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『好きだよ』、震えた声で紡いだ(3)

 春の唐突な『友達宣言』は友人たちを大変に驚かせたようだった。
 三人は昼休みに、堂崎が教室から出て行ったのを見計らい、一斉に取り囲んで質問を浴びせてきた。
「一体どういうことなの?」
「い、いつからお友達だったの?」
「どういうきっかけなのっ?」
「そもそも何で堂崎と友達になろうなんて思ったの?」
「堂崎くんとはどんな話してるの? 話、合う?」
「てか超羨ましい! 私もそんな運命欲しい!」
 一部、質問ではないものもあったがそれはさておき。
 三人が詳細を知りたがっているのはわかっているものの、春もそんなにいっぺんには考えたり答えたりできなかったし、目下答えられない事柄だって存在している。だからちょっと待って、と少し時間を貰ってから、これは大丈夫かなと思えることを告白した。
「ずっと黙ってたんだけど、実はうちのお父さん、堂崎の家で働いてるの」
「えー!」
 なぜか絶叫する温子。隣で美和が身を乗り出し、
「じゃ、じゃああれ? もしかして春のお父さんって本物の執事さん?」
 いつにない食いつきぶりを見せる。
 もっともその問いには、春も首を傾げざるを得なかった。
「うーん……そこんとこはよく、知らない。お父さんがどんな仕事してるかって詳しく聞いてないんだ」
「え、そうなんだ」
「うん。何か聞きたくなかったって言うか。正直なとこ、堂崎の家で働いてることに受け入れがたさもあったし」
 堂崎の家に招かれた時、仕事中のはずの父とは会いたくないと思っていた。働いているところを見たくなかったのだ。
「まあね、友達……のお父さんが自分のお父さんの上司、みたいなもんだしね。そういうのってよくあるけど、ぶっちゃけ微妙じゃない?」
 美和の言葉が当時の春の心を八割方代弁していた。
 それも自分の生い立ちを受け止め切れなかった頃の話で、いつかは――今すぐではなくてもいつかは、父の仕事を誇りに思うことができるかもしれない。何にせよ、父はその仕事で自分を育ててくれているのだ、いつか、必ずそう思いたい。
「それでもお友達になれるなんて、すごいね」
 静乃はずっと上機嫌でにこにこしている。
 対照的に温子は何だか不安そうな面持ちで、さっきから落ち着かないそぶりも見せていた。春と目が合うとわずかにためらい、やがて腹を決めたように口を開いた。
「て言うかその、単刀直入に聞いちゃいたいんだけどっ」
「何?」
「堂崎と、……つ、付き合ってるとかそういうことでは、ないよね?」
「……え?」
 春は呆気に取られたが、温子の顔は授業中よりもよほど生真面目だ。笑い飛ばすのも失礼かと思い、素直に答えた。
「そういうのではないよ、全然。本当に友達」
「ほ、本当に?」
「うん。友達」
 念を押した一言は自分にも言い聞かせるみたいにしっかりと口にする。それからようやくちょっと笑ってみる。
「むしろ、これからは協力するよ。今まではほら、堂崎のこととか、お父さんのこととか皆に言えなかったけど、もう違うから。だから温子に協力する、今まで以上に応援する!」
 目の前でこんなに真剣になられたら、励ましたくもなる。ましてあの、素行不良な点ばかり噂になるような兄を好きになってくれた人だ、春だって大切にしたかった。
 温子は春の言葉を信じてくれたようだった。表情がするっと解けて安堵の色に変わる。
「そ、そっかあ。ありがとう……」
 そしてすぐに普段のような、快活な笑顔を取り戻す。
「なら私、諦めない! 今後も頑張る! たとえクラス一緒になれなくても頑張る!」
「一途だねえ」
 美和もいつも通り、そこで溜息をつく。それから春に視線をくれて、
「堂崎と友達かあ、私に出来るかな? 何か、余計なこと言っちゃってあいつを怒らせちゃいそう。もしそうなったら春、仲裁してくれる?」
「もちろん、いいよ。でも堂崎、そんなに怒ったりはしないと思うな」
 春の印象としては、兄もまた変わったように見える。以前ほど短気ではないと思うし、少なくとも挨拶をしてくれるほどにはなった。案外他のクラスメイトとも上手くやれるのではないだろうか。
「私も話すのはまだ怖いけど、挨拶から始めてみようかな」
 静乃は前向きにそう言って、笑いかけてきた。
「前に言った、堂崎くんが変わったって話。あれって、お友達ができたからだったんだね」
「……うん。そう、だといいな」
 心から、春は答える。

 友人たちからの質問攻めは昼休みの間中続いたが、質問をぶつけてきたのは彼女たちだけではなかった。
 普段は話したこともないクラスメイトたち数人から、休み時間の合間に何度か聞かれた。――堂崎と友達だって、本当? 春がそうだよと答えれば、皆は一様に複雑な、信じがたさと驚きと物珍しさ、それに若干の羨望を込めた眼差しを向けてきた。
 堂崎新はこれまでいい意味でも悪い意味でも、同級生からの注目を集めてきた。不良生徒はどういうわけか異性からの人気が高いのがお約束だし、かといってこの名門校には堂崎の素行に眉を顰めている人間がいないわけでもない。こと教師たちからの評判は今まで、決してよくなかった。
 そういった印象が、皆の見る目が、これからは変わっていくのかもしれない。
 堂崎の、それから春の成長とも、同じくらいの歩幅で。

 既に周囲の空気だけは変わってしまったこの日、放課後になると堂崎は、自ら春に声をかけてきた。
「今日何もないなら、一緒に帰るか?」
 瞬間、ざわめき始めていた教室はまたしてもひっそり静まり返った。春は居心地の悪さを覚えつつも、気分よく答える。
「うん、いいよ」
 今日は水曜日だから、そうしたいと思っていた。
 実を言えば、昼休みに美和から誘われていたのだ。堂崎も誘って、皆でどっか、たとえば無難にカラオケでも行こうか、と。恐らくかなり気を遣ってくれたのだろうし、温子への応援の意味もあったのだろう。男子一人なら浮くかな、とも心配してくれていたが、たとえどこかから他の男子を引っ張ってきても、今の堂崎ならまだ浮きそうな気もしたし、とりあえず今日のところは五人でという話だった。だが春が答えるより先に静乃が、でも今日水曜日じゃない? と言い出して、結局今日の予定はお流れとなったのだ。
 でも次の機会があったら、その時は堂崎を必ず連れて行くつもりだ。引きずってでも。機会を黙って待っているつもりだってない、自分から作ったっていい。
「じゃあ皆、先に帰るね」
 帰り際、春は優しい友人たちに手を振った。三人もすかさず振り返してくれる。
「ばいばい春! ……あと、ど、堂崎もね」
 後半部分は多少どもりながらも、温子が挨拶をする。
「またね、二人とも」
 美和の言葉は簡潔だった。表情は心なしか柔らかい。
「また明日……会おうね、皆で」
 静乃もまだ緊張した様子だったが、ぎこちなくも笑んでくれていた。
 もう一度手を振る春の隣、堂崎はしばらく考え込むようにしてから、何とも言えぬ表情で会釈をした。それから居心地悪そうに、静かなままの教室を先に立って出て行く。春もすぐに追いかける。

 廊下へ出た堂崎に春が追いついた時、更に別の声が追ってきた。
「堂崎さん!」
 声でわかった、吉川だ。
 堂崎が振り向いた直後に春も振り向いた。混み合っているのになぜか中央だけががら空きの廊下を、全力疾走で駆けてくる男子生徒。髪型はやはりオールバックで、てかてかしている。
 吉川はすぐ目の前で立ち止まり、まず堂崎を見た。そして数秒もしないうちに春の存在に気づき、危機感にか顔を強張らせた。
「えっ……と、堂崎さん、帰るんすか」
「今日水曜だろ。用があんだよ」
 堂崎は仏頂面で答えたが、吉川の意図はそこではなかったらしい。ちらと春を見てから再度、
「や、その……帰るんすか、そいつと」
 それで堂崎も春を見た。というより、横目で見る仕種だけをした。素早く吉川に向き直る。
「悪いか」
「いや悪くは、ないっすけど」
「別にいいだろ」
 言い捨てた堂崎がくるりと背を向ける。そのまますたすたと歩き出す。
 会話の素っ気なさに驚いた春が思わず目を向ければ、それを制するように吉川がぼやいた。
「何つーか、末期症状? この分だとしばらく吹っ切れなさそうな……」
「末期症状って?」
 物騒な言い様だと聞き返した春に、吉川は容赦なく顔をしかめた。ついでに噛みついた。
「あーもう何なのお前! どんだけ鈍感なのむしろ性悪なの小悪魔系なの? お前のせいで堂崎さんはなあ!」
「こ、小悪魔系……?」
「もういいって! つか、これ以上堂崎さん傷つけたら容赦しねーぞ、たとえ女でもだ!」
 吉川は大分苛立っているようだ。それだけ舎弟として、堂崎を案じているのだろう。まして彼は堂崎の落ち込みを失恋だと捉えているようだし――その気持ちがわからないわけでもないのだが、春としてはこう答えるしかない。
「堂崎なら大丈夫だよ。これからもっと強くなるし、友達だっていっぱいできるよ」
 それに対する吉川の反応はこうだった。
「お前の少女漫画脳にはほとほとうんざりするね」
「え、私が? 吉川さんじゃなくて?」
「何で俺だよ! 読まねーよ! つか堂崎さんもう行っちゃったぞ、お前もとっとと行け!」
 事実、堂崎の姿はもう廊下の向こうに見えなくなっていた。もっとも曲がり角の先や階段の踊り場あたりで待ってくれているのだろうし、そうでなければさっさと靴を履き替えて、校門の外の人目につかない場所で隠れているはずだ。
 だから春はそれほど焦らず、挨拶の代わりに吉川へ、質問をぶつけてみた。
「そうだ、一つ聞きたいんだけど」
「あ?」
「吉川さんって、カラオケは好き?」

 もしもの話だ。美和たちと本当にカラオケに行くことになって、堂崎が男子は一人だけという事実に渋ったりしたら。
 その時は、じゃあ『巾着の人』を呼んだら、と言ってやろう。
 どうせ呼ぶなら見知った顔の方がいいだろうし、吉川なら、あっさり場に溶け込みそうな気もするし。実際に堂崎が渋るかどうか、吉川を呼ぶ気になるかはわからないが、まあ言い出してみるだけなら構わないはずだ。
 計画は当人のあずかり知らぬところで着々と出来上がっている。
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