Tiny garden

聖夜は光で満ちている(2)

 輝くツリーを心ゆくまで目に焼きつけた後、私達はベイエリアを見て歩くことにした。
 本当はどこかお店にでも入って一息つきたかった。だけどクリスマスイブらしいこの人出ではそれらしいお店はどこもいっぱいで、座ってゆっくりなんてできそうになかった。
 でも、歩きながらの方がよかったのかもしれない。
 とてもじゃないけど落ち着いていられる気分じゃなかった。幸せな恋の予感に、私はすっかりうきうきしていた。
 その予感を裏づけるように、私と黒野くんはまだ手を繋いでいる。
「この辺の店、見てみたかったんだけどな」
 建ち並ぶレンガ造りのお店を覗き込みつつ、黒野くんが未練ありげに呟く。
 飲食店はどこも異国情緒漂ういい雰囲気なのに、お店の外にまで席が空くのを待つお客さんの列ができていた。残念だけど今夜は無理だろう。
「また今度来ようよ。次はもっと空いてる時期に」
 私は誘いのつもりで彼に言った。
 途端に黒野くんは腑に落ちた顔になる。
「それもそうだね、また二人で来ればいいか」
 そうやって言ってくれるのが嬉しい。次があるんだって思えるだけで、今日の終わりを意識しなくて済む。

 人で賑わう街並みをしばらく歩いた時だった。
「この店は? お土産屋さんかな」
 一軒のお店の前で、黒野くんが足を止める。
 興味深げに覗く店頭のショーウインドウには、ガラス製のクリスマスツリーが飾られていた。クリアガラスで作られた樅の木に、これもガラス細工の丸いオーナメントがいくつもぶら下がっていて、まるで全てが冷たい氷でできているみたいだ。街明かりを跳ね返して静かに光るガラスのツリーには、先程見た大きなツリーとはまた違う美しさがあった。
「お土産も置いてるし、工房でもあるみたい」
 私はお店の中を指差して答える。
 お客さんがそれなりに入っている店内の奥、『ガラス体験工房』の吊り看板が見える。さすがにこの時間では工房も明かりが消えていたけど、お店自体の営業はまだ終わっていないようだ。レジ前にはお会計を待つ人達の列ができていた。
「都さん、ガラス細工って好き?」
「好きだよ。黒野くんは?」
「俺も結構好き。ちょっと見てっていいかな」
 もちろん大賛成だ。私達はお店に入り、少し見て回ることにした。
 店内の棚という棚に小さなガラス細工の作品が並んでいる。クリスマスとあってかサンタクロースやトナカイの小さな人形もたくさんあったし、年の瀬だからか十二支をかたどった作品もいくつか見かけた。それ以外にもアクセサリーや小物入れ、ミニチュアに至るまで、全てが美しいガラスでできている。きれいなものばかりで目移りする。眺めているだけでは飽き足らず、私まで何か買いたくなってしまった。
 せっかくなので黒野くんにも声をかけてみる。
「記念に、何か一緒に買わない?」
「いいけど、何の記念?」
 黒野くんにはおかしそうに聞き返されて、一瞬言葉に詰まる。
 好きになった記念、なんてことをこんなところで言うのもどうかと思うし――結局、答えられないのが答えになってしまったようで、やがて黒野くんはふっと目を細めた。
「いいよ、どうせならお揃いのものを買おう」
「ありがとう」
 私は照れつつ、頷いた。
 それからは二人で何を買うか、頭を悩ませることになった。選択肢は星の数ほどたくさんあったし、だけど記念になるものというと一つには絞り込めない。何かクリスマスにちなんだものをとも思ったけど、ツリーやサンタやトナカイを今日買ったところで来年まで出番がないのでは寂しすぎる。
「都さん、これはどう?」
 アクセサリーのコーナーを見ていた黒野くんが、私を手招きで呼び寄せた。
 そして近づいていった私に、つるりと丸いガラスのピンブローチを見せてくれた。裏側に銀色のピンを貼りつけたガラス玉は透き通った紺碧色で、その中に細かな光の粒が散りばめられている。その光の粒は見る角度によって薄い青色にも輝くグリーンにも見え、ガラスの中に銀河を閉じ込めたようだった。
 私と黒野くんは額を寄せ合うようにして中を覗き込んだ。
「きれい……」
「これ、不思議だね。どうやって作ってるんだろう」
「ダイクロガラスだよ。ガラスの中に金属を貼りつけてるの」
「へえ、そうやって作るのか」
 黒野くんはそのピンブローチが気に入ったようだった。しばらくためつすがめつ眺めていた。
「それにする?」
 私が尋ねると、彼は少し遠慮がちに顎を引く。
「プラネタリウムを思い出して、きれいだなって。でも決めたわけじゃないよ」
「私もきれいだと思うよ。黒野くんがいいなら、これにしない?」
 銀河を覗けるガラスのピンブローチは、二人の記念にちょうどいいと思った。それにお揃いにするのなら、お互いに気に入ったものの方がいい。
 それで私達はピンブローチを購入し、お店を出てから揃って身に着けることにした。
 黒野くんはチェックのマフラーに、私はニットワンピの襟にそれぞれピンブローチを留める。ガラスの中の小さな銀河を見下ろし、それから彼のマフラーにも同じものが光っているのを確かめる。
 すると黒野くんも私と同じようにして、目が合うとはにかんでいた。
「お揃いだ」
「うん。大切にするからね」
「俺もだよ、都さん」
 私達は何も言わないまま、お店の中で一旦離した手を繋ぎ直した。
 クリスマスイブの夜は、何もかもが明るく照らされていた。街並みも、街行く人の姿も、お揃いのピンブローチも、黒野くんの柔らかい笑顔も。全てが光で満ちている。
 それは私にとって、すごく幸せな光景だった。

 ベイエリアから駅前まで歩いてみたけど、帰りのタクシーを捕まえることはできなかった。
 私達は早々に諦めて、徒歩で帰ることにした。それなりに長い道のりではあったけど、他愛ないお喋りもしたし、途中でコンビニに立ち寄って温かいコーヒーと中華まんでエネルギー充電もした。そういうのが黒野くんとだと、とても楽しかった。
 そしてアパートまでようやく辿り着き、お互いのドアの前で向かい合った時、私は彼に告げた。
「私、黒野くんが好きだよ」
 多分、彼の方も何か言おうとしていたんだと思う。でも私の言葉を聞いて、垂れ目の瞳を大きく瞠ってから少し笑った。
「ありがとう。今夜、言って欲しかったんだ」
 思っていたよりも冷静な反応だ。
 いや、黒野くんはいつも落ち着いてるか。でも今回ばかりはもっとびっくりされるかと思ってた。
「あんまり、驚かないんだね」
 私が恐る恐る尋ねれば、彼はやはり落ち着き払って答える。
「結構驚いたよ。でも、都さんなら言ってくれるって思ってたから」
 黒野くんの目には、私はどういう人間として映っているんだろう。彼は時々、私のことをよく知っているみたいな言い方をする。私は今、黒野くんが私をどう捉えているかが気になる。
 もしかしたら私が口にするよりも早く、私の目は『黒野くんが好き』だって必死に訴えていたのかもしれない。
「私、わかりやすかった?」
 そう聞き返したら、黒野くんは頷いた。
「そうだね。もっとも、俺だって同じだっただろ?」
 確かにそうだ。黒野くんはとても素直に、わかりやすく気持ちを伝えてくれて、私は最初そのことに戸惑わされた。だけど彼の言葉を信じられるようになってからは、嬉しかった。黒野くんも私のわかりやすさを嬉しいと思ってくれているならいいんだけど。
 夜遅く、私達はアパートの廊下で声を潜めて話していた。ここまで長い距離を歩いてきたからか、お互いに頬どころか鼻の頭まで真っ赤だ。そのことを恥ずかしがってる余裕もなく、ドアとドアの間の距離で見つめ合っている。この距離すら詰めて、近づきたい衝動に駆られる。
 その為に私は続けた。
「黒野くんの優しさが好きなの」
「俺、優しいかな。他の人にはあんまり言われないけど」
 黒野くんは照れ笑いを浮かべたけど、はっきり断言できる。黒野くんは優しい。
 そして彼の優しさは、私にいろんなことを教えてくれた。優しさで傷ついてきた私を、傷つけずに掬い上げてくれた。
「じゃあ私が言ってあげる。黒野くんは優しくて素敵な人だよ」
 私が憧れてきた、心安らぐ穏やかな優しさではないけど。
 でも黒野くんといると気持ちが明るくなる。どきどきさせられることさえ楽しくなる。こんな幸せな恋が私のところにやってくるなんて、本当に運命みたいだ。
「別の言葉がいいって言われたけど、お礼もちゃんと言わせて」
 白い息をつきながら、私は尚も気持ちを打ち明ける。
「私、黒野くんがいたから長く苦しまなかったし、新しい恋ができて、今すごく幸せだよ」
 すると、黒野くんは微笑んだ。
「俺も幸せだよ。都さんに好きになってもらえてよかった」
 甘く、柔らかく、そして今までになく幸せそうに。
「それに、諦めなくてよかった。自分で選んだ片想いだけど……絶対に都さんを振り向かせるって思ってたけど、不安が何にもないわけじゃなかったから。好きになってよかったって、今、すごく思ってる」
 その言葉に私は思う。
 もしかしたら、私が黒野くんを傷つけてしまったこともあったのかもしれない。
 そうだとしてもこれからは幸せにする。お互いに、待ってよかったって思える恋にしたい。
「ありがとう、黒野くん。私を好きになってくれて」
 私は彼の傍に、一歩大きく踏み出した。
「こちらこそ。ありがとう、都さん。好きだよ」
 黒野くんは二歩近づいてきて、私を強く抱き締めた。
 外を歩いてきたからだろう。黒野くんの着ているコートも、頬に触れた唇も、どちらもひんやり冷たかった。だけどそんなのはどうでもよくなるくらい、離れがたかった。
「都さんの髪、冷たい」
 彼もその手で、私の髪を撫でながらそう言った。
「外、すごく寒かったからね」
「寒かったね。でも都さんが一緒だから楽しかったよ」
「私も。黒野くんが一緒だと、何でも楽しいみたい」
「また出かけよう。この街のいろんなところ、都さんと歩いてみたいんだ」
 黒野くんが私に囁く。
「うん、約束だよ」
 私は頷いた。彼に教えてあげたいいい場所はまだたくさんあるし、今日行ったベイエリアみたいに、七年住んでいてもよく知らない場所だってある。この街を二人で一緒に巡ることができたらって思う。そうしたら――きっと、この街をもっと好きになれるんじゃないかなって。
「約束するよ。また、記念にお揃いのものでも買おうか」
 彼のきれいな手がゆっくりと下りて、私の襟に留めたピンブローチにそっと触れる。
 そのことに訳もなくどきっとした時、彼はまた微笑んでから、今度は私の唇に指先を置いた。なぞるように這わせてきたから、くすぐったさに目をつむった途端、指よりももっと柔らかくて温かなものに塞がれた。
 久し振りで、不意打ちだったから心構えもしてなくて、息を止めていることしかできなかった。
 お蔭で十秒も続かなくて、慌てて離してから深く息をついたら、黒野くんがおかしそうに笑った。
「可愛いな、都さんは」
「な、なんで嬉しそうにするかな……」
 彼の顔にはどういうわけか、嬉しそうな色が滲んでいる。
 すると彼はとぼけるように小首を傾げた。
「なんでだろうね。とりあえず、慣れてないこと隠さなくてもいいんだよ」
「隠してなんか……むしろわかりやすいんでしょ、私」
 そう尋ねたら、黒野くんは答える代わりに私をぎゅっと抱き締め直した。
「そんな都さんも好きなんだ」
 黒野くんは、嬉しい言葉をたくさんくれる。
 私ももっとたくさん言ってあげたいから、久々の幸せな恋に早く慣れることにしよう。

 お互いの部屋のドアの間で、私達はずっと抱き合っていた。
 静かな廊下は白い外灯に照らされていて、聖夜の街並みと同じように、明るい光で満ちていた。
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