今も変わらず似合っている。
 みゆがきれいな花嫁さんになったところを大勢に自慢できないのはちょっと惜しいかもしれない。昔は独り占めしていたい、他の人には見せたくないって思っていたくらいなのに、心境の変化だろうか。でもそれは撮影して見せびらかせばいいわけで、別にどうってことない惜しさだ。
「自慢の花嫁さんだ」
 少し落ち着いてきた僕がそう告げたら、みゆは頬を赤らめて口を尖らせた。
「それは言い過ぎ」
 いや全然。ちっともそんなことない。
 僕にとっては本当に、この上なくきれいでかわいくて素敵な、自慢の花嫁さんになる。
 結婚式にそれほど興味がなかったはずの僕が、今じゃすっかりその日が待ち遠しくなってきた。
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