駆け足の季節(3)
その次のホームルームで、お化け屋敷は過半数以上の支持を得た。晴れて我がクラスの展示内容に決定したわけだ。
ただ、お化け屋敷の内容については私の予想とは違うものになった。
「『真夜中の廃病院〜謎のウイルスによって壊滅した病院から脱出せよ!』……かあ」
ホームルームの後、黒板にまだ残されたタイトルを読み上げると、私の背筋がひとりでに震えた。
「絶対怖そう……」
「脅かす側が怖がってどうすんの」
そう言ってミナは笑うけど、こんなの絶対怖いに決まっている。
そもそもお化け屋敷だというのに、今回のテーマでは幽霊や妖怪といったお化けは登場しない。いるのは謎のウイルスに感染して生ける屍となった人々で、彼らは生者を求めて廃病院内を彷徨っているそうだ。参加者はいわゆるゾンビがうごめく迷路内を抜け出さなくてはならない――というのがコンセプトらしい。
当然、脅かす側の私たちが扮するのも院内に閉じ込められた人々であり、お医者さん、看護師さん、入院患者さんなどの衣裳を用意して血糊で汚したり、顔にメイクを施したりするとのことだった。
「メイクした自分の顔見てびびったりしないでね」
ミナの言葉に、正直それもあり得るなとさえ思ってしまう。
だけど私が怖いと思うなら、当日に参加してくれる人たちはもっと怖がってくれるに違いない。脅かし甲斐があるという点ではいい企画かもしれない。
「妖怪の出る幕はなしか……」
庸介も何やらがっかりしていたけど、こちらは別に怖いからではないみたいだ。
「妖怪だって十分怖いと思うんだけどな。どうしてゾンビの方が人気あるんだろう」
彼の言う通り、クラス内でのゾンビ人気は圧倒的だった。お化け屋敷の内容を詰めるに当たって、ろくろ首に一つ目小僧といった古式ゆかしいお化けたちは全く名前が挙がらず、吸血鬼や狼男といった西洋のモンスターも少数派だった。
「徒野、お前こだわるよなー。ゾンビの方が怖いからに決まってんじゃん」
蒲原くんに言われて、それでも庸介は首を捻る。
「妖怪だって怖いじゃないか」
「けどゾンビの方が現実にありそう感あんだろ。そこだよポイントは」
現実にあったらすごく困るけどな……。
でもお化けより謎のウイルスの方が怖そう、というのは事実かもしれない。お化け屋敷大好きな私もゾンビならちょっと怖い。
「それに、いい方に考えてみろよ」
そこで蒲原くんはにやにやした。
「女子はナース服かパジャマだってよ。ある意味美味しいイベントじゃね? 徒野はどっちがいい?」
果たして庸介はどう答えるだろう。気になった私が横目で見守っていると、庸介は一度咳払いしてからこう言った。
「どっちにしろゾンビだろ。いいも何もない」
「主代さんだったらゾンビでも可愛いって。俺は楽しみにしてっけどな!」
蒲原くんの言葉に、庸介は不意に私の方を見た。そしてしばらくじっと見つめた後、思い詰めたように目を伏せた。
後に続いたのは酷く辛そうな呻きだ、
「正直、六花をゾンビにはしたくないな……」
そんな、本当になっちゃうわけじゃないんだから!
出し物が決まると、その後はとんとん拍子に全てが決まっていった。
翌週にはホームルームの時間や放課後に準備をするようになり、まずお化け屋敷の見取り図が完成した。大掛かりなセットは保管場所がないので後回しにされていたけど、廃病院を演出する各種小物――発泡スチロールを銀色に塗装して作るメスや医療用トレイ、厚手のビニール袋を加工した点滴袋に竹ひごの点滴台、注射器はおもちゃをそのまま代用する。明るいところでは実にチープなこれらの小道具も、暗がりでは恐怖の演出になるはずだった。
衣裳については、よそのクラスは自前で用意するところもあるようだったけど、さすがに白衣やナース服を用意するのは難しい。そこで予算を使ってまとめて購入することに決まった。もちろん本物ではなく、パーティ用のぺらぺらしたものだ。
それらの衣裳は担当の生徒に引き渡され、おうちで血糊を作って汚してくるように言われていた。
「血糊、上手く作れる?」
帰りの車の中で私が問うと、庸介は造作もなく頷いた。
「問題ありません。食紅ならうちにもありましたし」
お化け屋敷では私がナースゾンビを、庸介がお医者さんゾンビをすることになっている。ぺらぺらのナース服や白衣を持ち帰って、これから一緒に『宿題』をする予定だ。
「じゃあ鞄置いたら中庭に来て。そこでやろうよ」
「制服を汚すと困るので、着替えの時間もいただけますか?」
「それもそうだね。私も着替えとく」
そんな約束を交わしてから、庸介とは一旦、車を降りたところで別れた。
玄関から家に入り、まずリビングへ向かうと、
「六花、おかえり!」
珍しいことに父がいた。
ソファから勢いよく立ち上がると、私に満面の笑みを向けてくる。まだスーツ姿なのは帰ってきたばかりだからだろうか、それとも出ていくところだからだろうか。
「ただいま戻りました、お父さん」
私も挨拶を返しつつ、父が広げた両手からはいつものように素早く逃れた。
「抱っこは卒業だって言ってるでしょう」
そう告げれば顔を覆って泣き真似をするのもいつものことだ。
「近頃の六花は冷たいなあ……昔はパパと結婚するって言ってたのに……」
それ、いつまで言われるんだろう。そろそろ忘れて欲しいんだけどな。
私にとっては小さな頃の思い出よりも、今の方が大切だし、考えることも、しなくちゃいけないことだっていっぱいある。
「お父さん、これからお仕事?」
泣き真似続行中の父に尋ねると、父はあっさり顔を上げ、またしてもにっこり笑った。
「ああ。着替えを取りに来たんだよ」
「そう……」
「何か話でもあったか、六花」
話はある。話したいことがある。
でもそれは時間のある時じゃないと、多分、上手く言えないし伝わらない。
それでも何かは訴えておきたくて、私は提げたままの鞄に目をやる。その中には今日渡されたばかりのナース服が入っている。
一か八か、聞いてみようと思った。
「あ、あのね。来月、学園祭があるの」
私は恐る恐る切り出した。
すると父は浮かべていた笑みを少し複雑そうに陰らせる。
「学園祭か……去年は招待券貰ってたのに行けなかったな」
「いいよ、それは気にしないで」
「パパは行きたかったんだ。六花の晴れ姿、見てみたかった」
去年は別に、晴れ姿と言われるほどのことはしていない。
でも今年は違う。もし、できれば――。
「今年はどう? 今の学校は招待券なくても自由に入れるの」
「学園祭の日付は?」
父が聞き返してきたので、私は来月の日付を答えた。
すると父はスーツのポケットから手帳を取り出し、わざわざスケジュールを確認してくれた。だけどすぐに、一層暗い顔になる。
「その辺りは、日本にいないな……ごめんな、六花」
「……ううん、気にしないで」
正直、わかっていた。
駄目もとで聞いてみたのは、少しは期待していたからだけど。
父の方も残念がってはくれているみたいだ。手帳をしまいつつ、尋ねてくる。
「今年の学園祭、六花は何をやるんだ?」
「うちのクラスはお化け屋敷なの。私は看護師さんのゾンビ役」
「六花がゾンビ? こんな可愛い子がそんな役だなんて、パパは想像つかないなあ」
そう言って、父が寂しそうに私の頬を撫でる。
小さな頃によく繋いでもらったその手は、私が高校生になった今でさえとても大きく感じられた。でも庸介の手と比べたら、あまり変わりがないようにも思う。私の手が小さいだけだろうか。
こんな時にまで庸介のことが思い浮かぶなんて、何か変だ。
罪悪感に思わず俯きかけたその時だった。
「――ああ、庸介くん」
急に父がその名前を呼んだ。
どきっとして振り向くと、ちょうど庸介が訪ねてきたところだった。既に私服に着替えた庸介は、リビングの戸口の一歩手前で深く一礼した。
「おかえりなさいませ、旦那様」
「ただいま。庸介くんは会う度に徒野さんに似てくるな」
父が感慨深げに言ったからか、顔を上げた庸介は目を瞬かせた。あまり嬉しくなかったのかもしれない。
それを察してか、父は笑いを堪えるような顔で続けた。
「六花の面倒を見るのは大変だろ? いつも済まないな」
すると庸介は、今度はきっぱりとかぶりを振る。
「いいえ。お嬢様のお傍での学校生活、得難い体験をさせていただいてます」
その言葉には私も驚いたけど、父も同様だったみたいだ。目を丸くしていた。
「……そうか。今の学校、楽しいか?」
私には聞いたことのない問いを、父は庸介にぶつける。
今度も庸介は迷わず頷く。
「はい、とても。転校の機会をいただけたこと、とてもありがたく思っております」
口元に礼儀正しい微笑を浮かべて、瞳は真剣そのものの庸介を、私は呆然と見つめた。
庸介がここまではっきりと、しかもうちの父の前で、今の学校を肯定するとは思ってもみなかった。
もちろん庸介なら、父の前で失礼なことは口にしないだろう。転校したくなかった、今の学校はレベルが低い、私に付き合うのも仕方なくだった――なんて思っても言うはずがない。
だけど今の言葉には、もっと違う真実味があった。
「……楽しいならよかった」
父は短く言って、それからまだ何か言いたげにした。
だけど時間がなかったようだ。腕時計を確かめた後でネクタイを締め直し、溜息をつく。
「六花、庸介くん、今度また学校の話を聞かせてくれないか」
「かしこまりました」
私より先に、庸介が勢いよく顎を引いた。
それで私も慌てて続く。
「はい。私もお父さんに話したいことたくさんあるから」
今の学校のこと、楽しい思い出、いつかちゃんと聞いてもらいたい。話ができる頃には、学園祭のことさえ思い出になっているかもしれないけど、それでもだ。
「楽しみにしてるよ」
父は笑い、じゃあ行ってくるよとリビングを出ていく。
だけど戸口で一度振り向いて、
「そうだ、庸介くん」
庸介に声をかけ、こう言った。
「学園祭で、六花の写真を撮ってきてくれないか」
「お嬢様の……?」
その一瞬だけ、庸介はうろたえたようだ。
次の瞬間には動揺を押し隠すように真面目な顔を作っていたけど。
「いえ、かしこまりました」
「頼むよ。何でも体育祭では、六花が君の写真を撮ったそうじゃないか」
父は顔こそ笑っていたけど、心なしか口調が、拗ねているみたいだった。
「徒野さんが喜んでいたのを聞いたよ。次は是非、うちにも頼む」
「よい写真をお渡しできるよう、最善を尽くします」
庸介が答えると、父は肩を竦める。
「君が六花を撮るなら間違いないと思っているよ。父親としては複雑だがな」
そう言い残し、改めてリビングを、そして家を出ていく。
リビングで二人きりになった後、私はこっそり首を傾げた。
「何で、複雑?」
庸介は庸介で、こめかみを揉み解しながら呟く。
「……旦那様はさすが、察しのよいお方です」
「え、何が? どういうこと?」